第七章 塩の剣(6)
城壁を見ながら西へと進んでいたところ、急に竜が転んだ。
「こんなところにも仕込んでいるのか」
無音剣である。竜は見事に足を切断されていて、苦しみもがいている。
「悪いな」
そう言いつつ、ヴィユーニは左手に持った逆鱗の剣で竜の頭を一突きした。あまり鳴かれると、せっかく夜陰にまぎれて撒いた敵に位置を知られてしまう。
「さて、どうやり過ごすか」
ヴィユーニは少し歩いた先のあばら家に目をつけると、そこに忍び込んだ。人がいれば何をしてでも黙らせるつもりだったが、幸いにして無人だった。王都には戦時に荒れ果てて未だに放置されている区画があるということをヴェムが言っていたのを思い出した。
壁にもたれかけ、滑り落ちるように腰を下ろした。顔が燃えるように熱い。娼婦に盛られた毒はどうも致死量に達していなかったようだが、今の自分が満足に闘えない状態であるのは確かである。
解毒剤はいくつか持ち合わせがあるが、クーンで用いられる毒に関しては全く詳しくないのはヴィユーニにとってかなりの痛手だった。症状から一応の見当をつけると、部屋の隅に転がっていた匙を手に取り、埃を吹いてからその上で解毒剤を調合した。すり潰すことなどほとんど不可能で、短刀で薬草を細かに刻みながら、少しずつ噛み砕くようにして飲んだ。
どれだけの間、そうしていただろうか。右肩の傷が疼く。ヴィユーニはまるで今気づいたかのように右肩に刺さった矢をへし折った。抜いてしまうと止血が面倒である。
今、最優先すべきは回復である。王都で自分を庇護してくれそうなのは、残念ながらあの気に食わない若造――シャモレイオしかいない。周辺はクーン剣士団が総動員してこの一帯を包囲しているに違いなく、そこまで行きつくのは至難の業である。それに、シャモレイオはヴィユーニとクーン剣士団の抗争については原則不干渉を宣言している。あまりあてにはできない。
夜明けになればこちらが不利である――などと考えながら、闇の中を見つめていると、微かだが外で土を踏む音が聞こえた。それはしばらくの間、人間とは思えないほどに規則的な律動で鳴っていたが、あるところまで近づいた途端に音が消えた。
(見つかったか?)
そう思い、息を殺していると、にわかに室温が上がった気がした。窓から濛々と煙が立ち込めるまで一分とかからなかった。
(野郎! 火をかけやがった!)
信じがたい暴挙である。都内で放火などすれば何処の国であろうが確実に極刑に処される。シャモレイオといえどもこれだけは決して看過しないだろう。確実にクーン剣士団の仕業に違いないが、もはや狂気の沙汰と言う他ない。
そう――ヴィユーニが発煙に気を取られたほんの一瞬を狙ったかのように、それは行われた。眼前に光の糸が見えた時、咄嗟に鞘を喉に押し当てたのはヴィユーニの感覚が正しい方向に尖っている証拠に他ならない。
無音剣――音もなく標的の首を刎ねる南国の暗器は、ヴィユーニに自分を発見した敵が誰であるのかを知らせていた。どうにかして――ヴィユーニが考えるに夜の闇の中で血痕をたどって、敵を見つけたサシャは、彼の頭上にある小窓から無音剣をたらし、首を捩じ切ろうとしたのだ。
非力とはいえ、支点を通じて体重をかけて引っ張られれば、それなりに強力である。だが、サシャの失敗はそこにあった。
ヴィユーニは吊り上げられそうになる首を庇いながら、勢いよく飛んだ。そして全体重をかけて着地すると、今度は壁の向こうにある何かが飛んだ。そのまま緩んだ無音剣から脱し反転したヴィユーニは、逆鱗の剣で壁ごと貫いた。
(身のこなしの軽い奴だ)
聞こえたのは呻き声でも断末魔でもなく、天井がきしむ音である。恐らくサシャは自分が持ち上げられる力を利用して跳躍し、屋根に上ったのだろう。
サシャの不幸はヴィユーニの判断の速さにあった。容易く女の転身を見透かしたヴィユーニは、サシャが次の行動に移る遥か手前で、拾い上げた槍を天井に向けて放っていた。槍が顔を出した先はちょうどサシャが立っていた真下だった。それはそのまま女の股を貫き、臓腑を抉り、背骨を砕いた。
「くふぅ……」
気の抜けるような音と共に、屋根の向こうの気配は一切の動きを止めた。




