第七章 塩の剣(1)
剣神ウラの弟子は五人とも十人とも云われる。他ならぬ剣翁ロセもそうであるという噂があるが、事実ではない。弟子の誰も師の驍名を越えることができず、その多くが師より先にこの世を去った。ウラは齢七十七まで生きたが、最晩年の弟子が王都クーンにいるという噂を聞いて、一人の青年がその男が住まうとされる小屋を尋ねた。青年の名はラァムといった。
質素な小屋である。人が住んでいるのは確かだが、生活のにおいが感じられない。言うならば、気配が薄い。
「あんたが剣神ウラの弟子かい?」
勝手に戸を開けて入るなり、酒気がラァムの全身を覆った。小屋の奥では一人の男が卓上の酒瓶を傾けていた。中は薄暗く、顔までは見えない。不思議と、ラァムは部屋を満たす酒の匂いを不快に感じなかった。彼が酒屋の息子というのもあるが、何より匂いに惰気がなかった。
男は無言である。ラァムには気づいているようだが、相手にする素振りすらない。
「外の様子を知っているか? クーン正規軍が大敗し、このままだと王都に蛮族が雪崩れ込んで来る。戦が始まる前に調子の良いことを言っていた連中は、賢い者は都を捨て、阿呆は残って泣き叫んでいる。平時は己が力を誇示した者達も、戦となれば皆病や怪我を装う。ウラの弟子もそうなのかい?」
言葉に棘がある。いや、罵詈に近いだろう。
「このままではクーンは滅ぶ。あんたも剣神ウラの弟子なら、剣とは何のためにふるうものなのか、よく考えてみろ」
すん――と、小さく鼻を鳴らす音。男は静かにラァムを笑った。
「興味ない。クーンが滅ぶのならば滅べば良い」
「……あんたも滅ぶ!」
「滅ばぬさ」
そう言って、杯の酒を飲み干す。干せばすぐに次を注ぎ、さらに飲み干した。うわばみである。やがて、杯に注ぎ切る前に酒が尽きた。そこで男はまだいたのかという様子で、初めてラァムの顔を見た。
美男とは言い難い。大柄でも小柄でもない。ただ目つきだけが鋭い。己の内に潜む刃を抑える術を持たぬ若者である。韜晦を知らぬ歳の若者であれば、ラァムという男はさぞ眩しく見えるだろう。
「雑兵を斬るのも飽いた。戦力が欲しいなら他をあたれ」
これで更に男に対して興味を覚えるところが、ラァムの人の好さであろう。
次に投げかける言葉を見つけるまでの間、ラァムは薄暗い部屋の中を眺めていた。
「これは――剣? いや、鞘か」
剣士の家に剣が飾られてあるのならば何ら不思議はないが、ただ鞘だけがかけてあるのは奇妙である。これら六本の鞘は装飾が派手というわけでもなく、美しくもなんともない。奇妙な趣味というべきだろうか。
(いや、これは――)
よく見ると、鞘に銘が入っている。いずれも違う刀匠のものである。その中にラァムでもよく知る名があった。
「刀匠オーボ?」
天下の名匠の名を口にした途端、男の意識がラァムに向いた。
「中身は?」
なるほど、オーボの鍛えた剣であれば、飾りもしよう。だが、何故鞘だけなのか。
「折った」
ただの一言。それが、ラァムという男の満腔に痺れとして広がった。オーボの剣を折る。何故そんなことをするのか。
(折ったのではなく、折れたのだ。ウラの絶技に武具が負けたのだ!)
まるで雷に打たれたように、ラァムは立ち尽くした。先程の男の沈黙よりも長い時間、壁を眺めていた。そして、ひとつ妙なことに気づいた。
壁にかけた鞘は六本だが、壁の留め具は七つある。ひとつ、飾られるべきものがない。いや、恐らくここには何かが飾られるはずだった。
「あんた、負けたのかい?」
自嘲にも似た低い笑い。男は、静かに新たな酒瓶から酒を注ぎ、ラァムを招くようにして卓上に置いた。




