第三章 落竜覇(4)
鉄槌のカエーナと呼ばれる男は、何故常人の操るものの二倍はありそうな巨大な両手剣を持つに至ったのだろうか。雄大な体躯と、怪力と呼ぶにふさわしい力の持ち主であるから、二つ名の通り鉄槌を操ればいいはずである。だが、彼はそうしなかった。
剣翁ロセは弟子が虚栄心から巨大な剣を持つような甘えを許すような男ではない。しかしカエーナは巨剣を手に彼に師事し続け、「剣翁の孫達」の中でも最強と噂されるまでになった。
同じ問いは他の「剣翁の孫達」にもあった。カエーナの才能を見出し、クーン剣士団に誘ったのはテーベであるが、弓の名手として知られる彼の問いに対して、カエーナはこう答えた。
「槌では竜を落とせぬ」
この一言でテーベは全てを悟ったという。竜を落とすとは――つまりは飛竜の事に他ならない。更に言えば飛竜を落とすとは、かつてクーン正規軍を壊滅状態に追い込んだナバラ飛竜騎兵を落とすということである。
堅い鱗を持つ飛竜は、矢を射かけたくらいでは落ちない。それが大陸において飛竜騎兵が最強たる所以だったが、カエーナは天高く飛ぶ彼らに己が巨剣を打ちこむと本気で言ったのだ。
飛竜騎兵の主装備は長槍で、彼らは上空から急降下しては一突きで地上の兵士を貫き殺し、瞬く間に空へと戻る。地上で迎撃を試みることはほとんど不可能で、大盾ですら簡単に貫かれてしまう。故にカエーナの必殺の打ち込みと神速の切り返しは、飛竜騎兵の一撃に耐え、更には反撃まで行うためだけに編み出された技術である。
兵法を知る者ならば、これらを一人でこなす必要は全くない――と切って捨てるだろう。事実、義勇軍を束ねたクーン剣士団初代団長のラァムは、飛竜騎兵を圧倒まではしなくとも、巧みに兵を動かして彼らを疲弊させることには成功していた。カエーナの練磨は独りよがりと言っていい。
しかしながら、この独りよがりがクーン剣士団で最も高名な剣士の一人を現出させたのだ。カエーナはボリア以南の傭兵任務で飛竜騎兵を九騎屠っている。
カエーナという男は、たった一人で戦争に勝とうという壮気そのものでもあった。
「落竜覇」
カエーナの打ちこみを見たナバラ人の傭兵が、彼の技を見てこう呼んだ。
終わりが近い。
ほんの数度打ち合っただけであるから、勝負はまだ始まったばかりと言っていい。だが、ヴィユーニの表情が、巨剣を握るカエーナの両手が、次の一撃で全てが終わることを互いに予感させていた。
先程までとは違い、ヴィユーニが微かににじり寄る。すると、カエーナは一歩下がる。
(何故だ? 何故打ち込んで来ない?)
得物の長さからいって、五歩以上離れれば全てカエーナの距離である。だが、彼は剣に漲らせた闘志はそのままに、何かを探るようにヴィユーニから遠ざかる。
(罠……か?)
カエーナが策略を巡らすような男だとは思わない。だが否定はできない。そのような決めつけをして落命に至った者をヴィユーニは何度も見てきた。
己の五感を研ぎ澄まし、周囲の気配を窺う。カエーナの他に一人、何者かの呼吸が近く――恐らく背後にある。矢でも射かけるつもりなのだろうか。このヴィユーニに対して。
一瞬、カエーナの視線が宙に浮いた。仲間に合図でも送ったのだろうか。だとすればこれが致命的な隙であることを教えてやらねばならない。
「しっ……!」
疾駆した。カエーナも反応したが、飛び出しはわずかにヴィユーニの方が速い。
激突。互いの打ち込みが空中で火花を散らす。わずかにカエーナの膂力が優る。ヴィユーニの剣は弾かれたが、カエーナの打ち下ろしは軌道が逸れ、敵の肩をかすめて地面に落ちる。
ヴィユーニの勝機は全てこの瞬間にあった。カエーナの切り返しより速く剣を突き出す。
背筋が鋼鉄のように圧縮され、ヴィユーニは剣を弾かれ仰け反りそうになった上体を、まるでしなる弓のように急激に引き戻した。同時に、カエーナもまた両手でつかんだ巨剣を凄まじい勢いで斬り上げた。
「うおおぉ!」
落竜覇――この切り返しのためだけに鍛えた両腕の筋肉が破裂寸前まで膨れ上がる。
初動の差か、わずかにヴィユーニが速い。だが、彼の感覚は勝利を目前にしてなおも研ぎ澄まされている。
(さあ、射かけて来い! 俺に矢は当たらん!)
