第二章 クーン剣士団(4)
ミトラに使いを命じられたロマヌゥがカエーナを見つけたのは、王都郊外の河畔においてである。遥か向こうに河辺で洗濯をする女たちの姿がある。ロマヌゥは迷わずにカエーナを探し当てたが、剣士団の幹部の中でも最も行方のつかみにくいカエーナの行動範囲を熟知しているのは、王都広しといえども彼くらいのものである。
日によく焼けた肌である。顎が太く、無精髭からは強烈な精気を感じる。女にしたいくらいの体格と顔つきのロマヌゥと同門とは思えない無骨な男だ。
カエーナは上脱ぎ、膝まで水につかりながら剣を振っている。剣は四本を縄で束ねたもので、それを振り下ろす度に轟と風が吹き、水面に溝ができる。
「ロマヌゥか?」
低く重い声である。一度も振り向かないまま、カエーナは訪問者を言い当てた。
「はい」
カエーナの背は彼の勇者としての名声に反して傷が多い。これは彼の仕事が主に殿であることに起因する事実を、ロマヌゥは誰よりも理解し、誇りに思っている。「剣翁の孫達」の中でも、特にカエーナは傭兵としての背走経験が多く、これは彼が最も困難な任務に就かされることが多いからだとロマヌゥは思っており、剣士団でもそう見られている。
カエーナはロマヌゥの用件など興味ないといった風に剣を振り続ける。
「あの、カエーナ……」
「何だ?」
「どうしたらカエーナのように強くなれるのですか?」
「知らん。自分で考えろ」
「剣翁先生もそう仰るのでしょうか?」
「ロマヌゥよ。俺をからかっているのか?」
カエーナは手を止めてロマヌゥの方を見た。
冷厳としか言いようのない瞳である。だが、凍りつくような視線にさらされているのに、ロマヌゥは自分が威圧されているとは微塵にも思わない。
「すみません」
「相変わらず気持ちの悪い男だ」
この男は歯に衣を着せない。ロマヌゥがどのような感情を自分に抱いているかなどお構いなしに吐き捨てる。
「すみません……」
そういうところが気持ち悪いのだ――とカエーナは言いたくなったが、あまりにもロマヌゥが落胆しているので、これ以上付き合うのも馬鹿らしくなった。
「ところで、他に何か用があるのではなかったか?」
ロマヌゥは先の剣士団の会議で決定したことをカエーナに告げた。
「そうか。それ以外に変わったことはあったか?」
「変わった――ですか?」
普段から口数の少ないカエーナにしては珍しい。
「些細なことでもいい。カルカラやテーベあたりに妙な動きが無かったか?」
そう言った直後に、カエーナは小さくため息をついた。ロマヌゥのような下っ端に訊くことでもないと思ったのかもしれない。
「特には……ああ、そういえば団長が遅刻したみたいです。ほんの少しですけど……」
「遅刻? ルーンが?」
カエーナは馬鹿力だけが取り柄というわけでもなく、剣士団の幹部たちの中でも察しが早い方である。
「サシャは何をしていた?」
「今朝、路傍で会いました。トローンと何か話していたような――」
「トローン?」
「あ、二代の娘です」
「エリリスの娘……」
コケのような髭の生えた顎を撫でながら、カエーナは独りごちた。
「順当に考えてカルカラか……あるいはテーベか?」
ロマヌゥは首を捻るばかりであったが、カエーナは説明するつもりなど微塵もないらしく、会話を切り上げたとでも言わんばかりに再び剣を振り始めた。
「あら、どういう風の吹き回し? もしかしてエトを見つけてくれた?」
王都中央部に近い商業区。露店商が姦しい南部の繁華街とは一風違い、小奇麗な反物屋ばかりが並ぶ通りの一角をロマヌゥは訪ねていた。訪ねたというよりは、店の前をうろうろしているところをトローンに見つかって声をかけられたに過ぎないのだが。
ロマヌゥはばつの悪そうな顔でぷいと横を向いていたが、何も話さないのもここに来た意味がないと思ったのか、トローンの目を見ずに口を開いた。
「悪いけど猫は知らないよ。それよりお前、今朝はサシャと一緒にいただろう? 剣士団で何かあったのか?」
剣士団にいたロマヌゥが訊くのだから、おかしなものである。
「そんなのあたしが知るわけないでしょう? サシャなら今朝方店に来たから世間話ついでに送ってあげたのよ」
「まあ、そうだよなぁ」
最初から特に期待などしていなかったが、トローンが嘘をついているようにも見えない。とはいえ、いささか読み過ぎに思える。ココの死はクーン剣士団にとって衝撃であったが、新たな内紛の火種になるとは考えにくい。
(杞憂だろう)
