第五章 七本鞘(4)
屋敷から出る途中、案内のセトに青い装飾の剣を渡された。
「これは?」
と、ヴィユーニ。
「逆鱗の剣です。父が『餞別に持ってゆけ』と――」
「これが逆鱗――砕剣か」
ヴィユーニが驚いたのも当然だろう。逆鱗の剣といえば一振りで街がひとつ買えるといわれるほどの名剣である。
何を考えてシャモレイオがこんなものを餞別によこしたのか――と考えようとした矢先、人が見れば訝るほどに暗んだ顔でセトが言った。
「父は貴方が剣士団を殺しつくすと考えておられるようです」
「子の分際で父親の心を覗くのか?」
セトは不遜と知りながらも、どうにも黙ってはいられなかったようだ。
「『剣翁の孫達』がルーンの仇を取れなかったのなら、私がお相手致します」
少年らしいといえばそうだが、あまりにもその身にそぐわぬ壮気に満ちた言葉である。
「シャオはそれを許すまい」
セトの沈黙は、恐らく葛藤を意味しているのだろう。少年は唇を震わせながら慎重に言葉を選ぶようにして言った。
「誰に許されずとも、やらねばならぬことがあるのです」
「やらねばならぬことなど、この世に一つもない。己の望みを偽ると人が腐るぞ」
少年がありったけの怒気をこめて自分を睨めつけるので、ヴィユーニは少しばかりセトが気の毒になった。
「その気になったらいつでも挑んでくるといい」
少年の頭にぽんと手を置いた時、ボリアで無惨に殺されたレーヴィの姿が思い浮かんだ。
南国産の獣の皮が張られた大きな椅子に腰かけながら、シャモレイオは静かに溜め息をついた。袖をまくり、右手首の切り傷を見やると、いつかの光景を思い浮かべていた。
ルーンが団長に就任する前年のことである。
その日は剣翁の誕生日だった。師事する礼として、あのカエーナまでもが祝辞のためにロセ邸を訪れていた。思えば、シャモレイオを含む「剣翁の孫達」が肩を並べて歓談したのはこの日が最後だったかもしれない。
所用で出かけていたロセを邸宅前で待つことになった。最初はシャモレイオとココの二人だったが、少し遅れてカエーナ、カルカラの順で集まった。アヴィスは南国への傭兵任務で不在だった。
「テーベはまだか。相変わらずだな」
と、カルカラ。
「今日傭兵任務から帰還したばかりだからな。どこぞで酒でも煽っているのだろうよ」
ココが軽口を叩く。既に日は暮れ、あたりはしんと静まりかえっている。
最初に違和感を覚えたのは誰だったか。恐らく、全員ほぼ同時だっただろう。
「やけに静かではないか? ルーンかサシャが出迎えてくれても良さそうなものだが……」
カルカラの言葉に、皆が無言で目語する。用向きを告げるために先に邸内に入れた部下も中々戻ってこない。
「何かあったか?」
――と、シャモレイオが呟いたその時、何かが叩き割れるような音と、男の破裂するような断末魔が同時に邸内から湧き起こった。
「入るぞ!」
カルカラの即断に、誰もが続いた。カエーナの一撃が門扉を破壊し、「剣翁の孫達」とその部下数人が邸内に突入した。
まず目に入ったのは庭先で倒れている女である。大腿から血を流している。
「サシャ!」
シャモレイオが駆け寄り、女を抱きあげる。出血は多いが傷は見た目ほど深くなさそうだ。刺されたのが内腿や腹でなくて幸いした。しかし一体何者の仕業であろう。伝説の傭兵として名高い剣翁の家に押し入るなど、命知らずにも程がある。
「まだ息がある。誰か手当を――」
そう言ったシャモレイオの手をサシャがつかむ。
「シャオ様、お逃げください……皆、殺されます!」
「何を言っている。天下の剣士団が何から逃げると――」
シャモレイオが言い終わる前に、彼の眼前を叩き飛ばされた何かが横切った。
(何だ……今のは?)
見ればわかる。わかるが、理解が及ばない。シャモレイオの視線の先にあるのは、真っ先に邸内に突入したはずのカエーナである。そのカエーナが、何かに叩き飛ばされ、地面に強く打ちつけられて呻いている。
「うおおぉ!」
咆哮。ココの声だ。誰かと斬り結んでいる。手加減など微塵も感じられない。完全に殺す気である。そのココの剣撃を、何者かは懐剣一本で全ていなしている。
暗い。目を凝らして見る。奥の寝室で禽獣のように跳び回る影がある。
「ルーン……?」
シャモレイオが知る剣翁の養女とは全くの別人である。だが、彼にとってそれ以上に衝撃だったのは、クーン最強の武人たる「剣翁の孫達」が小娘一人に翻弄されているという事実である。ルーンを囲むようにしてカルカラが背後に立つが、何かに圧されたように動くことができない。
「カエーナ、動けるか?」
シャモレイオは早くも身を起こし始めた巨体に向かって言った。
「無論」
巨剣を片手に立ち上がる。
「シャオよ、あれは何だ?」
「ルーンだ」
「そうではない。あれは何なのだ?」
「知らぬ」
ルーンが切り結んでいたココの腹に蹴りをくらわす姿を見ながら、シャモレイオは吐き捨てた。
「全員でかかれ。ただし殺すな。剣翁の養女だぞ」
シャモレイオの声に、完全に殺気立ったココが吼える。
「ふざけるなよ! 俺の部下が二人も殺されたんだぞ!」
よく見ると邸内に男の死体が二つある。剣を帯びているが抜いてはいない。抜く暇すらなかったということだろう。
(人間業じゃない)
まるで獣の様な――と思ったが、そうでもない。全く無秩序の暴力に見えるが、この女の動きにはどこか体系めいた背景を感じる。いわば彼女の動きの全てが、あらかじめ練られたものであるとシャモレイオは看破した。全く知らぬ剣術――しかも百年は練磨されたもの――であると言い換えても良い。
(勝てるか、私に?)
