第二章 クーン剣士団(2)
王都クーンの守りは堅固である。北と東は山脈に面していて、西は大河に護られている。上空から見下ろせば、唯一平野の開けた南方に弓の弦がしなったような形の城壁があり、有事にはここからクーン最強の竜騎兵団が矢のように飛び出す。しばらく前にクーンの空を舞ったナバラ飛竜騎兵には、見下ろした王都が引き絞った弓のように見えたことだろう。
王都中央の噴水広場からやや東に行くと、看板すら立てかけられていない無骨な兵舎がある。王都に住む人間ならば、そこがクーン剣士団本部であることを誰もが知っている。
「エル! エル!」
槍を持った門番の小僧が、門を潜る剣士達に声をかける。「エル」とは、クーン語では多岐に用いられるが、ここでは挨拶に対する返しである。「朝飯食ったか?」と肩を叩かれれば、「勿論」と返すのがクーンでの一般的な朝の挨拶である。本来は兵士が上官に向かって了解するといった意味で、勿論そのようにも用いられる。
他の剣士達に紛れながら門を潜ったロマヌゥは広い場所に出た。雨の日でもなければ、この時間は三百人からなる練習生が剣の稽古を行っている。
更に先に進むと右手に宿舎が見え、奥には議場がある。ロマヌゥは他の剣士達と同じように、そこへ向かった。
議場の奥には円卓が見えるが、それを前にして青布を腕に巻いた剣士たちがずらりと整列している。ロマヌゥは自分の並ぶべき一隊を見つけると、素早く彼らに倣った。
「遅い!」
背の高い剣士が声を上げた。それだけではなく、手に持った剣の鞘でロマヌゥのふくらはぎを強く叩いた。
「あっ!」
自負するほどの健脚でもないロマヌゥは思わず膝をついた。
見上げると、憎らしくなるほどの美顔が自分を見下ろしていた。長く高い鼻に凛々しい眉である。引き締まった体格をしており、風格は一流の剣士のそれである。
「すまない、ミトラ……」
「副隊長と呼べと言っただろう? 愚図が!」
平手で頬を叩いたような音が鳴ったが、鞘で顔を殴ったのだから、苦痛はそれ以上だろう。しかしロマヌゥは呻き声すら上げずに立ち上がり、「申し訳ありませんでした。ミトラ副隊長」と言いなおした。
左右を見れば、ロマヌゥと同じように遅刻してきた連中が陰で並んでいるが、ミトラは彼らには一瞥もくれない。
「カエーナに恥をかかせるなよ」
そう言って、ミトラはロマヌゥの並ぶ列の先頭に立った。
――憐れ、南人。
そんな声が何処からともなく聞こえた。
ミトラが「剣翁の孫達」であるカエーナを呼び捨てしたように、本来のクーン剣士団での上下関係はそれほど厳しくはない。特に隊長がぶっきらぼうな性格のカエーナ隊や、義勇軍の頃から剣士団に名を連ねるテーベ隊ではそれが顕著で、逆に新参の子弟が多いカルカラ隊はクーン正規軍と区別がつかないほどに規律に厳しい。
ミトラとロマヌゥは同期で、歳も同じである。二人とも二年前にクーン剣士団に入門した。剣に振り回されるだけで二年を費やしたといっていいロマヌゥと違って、すぐに頭角を現したミトラは人望もあり、瞬く間に副隊長に抜擢された。ミトラは王都でも有数の大商人の息子だが、隊長のカエーナは縁故人事や政治的配慮などとは最も無縁な男と評判で、ミトラの出自がいくら優れていても、この若者は周囲から尻上がりとして見られている。
議場の空気が静まった。奥から三人が現れ、円卓の席に着いた。議場そのものはドーム状になっていて、奥に入るにつれて一段ずつ低くなる。というのも戦前は劇場であったのを義勇軍が作戦会議に使ったのが剣士団本部の由来であるから、背の小さいロマヌゥでも円卓が見渡せる。
円卓に着く資格があるのは「剣翁の孫達」と団長だけである。ロマヌゥから見て左から、一目でわかる巨漢がカルカラ、背が小さいのがアヴィス、長髪で左目に眼帯をしているテーベが座る。
(おや、団長がいないな)
とロマヌゥが思ったところで、奥から慌ただしく一人の女が現れ、円卓の最奥部の席に座った。団長ルーンである。
最初の発言者はカルカラである。彼が口を開くのを見た時、ロマヌゥはこの会議が早く終わることを予感した。テーベから始まった会議は冗長だが、カルカラの場合は根回しが効いているのか、段取りが早くすぐに結論に至る。
「今日、諸君に集まってもらったのは他でもない。ココのことだ。彼が南の名もなき高原の街で非命に倒れたことを諸君は知っているだろう。クーン人は誇り高い。諸君の中にも南人への復仇を唱える者が多いのは承知している」
南人とは読んで字の如く南方の民族の総称である。ボリア人やナバラ人が北方の異民族をまとめてドラクワ人と蔑称するのと同様に、クーン民族から見れば、褐色の肌に灰色の髪をしたナバラ系、あるいは彼らとは人種的に全く違うと言えるはずの金髪碧眼のペイルローン系を総称するのが南人という言葉である。
ほとんど黒や茶色の髪で統一された議場の中で、ぽつりと銀の髪が目立つように、ロマヌゥはクーン人から見れば南人系の血を引いている。
ロマヌゥは眉ひとつ動かさずにカルカラの言葉を聞き流した。
――南人、死すべし!
