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塩の剣  作者: 風雷
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第二章 クーン剣士団(1)

 夜明け頃、クーン王都郊外に三人の男の姿があった。


「お二人とも、よろしいか?」


 欠伸あくびをかみ殺しながら、壮年の男が言った。

 墨のように暗い色の長髪と無造作に伸びた髭、そして何よりも左目の眼帯が印象的な男は、念を押すように対峙する二人を見やった。


「いつでも」


 先に答えたのは、巨岩を連想したくなるような体躯の男である。髭は淡く、石でも噛み砕けそうなほどに顎が張っている。


「テーベ。何故見物人が代理を務めなければならんのだ。本当にカエーナは来ないのか?」


 もう一人の男が答える。若い。そして短躯である。対峙する二人は、まるで少年と巨人のようでもある。


「そこはまあ、お前さんも奴のことはよく知っているだろうに――」


 隻眼の男――テーベは今度はこらえきれなかったのか、半ば欠伸をするように言った。

 奥歯を固く噛みしめる音が、払暁間もない空に響いた。


「エルシャよ。お前はカエーナと闘いたかったのだろう? 日を改めてはどうか?」


 短躯の男は、恐らく本心からそういったのだろう。だが、いざ決闘を申し込んだ相手にすっぽかされ、なおかつ代理の者に侮辱されたと思った巨体の男――エルシャを激昂させるには十分な挑発であった。


――二十人斬りのエルシャ。


 クーン王国ではそれなりに名の通った剣豪である。彼について回る逸話には壮気に満ちたものが多い。

 エルシャの剣術はクーンにおいては伝統派に属した。師は剣翁ロセと並び称されるほどに高名であったが、ある日、弟子であるエルシャはその力量に疑問を抱き、師を襲った。その際、彼を咎めようとした門弟二十人も同時に叩き伏せた。師を負かすことで皆伝を得たも同然(実際には破門されたが)のエルシャは、更に自分の力量を試そうと武者修行の旅に出る。彼の不思議は、東海岸のペイルローン、南のナバラにおいても二十人斬りの逸話を生み出したことである。


――エルシャは腕は立つが頭が悪い。二十から先が数えられないようだ。


 半ば馬鹿にするように諷されたエルシャであったが、これは二十人斬りという異名が過小評価であるとも読めるだろう。

 そんなエルシャが、先日クーンに帰着したのである。彼は迷うことなくクーン剣士団の門を叩いた。


「病んだ剣翁などに用はない。カエーナだ。カエーナを出せ!」


 そして壮気に溢れたこの男が、いざ決闘の場に臨んでみればこの扱いである。怒らぬ方がおかしい。


「かっ!」


 始まりの合図もなく、エルシャは短躯の男に斬りかかった。合図を送るはずのテーベは溢れる闘志を好ましく思ったのか、小さく笑った。

 エルシャの得物は長大な両手剣である。短躯の男は大きく飛び退り、地面に突き刺さるような打ち込みを避けると、両腰に差した一対の短剣の柄に触れた。


「双剣か。小僧がてらってやがる」


 明らかな嘲り。あるいは誘いであるか。


「よく、言われる」


 短躯の男が膝を曲げやや屈むように構えると、二人の体格差は大人と子供のそれより遥かに開いたように見える。


「どうした。抜くのが怖いか?」

「……そうかもな」


 不敵な笑み。明らかにエルシャの間合いであるにも関わらず、短躯の男は剣を抜く気配を見せない。


「エルシャよ。何故、カエーナがお前を歯牙にもかけないか。お前は南人の国になど逃げずに、真っ直ぐ剣翁先生に挑めば良かったのだ。今日とて小僧・・の相手などせずに、カエーナを探し出して斬りかかれば良かったのだ」

「俺が、逃げただと?」


 怒りを押し殺しているように見えたエルシャの顔面が、ものの数秒で紅潮する。


「あーあ、言っちまったよ。おい、アヴィス。死なすには惜しいぞ」


 そう呼ばれた男がテーベの言を鼻で笑うのと、エルシャが最初の打ち込みを遥かに上回る速度で飛びだしたのはほぼ同時であった。


(ふむ、はやいな)


 テーベの視線が、右手から一瞬で左手に振り切れた。同時に、くしゃみでもするように首を傾げ、左手の死角から飛んできた何かを避けた。次の瞬間には、剣を落として地に伏し呻く巨体の姿があった。


「見えたかな、テーベ?」


 アヴィスが得意気に笑うと、どこか童子のようでもある。だか瞳に湛える光は、常に冷たく人を刺す。


「見えぬと思うか?」

「まさか――」


 テーベは地に伏したエルシャに歩み寄る。両手首から勢いよく血が流れ出ている。


(あの一瞬で腱を斬ったか……)


