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塩の剣  作者: 風雷
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終章 双天鎮魂歌

 穏やかな塩原にも時折強い風が吹く。風は、様々なものを他所の土地から運んでくる。

 ある日、その風が異国の青年をボリアの街に運んだ。

 男は見るに明らかなクーン系である。ボリア以南においてはドラクワと蔑称される彼らの髪の色は黒く瞳の色は茶である。

 剣士である。腰には青い装飾の鞘が美しい剣を差している。背はクーン人らしい高さである。歳は若い。まだ二十代の半ばだろう。時々、クーン系の商人に限ってすれ違う毎に男の方をぎょっと見やるのは、彼が左腕につけている青布のせいだろう。

 男は一軒の酒場に入った。他が賑わって席にもつけない限りは一顧だにしないような、小さな店だ。


「いらっしゃい」


 薄暗い店の奥から若い女の声が聞こえた。片手に酒瓶を持ち、もう一方には細長い杖を持っている。


「何にする?」

柑橘茶ナラッカを――」


 ナバラ系の女店主はクスリと笑みを見せると、杯を差し出した。

 男は何も言わずにそれを口に含んだが、すぐに吐き出した。


「誰が酒を出せと言った!」

「言ったさ。ナラカって言えば、柑橘酒以外何のことを言うんだい?」


 男は口ごもったようだった。だがそれを見た他の客は気の毒に思ったのかどうか、野次にも似たものを飛ばした。


「おいおい、イーリ。おのぼりさんだよ。からかっちゃあ可哀想だ」

「わぁかってるよ。あんたは黙ってな」


 イーリと呼ばれた女店主は悪態をついたあと、男の方に向き直り、杯に何かを注いで男の前に置いた。


「悪かったね。でもこれはこっちじゃあナラリアって言うんだ。憶えときな」

「ルーンという女を探している。知っているなら居場所を教えて欲しい」


 一瞬、イーリの表情が微かに暗んだのを男は見逃さなかった。


「へぇ、あの人の知り合いかい?」

「ああ、昔、世話になった。もう十年以上前かな」

「十年か……」


 イーリは男の瞳を覗き込む。いや、ほとんど見えてはいまい。だが、観えているのだろう。しばし二人は視線を合わせていたが、突然イーリの方が笑い出した。


「お兄さん、結構いい男だね」

「それで、ルーンの居場所は知ってるのか?」

「まあね。あんた悪い人じゃなさそうだから、教えてあげるよ」


 男はイーリからルーンの居場所を聞き出すと、出された柑橘茶も飲み干さずに店を出て行った。




 ボリアの郊外、塩原のほとりともいうべき場所に、ナバラ風のその家は建っていた。

 男は何度か家の門を叩いたが、応答が無かったので痺れを切らし、裏庭へと回ろうとした。庭と言ってもボリアは不毛の地である。砂の他にはほとんど何もない。


「どちら様ですかぁ?」


 門の陰から子供がひょっこりと顔を出した。見た感じはナバラ系だが、髪の色がやや茶色がかっている。クーン系との混血だろうか。


「ルーンという人を訪ねてきたのだが……」

「ああ、ルーンならいるよ」

「そう、会わせてもらえる? お兄さんはルーンの友達だよ」

「ちょっと待っててね」


 少年は家の裏に走り去って行ったが、すぐに戻ってきた。


「裏庭に来てって」

「じゃあ、お邪魔するよ」


 門を潜った男は少年が妙なものを首にかけていることに気づいた。


「坊や。それは?」

「お守りだよ。父さんがくれたんだ」

「君のお父さんが? ちょっと見せてもらっていい?」


 男は少年から首飾りを受け取ると、陽光に照らしてみた。白乳色に反射するそれは、さらさらと風に揺られていた。


「君はこれが何か知ってる?」

「多分、幻獣ししの毛だと思う」

「違うな、坊や。これは遺髪だ。それも、剣の神の遺髪だ」

「えっ?」


 男は少年に首飾りをかけると、そのまま奥へと進んだ。

 大して広くもない庭に小さな卓が置かれている。そこに酒瓶を置いて優雅に風を浴びている女の姿があった。髪の色は赤茶色く、耳にかかる程度に短く切りそろえている。一見、その女の肉体は、十年前とほとんど変わらぬようであった。

