三十話 夫婦喧嘩は犬も食わぬ
父親―――山上太郎の突然の電話に、篤史は少々戸惑いを隠せなかった。
何故なら、基本、彼が篤史に電話してくることはない。
別に親子仲が悪いとかそういうことではない。一緒に暮らしているのだから、喋るとするなら家の中。故に、ただ単純に、電話で話す内容がないだけ。
そして、そんな父親が、電話してくるとしたら、心当たりは一つしかなかった。
「親父……どうしたんだよ、急に」
『いや別に。お前が寂しいんじゃないかと思って、電話してみただけだ』
「……母さんと喧嘩したのか」
その言葉と同時に、電話の向こうから何やらどたばたと激しい音が聞こえた。
……きっと太郎が、思いっきり倒れた音なのだが、そこを指摘するのは野暮というものだろう。
『な、ななな、なにを言ってる。べ、べつ、別にそんなんじゃあない。何で、父さんが母さんと喧嘩したくらいで、お前に電話しなくちゃいけないんだ』
「動揺しすぎだろ……親父が一人で電話かけてくるとか、そんなの母さんと喧嘩した時だけだろ。しかも、滅茶苦茶小さなことで。それで? 何で喧嘩してるんだ。寝てる時のいびきが煩いとでも言われたのか? それとも、再放送している『将軍サマー』を見てる邪魔したのか? まさか、また胸のサイズのことでいじったのか?」
『そんなことはしていない。ただ……その、何だ。母さんが買っていたみたらし団子を、こっそり食べただけで……』
「予想以上に小さいなことだなオイ」
これである。
篤史の両親は、基本色んなことで言い合いになる。それも、小さなことで、だ。とはいえ、離婚しだすような、そんな罵倒の数々が飛び交うわけではない。夫婦喧嘩は犬も食わぬ、という言葉があるように、本来なら仲裁に入る必要性がないほど、くだらないものである。
そして、喧嘩した後、ちょっと後悔して篤史に電話する、というのがいつもの流れだ。
本当に、何でこんな人が大学教授をしているのか、時々疑問に思う篤史なのであった。
「とりあえず、新しいみたらし団子買って、母さんに謝っとけよ。あの人、基本それで何とかなるし」
『お前は母さんを何だと思ってるんだ……まぁ確かに基本はそれで何とかなるだろうが』
「あとは親父の謝り方次第だな。またいつもみたく、上から目線で謝るなよ? 親父、そのせいで友達少ないんだから」
はっきり言うと、篤史の両親は友達が少ない。
その原因としては、基本的な人付き合いが苦手なため。無論、社会人として最低限のことはできている。が、友人ができるに至るまでにはできていないと言えるだろう。
人のせいにはしたくはないが、篤史が友達付き合いが苦手で、友達が少ないのは顔以外にあるとすれば、きっとこの両親の血をしっかりと受け継いでしまったからだと、今でも思う。
「用件はそれだけか? なら、もう切るぞ。っというか、さっさと母さんに謝って、仲直りしろよ」
『ちょ、ちょっと待ったっ。まぁ、そのなんだ……確かに母さんと喧嘩は……した。だが、それだけのことで電話したんじゃあない』
「?」
『母さんが言っていた。今、妙な胸騒ぎがしたと。彼女の勘は鋭いからな。学者という面では甚だ馬鹿らしいとは思うが、しかしそれでも的確に当ててきたのは事実だ。それで、お前にも連絡したわけだが……何か変わったことはないか?』
言われて、篤史は一瞬言葉が詰まる。
母親の勘は、よく当たる。母親の両親、つまり篤史の祖父母は占い師を生業としていたらしく、その直感は馬鹿にできないものであった。天気予報を百発百中で当て、人が嘘をついているかどうかも読心術で当てられるほど。
そんな血筋を受け継いでいるせいで、母親は、時々物凄い直感を発揮させるのだ。
現に、こうして篤史の現状が悪化していることを知らないはずの父親から電話が来たのだから、やはり侮れないものなのだろう。
とはいえ、今、二人は仕事中。
篤史の事情を話して、その邪魔をするわけにはいかない。
「―――別に。何もねぇよ。いつも通り、ボッチ生活を満喫してるよ。誰かさんたちと同じでな」
『そうか……だがちょっと待て。さっきからその言い方は聞き捨てならないぞ。母さんはともかく、なんで父さんがボッチ認定されるんだ。俺は別にそんなことは……』
「いや、息子にそんな見栄はらなくていいから」
『くっ……何だなんだ。自分は可愛い女の子とお近づきになれたからって……』
「……ちょっと待て。何を言ってるんだ、親父」
刹那、聞き逃してはならないことを聞いてしまったがゆえに、篤史は問いを投げかけた。
『翼君から電話があってな。その時聞いたぞ。最近、綺麗な女の子と友達になったんだってな。しかもよく家に連れ込んでいるとか。ふん。羨ましくなんか……羨ましくなんか、ないからな!!』
「お、おう……」
最後の言葉に、ちょっと押され気味な篤史だったが、一つ確信したことがあった。
どうやら翼が余計なことを吹き込んだらしい。
そして思う。
とりあえず、今度あったら無言でアイアンクローをかけよう、と。
『あー……それと、あれだ。まぁ、友達ができることはいいことだ。別に問題じゃない。ただ……その、何だ。あまり「やんちゃ」はするなよ? するとしても、ちゃんとした準備というか、予防というか……とりあえず、ゴ〇はちゃんとしておくように』
「オーケー。とりあえず、死ねクソ親父」
そう言って篤史は電話を即座に切った。
それから大きなため息を吐くと、頭の中にテレパシーが入ってくる。
『ん? どうしたんですか、篤史さん』
「……いや、何か……どっと疲れた気分だ」
口の端にカレーをつけた友里に対し、篤史はそんな言葉を返すのだった。
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