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塩の剣  作者: 風雷
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第六章 臆病者のロマヌゥシア(3)

「ロマヌゥシア……お前は一体何をしている?」


 何度も自問する。頭をかきむしり、時に呻きながら、ロマヌゥは繰り返し己を罵った。


――自分で思い描いた通りに生きるだけが人生ではあるまい。


 ヴィユーニの忠告は何という傲慢であろう。彼のように何もかもが思うがままに生きられる人間が、足下でのた打ち回る蛆虫うじむしに向けて放つ言葉に他ならない。


(僕にはこれしかないんだよ!)


 ロマヌゥは剣士である自分以外の全てを捨てた。家業であった医の道を捨て、カエーナに憧れるままに剣士団に入った。そして今はその憧れそのものが粉砕されたのだ。

 果たしてカエーナの仇を討つまで、この苦しみは続くのだろうか。だが己の力量はヴィユーニに届くはずも無い。何しろ剣士団最強の一角であるカエーナが完敗し、アヴィスがいとも容易くあしらわれる様を見てしまっては、あの男に敵う剣士はクーンに存在しないのではないかとさえ思えてくる。


――剣を捨てよ、ロマヌゥ。


 あれは本当にヴィユーニの言葉であったのだろうか。あるいはロマヌゥという男が自分自身に向けて言ったのではないのか。

 ふらふらとした足取りで道を行くロマヌゥの足に、一匹の猫がすり寄ってきた。


「何だ、エトか。お前、また迷子になったのか?」


 抱きかかえた猫の向こうに、一人の少女の姿があった。夕日が眩しく、顔が見えない。


「ロマヌゥ……?」

「ああ、トローンか。猫の面倒くらいきっちり見ておけよ」


 どうせ店番から逃げる口実にエト探しに出かけたのだろう――と、たかをくくるロマヌゥを見れば、恐らくトローンでなくとも眉を寄せただろう。


「あんた、なんでそんなに汚れてるの?」


 そう言われて初めて、ロマヌゥは自分の服が土で汚れていることに気づいた。先ほどヴィユーニとアヴィスの戦いに巻き込まれた時にずっと伏せていたからだろう。

 トローンに無理矢理手を引かれてエリリスの経営する店まで連れて行かれたロマヌゥは、本人がすっかり忘れ去っていたミトラ達に付けられた傷の治療を受けながら、言い知れぬ虚しさに襲われていた。

 先程口をついて出た言葉以外は、トローンは一切の事情をロマヌゥに問わなかった。いつもならロマヌゥが怒り出すまで問い詰めるだけに、今宵のトローンは少し違っていた。

 違っているのはロマヌゥもそうだろう。彼は店の奥の椅子に腰かけたまま、包帯を巻くトローンに向かってぽつりと呟いた。


「トローン、僕さ。剣士辞めようかなって思ってさ……」


 あまりに意外だったのか、トローンは数秒の間ロマヌゥの顔を見つめていた。


「そっか、辞めちゃうんだ」

「怒らないんだな」

「別にあたしが怒ることじゃないでしょう? ロマヌゥが決めたことならそれでいいんじゃないかな」

「それもそうか……」


 無駄口といえばこれ以上のものはないだろう――とロマヌゥは自嘲したくもなる。トローンに慰めて貰おうと媚びる自分が何よりもあさましい。


「これからどうするの?」

「どっかの医者に弟子入りでもするさ。門前払いされないように金を稼がないとな」

「借金なら親父に口きいてあげようか?」

「気持ちだけ受け取っておくよ」


 トローンという少女の不思議である。彼女のおせっかいは時に不愉快だが、常に真っ直ぐな気持ちに裏打ちされている。それがとてつもなく爽やかに感じる時がある。


「でも良かった。これで思い残すことも無いかな」


 不意にトローンが奇妙なことを言った。


「思い残す?」

「実はあたしさ、今度ミトラと結婚することになったんだ」


 頭をかきながらトローンが言ったことを、ロマヌゥはすぐには理解できなかった。


「それって、どういうこと?」

「どういうって、言葉通りの意味よ。いやぁ、親父が勝手に決めちゃってさ。参った、参った」

「お前、ミトラのこと嫌いじゃなかったっけ?」

「まあ、そのはずだったんだけどね。今は別にいいかな」

(やめろ――)


 ロマヌゥは自らの饒舌の危うさに気づき始めていた。


「へぇ、いいんだ。あんなに嫌がってたのに?」

「だって親父が決めちゃったし――」

(これ以上言うな――)


 口にしてはならない。次の言葉は決して掘り起こしてはならないものを暴いてしまう。それに耐えうるほど自らの器が頑丈ではないことを、ロマヌゥはよく理解していた。そのはずだった。

 ふと、ロマヌゥの脳裏にヴィユーニの姿が浮かんだ。何故、カエーナではないのか自分でも不思議だったが、ヴィユーニという男には一切の挫折を知らぬ傲慢があった。ロマヌゥにはそれが眩しくさえあったのだ。

 何故、ヴィユーニは剣を捨てよと自分に言ったのか。単に技術が足りないとか、非力だからとかそういった理由で彼は忠告したわけではないだろう。ロマヌゥシアという男の本質が、剣士として決定的に不適格だったからである。では、ロマヌゥの本質とは何か。


(これ以上、トローンにかまうな!)


 この心の叫びこそが、ロマヌゥという男そのものであった。


「嫌なら嫌と言えばいいじゃないか。何故――」


 口に出た。ロマヌゥという人間では決して拭いきれない事実を明るみに出す呪いの言葉だ。


「言ったわよ! でも、そんなの誰が聞いてくれるのよ!」


 突然、トローンが喚き出した。


「二代団長エリリスの娘と言えば、剣士団で出世したい男なら誰だって欲しがるわ。今までもそんな連中は沢山いたけど、親父は誰も相手にしなかった。でも、ミトラは違うのよ! あいつは、本当に団長になるつもり! あんたにそれが出来る? カエーナの陰に隠れて自分も強くなった気になって、それなのに誰かと争う度胸も無い! さあ、言ってみなさいよ! 今のあんたに何が出来るの? 御破談にしたいって親父にかけ合ってみる? それともミトラに文句を言う勇気があるの? さぁ、答えてみなさいよ、ロマヌゥ!」


 決壊した。


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