表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/61

夢うつつで導かれ

 楊は仲間の一人が、佐藤が政治家の愛人の子の癖にボロアパートに一人暮らしだ、と笑っていたことを思い出し、父親だという政治家と比べると均整が取れ過ぎている彼の姿形に、きっと愛人の方の血なのだと考えた。


 長い脚は日本人離れしており、髪も黒過ぎず、色素の薄い瞳は茶色だ。

 そしてそんなにも見事な外見の彼でありながら取り巻きを作らない。

 それが故に、親友を失った今や、彼は完全なる一人だ。


 葬式も通夜も行けなかった楊が同級生の家に線香だけでもと訪問したが、そこは既に無人となっており、息子を失った家族は故郷に戻ったのだと知らされただけであった。


 ふぅっと大きく溜息をついた佐藤は、立ち上がろうとしてか顔を上げ、楊には信じられなかったが、彼が楊に気がついたのだ。

 高校時代三年間、楊とは殆んどどころか一切口も聞いた事がない男だ。

 彼が自分を覚えていたのかと、逃げ場が無くなったなと気づいた楊は、自分が彼に謝る気も殺される覚悟も無かった卑怯者だと、自分は理由をつけてでも本当は生きていたいだけのろくでなしだと気がついた。


 違う。


 楊は目の前の人物といつだって友人になりたかったのだ。

 だからこそ彼に「鈴木が死んだのは自分のせいだ。」などという告白など出来無いのである。


「あぁ、かわちゃん。」


 友人になりたかった男に仲間ごと捨てた筈の愛称を呼ばれ、楊は反射的に足を動かして友人になりたかった男の元へと近づくと、彼に友人のようにして答えていた。


「……佐藤どうしたよ。こんな大学の女に振られて落ち込んでいるのかよ。」

「…………この大学のさぁ、仏教学部出ても僧侶になれないんだってさ。坊主になるには得度ってヤツを受ける必要があるって言われてもね。伝手ないし、どうしようかなって。」


 彼の言葉にずしんと胃が重くなった。

 そこを気づかれないように、楊は彼の隣に腰を掛け、顔も見ずに尋ねていた。


「坊主になりたいのか?」

「あいつを弔ってやりたくてね。」


 楊は「何とかするよ。」と答え、彼を見上げた。


 人当たりのいい笑顔の中年の看護婦が腰を屈めて、六十三番と書かれた紙を差し出した。


「引換券を落としていますよ。」


「ありがとうございます。眠っていたみたいで。まだかかりますかね。」


 彼女は彼の問いには答えずに、彼の目の前を歩いて去っていった。


「数値がまた落ちていますね。」


 医者の言葉が甦り、何も考えたくはないと、雅敏は病院の人の流れを漠然と眺めた。

 ヨロヨロと看護婦に支えられながら病院廊下を歩く患者の行く先は、再来年には自分も受ける事になるだろう人工透析室だ。

 もしかしたら再来年とは言わずに今年中にはと考えて、自分自身を鼻で笑った。

 結局、考え悩む事から逃げられないのだ。


「透析になったら、いやもうすぐ仕事はできないか。葉子と早く別れてやらないといけないな。それでも、あいつは俺と同じく家族がいないって言っていたから、結婚して殉職して遺族年金を渡してあげれたら一番かな。しがない巡査に殉職しそうな大事件が廻ってくることも無いだろうにね。」


 薬を待つ長い時間、雅敏はいつまでこの体の事を恋人に内緒にできるのかと、大きく溜息をついた。

 出会いは偶然でしかない。

 上司からの見合いを断るべく菓子を買いに行く途中で、ベンチに座って一人で泣く少女を見つけたのだ。

 毎日一人で公園のベンチで溜息をつく自分と重なり彼女に声をかけた。


「どうしたの。交番で話を聞くから――。」


 雅敏はそこで言葉を失った。

 顔を上げた彼女は大きな美しい瞳をした、雅敏にとって理想と思える顔立ちの美しい女性だったのである。

 彼は自分が一瞬で彼女に惑い、彼女の言うままに自宅に連れ帰ってしまったと回想して苦笑した。

 彼女とは既に三ヶ月も同棲し、新婚夫婦のような有様だ。


「保護すべき女性に手を出すとは、俺はとんだ屑男だ。」


 自嘲しながらも生まれて始めての家族がいる幸せに、彼は自分が身動きが取れなくなっている事に気がついていた。

 動かなければいけないのだ、愛していたら。


「どうして自分の体の事を伝えられないんだろうな。せめて、別れてやるくらいはしてやらないと、このままじゃあ葉子が不幸になる。」


 ピンポーン。


「佐藤雅敏様。お薬ができました。」


 受付の放送に彼は立ち上がり薬を取りに薬局に向かうと、目の前には仰々しい金色の扉が待っていた。雅敏がその扉を開けると、室内の見覚えのある男が自分に声をかけた。


「僕に何か用?」


 煌びやかなベストを羽織った白髪の老人が、書斎机に肘を突き、両手を組んでいる手の甲に顎を乗せた姿で楊に微笑んでいたのである。


「何か用って、ジェット。俺を呼んだのはお前じゃないのかよ。」


 微笑む白い男は、楊の曽祖父であった男である。

 嘘吐きな彼は幼い楊にジェット・アチェーツと名乗り、ジェットと楊に呼ばせていたのである。

 楊はジェットの事を祖父母の友人の変な外人だと思い込んでおり、最近その事実を家族から笑われるという災難に出会い、そして、ジェットからは自分が彼の隠し子の生まれ変わりだったと教えられた。


 違う。

 楊が思い出したのだ。

 自分が佐藤雅敏であると。

 楊は婚約者が前世の自分の孫であり、その祖母が自分の愛した松野葉子であったと絶望を持って思い出した時に、ジェットへの扉が開かれたに過ぎないのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