四十話 もうやめよう
「お前だけは……絶対に、許さない……」
怒りに震える佐山はそんな言葉を吐きながら、篤史を睨みつけていた。
今朝の靴箱の中。そこにあったのは、ここへの呼び出しが掛かれてあったメモ。
嫌な予感は無論あった。どうせロクなことにならないことも十分承知していた。
その上で、篤史はここへやってきたのは色々と理由があるが、今はそれは置いておく。
「絶対に許さない、か……。なぁ佐山。この際だ、聞かせてくれ。お前は俺の何が気に食わないんだ?」
「何がだと? そんなの、全部に決まってるだろうが!! お前は不良だ。ろくでなしだ。そんな奴が白澤さんと一緒にいるなんておかしい。絶対にあっちゃいけないんだ……」
また、そのセリフである。
最早聞きなれたそのセリフは、どこか機械的のように感じたのは気のせいか。
……いや、おかしいと思えるのはセリフだけではない。
佐山の目は少しだけ血走っており、体も震えているように思えるのは、気のせいだろうか。
「なのに、皆どこかおかしくなってる。白澤さんのあの言葉を聞いて、納得してるんだ。あそこまで彼女に言わせるんだったら、もしかしたら、山上も悪い奴なんかじゃないのかもって……そんな馬鹿げたことを言ってるんだ……きっとお前のせいだ。白澤さんのあれだって、お前が言わせたに違いない。だから」
「だから?」
「だから、俺はお前を倒す。ここで、俺がお前を倒して、白澤さんの、皆の目をさまさせる!」
と言いながら、拳を握る佐山。
……きっと、彼の中には決闘罪とか、そういう単語は存在しないのだろう。
このままここで自分たちが殴り合えば、どうなるのか、それすら理解していないに違いない。
しかし、だからと言って、もう佐山に何を言っても無駄だろう。
篤史が何をどう言ったところで、彼はその言葉を勝手に違う解釈をし、聞く耳を持たない。むしろ、何かを言う度に、彼の中では「ゴミクズが何かを囁いている」程度にしか認識しないのかもしれない。
ならば、残されている手段はただ一つ。
佐山の提案を素直に受け入れる、つまりはここでの殴り合いだ。
正直、篤史は喧嘩に関しては自信がある。自己評価が低い彼ではあるが、その点に関して、他の者より抜きんでているという自負があった。むしろ、これは篤史にとって好条件ともいえるもの。
ゆえに負ける気はない。
そして―――
「―――いい加減にしろよ、佐山!!」
篤史は敢えて、その有利な選択を捨てる。
怒号のような叫びに、佐山は一瞬体をびくつかせた。
「お前、こんなことしてただですむと思ってんのか!!」
「な、なんだよそりゃ……脅しのつもりか?」
「脅し? そんなんじゃねぇよ。ただ俺は当たり前のことを聞いただけだ。こんなところで喧嘩して、お前、怪我もせずに万事解決するとでも思ってんのか?」
篤史と佐山の二人が喧嘩をすれば、どちらが勝つのか。それは分からない。篤史は喧嘩なれしてるし、負ける気もない。だが、何かの要因で佐山が勝つ可能性だってあり得る。故に、絶対に篤史が勝つ、なんてことはそれこそ分からないのだ。
けれども、篤史にはそんなことどうでもいい。
喧嘩をして、どっちが勝つなんてこと、彼にとっては重要ではないのだから。
「お前は本気で人を殴ったことも蹴ったこともないだろ。だから教えてやる。人を殴れば拳は痛むし、蹴れば足も痛むんだよ。そんなことで、余計な怪我して、サッカー部への復帰が遅くなったらどうするんだって聞いたんだ!!」
よく、漫画やアニメで登場人物が殴り合った際、次の日にはまるでそんなことなかったかのような描写がある。しかし、あんなものはまやかしであり、嘘っぱち。
人を殴ったり蹴ったりすれば、それをした方も傷つき痛みを感じる。人間はそういう風にできているのだと、喧嘩を何度もしてきた篤史はよく知っている。
知っているからこそ、今、彼は佐山が喧嘩をしようとしていることに憤りを感じていたのだ。
