恐怖のレオパ・ナイト
タローが持ち帰った、一匹のトカゲ・レオパ。
この愛らしいトカゲが、静かなななし荘に嵐をもたらす!?
事の発端は、タローがとある来客を連れて帰宅したことだった。
「ただいまー」
梅子が定時で帰ってくると、玄関の上り口でヒューイとタローが座り込んでいた。
「あ、梅子ちゃん、おかえりっす」
「どうしたの、こんなところで…」
梅子が覗きこむと、何やら透明な飼育ケースのようなものがある。
「あっ、何それ!カワイイ!!」
飼育ケースの主は、しっぽがぷくっと大きな、何とも可愛らしいトカゲだった。
「梅子ちゃんは爬虫類は平気なの?」
「うん」
「別にめちゃくちゃ好きってわけでもないけど、オバケとゴキブリとカマドウマ以外ならだいたい大丈夫!」
やはり、カマドウマは嫌いらしい。
「これ、友達のペットなんすけど、レオパードゲッコーっていうトカゲなんすよ」
「いろんなカラーがあって、愛好家の間じゃレオパっていって人気らしいっすよ」
「分かるー」
「カワイイもんね」
梅子はトカゲを手に載せてニコニコしている。
「でも…よくハルが許したね」
「え?」
「ハルに連れて帰ってもいいか聞かなかったの?」
「いや、聞くには聞いたんすけど…」
~数時間前~
タローは、スマホでハルに連絡を取っていた。
「あ、もしもし、ハルくん?」
『どうしたの?』
「実は、友達が食あたりで急に入院することになったんすけど…」
『うんうん』
「そいで、ペットの世話してくれないかって頼まれたんすけど…連れて帰っても大丈夫っすか?」
『大きな声で吠えたり、そこらで糞したり…そういうんでなければ…あっ、はいはい、今出ます』
電話の向こうでは、誰かが来たような気配がある。
『ごめん、ちょっともう行くわ』
『そういうんじゃなければ、少しの間ならいいよ』
「あざーす!じゃあ連れて帰ります」
~現在~
「…という感じっすね」
「じゃあ、そのペットがトカゲっていうのは知らないんだ?」
「そっすね」
「梅子ちゃん、知らないと何かまずいことでもあるの?」
「いやー、まずいっていうか…」
梅子には珍しく、ちょっと言いよどんでいる。
そうこうしているうちに、原付に乗ってハルが帰ってきた。
「あー、疲れたよー」
片手には大きな枝切ばさみを持ち、体中に松の葉をくっ付けている。
「野中さんちの木、まさかあんな大木だと思わなかった」
「えらい重労働になったよ…」
梶原のおばちゃんからの依頼で、ハルは野中さんちとやらに手伝いに出掛けていた。
先日の暴風雨で庭の松が折れたとかで、老夫婦に代わってその枝切りをしたのであった。
「梅ちゃん、今日は早い…」
玄関で梅子の姿を見つけてそう声をかけたハルの顔は、みるみるうちに血の気が引いていく。
まるで怪物を見るような目つきで、梅子の手の平にいる小さなトカゲを見ている。
「ちょっ…何でそれがここに…」
「?」
タローとヒューイは事情が飲み込めずに顔を見合わせている。
「あっ」
トカゲは不意に梅子の手から飛び降りて、ちょこちょことハルのほうに向かっていく。
「--------!!!!」
声にならない叫びをあげ、ハルは手にしていた枝切ばさみを振りかぶる。
「ちょっとーーーーー!!」
間一髪のところで、タローがトカゲをすくい上げた。
「そんなことしたら、間違いなくレオピーが死ぬっす!」
「フーーーッ、フーーーーッ!」
まるで何日も食べていないオオカミが獲物を探すように、ハルの目はギラギラと光っている。
「ごめんねー、タローくん」
「ハルはトカゲが大の苦手なの…」
「マジっすか?」
「フーーーッ、フーーーーッ!」
ハルは、相変わらず荒く息をしている。
「あらら…ホラー映画の殺人鬼みたいだね」
ヒューイだけが、一人楽しそうにしている。
外では、庭木が不気味に風に揺れていた。
今夜は嵐になりそうな予感だ。
