三十二話 口調は遺伝することもある(多分)
「広瀬楓を出せ。俺はあの女と話をするためにここに来た」
邂逅一番、そんなことを言い放った青年。
長身であり、引き締まった体付き。少し目つきが鋭いが、それも篤史のような強面ではなく、イケメンと呼ばれる部類だろう。清楚感あふれる服装も相まって、一見するだけならば、青年はまるでドラマや映画に出てくる俳優クラスの美男子だ。
そんな青年―――二宮徹に対し、店長である真は、コーヒーを出しながら言う。
「そう……けど、悪いわね。今日、楓ちゃん休みなのよ」
「ならすぐにここへ呼んでくれ」
なんとも非常識な言い分。
しかし、それに対して、真は笑顔で言葉を返す。
「生憎と、ウチはそういうサービスしてないのよ。悪いけどね」
真の変わらずの姿勢に、徹は目つきを鋭くさせながら、視線を送っていた。
「……あの女の肩を持っても、ロクなことにはならないぞ」
「あら? 何の話?」
「しらばっくれるな。あいつが今日、ここに来ていることは知っている。それでもあの女を呼ばないのは、どうせ事情を聞かされているのだろう?」
ふん、と鼻を鳴らしながら、徹は続ける。
「あの女から何を聞かされたかは知らないが、言っておく。それは全てデタラメだ。あの女は、俺の大事な人―――加奈を陥れた。挙句、俺の家族を騙し、味方につけている。おかげで、俺は家を出るハメになった。加奈も、多くを失った。それでも、俺達は何とかやっていける道を探している。なのに……あいつは、こんな場所で普通に暮らしているだなんて」
普通に暮らしている……それはまるで、楓が普通に暮らしていることが許せないと言わんばかりの言い草だった。
「なぁ、知ってるか? 加奈の父親が経営していた会社が潰れたことを。どうせ、あの女は偶然だなんだの言ってるだろうが、そんなことがあると思うか? あいつとの婚約を取りやめて、加奈とこれからだって時に、突然そんなことが起こるとでも? そんな偶然が本当にあり得るとでも? そんなこと、あるわけがないだろうが」
「だから、彼女か彼女の両親が、裏で糸をひいていたと?」
「今は確実な証拠はない。だが、必ず俺はそれを暴いてみせる。そのために、俺はここに来たんだ」
ゆえに、さっさと楓を出せと、徹は言う。
そんな彼に、「そう」と真は言い、目を伏せながら続けて言う。
「言いたいことはそれだけ? なら、もうおかえりということでいいわね?」
その言葉に、徹の顔はさらにしかめっ面となった。
「……俺の話を聞いていたのか。俺はあの女に……」
「ねぇ」
などと。
文句があると言いたげな徹の言葉を遮りながら、真は言い放つ。
「貴方の方こそ、私の話、聞いてなかった? 今日は、あの子、いないんだって言ってるわよね?」
刹那、徹の背筋に悪寒が走った。
たった一言。言われただけで、徹は自分の体が震えていることに気が付く。止めようとしても全く震えが止まらない。
それが、目の前の男から感じる、『恐怖』からくるものであると気づくのに、そう時間はかからなかった。
そんな徹を他所に、真は話をつづけた。
「……ねぇ知ってる? 楓ちゃんってとっても料理が上手なの。それもプロ並みレベルの。ホント、この業界に長くいるっていうのに、あんな女の子に料理で負けるなんて、正直心が折れかけたわ。でもね、それだけ彼女の料理はおいしいの。ここに来ている常連さんもそれはもう気に入ってて、この店の看板メニューもあの子が作ってるわ」
「……?」
「でも、それはあの子が料理の天才だからって理由だけじゃない。相手に美味しい料理を食べてほしいからっていう想いがあるからこそできることなのよ。ここで働いている時の彼女は、まさにそれ。お客さんに美味しいものを食べてもらうために、一生懸命頑張ってる。何故分かるかって顔ね。そんなの、料理作ってるときの姿みれば一発で分かるものよ」
真の話を徹は訝しむような顔つきで聞いていた。
その話の内容が全く理解できない、今は関係ないだろう。そんな感情が顔に出ている。
「何の話を……」
「彼女の話よ。貴方の元婚約者でここのアルバイトをしている女の子の話。どこにでもいる、ただの女の子の話。そして、貴方が勝手に切り捨てた子の話。貴方が誰を好きになるのか、それは正直どうだっていい。恋はいい意味でも悪い意味でも人を盲目にさせることがある。けど、それを一概に否定はしないわ。人の歴史を紐解いても、そういう恋愛沙汰で色々あったのが人間だもの。だから、否定はしない」
けれど。
「貴方の行為で傷ついた女の子がいるってことも、ちゃんと自覚しなさい。ああ、別にあの子が貴方のことを好きだったとか、そういう話じゃないから。貴方との婚約が無くなったことで、あの子も色々と大変だったってこと。それくらいは理解しておきなさい」
確かに、徹の彼女の会社が倒産したことも、それによって徹と彼女の婚約が無かったことになったのも、不運だと思うし、可哀そうだとは思う。
しかし、だ。その現実から目を背け、誰かのせいにするなど言語道断。挙句、まるで楓が一切傷ついていないと言わんばかりの言葉の数々は、論外としか言いようがない。
ゆえに、少し説教じみたことをした真。
それに対し。
「大変だった? だからどうした」
徹は、その一言で、楓のこれまでのことを切って捨てた。
「ああそうだな。婚約破棄をされて、あの女は苦労をしたかもしれん。だが、それでも何かを失ったわけじゃないだろうが。アレが俺のことを好きじゃなかった? ああ、知ってるとも。だから婚約破棄をしたんだ。あれも好きでもない相手と結婚したくはなかっただろうからな。俺から解放されて、あいつも楽になったはずだ」
その言葉に、悪意はないのだろう。
彼にとっては、ただ事実を淡々と述べているだけにすぎないことなのだろう。
そして、だからこそ余計に、真は己の拳を握りしめる他なかった。
「事実、あいつは転校こそしたが、それだけだ。親の会社も倒産していなければ、今まで通りの普通の暮らしができてる。しかもちょっと不登校になっていたというじゃないか。おおかた、どこぞにでも遊びに行っていたんだろう。全く、自分がしでかしたことに罪悪感も感じていないんだろうな。だが、それももうすぐ終わる。俺がきっと、連中の悪事を暴いて……」
「ああうん。分かった。もういいわ。貴方の言いたいことは理解したから」
そこまできて、真はある種、諦めた。
自分は大人だ。だから、相手をなるべく怒らせないように合わせて喋ってきたつもりである。そもそも、ここで自分が何をどういったところで、意味はない。第三者の言葉など、それこそ徹には届かないと思ったのだから。
けれど、もう限界だ。
これ以上、我慢するのは流石に、無理である。
ゆえに彼もまた、言いたいことを言い放つ。
「まぁ、とりあえず、あれね―――いい加減、その口閉じろや。私の娘の大事な友達を、これ以上侮辱するな。さもなきゃ、ぶち殺すぞ、ガキ」
その瞬間。
あまりにも、先ほどまでとは違った口調に、徹は目を丸くさせる他なかったのだった。
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