2、駅ビル内の豚骨ラーメン(福岡)
「セイル〜。ラーメンを食いに行こうぜ〜」
帰宅して、開口一番にそれが出た。
仕事帰り、立ち寄ったコンビニにラーメン特集の雑誌が目に入ったのが今日のことだ。
それから俺の口はラーメンモードにセッティング。
それを食うまでは、もう俺は満足出来ない頑なな体になってしまった。
時たま来るこのモード。
こうなってしまえば高級A5ランクの肉を食っても、不満足になるのだ。
対して、アマプラのビデオで映画を観ていたセイルは停止ボタンを押すと、こちらを向く。
「ラーメン……か。丁度良い。私も食べてみたかったのだ」
あら、珍しく乗り気だな。
もっとこう……「また唐突だな」とか「何処だ?」とか言うかと思ったんだが。
「しかしラーメンとなると……もう少しラフな格好にするか。パーカー借りるぞ」
「おう、いいぞ」
そう言って棚へと向かって俺の服を取りに行った。
「…………」
ふと、セイルが何の映画を見ていたのかが気になり、リモコンを手に取る。
エンドロールから巻き戻し、現れた映像は俺も好きな映画の一つで、
「……南極料理人」
なるほど。
あいつ、ラーメンのシーンで飯テロくらったな。
◆
久しぶりに南極料理人を観ようかなと思いながらも、セイルの力でひとっ飛び。
2人で訪れた場所は、
「博多駅……か?ラーメン一つで遠くまで来たものだな」
「そうそう、福岡県福岡市の博多駅。大きいし、駅ビルの中に広いお土産コーナーやモツ鍋屋とかあるから。旅行でここ廻れば結構事足りる場所だな」
3時くらいから下の飲み屋でサラリーマン達が飲んでいる姿は印象的だった。
羨ましい限りだ。
まあ、今日は下ではなく、上の階。
エスカレーターで2階に上る。
すると、まだ店は見えないというのにフワリと鼻をくすぐる香りが。
「今日の目的地はここ、【博多めん街道】」
「めん街道……いくつもの店が密集しているな」
セイルの言う通り。
およそ10ほどの数の店が立ち並んでいる。
「しかし、日本人は狭い所が好きだな。高架下と言い、東京の住宅地と言い……わざと密集している節すらある」
「そんな事ないって。日本は単純に土地が狭いんだけだって」
「それなら何故ドラえ◯んは、わざわざのび太の横ではなく押し入れに寝る?」
……確かに。
俺も小さい頃憧れて押し入れで寝たものだ。
秘密基地感があって楽しかったが、押し入れがカビて来たので母に追い出されたのは良い思い出だ。
しかし、◯ラえもんまで知ってるとか。
悪魔、というかセイルはどんだけ幅広いジャンルを網羅してんだよ。
「……まあ、それは置いといて。さっさと店に向かおうぜ」
セイルが「あ、そらした」と言うが、聞こえないフリ。
足を進め、めん街道に入る。
すると、ラーメンの香りがなお強くなり、
「──────むっ?」
セイルが眉を寄せ、顔をしかめた。
「なあ、晴明。……何か異様な匂いがしないか?本当にここはラーメン屋なのだろうな」
「その通りだけど……まあ、ここは他のラーメン横丁とかと違って独特でな。殆どの店舗が全部豚骨ラーメンなんだよ」
「豚骨ラーメン……ラーメンは一種類じゃないのか?」
「────あ〜、なるほど。いや、まあこっちが悪かった」
この悪魔、なんでド◯えもんやananは知ってて、豚骨ラーメンは知らんのよ。
「豚骨ラーメン……ここだと博多ラーメンって言った方がいいか」
博多ラーメンとは、豚骨を煮出した乳白色のスープと極細の中華麺が特徴である。
博多ラーメンに欠かせないスープは、豚骨を強火で沸騰させるため、骨のゼラチンなどが溶け出し濁った乳白色のスープになる。
だが、その分スープからは濃厚な豚骨独特の香りがし、この香りが苦手な人もいる。
「博多、というか福岡市民はラーメンと言えば豚骨と答えるほどでな。醤油ラーメンの方が珍しいぐらいなんだ」
「なるほど」
「いや、博多でラーメン食いに行くって言っても、特に何も言わなかったから。豚骨を知ってるものかと……どうする、博多じゃなく別の所行ってラーメン食うか?」
誰かと食事を分かち合うのは好きだが、嫌いなものの押し付けは駄目だ。
