思い出の味
俺は本家から動かない竈の主となった。
禅僧なのだ。
そして正月だ。
温かい部屋でテレビを見て、時々玄人の鼠を弄り、そして家人が戻ってきたら温かいものを振舞う、それでいいじゃないか。
俺の飯を食いに次々と白波の人間が戸を叩いた。
初めて挨拶した者も多くいたが、大体がどこか白波の特徴を持っており、玄人の従兄のアミーゴズや麻友のように気さくな連中ばかりである。
武本の一族が小動物系のかしましさとすると、白波は鳥のような騒々しさを持っていると感じた。
猛禽類?楊が由貴と久美と仲が良いはずだ。
親友の楊は馬鹿がつくほどの鳥好きで、自宅にワカケホンセイインコ一羽と文鳥二羽を飼っているのだ。
また、彼は気立ても良く、印象的な二重の目元をした俳優顔負けの美男子でもある。
しかし、本人はその魅力的な外見の使い方を知らないのか、鳥バカという所があったとしても普通にモテるはずなのに、まともな女性と付き合った事が無い体たらくだ。
若き婚約者がいるにはいるが、その婚約者自身もその祖母も楊のストーカーでしかないという哀れさなのである。
富豪の松野葉子は、本部から左遷された楊を追って相模原東署の真ん前に豪邸を新築する恐ろしさであり、孫の婚約者の方は警視長の父親の金虫眞澄を使って楊の動きを追い、部屋中は隠し撮りされた楊の写真で溢れさせているのだ。
一見金持ちのお嬢様を射止めた逆玉の、それも婚約者が長身のモデル系美少女で十八歳だということで楊こそ悪く言われるような立場であるが、彼の方が蜘蛛の巣に掛かったモンシロチョウでしかないのである。
「帰りました。」
「もう夕餉の時間か。」
疲れた声の山口を出迎えると、玄人だけでなく由貴までもついていた。
白髪に近い金髪に右耳がピアスだらけの白波そのものの顔をした男は、パイロット育成派遣会社の若き社長であり、新潟県警本部長佐藤広勝の次男である。
しかし、婚約したばかりの彼は稼ぎ時の神社の本家で休暇を取ってしまったがために、玄人同様に神社の手伝いに借り出されている。
ちなみに、長男の麻友は母親によってお宮参りを諏訪神社に決行されたが為に白波から外れたということらしく、手伝い要員にされない麻友は悠々と年末年始を過ごしているに違いないと、久美と由貴は騒いでいた。
久美は父親の大司と一緒に、山の天辺の神社の囚われ人である。
そこから逃げるために妹を楊に押し付けたのだと、由貴が陰口を叩いていたのだ。
久美は明後日にヘリで妹と楊を迎えに行く予定だ。
本人によると、だが。
「おう、おかえり。まぁ、あがれ。」
ぶふっと由貴が口元を抑えて笑う。
「もう、ここの大将だね。本家の主様だ。良純さんは。」
「すぐに飯をあっため直してくるからな。食ったらまた神社とは大変だな。」
俺は台所で鍋をかき混ぜながら、いつのまにか武本ばかりか白波の人間までも玄人が呼ぶように自分を「良純さん」と呼ぶようになったな、と嬉しさよりもなぜか喪失感がきていた事に気がついた。
百目鬼と呼ばれないと物悲しいと、俺が感じるのはなぜだろうと考える。
俺は俊明和尚の養子に為った時に、元の親がつけた名前も苗字も捨てて「百目鬼」にというものになったのかもしれない。
親から貰えなかった愛情を俊明和尚に注がれた事実が、俺を人に成しているのかもしれないとも考える。
俺は彼に会うまで空洞な生きるだけの物だったに違いないのだ。
俺は盆を持ちながら、兄同然の従兄の由貴ならば玄人はそこに案内しただろうと考え、台所から「俺達の居間」へと歩き出した。
白波で俺達があてがわれた部屋の隣の和室は、最初は初詣のための玄人の監禁内職部屋でしかなかったが、いつのまにか三人で寛ぐ場所になり、完全に俺達が占拠した部屋となった。
次に来た時もこの部屋を使おうと近所で適当に買ったみやげ物グッズなどを勝手に飾ってマーキングしていると、その行為になぜか周吉は大喜びで、忙しい中「百目鬼一家」という看板を作って部屋の前に飾ってくれたくらいだ。
「さんきゅーう。それで、どうしてこの部屋だけ看板ができたの?」
「俺達がこの部屋を占拠したからじゃねぇか。また気に入った部屋があったらやろうか。一体何部屋まであの周吉が笑顔で看板を掲げるかな。」
「全部の部屋を占拠したら、神社の世話もしなければいけないから嫌ですよ。」
「違いないね。あ、雑煮が透明な汁だ!」
器を嬉しそうに受け取った由貴は、温かく目にも華やかな雑煮の器に目を輝かせた。
新潟の雑煮の汁はわからないし、我が家はいつもこれだ。
これは俊明和尚が、俺と最初に迎えた正月で作ってくれたものなのだ。
俊明和尚の地元の雑煮ではなく、山の雑煮をアレンジした彼独自の物である。
味を忘れまいと、俺は彼が亡くなった喪中の年にも作って食べた。
あの時は楊がなぜか我が家に勝手に泊まり、「同じ味だ。」となぜか彼が泣いたと思い出した。
楊は俊明和尚が長くないと知ると、俺のためにか俊明和尚のためにか、仕事が忙しいだろうに我が家に頻繁に出向いてくれた。
俊明和尚が亡くなった後は、そうだ、奴が来たからと俺は立ち働いて飯を作って喰って、生きるだけだが生活が続けられたのだ。
「この味が百目鬼家の味なんですね。」
せっかくの正月に早朝から神社の手伝いに駆り出され、女子高生の生贄に捧げられたばかりの男がほうっと旨そうに汁を啜った。




