第五章 七本鞘(2)
王都から南に半日走った先にある街を歩きながら、ヴィユーニは周囲の違和感に気づいた。
(視られているな……)
しかも複数である。感覚を信じるならば三人、刺客が潜んでいるならば十人は見積もりたくなる数である。
心当たりなら十分にある。何しろクーン剣士団の重鎮ココを殺し、最強との呼び声が高いカエーナと団長ルーンを叩き伏せた男である。
(ルーンには負けておいたはずだが――)
三代団長ルーンは復讐に走ってボリアを敵に回すほど愚かではなく、ヴィユーニ個人に対しても怨みを抱かないくらいの器は示した。彼女が剣士団を上手く制御できているならば、ヴィユーニは彼らの復讐に備える必要は無い。
(馬鹿はどこにでもいる)
クーン人の気性は激しいと言われている。その例外を腐るほど見てきたヴィユーニにとっては眉唾物だが、仲間を殺されて黙っていろという命令を不服とする者が一定数いるのは当然だろう。
(少し、遊んでやるか)
突然、ヴィユーニは駆けだした。すると後方で幾人の気配が微かに動いた。道中何度か振り向いたが、中々の手練れらしく姿は見えない。
ヴィユーニがそのまま奥に見える路地に消えると、数秒待って一人の男が何気なく路地に入り込んだ。
誰もいない。彼は振り返るとすれ違う二人の男と目配せをして、すぐに路地を進んだ。
もはや追跡を隠そうとしていないのか、健脚であること確かな男は、狭い丁字路で仲間と顔を合わせるや否や、仰天した。
空中から影が落ちてきたと思った次の瞬間には、男の首に短刀が当てられていた。
「ココの仇討ちにでも来たか?」
屋根の上から降ってきたヴィユーニは、男たちの身なりを見ながら言った。右腕にクーン剣士団の証である青布を巻いていない。間諜ならばそれもあり得るが――と思っていたところで、短刀を突きつけられた男が口を開いた。
「ボリアの英雄ヴィユーニ殿ですね?」
「馬鹿なことを訊くな。知っていてつけていたのだろう?」
「王都に戻っていただけませんか? 我々は警吏の者です」
男がそう言うと、仲間の一人が懐から割符を取り出した。クーン人でないヴィユーニはそのようなものを見せられてもわかるはずも無いが、確かにクーン正規軍とよく似た紋章が描かれている。
「警吏が俺を捕まえに来たのか?」
カエーナとの諍いのことを言っているのだろうか。ルーンの件は誰にも目撃されていないはずであるから、他には考え難い。カエーナのこととて、人目を避けての喧嘩である。本人が訴えなければ明るみに出るはずもない。
「いえ、違います。実は昨日、王都近郊でクーン剣士団団長が何者かに暴行を受け、犯されました。警吏総督はその件であなたを召喚しています」
ヴィユーニが驚いたのも無理はないが、「暴行を受け」の部分には覚えのある以上、濡れ衣だと言っても聞き入れてもらえそうにない。
「違わないではないか。俺は確かにルーンと手合せしたが、それ以上は何もしていない。疲弊したルーンを見つけて嬲った下衆が他にいるのだろう」
言ってみても苦しい。確かにあの時のルーンは虫の息だったが、彼女はすぐに自分の部下が現れると言っていた。それを信じるべきではなかったという後悔がわずかに生まれた。
「ですから、ヴィユーニ殿。貴方に嫌疑がかかっているわけではないのです。警吏総督シャモレイオは公正な方です。どうか信じて王都に戻ってはもらえませんか? 従えないと仰るのであれば、警吏隊が出動することになります」
ヴィユーニに通じるかどうかは別として、生半可な脅しではない。
「それならそれで俺はかまわんが?」
「御勘弁願いたいものです。警吏隊が傭兵一人に壊滅など、とても報告する気にはなれません」
「ふっ、面白いことを言う」
どうやらこの警吏はヴィユーニの実力を十分に評価しているようである。
「ん? 今、シャモレイオと言ったな。まさか『剣翁の孫達』の一人か?」
「はい。そのシャモレイオです」
軽い混乱がヴィユーニの頭の中で起こった。シャモレイオと言えば、クーン剣士団の創始者ラァムの子で、かつては剣士団最強とも謳われた豪傑である。既に剣を捨てたという話からヴィユーニは全く興味を失っていたが、まさか剣士団をやめた後で官吏となっていたとは夢にも思わなかった。
普通に考えれば、ここはこの者達を斬ってでもボリアに帰るところである。剣士団と諍いを起こして剣士団出身の警吏に呼び出されるとなれば、陰謀の臭いしかしない。
(いや、待てよ。確かシャモレイオは二年前に――)
ある一つの想念が頭に浮かばなければ、この恐れ知らずな男はクーン王国の権威に牙を向いていたことだろう。一つの好奇心がヴィユーニを王都に繋ぎとめたのである。
「まあ、いいだろう」
警吏の男はほっと息をついたが、彼はこの瞬間が王都クーンにどれほどのものをもたらすことになるか、知る由もなかった。
竜にまたがり、快速で駆けたためか、ヴィユーニは日が傾きかけた頃には王都に戻っていた。何が自分をこうも駆り立てるのか、自分自身よくわかっているつもりだ。
警吏総督シャモレイオの私邸は、そうと知らずに見ていれば大貴族の豪邸だと思っただろう。二年前まで剣士団の一団員に過ぎなかった男が持つには、どうにも過ぎた代物に見える。