たまに「いやいや旨いって。〜〜君、絶対美味しいのを食ってないだけだから!なあ」などと言ってくる人。
そうなのかもしれないけど、言われている側は良い気分にはならない。
俺の提案に、しかし、セイルは首を横に振る。
「いや、むしろ気になったから是非とも食べたい」
「本当に良いのか?」
「悪魔は己の好奇心に任せて生きる種族。私の知らぬラーメンが有るというのならば食べてみるまで」
どうやらその場の嘘ではなく、本心からの言葉のようだ。
……やっぱり召喚したのがお前で良かったよ。
なんて、しみじみしていると、
「それに南極で隊長は豚骨どころか、ラーメン1つ好きな時に食べれなかったのだ。この程度、とやかく言う程じゃないさ」
「………南極料理人、気に入ったんだなセイル」
多分、かもめ食堂も見せたらハマると思います。
◆
セイルの了承を得て、ラーメン街道の奥へと進む。
そして、本日の目当ての店は、
「……"博多ラーメンShan-Shan"か」
入店すると、テーブル席へと案内される。
木製の椅子に座りながら、セイルはすんすんと鼻を動かす。
「ふむ……気のせいか、他の店より豚骨の匂いが薄いな」
「この店は万人受けし易い店だからな」
久留米出身の知り合いにこの店を教えて貰ったのだが、豚骨初心者ならここだと言っていた。
他の店だと、豚骨スープが余りにも濃厚なせいで皿に盛り付けた後泡立っているのだ。
それもそれで美味いのだが、セイルが得意かどうかも分からないから流石に今日は辞めておいた。
因みにだが、福岡でラーメンと言えば、醤油ラーメンより豚骨ラーメンと答えるほどで、酒のシメに豚骨ラーメンを食べに行くとか。
流石にそれはくどくならないか?と聞いたら、そんな事は無いと答えられ驚かされたのは良い思い出だ。
まあ、その後インスタントラーメンの"うまかっちゃん"とアイスの"ブラックモンブラン"とやらが福岡とかだけの物だと知った時の顔は、酷く仰天して愕然としていたのは一生の思い出だ。
「おい、晴明。何を頼めば良い?」
「……ん?ああ、そうだな。ここは無難な『博多ShanShanらーめん』で良いと思うぞ」
そうかと頷くと、ではそれでとセイルが答える。
俺は半焼飯が付いてくるShanShanセットに決定。
「すみませーん」
「はーい、ただいまー!」
近くに居たお兄さんに声を掛け、注文をする。
「このShanShanラーメンと、 ShanShanセットを1つずつ下さい」
「麺の硬さは如何いたしましょう?」
「どっちも普通で。それで以上です」
「かしこまりましたー!」
注文を終え従業員がキッチンに行った所で、セイルが聞いてきた。
「硬さ……ここは麺の硬さを自分で選べるのか?」
「ああ、長浜とか博多ラーメンは大抵選べるな。店によって違うけど、大体がバリ柔、柔、普通、硬め、バリカタだな。硬めの凄いのなんて、湯気通しってのがあってな」
「湯気通し?」
「文字通り、麺を湯気に通しただけの状態」
更にその上の"生"なんてのも有るそうだ。
どんな物かは名前からお察しの通りである。
「……待て。人間なら小麦粉は火を通さないと腹を下す筈では」
「ああ、大半が下す。だから猛者以外はハリガネ以上を頼まない」
「……人類は本当に理解に苦しむ」
まあ、そう言うなや。
その蛮行とも取られかねないチャレンジ精神のおかげで、今の日本の食生活があるのだから。
◆
他愛無い話をしていると、注文の品が届いた。
「お待たせしました!焼飯セットとShanShanラーメンです!」
「待ってました〜♪」
「────これが、豚骨か」
運ばれてきたのは、白濁のスープ。
その中にはチャーシュー、細く刻まれたキクラゲに、万能ネギがパラリとトッピング。
シンプル、だがそこが良い。
醤油ラーメンだったら卵とメンマが欲しいが、豚骨ならばこれがベスト。
「さて、スープはと」
まずはレンゲで、スープをひとすすり。
ズズッ
「……ぷはぁ〜ッ、美味い!」
豚骨の匂いが他の店に比べ薄い為、味も薄いのかと考えてしまうが。
柔らかい口当たりで、十分にコクがある!