背後にある何者かの気配――恐らくはカエーナの援兵に対して心中で叫んだ。
と、その時――ヴィユーニの中にある全ての時間が止まった。
「ゴ……ォォォン――」
肌の震え、脳が揺さぶられるような大音、そして鼓膜に重さを感じた時、ヴィユーニはカエーナの狙いを察知した。
(鐘の音?)
(ヴェムが言っていた夜刻の鐘?)
(かなり近い。鼻が痺れる)
(何という大音量!)
(援兵などいなかった!)
(もしかして俺は止まっているのか?)
あらゆる想念が頭の中で一気に弾けた。そして混沌の中で本来の感覚を取り戻そうと試みた刹那、飛竜を落とす凶刃がヴィユーニを襲った。
絶句。
次いで竜巻という言葉がカエーナの脳裏に浮かんだ。
胸に鋭い痛みが走る。竜皮の鎧か、せめて鎖帷子でも着こんでくるべきだったとちらりと思ったが、そんなことに思考を割いている余裕はない。
カエーナの落竜覇は確かにヴィユーニをとらえたはずである。身をよじり躱す暇などなかった。ましてや反撃に出るなど人間には不可能である。
だが、その不可能を、塩原で傭兵の神と崇められる男はやってのけた。
胴を断たんと切り払われた巨剣に対して、ヴィユーニは最初剣で受け止めようと構えた風に見えた。カエーナの方が優るとはいえ、ヴィユーニも膂力の持ち主であるから、あるいは体が真っ二つになることは避けられたかもしれない。だが、そのまま体ごと数歩先に叩き飛ばされるのは自明だったのだ。
だが、刹那に烈風が吹いた。
剣と剣がぶつかる瞬間、ヴィユーニは剣の切り払われる方向に旋回した。宙に放り投げた枯れ木を打ったように、彼の体は剣撃と同じ速度で半回転し、その勢いを殺さぬまま、天と地が入れ替わった体勢のままで、剣を振り上げたのだ。
(浅い!)
致命傷ではないことは、斬りつけたヴィユーニの方が感じ取った。カエーナは自分の臓腑が断たれたのかどうかもわからぬまま、動けば体が勝手についてくると言わんばかりに前に踏み込んだ。だが、剣を持つ手がおぼつかない。それでも斬らねば己が斬られる。
互いに最後の一撃を繰り出す瞬間――両者がその結果を直感した。
わずかにヴィユーニの方が速い。
(化け物め!)
カエーナが死を覚悟した刹那、ヴィユーニは右足で地面を蹴り、後方に跳躍しながら剣で斬り払い、カエーナの剣を叩き落した。
またもや致命の一撃とはならなかったことが、カエーナにとっては驚愕でさえあった。空中で分解する飛矢を見た時、それは理解に変わった。
「カエーナ! ここは退け!」
突然の声に、カエーナは迷わなかった。彼は驚いたような視線を自分に向けるヴィユーニに構わず、身を翻して一目散に駆けた。
「俺を泳がせたな、テーベ!」
苦りきった声を上げるものの、辛うじて死を免れた者にはそれも虚しい。
カエーナは奔った。背後を振り向く余裕など彼にはない。しばらくしてテーベの部下の顔が見えた頃、カエーナは自分の膝を濡らす暖かい液体に気づいた。
振り向けば己の血痕が敗者の路を示していた。
「一太刀も浴びせられなんだ……」
己をあざ笑うかのような台詞とともに、カエーナは前のめりに倒れた。
第三章「落竜覇」了
第四章「狂剣乱舞」へ続く




