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塩の剣  作者: 風雷
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第六章 臆病者のロマヌゥシア(7)

 王都クーンは広い。とても一日で回りきれる広さではなく、ヴィユーニは観光に本腰を入れればひと月は要るのではないかと思いながら、王都の道を練り歩いていた。

 南区の繁華街をふらふらと見物していた矢先、ヴィユーニはそれと出くわした。


「何度言っても聞かぬ奴だ」


 うんざりしたと言わんばかりの呆れ声。だが、そこに嫌悪はない。まるで何かを愛するような温かみさえある。


「よく言われるよ。物覚えが悪いってね」


 ロマヌゥはヴィユーニの前に立っていた。半身もずらさず、正面に――これが剣士にとって何を意味するか、互いにわからぬ者同士ではない。

 周囲を行き交う人々はまだ起こりつつある異変に気づいていない。通りは賑わっており、ヴィユーニもロマヌゥも、立っているだけで通行人と肩が触れる。


「上納金が足りなくて、ついには体で支払えと来たか?」

「まあ、そんなところだ」


 嘘であることがわからぬヴィユーニではない。だが、彼にはロマヌゥが自分に挑んでくる理由が思い当たらない。


――剣士団の男たちは皆、ルーンに恋をしている。


 警吏総督シャモレイオの言葉を思い出す。確かにロマヌゥの瞳に宿ったものは鋭くきらめく気迫というよりは、家族や恋人を守る者の決意に似ている。


「それ、砕剣くだきつるぎだろう? 見せてもらっていいか?」


 ロマヌゥがヴィユーニの腰にある青光りする逆鱗の剣を指差した。惜しみもせずに抜剣して投げ与えるのが、ヴィユーニという男である。


「美しいな」

「見た目より遥かに硬いぞ。軽いからお前でも振り回せるだろうな」

「それは良かった」


 そう言った時には既に、ロマヌゥは飛び出していた。

 三つ編みに編んだ髪がヴィユーニの鼻にかかる距離まで近づいた――ということは、二人は激突したに等しい。


「物を返す時は、もっと優しく渡すものだ」


 逆鱗の剣は確実にヴィユーニの心臓をとらえていた。ヴィユーニは一歩も動いていない。彼は、ロマヌゥが繰り出した突きを見るや、腰紐から鞘を抜き取り、剣先に合わせてそのまま剣を納めたのだった。


「次は無傷では――」


 言い終わらぬうちに、ヴィユーニの右拳がロマヌゥの顔面を打ちぬいていた。少年は鼻血を噴きながら地面に倒れた。


「……済まなかったな」


 少年はすぐさま立ち上がり、剣を抜く。ここに来てようやく周囲の者達も異常に気付いたのか、大いに騒ぎ立てた。


――おおっ、喧嘩だ!

――また剣士団か?

――何を言ってる。ココならこの間死んだだろう?


 ロマヌゥが剣を振るうと、通行人が悲鳴を上げながら道の隅に逃げ込む。


「何故、俺に挑む? 勝てるわけがないのはわかっているだろう?」


 ヴィユーニが剣を持ったロマヌゥの手首を蹴り上げ、剣を叩き落とすのを見た観衆が歓声を上げる。勿論、ロマヌゥにはそのようなものが耳に入るほどの余裕は無く、徒手空拳で殴りかかったところをヴィユーニに蹴り飛ばされる。


「次は腕を斬り落とす。さっさと帰って寝るがいい」


 問いを発しておきながら、ヴィユーニはその答えには微塵の興味もないらしく、ロマヌゥが嘔吐するのを傍目で見ながら、雑踏の中に消えた。




 酒場で軽く酒をあおり、よく火の通った鶏肉を存分に堪能したヴィユーニが店の外で待ち構えるロマヌゥの姿を見た時、さすがの死神も小さく口を開けた。


「まるで亡霊だな」


 相変わらず、ロマヌゥに挑まれる心当たりが見つからない。あるいは先のアヴィスの一件のようにただの当て馬で、他に刺客が潜んでいるのではと思って警戒してみたが、そのような気配はない。