 エルシャが一つ打ち込む一瞬に、アヴィスは彼の剣をいなし、左右の短剣を抜き放ち、両手の腱を断つ三動作を完璧にやってのけた。


「いや、四つ動いたか」


 よく見ると、エルシャの右小指が断たれている。テーベは先程自分が立っていた背後の市壁を見やった。斬り飛ばされた小指が張り付いている。


「なんだ。本当に見えていたのかよ」


 アヴィスの言を、テーベは鼻で笑った。格下の相手にここまでやってのけるのは、小僧と呼ばれたことをよほど根に持ったのだろう。


「さて、手当くらいはしてやらんとな」


 まるでいつもと変わらぬ朝である――とでもいうように、テーベは黒い顎鬚を撫でた。



(気持ちの悪い朝だ)


 これ以上ないほどの快晴を見上げながら、ロマヌゥは心中で呟いた。

 王都クーンの朝は早い。とりわけロマヌゥなどは下っ端であるから、兄弟子達より遅れるわけにはいかない。

 西区は王都でも貧困層が多く住む。道に敷かれた石畳は中央通りと比べると幾分かごつごつしていて、風が吹くたび地面の塵が舞ってうっとおしい。

 ロマヌゥは舞いあがった塵を気にかけるように、銀色の前髪を触った。

 嵐でも来れば全て倒壊するのではないかと思えるほどのあばら家が続く道をしばらく行くと、やがて中央通りに出た。竜を象った像を中心に、大きな噴水が水を噴いている。

 幾人かが、小走りで道を駆けるロマヌゥの方を振り向いた。

 銀の髪を後ろで三つ編みに編んでおり、一見女かと見紛う美貌であるが、ロマヌゥは歴とした男子である。歳は今年で十七になり、小柄だが気性は激しい。雄々しくも体躯に似合わぬ長さの剣を帯びているのは、左腕に巻いた青色の布でもわかる通り、彼がクーン剣士団に属する剣士であるからだ。


「おーい、ロマヌゥ!」


 噴水を抜けた先で、一人の少女に呼び止められた。

 ロマヌゥは気づかぬ風でそのまま過ぎ去ろうとしたが、少女は先よりも声を張り上げてもう一度少年を呼んだ。


「こら! 無視しない!」


 チッ――と舌打ちながら、ロマヌゥは歩みを止めた。振り向いた先には二人連れの女の姿があった。


「何の用だよ!」


 ロマヌゥは不機嫌な声を上げたが、少女はクーン人の中でも最も美しいとされる黒い髪を揺らしながら、あるいは少年の仕草が少しおかしかったのか、肩を揺らして笑った。背はロマヌゥより少し高い。顔立ちは整っていて、鼻と口が愛らしい程度に小さい。


「エトがまたいなくなったのよ。またあんたのところにお邪魔してないかなと思ってさ」

「知らないよ。猫の面倒くらいきちんとみておけ! このバカ!」


 少年は再び舌打ちすると、全く少女を相手にして損をしたと言わんばかりに駆けて行った。少女はぷくりと頬を膨らませて「何を――!」と声を荒げたが、少年の背が道の向こうに消える頃には全く普段の彼女に戻っていた。


「トローン?」


 二人の短いやり取りを見ていたもうひとりの女が少女に声をかけた。


「いいのよ、サシャ。気にしないで。ロマヌゥったらいつもあんな調子なんだから」


 サシャと呼ばれた女は、明らかにクーン人ではない。すらりとした長身で、あるいはクーンの平均的な男と同じくらいの背丈はある。髪の色は東海岸や南国に割拠するペイルローン系によく見られる金色で、肌は白絹のように白い。目の色は宝石のような深い緑色をしており、見る人を吸い込む魔力を秘めている。

 トローンという少女の陽気に満ちた美しさはクーン人が最も好む類のものであるが、サシャのようにうるさいほどの美貌と共に歩くと、どうにもトローンの影が薄くなってしまうようで、街行く人の視線は主にサシャに集まる。


「前もそうだったけど、随分とあの坊やに気をつかうのね。もしかして幼馴染?」

「いいえ、ほんの二年くらいの付き合いよ」

「じゃあ、気に入ってるんだ」


 サシャの微笑はトローンへのちょっとした意地悪のようであったが、この女だと何をするにしてもそういった邪気が消えてしまう。


「気に入ってるっていうか、放っておけないのよ。あの子が剣士団でどんな目に遭わされてるか知ってるでしょう?」

「えっ? ああ……」


 トローンは既に道の向こうに消えたロマヌゥの方を見つめている。


「でもまあ、ああ見えて結構骨のある奴なんじゃないかなーって思う時はあるわ」

「そうは見えないけれど――」

「最初に会った時なんか、寄ってたかってボコボコにされるところだったのよ」

「あの子がトローンを助けてくれたの? それって立派な武勇伝じゃない?」


 まるで意外なことを聞かされたように、トローンはサシャの顔をまじまじと見た。


「そんなものあったらミトラにいいようにされてないわよ。あたしがロマヌゥを助けてあげたの。あのバカ、実戦になると途端に弱いんだから」


 サシャはもうこれ以上少年の勇敢についてトローンに訊くのをやめた。ロマヌゥの不名誉を掘り起こすだけになりそうだからだ。


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