 男が眉をひそめたのは、女の胸元から喉にかけて、紫色に皮膚がただれているのを見たからだった。それが竜草と呼ばれる毒草の後遺症であることを、男は知っている。竜草中毒は異国では紫竜病ドラクワと呼ばれ、不治の伝染病だと信じられている。恐らく、女が街中ではなく郊外に住んでいる理由がこれだろう。


(もはや、長くはあるまい……)


 女が長く咳き込む。肺臓も病んだのかもしれない。幼くして竜草に侵された者は三十路を越えて生きることはないという。

 少年が女の近くに駆け寄ると、女は一度だけ頭を撫でた後に言いつけた。


「ウラハ、少し遊んでおいで」


 男は女がウラハと呼んだ少年に接する様をじっと観察しているようだった。


「クーン剣士団三代団長ルーンで間違いないですね?」

「おやおや、趣味の悪い悪戯いたずらだ」


 杯に酒を足すルーンの不機嫌にも、男は動じない。


「あなたが剣翁先生の遺髪を取り戻しに死神を追ってから、もう十年が経ちました。未だに帰還されないあなたのことを、王都はもはや忘れ去りつつあります」

「……誰だ、お前は?」

「わかりませんか? 何度かお会いしたことがあるはずですが――」


 男の話し方がかんに障ったのか、ルーンが飲み干した杯で卓を叩く。


「腕章を外せ。それはお前のような孺子じゅしが気軽につけていいものではない」

「これはクーン剣士団の証です。死んでも外せません」

「面白いことを言う。既に地上から消え失せた剣士団の腕章をつけているお前は、亡霊か何かなのか?」

「ミトラが僭称せんしょうした紛い物の剣士団のことを仰っているのですか?」

「違う。そうじゃない」

「あれは元からして団長の器ではなかったのです。敵に婚約者の命を差し出しておきながら、おめおめと自分だけ生き残るような男です。本人は否定してましたがね」


 男はルーンの対面の椅子を引いてどっかと腰を下ろした。ルーンは男の話しぶりにいらついている様子だったが、顔を見ているうちに記憶を呼び起こされたのか、ハッと顔色を変えた。


「……まさか、シャオの息子か?」

「はい。クーン剣士団四代団長セトと申します。お久しぶりです、ルーン」


 それこそルーンは亡霊に出会ったような顔をしていた。


「シャオが聞いたら怒鳴られる程度ではすまないぞ」

「ええ、ですからここに来るに当たって、シャモレイオとは縁を切りました」


 そこまでするか――と、ルーンは呆れたように溜め息をついた。


「ヴィユーニを殺すつもりか?」

「ええ、あなたが早々に諦めた様子なので」

「小僧が、試してやろうか?」


 ルーンが椅子の端にかけた剣を手にして見せると、男は口の端を曲げた。


「いえ、既に試しましたので――」


 セトが拳の裏で卓上を二度叩くとルーンの持っていた杯が真っ二つに割れた。


「この程度の事にもお気づきになられませんでしたか? やはり、復讐は諦めてしまわれたのですね。あるいは、剣も振るえぬほどに病んでしまわれましたか?」

「私は諦めてなどいない!」


 空中を振り払うように、ルーンが声を荒げる。


「いえ、諦めたのでしょう? 何故、ヴィユーニの子が剣翁の遺髪を手にしているのに、あなたはそれを奪い返さないのでしょう? まさか、父親の仇と恋に落ちてしまったからなどと仰るのですか? ヴィユーニを愛し、子を得てしまったから、あなたは彼への復讐を捨てたのですか? そのような道理は、ボリアでは通ってもクーンでは通りません。あなたがやらないのであれば、私が――」