*****
「あのー、何かすいません…」
「知らなかったとはいえ、こんなの連れて帰ってきて…」
タローは申し訳なさそうにしている。
レオパの処遇について、ななし荘では急遽住人総出の会議が開かれていた。
「でもまあ、ちゃんと聞かなかったハルも悪いしね」
梅子が取りなした。
「そうでしょ、ハル!」
梅子たちは食堂のテーブルに着いていたが、ハルは休憩スペースの隅で縮こまっていた。
レオパのレオピーは、もちろん食堂の外に出されていた。
「今さら、返すわけにもいかないんでしょ」
ヒューイはいたって冷静である。
「まあ1週間くらいのことだし、大目に見てあげたら?」
「わたしもそう思う」
梅子も同意した。
「じゃ、じゃあ…」
捨て犬のようにブルブル震えていたハルは、ようやく口を開いた。
「玄関の外に置いておいてください…」
それは、ハルなりの譲歩案だった。
「それは無理っす!」
「レオピーは繊細らしくて、ヒーターで温度調節したり湿度の管理も必要なんす!」
「小学生がそこらのトカゲを飼うみたいな、生半可な気持ちじゃダメなんす!」
タローは力説した。
「じゃあ、タローくんの部屋で飼えばいいじゃない」
梅子はそう言ったが、ハルはなかなか妥協しない。
「いやだ、いやだ、いやだ、いやだ…」
「トカゲと同じフロアで生活するなんて、あり得ない!!」
「もう、子どもみたいなこと言って!」
梅子も、子どもを叱る母親のような口調になっている。
「もう来ちゃったんだから、どうしようもないでしょ」
「でーもーー、いーやーだーーー!」
「あっ」
その言い合いを止めたのは、ヒューイの発した一言だった。
「ごめん…こんな近くにあるとは思ってなくて」
食堂のすぐ外で、トカゲの飼育ケースは横倒しになり、中に敷いてある砂がこぼれ出していた。
「…」
その有様を、無言で見つめる一同。
「あっ」
再びヒューイの発した声に、一同の意識が集まる。
廊下を差したその細い指先に、一同の視線が集まる。
レオパのレオピーは、ちょろちょろと廊下を歩いていく。
そして、偶然少し開いていたドアの中に消えていった。
それは、玄関の先にあるハルの部屋だった。
「…」
無言の一同。
バタンという音をさせて、背後でハルがぶっ倒れていた。
*****
ハルの部屋を照らしているのは、開いたドアから差し込む廊下の明かりだけだった。
「ここにいるんすよね…」
「うん…」
「どうやって探そう…」
梅子とタロー、ヒューイがドアの前でたたずんでいると、ハルがふらりと現れた。
「タローくん、これで一発だよ」
憔悴しきった笑顔で、ハルは手に何かを持っていた。
ゴキブリ退治などによく使われる、噴煙型の殺虫剤であった。
「ハルくん、マジで殺る気だね…」
もはや、状況は一刻を争う。
突破口を開いたのは、問題を起こした張本人のヒューイであった。
「ハルくん、本当にすまなかった」
ヒューイは、首を深く垂れてハルに謝った。
「こんなことになってしまったのは、そもそもボクがケースを倒したからだ…」
「これから部屋でトカゲを探すのは、まず無理だろう…」
「でも、きみはこんな部屋で夜を明かせない…本当にすまない」
そう言って、ヒューイは今度は梅子に向き合った。
「すまない、梅子ちゃん」
「そういうわけだから、今夜はきみの部屋でハルくんを寝かせてやってくれないか?」
「一緒に」
そういうことか。
ハルは、今日はもうくたくたに疲れていた。
野中さんちで松の木を切り、帰宅してトカゲに驚き、おまけにそれが自分の部屋に逃げ出した…。
そういうことか、ヒューさん。
あなたはどういうわけか、俺と梅ちゃんをどうにかしたいらしい。
そういうことならば、受けて立とうではないか。
いつものようにオタオタする俺を見たいのだろうが、もうそうはいかない。
いいだろう。
今夜、俺は梅ちゃんの部屋で熟睡してやる!!