道すがら、ヴィユーニは警吏からシャモレイオの略歴について聞いた。
最も驚くべき情報は、シャモレイオがクーン王の寵愛を得ているという事実である。彼は内乱時にいち早く現クーン王側につくことを明らかにした。剣士団の意見がまとまらぬと見るや、部下を連れて現クーン王の元に馳せ参じたあたり、並みならぬ野心家である。
ヴィユーニがこだわったのは、二年前に起こったという一つの事件である。
当時、エリリスを追放し、カルカラに担がれる形でクーン剣士団を掌握したルーンは、他隊と別行動を取っていた矢先に敵に急襲された。折しも皆既日食と悪天候が重なり、その戦闘が地獄のように展開したのはヴィユーニがルーンから直接聞いた話である。問題はそこではなく、凄惨な戦いの唯一の生存者であるルーンを発見したのが、剣士団の別働隊ではなく、当時の王軍を率いていたというシャモレイオだったことだ。
ヴィユーニがクーン王なら、シャモレイオの部隊と、ぎりぎりまで帰趨を明らかにしなかった剣士団を同じ戦場に配置したりはしない。するとなれば、必ず監視する。だからこそ二年前の事件は奇妙なのである。
(食えない男には違いない)
期待に胸が膨らむところだが、ヴィユーニは恐らく王都を訪れてから初めて、これから会うであろう男を警戒した。
「私が案内できるのはここまでです」
そう言って屋敷の前で別れた警吏を尻目に、ヴィユーニは童僕らしき少年に導かれて奥へと進んだ。黒い髪と茶色の瞳からして、典型的なクーン人の少年である。少し大人びた顔立ちのわりには、少々背が低い。
「ここから先は武具を持ち込めません。こちらの籠に入れて下さい」
童僕の言う通りに腰につけた剣を籠に放ると、ヴィユーニは上着をはだけて体に巻き付けたベルトをほどいた。童僕の目が丸くなったのは、ベルトに投擲用の短刀がいくつも収納されていたからだ。
「シャモレイオは情夫を飼っているのか?」
童僕の視線を煩わしく思ったヴィユーニがそう言うと、彼は怒ったように頬を膨らませた。
「悪かった。気にするな」
そう言って、ヴィユーニはシャモレイオが待つという部屋の扉を押した。
広い部屋である。恐らく面会用の広間だろうが壁には物々しい装飾剣がいくつも飾られていて、家主の趣味をうかがわせる。
(こりゃあ、とんだ成金だ)
成金というものはどこの国でも趣味の悪さは変わらないらしい――と、ヴィユーニが心中で苦笑していたところ、部屋の奥の扉から一人の男が現れた。
金髪碧眼といえば大陸においてはペイルローン系民族の代名詞である。栄光あるクーン王国の首都を護る警吏総督の部屋に通されたのに何故クーン系でない者と面会しなければならないのか――などとは、クーン人の考えることだろう。ボリアのように多数の民族が割拠し、指導者でさえナバラ系とクーン系の混血の者が多い地方で育ったヴィユーニにとってみれば、警吏総督の部屋に通された先にペイルローン人がいればそれが警吏総督なのである。
「王都警吏総督のシャモレイオだ。塩原の軍神よ、よくぞ我が招きに応じてくれた」
シャモレイオはヴィユーニに歩み寄ると、左手を差し出して握手を求めた。
細身に見えるが、洗練された肉体を感じさせる歩みである。優男にありがちな不愉快な重心の揺れは全く見られず、かといってカエーナのように不動の巨岩を連想させるようなごつさは無い。
扉の前に立っていたヴィユーニは右後方に飾られた装飾剣に目をやった。
(試してみたい)
強烈な衝動である。これではただの戦闘狂だ――と自分を笑いたくなったが、同時にヴィユーニという男は、カエーナやルーンのような人間離れした猛者に勝利してもなお満たされぬ自分がいることに気づいていた。
気づけばヴィユーニの心は敵に向かって飛び出していた。
シャモレイオが差し出した左手を引っ込めたのは、ヴィユーニが蹴り上げた椅子を避けるためだろう。その間に装飾剣を抜き放ったヴィユーニは、椅子ごと敵を両断する。
肉を断つ手応えの代わりに、甲高い金属音が鳴る。ヴィユーニと同じく壁に走って装飾剣を抜いたシャモレイオもまた、敵に向かって剣を斬り下ろしたのだ。クーン産の硬そうな木でできた椅子が空中で四つに分解する。
(強い! 速い! 柔らかい!)
思えばココと戦ってからというもの、敵を褒めてばかりである。それほどにクーン剣士団の面々は優れた剣士ばかりだったが、おそらくこのシャモレイオは彼らと違う。何しろクーン剣士団の理想そのものといえる「七本鞘」の二つ名で呼ばれる剣士である。
ヴィユーニは歓喜したように目の前の剣士に何度も打ち込んだ。あるいはカエーナやココ、ルーンを打ち負かした曲芸じみた動きで、何度もシャモレイオを攻めたが、それらの全てをこの男は受け流し、あるいは避け、あるいは正面から叩き落とした。
(これほど強い男がいたのか!)
ヴィユーニが感じたものは、もはや感動といってもおかしくないものであった。はるばる王都クーンを訪れなければ、これほどの好敵手に相見えることなど無かっただろう。
全てが必殺ともいえる二人の剣技に武器の方がついてこれない。互いに剣が折れれば壁から装飾剣をもぎ取り、ひたすら相手に打ちかかった。そして互いにそれが七度に及んだ頃、ヴィユーニは初めて穏やかならぬ感情を抱き始めた。