セイルの反応も見ると、レンゲに少し掬いゆっくりと口に含み、
「これは……ハマるな」
ホッと息を吐き、今度は多くレンゲで掬い味わう。
「見た目はドロッとしているが、味は飲み易く、その上しっかり深みがある」
どうやら気に入ったようで、もう一度レンゲで掬い味を楽しむ。
……杞憂だったみたいだな。
「大丈夫だったのは嬉しいけどよ、スープは後に残しておけよ」
「……?何故だ?」
「それはまあ……後のお楽しみだ。ほら、ラーメンなら麺も食べないと」
セイルにそう言って、箸で麺をキクラゲと共に持ち上げる。
そして、そのまま一気に、
「ズズズッ、ズゾゾゾゾゾゾッ」
豪快に啜る!
そして、その後に鼻を抜けていく香り。
この音を外国人観光客は忌避するらしいし、日本でもヌードルハラスメントだと囃し立てられてたが。
そんな事、気にするものか。
日本人なら、日本で、日本のラーメンをこう食べるのが一番美味しいのだ!
「やっぱラーメンは良いなぁ」
博多ラーメンならではの細麺故に、この美味いスープを良く吸って絡んでいる。
スープと合う。
気・剣・体の一致ならぬ、麺・汁・香の一致。
素晴らしい。
見事に決まった一本に、これは素直に白旗を上げざるを得ない。
そして、麺に混じって時たま現れるキクラゲのコリコリ食感がこれまた楽しい。
さて、そろそろ焼飯にも手を出しますか。
レンゲでひと掬い。
多く取りすぎたので、大きく頬ばる。
……ラーメンに半チャーハンセットは正義。
具はネギとチャーシュー、そしてカマボコ。
チャーシューでも美味しいのに、カマボコ入り、それだけで嬉しさ倍増。
そして、普通に美味い。
豚骨スープが潤滑油となり、喉へとパクパク進む。
餡掛けや海鮮チャーハンなども美味しいが、やはり戻ってくるのはこの王道チャーハン。
まあ、卵のみの黄金チャーハンや、チャーシュー代わりにナルトのチャーハンも好きだ。
……最近見なくなったな、ナルト。
ラーメンのナルトが絶滅危惧種になるとは思いもしなかったな。
「…………」
「ん?どうした?」
チャーハンを一旦置いて、もう一口麺を啜ろうとすると、セイルが何故か咀嚼しながらコッチを見ている。
そう言えばずっと静かだったな。
丼の中を見るにしっかり食べている筈だが、
「晴明のように上手に啜れない……」
「……あー。そう言や、ラーメンに慣れてない外国人って上手く啜れなんだっけか」
「私は外国人では無い、悪魔だ」
「でも啜れないんだろ……悪い悪かった、だからそう睨むな」
半目で睨んできたので、お詫びに焼飯を一口やる。
美味しかったのか、セイルの顔が少し和む。
どう啜っているのかと問われれば、無意識なので説明難しいが、
「最初に箸で掴んだ麺の5割くらい先に口に入れてよ。後は、こうストローみたく吸うんじゃなく、ちょっと口の端にスペース空けて空気の通り道を作る……とか?」
言葉にしていると、自分の吸い方もあやふやになってくる。所謂ゲシュタルト崩壊的な。
「俺の食い方見てマネでさ……まあ、それで出来たら苦労はしねえ────」
「ズズズズッ!……出来た」
「…………」
悪魔のドヤ顔見たのは、恐らく俺が世界初。
◆
麺が少なくなってきたので、ここでトッピング。
机に置かれた小箱の蓋を取る。
そこには、
「それは。ふむ、牛丼屋や焼きそばで見かけるものだな」
「これは紅生姜。博多ラーメンには欠かせない具材だな」
小さなトングでふたつまみ分入れる。
セイルのにもひとつまみ入れる。
麺を紅生姜と共に啜り、スープを一口。
そして、咀嚼すれば生姜の辛味がコクのあるスープとアイマッチ、爽快なものへ。
生姜の刺激で豚がシェイプアップ。
さながらラーメン界のライザップ。
味変もラーメンの醍醐味。
そして目指す味はオレ好み。
……何か偶然ラップみたいになっていたが、それも気分が上がっている証拠だろう。
拍車は掛かり、箸は進んで進んで、
「む……もう無くなってしまった」
セイルは麺を食べ尽くしてしまい、丼にはスープのみ。
表情から察するに、まだ物足りないようだ。
