第二章 クーン剣士団(3)
ロマヌゥは南人の血流ではあるものの、文化的には生粋のクーン人である。元はボリア以南を縦横無尽に行き来するナバラ系商人の家系だったが、彼の先祖は数代前にクーン南部に一家を立てた。その後漂流し、王都に落ち着いた。ロマヌゥは曽祖父が既に王都クーンの生まれであったことを知っており、そこいらのクーン人と比べても遜色のないほどに都会っ子だった。
彼の家は商人家業から離れて久しく、長い間王都の隅で細々と医に携わってきた。父はそこそこの名医であったらしいが、クーンとナバラの戦争後の混乱に巻き込まれて死んだ。
元来、自らが最高の文明人であると信じ込んでいたクーンの人々は、南人を軽蔑することはあっても、憎悪することはなかった。それが先の戦争で変わった。かつてはクーンにひれ伏していたクーン南部の南人達はクーン王国に以前のような敬意を払わなくなった。
特にペイルローンと呼ばれる商家集団はナバラ王国の攻勢とともにクーン地方に進出し、東海岸の海路をはじめ、新たな交易路を次々に開拓して在来のクーン商人達を駆逐していった。クーン商人の中でも知恵の回る者達は彼らに迎合して大利を貪ったが、クーン人の南人憎悪は徐々に蓄積されていった。そして時代の歪みというものは、ロマヌゥのように抗う術を持たぬ者に最も重く圧し掛かるのだった。
幼い頃から、ロマヌゥは一人だった。彼の輝く銀色の髪はクーンでは聖なる色とされていたし、ロマヌゥは敬虔な竜信者でもある。だが、南人が自分達の神である神竜を祀ることは、かえってクーン人の意識を逆撫でした。ロマヌゥの容姿が秀でていたことが、更に拍車をかけた。
医人の家で育ってきたロマヌゥは、他の医人の卵達に比べて優秀だった。彼の母は蓄えの少ない中からどうにか捻出して、ロマヌゥをクーン剣士団専属の高名な医人の家に通わせた。齢十五の頃である。
ロマヌゥが兄弟子たちにいじめ抜かれるまで、三日とかからなかった。彼らはクーン語で「山に祝福されし者」を意味する名など覚えず、ただ「南人」とだけ呼んだ。大人達は冷笑するか、無関心を決め込むだけで、ロマヌゥを助けようなどとは誰一人思わなかった。
「何故……何故、僕は南人なのですか!」
我慢の限界に達した頃、ロマヌゥは自らを産み落とした母に向かって叫んだ。
いつも毅然としてロマヌゥを諭す母は、このときばかりは目に涙を溜めて言った。自分の髪を三つ編みに編んでくれる時の、優しい声であった。
「ロマヌゥシア。彼らを憎んでは駄目。憎んでしまっては、誰もお前を南人として罵ることをやめないでしょう。これはとても理不尽で辛いことだけれど、あなたに復讐できることではないの。だから、我慢なさい。そうすればいつか、お前が南人ではなくロマヌゥシアであるということを、誰かがきっとわかってくれるわ」
母の言葉は今思えばロマヌゥへの愛情と現世への諦観に満ちていたが、当時の彼は自分が肉親にすら捨てられたのだと嘆き苦しんだ。
(誰かがきっとわかってくれるとは、誰もわかってくれないということだ!)
