第四章 狂剣乱舞(3)
ロマヌゥの家はひどく質素だった。家具もほとんど無く、部屋は狭い。薄暗く、どこか埃の臭いが鼻に痒い。
「親父は医者だったんだ。でも死んでからはずっとこんな感じだよ」
家の向かいには立派な屋敷があったが、ロマヌゥも幼い頃はそこに住んでいたらしい。だが、すぐに首が回らなくなり、借金もあってか家を売り払う羽目になった。今、彼が住んでいるのはかつて使用人が使っていた小屋である。
「他に家族は?」
男はクーンの生活空間がよほど珍しかったのか、竈を開けて中を覗いたりしながらロマヌゥに話しかけた。
「いない。明日はお袋の命日なんだ」
「母親がいたのか」
「誰にだっているだろう。何を言っているんだ?」
ロマヌゥはテーブルの上に杯を置きながら、男の顔を覗きこんだ。
南方産の果物の皮を煎じた茶だ。南方ではナラリアと呼ばれ、クーン地方では少し訛ってナラッカという名で親しまれている。ナバラ文明との衝突はクーン人の南人嫌悪を加速させたが、同時期にクーンに流入した柑橘茶は安価で美味であるからかクーン人の憎悪を免れた。ちなみにナバラ地方でナラカと言えば茶ではなく柑橘酒を指す。
「不思議な奴だ」
「お前の母はどんな人だった?」
こねた小麦粉を薄く焼いた物を皿に盛りつけていたロマヌゥの手が止まった。
「僕を産んで、育ててくれた人さ。それだけの人。それだけで死んじまった」
何かを噛みしめるような顔である。慙愧の色さえ見える。
「そうか。俺の母親は俺を産んだだけだった」
「母親が憐れなのか?」
「そういう風に思ったことは無い。お前はそうなのか?」
「いや、どうだろう……」
歯切れの悪い答えを返したロマヌゥをよそに、男は杯に口を付けた。
「良い香りだ。南国では冷まして飲むが、湯で飲むのも悪くない」
ロマヌゥが少し嬉しそうな顔をしたのは、男には不思議だった。別に彼の事を誉めたわけではないのだが。
「そういえば名を聞いてなかったな。僕はロマヌゥシア。ロマヌゥでいい。クーン剣士団はカエーナ隊の所属だ。あんたは剣士団に喧嘩を売るくらいだから、さぞかし名のある戦士なんだろうな?」
皮肉ぶっているが、ロマヌゥの口調からは悪意は見て取れない。
「ヴィユーニという」
名乗りながら、男は杯を置いた。
「ヴィユーニ……ヴィユーニねぇ……」
またもやロマヌゥが首を捻ったが、特に思い浮かんだことがあったわけでもなく、すぐに食事の準備を続けた。
――古に剣士あり。
――技ありて剣を抜かず。
――剣抜かずして争わず。
――六本の鞘を飾れり。
――人、嗤いて、剣士曰く。
――我に七剣あり。
――一の剣は触れるべからず。
――その柄、離すことを知らず。
――二の剣は抜くべからず。
――その鞘、納めるべきを知らず。
――三の剣はふるうべからず。
――その気、邪なり。
――四の剣は斬るべからず。
――その刃、斬るべからざるを斬る。
――五の剣は合うべからず。
――その身、正気に討たれり。
――六の剣は討つべからず。
――その業、己を討つ。
――七の剣は帯びるべからず。
――その剣、既に討てり。
剣士団について何か聞かせてくれとせがむヴィユーニに対して、ロマヌゥが返したのがこの二行一対の詩である。クーン剣士団の創始者であるラァムの創作で「七本鞘」と呼ばれている。
「ラァムの生前は最後の二句が無くて、『六本鞘』と呼ばれていたんだ。それが、二代エリリスの頃に七の剣が付け足された」
誇らしげに薀蓄を垂れるのは、この最後の二句が気に入っているためだろう。
(剣を帯びずして人が討てようか……)
ヴィユーニは剣士団が二代団長エリリスの頃に危機を迎えた理由が何となくわかったような気がした。というのも、一の剣の句から六の剣の句までは、剣を扱う危険さを訴えるものであるのに、最後の七の剣に至って英雄崇拝に様変わりしている。二代団長エリリスは創始者ラァムを神格化することでクーン剣士団を大いに繁栄させたかも知れないが、ヴィユーニにしてみれば、このような欺瞞を掲げた時点で戦闘集団としてのクーン剣士団は終わったと断言したいものである。
それにしても、この欺瞞を誇らしげに語るロマヌゥの無邪気さはどうだろう。
(少しレーヴィに似ている)
輝くような眼差しでいつも自分を見つめていた少年のことを思い出す。彼にとっての傭兵ヴィユーニは、まさにこの「七本鞘」にうたわれる英雄そのものだっただろう。
(優しい男だ)
ヴィユーニはロマヌゥをそう見た。彼は見るからに半人前の剣士であるのに、この教えに忠実であろうとしているのだろう。だから同門の者達にたかられても安易に暴力を振るわない。
「剣を帯びずして人を討つ――か」
「初代はその人のことを剣聖と呼んでいた」
「剣聖?」
「抜けば嵐、納めれば凪、動けば神、止めば聖――と、初代が言っていたらしい」
「そんな御伽話のような剣士が本当にいたのか?」
初代ラァムの創作とばかり思っていたが、どうやら元となる人物がいたようである。
「そうらしい。でもそれが誰のことなのか。初代は誰にも教えなかった。噂では剣神ウラの弟子らしい」
「剣神ウラハールの?」
剣神ウラ。南方ではウラハまたはウラハールとも呼ばれる。大陸で最も有名な剣士といえば彼のことだろう。クーンより北方の僻地の出身で、二十年以上前に没したが、北方南方問わず、彼の武勇譚は数知れない。孤高の剣士であったが、晩年には弟子をとるようになったという。彼を神として崇める武人はクーンのみならず、ナバラ以南にも多い。他ならぬヴィユーニもその一人である。
「今の剣士団にもそう呼ぶに値する者がいるか?」
意地悪な問いである――と、ヴィユーニは口にしてから思った。
「カエーナ!」
ロマヌゥの答えに迷いはない。
「他には?」
「あるいは――シャモレイオ。でも彼はもう剣士団の人間じゃない」
「『剣翁の孫達』はそんなに強いか?」
「強い。誰よりも――と言いたいけど、最強というわけじゃない。この間、ココが――」
言いかけたところで、ロマヌゥはハッとしたように席を立ち、ヴィユーニの顔を見た。
「ヴィユーニってまさか……塩原の死神?」
「そう呼ばれることもある」
ロマヌゥの手が一瞬、壁に立てかけた剣の方に動いた。ヴィユーニがそれを目で追っていたのを知っていたのかどうか、彼は拳を宙で握り、椅子に座りなおした。
「兄弟子を殺した男だ。追い出さんのか?」
「今夜は泊めると言った。それにボリアに報復をしないというのは剣士団の総意だ」
ヴィユーニはカエーナのことを思い出した。彼を斬ったということはロマヌゥには伏せておいた方が良いだろうが、あの男は剣士団の総意などお構いなしに戦いを挑んできた。
「ロマヌゥ、お前は剣士には向いていない。今からでも医学を志せ」
「お前の方こそ、田舎に隠棲して畑でも耕していたらどうだ!」
思いの他、ロマヌゥの怒りは小さかった。恐らくことあるごとに同じようなことを周囲から言われて来たのだろう。




