第六章 臆病者のロマヌゥシア(9)
ルーンは高熱に魘されていた。サシャは傍らで、自分より二歳年下の女を看病し続けた。
まるで何かに祟られたかのような熱である。
「二人も殺めれば……当然だ」
水を含ませた布を絞るサシャに向かって、ルーンが呟いた。意識が朦朧としていて、寝言に近いだろう。
(あんな外道を斬って祟られるのなら、神竜に慈悲はないのか……)
報いを受けるべきは、下手人の自分であろう。だが、報いというものは、行った本人に向かうものではない。その者にとって決して譲れぬものを奪うからこそ報いと呼ばれるのであろう。
ふと、窓から射しこむ光に気が付いた。雲間から月が顔を出したのだろう。
月の満ちた夜である。淡い月光が時にうるさく感じられるほどに静かな夜でもあった。
その静けさを一人の男が壊した。
「剣翁先生にお会いしたい」
王都北区のロセ邸――ルーン邸でもある――の門前にその男はいた。
サシャは夜半であることと、病を理由に主への面会を断ったが、男は月光と似た色の髪の女を押しのけると、そのまま屋敷内を突き進んだ。
「何をするのです!」
サシャが懐から短刀を取り出す遥か手前で、その首に剣先が当てられた。
「暗殺者風情が、武技で俺に勝るつもりか?」
邪魔ならば斬る。男の目がそう告げている。
「よい、通せ」
左奥の部屋から、老人のしわがれた声が聞こえた。男はサシャには目もくれずに奥を目指すと、勢いよく扉を開けた。
「アヴィスか……」
にわかに外気が入り込んだためか、蝋燭の灯が揺らめく。揺れる影に溶けるようにして、一人の老人が寝台から半身を起こしていた。
「おや、危篤であると聞いたのですが。虚報でしたか」
「今日はいつになく気分が良いのでな」
「それはめでたい」
数秒の沈黙。だがアヴィスという男から放たれる気は普段の彼から想像もつかぬほどに騒がしい。
「剣翁先生、ひとつお願いがございます」
アヴィスは部屋に入るなり、老人――ロセに向かって跪いた。
「言ってみよ」
「砕剣を譲っていただきたく――」
低い笑声が部屋の中に響く。
「はっ、いいだろう。欲しいのなら奪ってゆくがよい」
ロセは壁にかけていた剣を手に取り、鞘から抜いた。青光りする剣身が蝋燭の灯に照らされて燃えるような色になった。
「では、遠慮なく――」
アヴィスは一切の躊躇なく、老人につかみかかった。
断末魔の如き男の悲鳴に驚いて駆けつけたサシャが見たのは、あってはならない方向に捻じれた右腕を抑えて悶絶するアヴィスの姿だった。
「御屋形様、これは――」
「庭にでも転がしておけ」
老人が無情にも言い捨てた時、更に二人の剣士がロセ邸の門を叩いた。
第六章「臆病者のロマヌゥシア」了
第七章「塩の剣」へ続く