身をよじるほどに苦悩したロマヌゥが、母の言っていることの不正義に気づかぬはずもなかった。だが、確かに母の言う通り、他にどうしようもなかった。
ロマヌゥが抵抗の無意味を悟り、兄弟子たちに犬の真似をしろと言われれば笑顔でそうするようになった頃、母が逝った。元来心臓を患っていたが、あまりにも唐突だった。
ロマヌゥが兄弟子達相手に大乱闘を起こしたのは、それから間もなくのことである。
彼は破門され、母が残してくれた医学の道は閉ざされた。ロマヌゥは全てを失った。
自暴自棄になった彼は、ある日道端で男と肩が触れただけで激昂し、喧嘩を挑んだ。
「南人で何が悪い!」
罵詈を浴びせた先――雄大な体躯を持つ男がそこにあった。鉄槌の如き巨剣を背負う剣士。ロマヌゥの青春は、この時より始まった。
カエーナという男の強烈な光に照らされたロマヌゥは、医学を捨て、剣士として生きることを選んだ。強く、そして優しくある男とは、ロマヌゥの知る限りカエーナしかいなかったのだ。彼の背を追う以外に何も考えられなかった。
当時のクーン剣士団は既に二代団長エリリスが失脚し、三代団長ルーンが仕切っていた。だが、この集団はロマヌゥをまたもや失望に追い込んだ。この場所も結局はクーン人の自尊心を満たすだけの場所でしかなかった。
――臆病者のロマヌゥシア。
剣を持たせてもいざ実戦となれば足が震えて動かなくなるロマヌゥに対して、他の門弟は容赦なかった。ロマヌゥは後輩たちにも嘲笑された。時には入団してひと月と経たぬ素人にすら負けた。
他の優れた剣士達、特に同期であるミトラの天才を感じさせる力量は羨望に値したが、彼こそロマヌゥが最も憎むクーン人の典型でもあった。
「ロマヌゥシア……お前は一体何をしている?」
ロマヌゥは路傍で夕焼けを眺めながら何度も頭をかきむしり、己に問いかけた。
小柄で、手足も短く、誰と技を競っても一度も勝てたことがない。誰よりも強く、そして厳しくも優しくあるカエーナと比べて、弱く、そして優しさを振る舞う相手にすら恵まれない自分は一体何なのだろうか――と。
トローンという名の少女と出会ったのはその頃である。剣士団本部からの帰路、たまたま耐え切れずにミトラに口答えしたロマヌゥが殴りつけられているところを目撃した彼女は、勇敢にも剣士達の前に立ったのである。
「クーン剣士団は弱い者を踏みにじる以外に能がないのかい? それともこれはカエーナやテーベの命令なのかい?」
少女は黒く艶のある長い髪を逆立てんばかりに怒った。
「これは元気な御嬢さんだ」
ミトラは半笑いで少女を見下ろした。トローンは長身の彼に相対しても全く怯まず剣士達を罵倒し続けた。その内、野次馬が増えてきたところでミトラが退散して事は済んだ。
「ほら、立ちなさい」
そう、少女に手を差し伸べられた時、ロマヌゥの心にわずかにこびり付いていた剣士としての誇りの残片が粉々に砕け散った。
トローンは、うつむいたまま声を出さずに泣く少年の手を取り、強引に引き起こした。
「あんた、名前は何ていうのよ?」
もはや面目も何もあったものではない。ロマヌゥは少女の強引に引きずられるようにして涙を拭うしかなかった。
「……ロマヌゥ」
「そう、あたしはトローン。あんた、見たところナバラ系ね。それが原因でいじめられたんでしょう?」
「違う」
「そうなの? まあ、いいわ。でもあんた、そんなんじゃ剣士団でやっていけないわよ」
「余計な御世話だ」
「サシャって知ってる? 金色の髪をした――そうね。あんたよりずっと背が高い子よ。団長の身の回りのお世話をしてるっていうから、あんたも見た事あるでしょう? あたし、その子と知り合いなのよ。今度会ったらあんたのこと言っておくから、何かあったら彼女に相談しなさい。何なら団長の耳にも――ひゃっ!」
トローンがしゃっくりにも似た音を出したのは、ロマヌゥがいきなり胸ぐらをつかんで来たからだった。
「そんなことをしてみろ! 容赦しないぞ!」
人ならば、何を失おうがどれだけ絶望しようが、決して踏み越えられない線がある。この時のロマヌゥはまさにその線上に立っていた。
「あ……そう」
トローンは平静を装っているものの、明らかに動転していた。それを見たロマヌゥは己を恥じるように唇を噛んだ。
「すまない。ありがとう。でも次からは君の助けはいらない」
ロマヌゥはこの少女のことを忘れてしまうつもりだったが、明くる日もまた明くる日も、トローンはロマヌゥを見つけては声をかけて来るのだった。