十九話 お嬢様とて贅沢な暮らしをしているとは限らない
「まぁ、簡単に言うと、婚約破棄されたんだよ、アタシ」
「脈絡がないにも程があるだろオイ」
最初の一言は、予想できていたものであったが、しかしあまりに直球だったため、篤史のツッコミセンサーが反応してしまった。
『流石篤史さん。ナイスツッコミです』
などという友里のテレパシーに、しかし篤史は無言で返した。
「ウチはさ、いわゆる成金って奴で、父さんは一代で自分の会社を立ち上げて、アタシが小さかった頃には、大企業に匹敵する程の規模にしたんだ」
「つまり、楓ちゃんは、正真正銘のお嬢様ってわけ?」
「お嬢様つっても、他の連中とは毛色はだいぶ違いますけどね。何せ、元々は普通の一般家庭と同じレベルだったんで。っつか、今でもそうですし。お金は多少ある方だけど、それでも前に通ってた学園の連中と比べて、天と地ほどの差だと思いますよ。何せ連中、富豪とか名家とかばっかなんで、普通に執事とかメイドとか雇ってたり、車で送り迎えしてもらうのが当たり前でしたから」
『えっ、何ですかそれ。リアルでそんな学園あるんですか。どこの秀〇院学園ですか』
『やめろ、白澤。それ以上はいけない』
あまりにアウトなテレパシーに、篤史は待ったをかける。
……正直なところ、篤史も友里と同意見であが、今はそれは置いておく。
「そんなアタシには、許婚がいたんだが、コイツが大企業の中でもトップクラスなところの長男で、昔からよく一緒にいることが多かったよ。でもさ、どうやら、そいつに好きな人ができたらしくて、それでアタシたち、婚約破棄することになったんだ」
さらり、と。
楓のとんでもない発言に対し、篤史は思わず、問いを投げかける。
「ちょ、ちょっと待った。俺は上流階級とか、金持ちの社会とか知らないから断言はできないが、他に好きな人ができたら婚約がなくなるって、そんなことあるのか?」
「普通はないだろうな。けど、その相手っていうのが、ウチ以上の成金で、しかも滅茶苦茶勢いのある会社の娘だったんだよ。まぁ、それだけが要因じゃないんだけど、色々なことが重なって、結果、アタシは婚約破棄される形になったんだ」
つまり、許婚とその娘が好きあっているというだけではなく、互いの両親がそれを望む形になったからこその、婚約破棄、というわけか。
「もしかして、ウチの学校に来たのも、それが理由か?」
「まぁ婚約破棄された身だからな。言っちまえば、傷モンだ。そんな奴が、上流階級の連中と一緒にいられるわけがない」
別に、楓が何か悪いことしたわけではない。無論、楓の両親もそれは同じだ。
ただ他に好条件のものが見つかった。だからそっちを選んだ。そして、楓たちは選ばれなかった。
たったそれだけ。しかし、それだけのことが、富豪、名家、大企業の連中にとっては大事なのだと楓は言う。
「……正直、婚約が破棄されたことは、そんなにショックじゃなかった。アイツとは、そういう仲にはなれないだろうとは思ってたから。でも……」
「でも?」
「……婚約破棄された後の、皆の態度は、かなり効いた。アタシと話すことを避けはじめて、中には意地の悪いイタズラする連中もいた。皆、アタシのことは、『大企業の御曹司の許嫁』っていう目で見て、それ目的で近づいてたんだなって。それで、その肩書を無くした自分にはなんの価値もないんだって、はっきりわかった……いいや、分からされたんだ」
分かった、ではなく、分からされた。
恐らくは、それだけに楓への風当たりは強かったのだろう。
人間とは、他人の立場が変われば、態度を変えてしまうこともしばしばある。それこそ、上流階級、なんてよばれている連中は、そういうことに敏感なのだろう。故に、彼らは自分の地位を守ることができるし、向上させることもできる。
そして、時には、人を平気で陥れることも。
そんな連中がいる中、強い肩書を無くした彼女へ、態度を変えるのはある種当然ともいえるかもしれない。
無論、篤史からしてみれば、そんなものはクソったれとしか思えないが。
「まぁ、そんなことがあって、ちょっと人間恐怖症になっちゃって」
「それは……無理もねぇだろ」
昨日まで普通に話していた友達が、突然と話すことを拒否してきたり、付き合いが悪くなったり。挙句、嫌がらせをしてくるようになった。そんな環境にいきなり落とされれば、誰だって人を信用できなくなるのは、自然な流れだと言える。
そして、だからこそ、篤史は一つの答えに至った。
「それが原因で、学校には行きたくないって言ってたのか」
「そういうこと。まぁ、時間も経って、ちょっとした心の余裕もできたし、もうふんぎりついているからどうでもいいんだけど」
『心の余裕……なるほど。つまり、そんな傷ついていた時にメイドと出会って、沼に嵌っていったってことですね』
『事実なんだろうが、今はそういうことは自粛しろ』
とはいえ、友里の言葉を完全に否定できないところが、また悩ましいことではあるのだが。
「それに、今は、その、何だ。アンタらのおかげで、色々と楽しいって思えるようになったし。この店で働いてて、やりがいも感じてるし……」
「あら。嬉しいこと言ってくれるじゃない」
楓の言葉に嘘はない。だからこそ、真も笑みを浮かべて、そんなことを口にしたのだろう。
「だから、その……こんなこと、言うのはちょっと気恥ずかしいけど……感謝してる。ありがとよ」
そして故に。
その言葉もまた、偽りではないと分かったからこそ、篤史も友里も小さな笑みを浮かべたのだった。
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