 そう言って剣の柄に手を触れたまま、向こうへ走り去るウラハに目をやったセトに対して、ルーンは強く諌めるでもなく、かといって黙るでもなく、消え入りそうな声で答えた。


「あれはヴィユーニの子ではない」

「先程父と呼んでいましたが?」

「……違うよ、セト。そうじゃない」

「違う? 何が?」


 セトは飽くまでルーンを詰問するつもりのようだが、彼が口だけではないことはルーンには理解できた。


「あれは何処かの女が捨てて、ヴィユーニが拾った子。それでも殺せる?」


 塩の臭いに満ちた風が、セトの頬を叩いた。風の強さに驚いたのか、あるいは他に何が彼を驚かせたのか、男は唇を噛み、首を振った。


「ヴィユーニだけはころします。必ず誅します」


 それだけを言い残すと、セトは塩原の向こうを睨めつけるように見た後、無言のまま去って行った。




 ヴィユーニには彼の人生において一つだけ大きな後悔があった。いや、彼が過ちを犯したわけではないから、後悔というより、叶わぬ夢と言った方がいいだろう。

 十年前、ヴィユーニは自分の名を冠しない別の空に抱かれていた。その中で過ごした数日間は、彼の人生で最も濃密で、最も充実した時間であった。全てがヴィユーニの想像を超え、ついには大塩原で無敗と謳われる男を敗北同然に陥れた。だが、それでもヴィユーニには叶わぬ夢があった。


――七本鞘ななほんざやのシャモレイオ


 ヴィユーニはこの男と直接に剣を合わせたことはない。だが、想像の中で――ヴィユーニの独りよがりではなく互いに想像上の自分を戦わせた記憶が、彼の網膜に今でも生々しく焼き付いている。

 めげずに何度も自分を殺しに来るルーンを叩き伏せる度、シャモレイオを想った。やがてルーンの挑戦が止むと、さらなる孤独がヴィユーニを苛んだ。

 十年もの間、心の奥底でくすぶり続けた炎が再び眼前に現れた時、男は歓喜した。


「セトと申します。憶えておられますか?」


 不意に現れた懐かしいいでたちの剣士に向かって、ヴィユーニは剣を抜き放ち、足元にたまる水を掬い取るように、斬り上げた。

 水滴が恐ろしい速度で剣士を襲った。それは確実に肉を貫く威力を秘めていたが、セトの皮膚に食い込む前に全てが叩き落されていた。いつの間にか抜き放った一振りの剣が、塩水で濡れた。

 ヴィユーニは眉を寄せて、笑った。あるいは泣いているようにも見えた。


「父によくたな。いや、シャオ以上だ」


 言い終わるや否や、二人は激突した。




 ルーンは黄金色に染まり始めた塩原の空をじっと眺めていた。塩湖に映った空は世界を真っ二つに分け、全てを抱き込むように果てしなく広がる。


「ねぇ、父さん、まだ帰って来ないの?」


 ウラハが何処か不安げにルーンの袖を引っ張る。


「今度の旅はかなり長引くってさ。ほら、夕食にはイーリを呼んでやるから――」


 女が少年の頭を撫でると、少年は顔をくしゃくしゃにして笑った。

 ウラハを家に帰した後、ルーンはしばらくの間、塩湖の向こうの空を眺めていた。日が落ちかける頃、そこに一つの影が映った。

 それは陽炎のようにゆらゆらと揺れていた。顔がはっきり見える距離まで近づいた時、ルーンは軽く唇を噛んだ。

 その影が一歩歩くたびに、水面が赤く滲んだ。


「ルーン、見よ」


 影――セトは、右手に持った何かの塊を高く掲げて見せた。心なしか、それ(・・)は笑っているように見えた。


満足か(・・・)?」


 ルーンが放った言葉は呟くようであり、あるいはかすれるような声であった。


「はい」

「クーンに帰るのか?」

「今や、剣翁と剣士団の意志を継ぐ者は私しかおりません。私以外の誰が、冥土の剣翁や、勇ましく散った先達に捷報しょうほうを届けることができるのでしょうか?」

「そうか。父もきっとお前を誉めてくれることだろう」


 ルーンはもうこれ以上、この青年に何を言おうとは思わなかった。セトはここで初めて――微かにだが――笑った。


「おさらばです、私のルーン。もうお会いすることはないでしょう」


 この日、塩原において生ける伝説とまで言われたヴィユーニは、まさしく神話の住人となった。

 クーンに帰ったセトは、剣翁ロセや「剣翁の孫達(タータ・ロセ)」の墓前に復讐の証を捧げた後、己も勇者の列に加わるとでもいうように、自らの首をねた。

 王都には、セトの墓を造ったのはシャモレイオであるという風聞があったが、彼は生涯、息子の墓前に立つことはなかったという。

 同じ年の冬、ルーンが没する。




塩の剣 了

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