「ロマヌゥ、何事にも限度がある」


 ヴィユーニなりに、最後の警告を与えたつもりだ。

 ふと、ロマヌゥの左腕に青い腕章が巻かれていないことに気づいた。


「何だ、剣士団を辞めたのか?」


 クーン剣士団の剣士達が常に青布を巻いているわけではないだろうが、一晩共に暮らした限りにおいて、ロマヌゥはそうだった。

 ロマヌゥはそれには答えず、既に抜き放っていた剣をヴィユーニに向けた。


「塩原の神は、心底どうでもいいことを訊くんだな」


 すかさず斬りかかってくるロマヌゥを見て、ヴィユーニは躊躇いを感じていた。


(レーヴィ……)


 塩原の旅から帰ると、真っ先に自分のところにきて話を聞きに来る少年の顔が思い浮かぶ。誰よりも無邪気で、自分のことを慕っていた少年は、クーン剣士団という異国の暴力の前に命を落とした。

 ヴィユーニはロマヌゥを見ていると、どうにもその少年の事が思い浮かんでしまう。

 少年の瞳の奥で燃える炎は、姉の復讐にその身を焦がすレーヴィの姿と重なった。


(違うだろう。この者には何もない)


 復讐に身を捧げるわけでもなく、誇りをかけて挑んでくるわけでもない。ただ、ロマヌゥはひたすら激突してくる。まるで光と見れば炎にでも飛び込む蛾のように――


――私はてっきり軍神ヴィユーニ神竜ルーンに呼び寄せられたのだと思ったよ。


 不意にロローイの言葉を思い出した時には、既にロマヌゥの右手首を斬り落としていた。




 クーン剣士団本部では、カルカラがルーンの代理として諸事の決済に追われていた。

 カルとはクーン語で刃の意味である。カルカラといえば、重ね合わせた刃――つまりは武力を意味する。知恵者で知られるカルカラだが、名前ばかりはどうにも武張っている。

 椅子が悲鳴を上げるほどの巨体である。ようやく一区切りがつき、外の空気を吸おうと部屋を出たところで、意外な者が彼に声をかけた。


「テーベか。何の用だ?」


 テーベは何も言わずにカルカラを手振りで外に誘った。


「ミトラのことだ。お前さん、いつまであれを放置しておくつもりだ?」


 カルカラの眉が上がる。彼は横並んで歩くテーベを見た。テーベの左目の眼帯をいじりながら、カルカラの答えを待っている。


「テーベよ。お前はあれが本気でエリリスを担ぎ出すと思っているのか?」

「これまでは鼻で笑っていたさ。だが、今ならばあり得る。間違ってもカエーナの首は切るなよ」


 クーン剣士団における最大派閥はカルカラとテーベである。カエーナは日和見と言うべき立場にあり、彼が隊長職を任されている理由の一つでもある。


(相変わらず、政治のまずい男だ)


 カルカラは心中でテーベをわらった。ミトラの台頭は確かにカルカラにとってあまり面白いことではないが、現在のクーン剣士団におけるルーンの人気は絶対であり、二代団長エリリスを担ぎ出したところで容易く覆るはずもない。だが、テーベがミトラに加担すれば、それはあり得るのである。カルカラとしてはどうやってテーベを牽制するかで頭を悩ますところだったが、向こうからミトラ対策について訊かれるとは夢にも思わなかった。

 テーベは現状を不服としつつも、どうやらカルカラとの調和を望んでいるようでもある。前回の派閥抗争の時は、団長エリリスの失脚だけに留まらず、剣士団の支柱とも言うべきシャモレイオの離脱を招いた。今度同じ過ちを犯せば、剣士団は四分五裂するだろう。


「警戒すべきはシャオだ。ミトラを危ぶむなら、あれが警吏と手を組まないか、注視することだ」


 と、カルカラ。


「ルーンの一件も本当にシャオだと思うか?」

「恐らく。あれは恐ろしい男になった。とにかくあの南人の傭兵は捨て置くのが得策だろう」


 カルカラが先のルーンの命令を繰り返したということは、彼はテーベ――というよりテーベ隊の理性をあまり信用していないということだろう。それがわからぬテーベではない。

 と、その時、カルカラの部下が慌ただしく走ってきた。


「南区にて何者かがヴィユーニと決闘をしております!」


 カルカラとテーベが顔を見合わせる。


「剣士団か?」

「恐らく――」


 たった今、互いに軽はずみなことはしないと確認し合ったばかりであるから、二人の不安は当然だろう。


「カルカラ、行くぞ!」


 テーベは続報を待つと言って聞かないカルカラの胸ぐらをつかむと、引きずるように竜を繋いだ厩舎へと向かった。


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