恐らく。だが、何処かひっかかるものがある。未知のものに対する不安。何か見落としのようなものを感じる。それを知らずに今のルーンに打ちかかれば自分は死ぬのではないか。慎重なカルカラが動けぬのも自分と同じものを予感したからではないか。獣じみた変則的な動きは表層のものに過ぎない。言ってしまえば、それは練磨された体系の神髄――彼女はまだ技を見せていない。
(そんな余裕はないか……)
ココやカエーナは阿呆ではない。自分たちと同じことを感じているに違いない。だが、彼らはそれでも恐れずに敵に打ちかかった。
シャモレイオは剣を抜いた。カエーナが合わせろと言わんばかりにルーンに飛びかかる。
ココを跳ね除けたルーンにカエーナが撃ち込む。まるでそれが当然であるかのように紙一重で躱すが、返しの一撃――落竜覇が襲いかかる。
「うおぉっ!」
重装甲の飛竜騎兵すら落とす絶技である。一度繰り出されれば、それは敵の死を意味する。シャモレイオの言葉など聞かなかったとでもいうように、カエーナは全力で巨剣を薙ぎ払った。
ルーンは逆手に持った懐剣を切り上げた。まるで、てこで以って錆びた鉄門扉をこじ開けるように、巨剣は上方へと逸らされる。
「今だ!」
左右からカルカラとココが襲い掛かる。ルーンの注意が両面に逸れた一寸の隙――カエーナの背を蹴って飛びあがったシャモレイオが剣を振り下ろす。
最初は懐剣を叩き落して終わるはずであった。だが、ルーンと目があったその時、シャモレイオは覚悟を決める他なかった。
(くそッ! 殺すしかない!)
凄まじい殺気である。あるいは怒気であるか。何故、剣翁の養女とはいえ、剣の心得もまともにない者がこれほどの殺気を放てるのか。しかしそれは確実にシャモレイオの喉笛を食いちぎる類の魔性を秘めていた。カルカラとココは必ず突破される。今自分がこの女を殺さなければ、認めたくはないが恐らくこれ以上の死者が出る。
――と、その時、何かがシャモレイオの脇の下を掠め、ルーンの首元へと射こまれた。
飛矢である。瞠目すべきは、それを素手で受け止めたルーンであろう。
(これなら!)
シャモレイオは瞬時に剣を寝かせ、その腹でルーンの首元を叩いた。狂犬のように殺気をまき散らしていた怪物はにわかに白目をむき、剣を落とした。
カルカラが慌てて抱きとめるが、安堵する自らを戒めるように、両腕を後ろ回しに固め、ルーンを拘束した。
「やれやれ。全員でかかってようやくか。見事だ、ルーン。誇って良いぞ」
背後からの声に、シャモレイオは振り返らなかった。射手――テーベはルーンの側に寄ると、邸内の死体を数えた。
「テーベ、これは何だ? お前は一体何を拾って来たのだ?」
「見ての通りだ。剣翁の娘には相応しかろう?」
「冗談を言っている場合か!」
普段のテーベなら、怒気を放つシャモレイオには付き合わぬといった風に流すだろう。だがこの時は違った。彼は居住まいを正すことはせずとも、翻ってサシャの元に向かう間際、シャモレイオに向かって囁いた。
「よく、殺さずに抑えた。礼を言う」
驚いたように自分を見つめるシャモレイオをよそに、テーベは引き連れてきた部下に向かってサシャの治療を指図した。
「仲間を――」
一瞬で周囲が静まり返った。当然だろう。先ほどまでこの場所で悪鬼のように暴れまくった女が目を覚ましたのだ。シャモレイオは静かに剣の柄に手を伸ばした。
「家族を斬って何が見事だ。何が誇らしい!」
力無い声で、テーベに向かって吼えた。まだ足元が覚束ない。半ばカルカラにもたれるようでもある。
「親兄弟ですら斬って誇れ。それが剣士というものだ」
テーベは振りかえらず、早くサシャを搬送するよう部下に手振りした。
「剣士? それは外道じゃないか!」
「そう。人斬りなんぞ皆外道よ。俺も、その者達も、剣翁もだ」
聞いていたのかどうか、ルーンの視線がサシャを追う。
「……優しいな。テーベは――」
かすれるような声とともに、ルーンは崩れ落ちるように再び意識を失った。
邸内の死体を運び出す様子を見ながら、カルカラがテーベに声をかけた。シャモレイオは知らなかったが、カルカラは闇の中で豹変するルーンの一面を前から知っていたようである。
「恐ろしい娘だ。寝る時は剣を手放すように言い含めなくてはな」
「いや、ルーンは賢い。自らが狂っても、俺たちで処理できるように備えている」
「どういうことだ? 剣を抱いて寝るのがそれか?」
「剣をとれば俺やお前でも潰せる。あれは無手の方が怖い」
近くで二人のやりとりを聞いていたシャモレイオの耳に、テーベの言葉がいつまでも残り続けた。
やがて剣士団を見切り、王の寵愛を受けるにあたって、シャモレイオは剣士としての自らの道を閉ざした。彼なりのけじめである。だが、その後も、この一夜のことを時折思い出してしまうのだ。
(ヴィユーニ……か)
南国から訪れた剣豪のことを思い出しながら、シャモレイオは叶わぬ夢に思いを馳せた。