俺も麺を食べ終えたが、足りないから次は博多ラーメンならではの楽しみを。
「すみませーん」
「はーい、少々お待ち下さーい!」
店員さんに注文する為呼びかけると、セイルが訝しむ。
「もう一杯頼むのか?確かにまだ食べれるが……」
「ちょっと違うんだなぁ、これが」
「うん?」
「お待たせしました、ご注文お伺い致します!」
店員が来たので、アレを頼む。
「すみません、替え玉1つ。硬さは硬めで」
「かしこまりました!」
店員が席を離れてから、セイルが晴明に問いかける。
「晴明。替え玉とは何だ?聞き覚えはあるのだが」
「ラーメンの麺だけ頼む事だよ」
俺の発言にセイルは眉を寄せる。
「何故そのシステムなのだ?面倒だし、それなら大盛りにすれば……」
と言って、メニューを手に取るセイル。
そしてある事に気づく。
「……大盛りの表記がメニューに無いな」
「ここの麺、細かっただろ」
ああ、とセイルが頷く。
「この博多ラーメンは極細麺が多くてな。大盛りにすると食べ切る前に伸び切っちまうんだよ。その背景から生まれたのが硬い麺の提供と替え玉システムさ」
「なるほどな」
何て話していると店員さんが替え玉を小皿に乗せ運んでくる。
それを受け取りながら、テーブル横の茶色の液体が入った調味料ボトルを手に取る。
皿の中にはホカホカと湯気上げる極細麺が。
それをセイルは興味深そうに眺める。
「これが替え玉。それを丼に入れるのか」
「そうそう。でも、その前にと」
手に取った調味料の液体を替え玉へ、ひと回し掛けて良く混ぜる。
それから丼に投入。
セイルは不思議そうに俺が掛けた調味ボトルを手に取り、シールに記された文字を読む。
「ラーメンたれ?」
「替え玉はさ、追加で入れると薄まるから。これ入れて味を整える為にあるのよ」
「それなら、普通は麺じゃなくスープに注がないのか?」
普通はそうだ。
だが、
「久留米の知り合いが言うにはだけどな。替え玉に掛けた方が味が良く馴染むんだと」
地元民は皆これだとアイツは言っていたが、本当にそうなのかは他の地元民に聞けてないので分からずじまいだ。
……まあ、そんな真偽なんかより、大事なのは美味しいかどうかさな。
少なくとも、この食べ方が俺には合っている。
ある程度丼の中で麺をスープと絡ませ、
「ズゾゾゾゾッ……うん、硬めも良し!」
替え玉で硬めを楽しむ為の、先発に硬さを普通で選んだのはNICE采配。
後半戦は紅生姜を多めに入れて楽しむ。
俺が替え玉を楽しんでいると、前から視線が。
「私も頼むぞ」
「そうかそうか。で、硬さはどうする?」
店員さんを呼びながらそう聞くと、セイルが一瞬考え込み、
「ここまで来たならバリカタを頼むとしよう」
「お、行くねぇ。……あ、すみません。替え玉をバリカタでお願いします」
暫くして、ふと考える。
こう聞くのは野暮かもしれないが、それでも晴明は聞いてみた。
「どうよ、セイル。博多ラーメンは気に入ったか?」
そう聞くと、セイルは運ばれてきた替え玉を受け取り、悪戯っぽく口尻を上げてその皿を見せ、
「何だ我が主、私が不満に見えるのか?だとしたら、その目は節穴のようだ」
「…………ははは!確かにな、そりゃ違いない」
俺とセイルは互いに笑う。
「なあ、セイル。今度の飯はセイルが決めるか?」
「私が?」
そう提案すると、セイルは驚いた表情を浮かべる。
それでも手はしっかりラーメンタレを掛けて合わせているのは流石だ。
「俺だけじゃなくよ。ほら、何か食いたい物とか無いのか?」
「食事の最中に、次の食事の事とは。しかし、そうだな……………敢えて挙げるとすれば」
セイルは丼に入れた替え玉を箸で器用に掴み、
「挙げるとすれば?」
「…………伊勢海老の海老フライ、それか丸焼きローストビーフ?」
「ホント好きだな、セイル」
セイルはそう言って麺を啜る。
……めっちゃ南極料理人にハマってんじゃん。
きっと、アマプラの『あなたへのオススメ』で勧められるのは"深夜食堂"だろうなと思いました。
かもめ食堂もいいよね