などという声があちこちで聞こえたが、王都で生まれ育ったロマヌゥにとってはもう聞き飽きた類の罵詈である。
「だがしかし、クーン人は法の民族である。法を護り、無法を討つのが我々の誇りだ。綿密な調査の結果、ココは彼の地の法を破ったことが明らかになった。その末に処刑されたのだ」
林立した剣士達から微かにざわめきが起こった。
(嘘だな)
下っ端のロマヌゥがそう思ったということは、他の者達の心中も似たようなものだろう。
数日前、南方に旅立ったはずのココの一隊からたった一人だけが帰還した。本来ならば団長であるルーンへの報告が最優先されるべきであった。だが、その剣士はよほど動転していたのか、あるいは元から軽率な性質なのか、塩原沿いの街で起こった事件のあらましを下級の剣士達に明かしてしまったのだ。この場でココが私刑に処されたことを知らぬ者はいない。
それからカルカラはいつもの如く高説を垂れた後に、こう結んだ。
「よって、我らクーン剣士団はテーベ隊副隊長ココを破門とし、この件においては決着とする」
直後に、場内で異議が上がった。
「待たれよ!」
進み出たのはココ直属の部下である。彼はココとさして変わらぬ歳――二十五、六歳に見える。
「ココは確かに乱暴で、性格は荒削りなところがあったが、人望があり、何より優れた剣士であった。如何に法を犯したからといって、名誉まで剥奪されるいわれはない。私はこの場で、異国で果てた勇者の亡骸をどう取り返すかが議題になると期待していた。しかしてこの決定はどうか? クーン人の誇りも何もあったものではない。確かにクーン人は武力で物事を解決することしか知らぬ南人とは違い、法の民族である。だが、同時に何よりも名誉を重んじるのがクーン人であったはずだ。私は、ココを英霊として葬ることを望む。これに関して我が隊の長と団長の意見を聞きたい」
皆がかたずを呑んで見守る中、進み出た者を陽気に囃し立てる者達があった。テーベ隊には先の戦争の経験者も多いが、髭の白み始めた彼らこそ、その象徴である。
(無作法な……)
そう思ったのはロマヌゥだけではあるまい。テーベ隊の緩みは特に規律を重んじるカルカラ隊に毛嫌いされている。
テーベは眉をひそめ、雄々しい髭を左手でなぞりながら、手振りで部下を黙らせた。
「これに関しては俺も同意見だ。団長には慈悲のある決断を望む」
議場の視線が団長ルーンに集まった。
(いつ見ても――)
ロマヌゥは思わず嘆息したくなった。ルーンの美貌である。
赤茶色の髪は長く波打っており、強気に見える大きな目と小さな鼻の間には微かなそばかすが見えるものの、白い肌は若い生命力に潤っていて、唇は小さく、しかし意志の強さを象徴するように引き締まっている。背丈はトローンと似通っていて――つまりはロマヌゥより少し高い。首には薄布を巻いていて、喉が弱いのか、時々咳込む。
ロマヌゥは幾度かルーンを間近で見る機会があったが、その度にこの女の香るような肢体に魅了されてきた。これに関してはロマヌゥだけではあるまい。
ルーンはテーベの異議を予想していたのだろうか、彼女は一瞬だけカルカラの方を見やったが、すぐに口を開いた。
「確かにテーベの言う通りだ。ココの破門は撤回し、彼の遺体も家族の元に返そう。ただし、ココが異国で非道を行ったのは事実であり、このようなことが二度とあってはならない。南人への復讐など言語道断である。各隊の隊長はこれを徹底せよ」
少しかすれているが、よく通る声である。
「よし、言い出したのだからお前が行くがいい」
カルカラの反論を待たずに、テーベが異議を唱えた剣士に向かって命令を下した。彼は直ちに拝命した。
ルーンは列に戻ろうとする剣士の背に向かって声をかけた。