レオピーの捜索は、翌日に持ち越された。
トカゲに部屋を占拠されたハルは、自分の布団一式を手に、梅子の部屋の前に立っていた。
「ベッドで寝ないの?」
梅子はそう聞いてきたが、それがどういう意味なのかハルには分かりかねた。
自分の代わりにベッドを使えという意味なのか、それとも…。
いずれにしても、梅子のベッドはハル1匹にも小さすぎたので、床に布団を敷くことにしたのだった。
それも余裕があるとは言えず、ベッドのすぐ下にぎゅうぎゅうに布団を敷く羽目になった。
「トイレに起きたとき、踏んじゃったらごめんねー」
そう言って、梅子は部屋の電気を切った。
「何か、久しぶりだね」
「同じ部屋で寝るの」
「うん…」
「昔は、よく布団を並べて寝たよね」
「うん…」
そんな他愛もない話を、しばらくしていた。
そのうちに、梅子の静かな寝息が聞こえてきた。
視覚が制限される暗闇では、代わりに嗅覚や聴覚が研ぎ澄まされる。
スーッ、スーッという、梅子の規則正しい静かな寝息。
いつも使うシャンプーと、それと混じった彼女そのものの匂い。
それらの情報は、ハルが望まなくともどんどん押し寄せてくる。
「…寝られるわけないよな」
ハルは、目が慣れた暗闇に向かってそっと呟いた。
ヒューさんは、一体俺にどうなってほしいのだろうか。
いや、その前に、俺は一体どうしたいのだろうか。
梅ちゃんと、どういう関係になっていきたいのだろうか。
梅ちゃんを守るという、母さんとの約束。
その約束は、何も幼なじみという関係でないと果たせないというわけではない。
では、俺はどうしたいのだろう。
ハルは、布団から体を起こして、ベッドで寝ている梅子を見る。
ハルに背を向けた華奢な背中を見ると、ゆっくりと呼吸しているのが分かる。
柔らかそうな髪が、枕の上に無造作に広がっている。
ハルは思う。
今、この髪に鼻先を突っ込んで、彼女の甘い香りを胸いっぱいに吸い込んだらどんな気持ちだろうか。
そのまま彼女の顔をこちらに向かせ、それで…。
そこまで考えて、ハルは再び布団に横たわる。
彼が、その考えを実行することはなかった。
*****
もぞ、もぞ、もぞ。
何かが動いているのを感じ、ハルは目を覚ました。
今足先に感じている感触は、次第に上に上がってくるような気がする。
どこかで、梅子の声が聞こえる。
ハル…ハル…。
もぞ、もぞ、もぞ。
ねえ、ハル…気持ちいい?
もぞもぞは、どんどん上に上がってくる。
ねえ、ハル…。
わたしを感じて…。
もぞ、もぞ、もぞ。
足先からもも、腹部に胸。
梅子に触れられているような感触は、ついに首のあたりにまで。
見ると、何かが布団の中から出てこようとする。
梅ちゃん…?
もぞっ。
「見ーつけた」
布団から顔を出したのは、レオパの顔をした梅子だった。
「!!!」
息が詰まりそうになって、ハルは跳ね起きる。
体中、嫌な寝汗で湿っている。
横を見ると、梅子はさっき見たのと同じ姿勢のまま眠っていた。
ほんと、とんでもない悪夢だった…。
もぞもぞ。
「ん?」
胸の辺りに、まだ違和感が残っている。
ハルは、自分の胸元を注視する。
黒いTシャツの首元から、何かが顔を出す。
クリクリとした目の可愛らしい、レオパードゲッコーであった。
深夜のアパートに、恐怖に引きつるオオカミの咆哮が響き渡った。
*****
「きっと、ハルの布団に引っ付いてきたんだね」
「わたしの部屋で寝た意味なかったねー」
翌朝、ぐっすりと眠った梅子は、キラキラとまぶしい笑顔で言った。
「そうだね…」
レオパが捕獲された後も、ハルは何度も悪夢にうなされていた。
「おはよう、ハルくん」
「昨日はよく眠れたかい?」
爽やかな雰囲気を全身にまとい、ヒューイが言う。
「ヒューさん、俺、もう負けでいいです」
「は?」
昨日はあれだけ意気込んだのに、ヒューイには完全に敗北した気分になっていた。
もういい。
俺はこれからもオタオタするから、ヒューさんはそれを楽しめばいい…。
今、俺が望むのは、トカゲのいない我が家でぐっすりと眠ることだけだ。
*****
ハルにとっての地獄の1週間が過ぎ、レオパはタローの友人の元に帰っていった。
その日のハルは始終満面の笑みで、未だかつてないほど機嫌がよかった。
今なら、隣にいる梅ちゃんを思い切りハグできそうだと思うくらいであった。
対してヒューイは、ハルがオタオタする要素がなくなってしまい、ずいぶんつまらなそうにしている。
正直な人だよな…とハルは思った。
「ねえ、ハル」
ハルに背を向けて皿を片付けていた梅子は、静かに呼びかける。
「ん?どうしたの?」
「今、わたしのこと、抱きしめたいって思わなかった?」
「え、何…いきなり」
そうは言ったものの、ドンピシャだっただけに、ハルはどぎまぎしてしまった。
「いいよ、わたしは」
「ハルがそうしたいなら…」
「梅ちゃん…」
タローもヒューイもいるのに…。
それでも今までになく積極的に、ハルは梅子の体を抱き寄せる。
ハルの腕の中にすっぽりと納まった梅子は、ふふふと笑って顔を上げる。
「好きよ、ハル」
しかしその言葉を言ったのは梅子ではなく、いつか悪夢で出会ったレオパ梅子であった。
「!!!」
再び、アパートにオオカミの咆哮が響き渡った。
彼の悪夢は、まだしばらく続きそうであった。