「この前、岸原先輩に会ったら言われたよ。お前はうちのエースだって。この意味、分かるか?」
エースだった、ではなく、エースだと現在進行形で言い切ったその意味。
つまるところ、岸原の中では佐山は未だ、エースなのだ。そして、いつかきっと怪我を完治させて戻ってくると信じている。
いいや、きっと彼だけではない。サッカー部の全員が、彼と同じ気持ちのはずだ。
「岸原先輩、言ってたぞ。サッカー部の皆、お前がサッカー大好きなのを知ってるって。だから早く戻ってきてほしいってな」
佐山はクラスでカーストトップにいた。
それはきっと、彼が本当の意味で努力し、サッカー部のエースにいたから。そして、それを周りも理解していたからこそ、彼は人気者になっていたはずなのだ。
「佐山。お前が俺のことが嫌いだってことはよく分かってる。ああそうだな。そうだよな。俺はロクでなし、好きな奴の方が少ないってことくらい知ってるさ。俺だって、俺のことが嫌いさ。人付き合いは悪い、愛想も悪い。でもってそんな奴がクラスの隅でムスっとした顔でいたら、そりゃあ嫌な気分になるのは道理だわな」
篤史も自分が周りにどのような目で見られているのか、理解している。その原因についても。
しかし、それを分かっていながら、改善できない時点で、彼はロクでなしなのだ。
そして、だからこそ、そんな篤史だからこそ、佐山に言いたい。
「けどな、そんな奴を殴るために、お前はサッカー部への復帰を遅らせていいのか? お前を待ってる人たちを裏切っていいのか? お前、サッカー大好きなんだろ? 練習しすぎて怪我するくらい、本当に好きなんだろ? そんなサッカーよりも、俺とのケリの方が大事だっていうのか!?」
「それ、は……」
「目を覚ませ佐山!! お前は、俺なんかとは違う。皆に期待されてる奴なんだ。必要とされてるんだ。いい加減、それを自覚しろよこの馬鹿野郎!!」
篤史の叫び。それは正真正銘、彼の心からの声だった。
それを察したからこそ、佐山は握りしめた拳の力を若干、弱めた。
「俺は、俺、は……」
「佐山。もうやめよう。こんなことしても、きっと意味はない。俺とお前が喧嘩をしたところで、俺達のどちらにもメリットなんてないんだから」
もしも、それがあるとするのなら、こんな茶番を仕掛けた『黒幕』だろう。
そもそも、だ。ここで佐山と喧嘩して、ボコボコにして、勝って、それでどうなる? 悪いのは佐山。だから彼が殴られるのは当然で、痛い目にあうのは当然。勧善懲悪。それがこの世の全てなのだから?
阿呆らしい。そんなどこの誰が作ったか分からない定番など、篤史は御免被る。
話し合いの余地があるのなら、誰も傷つかない道があるのなら、それを選択するべきなのだから。
「それでもお前が拳を握るんなら、俺は逃げる。逃げ続けながら、お前を説得する。何、安心しろ。俺は体力には自信がある方だからな」
何を言っても無駄ならば、無駄じゃなくなるまで話すまで。
聞く耳を持たないのなら、聞く耳を持つようになるまで語るまで。
それが暴力以外で導き出した、篤史なりの解決策であった。
馬鹿で、阿呆で、あり得ない程度し難い方法。ほとんどの人間が聞けば、鼻で笑うレベルな幼稚さ。そんな青臭いことを、しかし篤史は本気で言っている。
そして、流石の佐山もそれを理解した。してしまった。
だからこそ、先ほどまで握りしめられていた拳は緩み、両手が下ろされた。
その刹那。
「よう、兄ちゃんたち」
まるで、篤史の叫びをあざ笑うかのような、声音。
ふと見ると、そこには二十人を超える男たちがいた。
そして、そのリーダー格の男が、不敵な笑みを浮かべながら。
「熱い青春してるところ悪いんだが……ちょっくら、俺らにボコられてくんね?」
無粋な、そして下劣な提案を口にしたのだった。
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