「本来は私が直接赴くべきだが、この体ではそれも叶わん。許せ」
「団長、この若造には過ぎたお言葉です」
再びテーベ隊の古参兵が囃し立てたところで、カルカラが大きく咳払いをした。
会議が終わった直後、団長ルーンが直接カエーナ隊に声をかけた。
「カエーナはどうした?」
ルーンは左足が不自由なためか、長剣を杖にして歩く。この歩き方だと鞘が歪んでしまうのではないかとロマヌゥはいつも気になるのだが、あの体格だとそれを気にするほど重くもあるまい――などと自分のことなど棚に上げて納得してしまう。
「召集の旨は伝えたのですが――」
答えたのはミトラである。カエーナが不在である以上、彼が隊長代理であるが、無論それだけでは円卓に座る資格はない。
「王都には居るのだな?」
「はい、それは間違いなく」
「それなら良い。あれは見た目によらず喧嘩っ早いから心配していたのだ。次からは召集に応じるように伝えよ。お前もカルカラの説教を聞きたくはあるまい?」
「了解。必ず伝えます」
身を翻したルーンの傍に、無骨な集団に似合わぬ女が駆け寄った。
「サシャ、食事にしよう」
ルーンに声をかけられた女――サシャはルーンの発言が意外だったのか、眉をぴくりと動かした後、彼女を誘って奥へと消えた。
「やれやれ、団長様は朝が遅くて羨ましいものだ。まあ、いつものように黙って遊びに出かけるよりはいいが」
ミトラがこぼすと、左右の者が示し合せたように笑った。ロマヌゥも同じことを考えないでもなかったが、つい先ほど路上でサシャと鉢合わせたばかりであるから、ルーンの身の回りを世話すべき彼女の不在が、ルーンの空腹の原因ではないかと想像することができた。
ロマヌゥ自身、団長ルーンには他で噂されるほどの気の緩みを感じない。テーベ隊を見ればわかる。彼らは先の地獄のような戦争を生きぬいた歴戦の勇士である。それが、平時は昼間から酒を呷ったりして他の隊の顰蹙を買っているが、いざ試合ともなればカルカラ隊に負けたという話は聞いたことがない。
ルーンを見ていると、時々彼女が消え入りそうなほど儚げな表情をする時がある。ロマヌゥはこれと同じ表情をする人を一人だけ知っている。彼が最も尊敬する剣士カエーナである。
「ロマヌゥ。先の件、お前が隊長に伝えておけ」
そう言って他の剣士達と共に議場を去ろうとするミトラを、ロマヌゥは慌てて呼び止めた。
「あっ、副隊長!」
「何だ?」
威圧感がある。一目でこの者が自分に欠片ほどの好意も持っていないことがわかる。
「先日、隊長に直接申し上げたのですが、明日はお休みを頂きたいのです」
「は? お前のような未熟者は寝る間も惜しんで鍛錬に勤しんでも足らぬくらいだろうに――」
ミトラは目を細めてロマヌゥを見下ろしていたが、ふと、何か思いついたように話を続けた。
「そういえば、明日はトローンの誕生日だったな。女にかまけるくらいなら剣士など辞めてしまえ、軟弱者が!」
(抜け抜けと言いやがる!)
浅ましい――という言葉がロマヌゥの頭の中でうるさく鳴った。カエーナが休暇を認めたとなれば副隊長であるミトラは特に口を出す問題でもないだろう。それに、まず女にあたりを付けるミトラの想像力の方がよほど軟弱者と呼ぶに相応しいではないか。
最近、ミトラがトローンに言い寄っているのはロマヌゥも知っていたが、トローンが彼を蛇蝎の如く毛嫌いしているのは密かに痛快でもあった。
「いえ、母の命日なのです」
そう言われたミトラは一瞬口をつぐんだが、まるでロマヌゥに恨みでもあるかのような口ぶりで吐き捨てた。
「南人と姦通した娼婦を祀る必要など何処にあろう?」
ぎりり――と、奥歯を噛む音が鳴った。ロマヌゥは自ら振りあがろうとする拳を懸命に押さえつけた。
「どうかお願い致します」
ひねり出す様に言った。