サシャが団長ルーンの服の生地でもここで買い求めたと思えば、最も無理がない。
「おや、お客さんかね?」
店の奥から男の弱い声が聞こえた。
白髪の老人としか言いようのない男が、奥の幌をまくって顔を見せた。
「違うわ。ロマヌゥよ。親父も知ってるでしょう?」
トローンは実の父を追い払うような手振りをしたが、老人はにやりと笑みを浮かべながらも、じっとロマヌゥを見た。憎悪は含んでいない。これは品定めだ――とロマヌゥは直感した。
この老人こそ、先代のクーン剣士団団長エリリスである。齢五十とは思えないほどに精気の抜けた男で、この男の顔を見ると権力闘争の凄まじさを思い知らされる。
「ああ、君が泣き虫ロマヌゥかね? ゆっくりして行きなさい」
「……あ、ありがとうございます」
あまりにも不名誉な二つ名で呼ばれるのにも慣れてしまったのか、ロマヌゥは不快に感じなかった。それが老人の眼鏡にかなったのかどうか。
「サシャだがね。南方での事件について訊きに来たよ。正確にはある人物の動向についてだが。こういう話は行商の方が速く仕入れるからね」
エリリスはそう言って店の奥に戻ってしまった。
(ココの件か)
恐らく団長ルーンはココの部下の話に半信半疑だったのだろう。それで耳の敏い商人から詳しい話を聞いて、彼の処分を決めたのだろうか。
「それで何の用なの?」
トローンにしてみれば、何やら思案するロマヌゥは珍しい。いや、この男についていえば、いつも何を考えているのかわからないのだが。
「いや、もういい」
身を翻して店を出ようとするロマヌゥの袖を、トローンがつかむ。
「ねぇ、ロマヌゥ。明日って暇だったりする?」
そう言われた時、ロマヌゥの脳裏にミトラの姿が浮かんだ。
ロマヌゥはトローンにつかまれた袖を振り払い、二歩ほど歩いてから言った。
「明日は忙しいんだ。じゃあな」
「何よ! 人がせっかく――」
言いかけたトローンが突然黙った。ロマヌゥもまた、彼女と同じ方を見て止まっていた。
「おい、ロマヌゥ。こんなところで何をしている? カエーナへの言伝はどうした?」
ミトラである。剣士団本部にいるべき彼が何故こんなところにいるのかと、ロマヌゥは一瞬混乱したが、ミトラが左脇に小包を抱えているのを見て、すぐに思い当たった。恐らく小包の中身はトローンへの贈物だろう。
ロマヌゥはミトラに唾を吐きたくなった。カエーナに恥をかかせているのは他ならぬミトラの方ではないか。自分はカエーナの役に立つために情報収集を行っていたというのに、彼に文句を言われる筋合いなど全くない。
(副隊長に相応しいのはお前ではない)
とさえ思う。では、相応しいのは誰かと問われると、そこからは夢想の領域である。
「既に済ませました。これから本部に戻るところです。副団長こそ何を?」
「お前は知らんでよい!」
言い終わらぬ内に、大きな拳がロマヌゥの腹を打った。
「げぇ!」
その場で膝から崩れ落ちるロマヌゥを、ミトラは蹴り上げる。
「ちょっとミトラ! やめなさい!」
トローンが悲鳴にも似た声を上げるも、ミトラがそれに応じたのは同じことを三度繰り返してからだった。
「口出しをしないでくれ、トローン。ロマヌゥのような男は甘やかしてはならんのだ」
「それにしても限度があるじゃないの!」
「我々を何だと思っている? 天下のクーン剣士団にこの程度で脱落するような軟弱者は必要ない」
トローンは明らかに不服といった風で、ミトラを跳ね除けロマヌゥに駆け寄った。
「大丈夫?」
ロマヌゥの顔を覗きこむと、苦悶の表情を浮かべながら何か呻いている。
「……し訳ありません……申し訳ありません……」
涙を流しながら許しを請うロマヌゥを見て、トローンは心底呆れた。苦痛に呻く少年の髪をつかんで、無理矢理引き起こした。
「ロマヌゥ! あんた悔しくないの? 何のために剣士になったの?」
トローンはロマヌゥを睨めつけたが、彼は目を合わそうとしない。
「おいおいトローン、私より君の方が手厳しいぞ」
ミトラの嘲笑を苦々しく聞くトローンの傍らで、ロマヌゥは無言で立ち上がった。
「さあ、怠けていないでさっさと行け。シッ、シッ!」
まるで子犬を追い払うような仕草で、ミトラは言った。
「明日は母の命日ですのでお暇を頂戴します。お忘れなきよう」
ロマヌゥが念を押すと、ミトラは「わかったから、早く行け!」と言った風に手振りした。ロマヌゥはトローンの表情の変化を無視して去った。
第二章「クーン剣士団」了
第三章「落竜覇」へ続く