デートをしよう!
年明けから早くも数か月。
未だ初デートをしていないハルと梅子は、ショッピングモールに行くことにするが…。
梅子とハルが通じ合えた年明けから早数か月。
季節は、春から夏に移り変わろうとしていた。
自分と梅子が付き合い始めたことを、ハルはタローやヒューイに報告することはなかった。
年明け以降のタローは留年が現実味を帯びてそれどころではなかったし、ヒューイにはわざわざ報告せずとも伝わっているような気もしていた。
実際、そういうことには鼻の利く男だった。
「ハルって、いつも抹茶味だよね」
「おじいちゃんみたい」
「何だよそれ…いいの、抹茶味が好きなんだから」
そんなことを言いながら、ハルと梅子は夕食後にアイスを食べていた。
休憩スペースのTVでは、先月できたばかりのショッピングモールについて紹介している。
「いいなー」
「え?これほしいの?」
ハルは、アイスをひとさじすくって梅子に差し出す。
「アイスのことじゃないって!こーれ!」
梅子は、TVを指さす。
『今一番旬なデートスポット』と題して、レポーターがモールの紹介をしているところだった。
「行きたいの?」
「それは行きたいよー」
「ハルも行こうよー」
「えーー」
ハルはアイスを頬張って、苦い顔をした。
ハルはこんな見た目なので、人混みに出るのは好きではなかった。
オオカミであることがばれなくても、その体の大きさでどうしても注目されてしまう。
「行こうよー」
「旬なデートスポットなんだってー」
梅子は、なおも食い下がってくる。
「モールでショッピングしたい」
「ショッピングって…」
「先週、アイアイマートに一緒に買い物に行ったじゃん」
「あれはショッピングじゃなくて、買い出しでしょ!」
「そうでした…」
ハルは唸って、なおも考えていた。
梅子の希望は叶えてやりたいけど、やはり人の大勢いるところに出るのは億劫だった。
ハルの煮え切らない態度を前に、梅子がふとこぼした。
「…エッチはするのに、デートはできないんだ」
ちょっとそっぽを向いて言われたその一言は、大きな衝撃となってハルに襲いかかった。
確かに!!
一緒に暮らしてるからそっちのハードルは低いんだけど、よくよく考えたらデートは一度もしてこなかったかも…。
付き合うようになって、もう半年近く経つってのに…。
お寺の釣り鐘が鳴るような耳鳴りに襲われ、ハルはしばし絶句した。
ふくれている梅子の肩を、ヒューイがそっと抱く。
『意外だなあ、ハルくん』
『きみは、釣った魚には餌をやらないタイプなんだね』
ニコニコしながら、さらっと毒を吐いている。
反対側からはタローが現れ、いつもの調子でゲラゲラ笑っている。
『ちょ、ハルくん!』
『思ってたより下衆いんすねー!』
2人の幻影に責められて、ハルは口をパクパクさせていた。
「おーい」
「ハル、おーい」
呆然としているハルの顔の前で、梅子が手を振っている。
その手を、ハルはしっかりと握った。
「行こう、梅ちゃん!」
「え?」
「デートしよう、明日!!」
「えー、本当?いいの?」
「うんうん、絶対行こう!」
梅子は嬉しそうにくるくる回っている。
デートに出かけることでハルが己の罪の意識を軽減しようと試みていることは、幸い梅子には伝わらなかった。
*****
翌日の土曜日。
ハルはヒューイとタローの昼食を用意し、梅子と自分も早めの昼食を取っていた。
長時間慣れない場所で過ごすことに不安のあったハルは、食事を取ってから出かけることを提案していたのだった。
「おはよーす」
「あれ、昼飯早くないっすか?」
休みでようやく起き出してきたタローが、食堂にいたハルと梅子を見て首を傾げた。
「ちょっと早めに食べて、出かけてくるね」
「ショッピングモールに行ってくるね!」
少しおめかしをした梅子が、楽しそうに言う。
「ああ、あの先月オープンしたやつっすか?」
「今話題のデートスポットらしいっすね」
まだぼんやりとしながら、タローは言った。
「梅ちゃん、あんまりのんびりしてると電車に乗り遅れるって」
「あー、はいはい」
「ハルくんと梅子ちゃんはデートっすか?」
タローにストレートに聞かれて、ハルは一瞬戸惑った。
「えーと、そう、です」
しどろもどろにはなったものの、ハルは否定はしなかった。
「そっかー、いいっすね!」
タローが特別驚いた様子でもなかったので、ハルは少しほっとした。
ハルと梅子が出て行って、タローは用意してあった昼食を食べ始めた。
出かける予定があっても、ちゃんとおかず2品と汁物まで用意してある。
ハルの几帳面さに感謝しながらタローが食事をしていると、仕事で徹夜明けと思われるヒューイが顔を出した。
「珍しいね、一人なの?」
「ハルくんと梅子ちゃんは?」
「ショッピングモールでデートとかで、さっき出かけましたよ」
「そうなんだ」
ヒューイは冷蔵庫から牛乳のパックを取り出し、グラスに注いでいる。
「てかヒューイさん、知ってました?」
「ん?何を?」
「ハルくんと梅子ちゃんが付き合ってるの」
「そりゃあ知ってるよ」
「何も言われてないけど」
「そうっすよねー」
「特に報告されなくても、何となく分かりますよね」
「うんうん」
「デートするんすか?って聞いたら、ハルくんがちょっとテンパッてたっす」
そう言ってタローが笑うと、ヒューイもつられて笑った。
「ほんと、彼は硬派な獣だよね」
「そうっすねー」
そう言って、居残り組は2人で和やかに昼食を食べていた。
*****
梅子は、春らしいパステルカラーのワンピースを着てレギンスを履き、ショルダーバッグを下げている。
ハルはというと、黒いパンツにパーカー、上には薄いジャケットを羽織っている。
そしてサングラスをかけ、フードですっぽりと耳を覆う。
こういう格好をしていると、嫌でも人目についてしまう。
ガタイがいいだけ余計に、どうしてもいかつく見られてしまうのだった。
周りの視線がちくちく刺さるのを感じながら、ハルは梅子と電車に乗ってモールまでやってきた。
大型連休を間近に控えての週末、ショッピングモールは大勢の買い物客でごった返していた。
行きかう人々からまず見られ、家族連れの幼児には泣かれ、ハルは既に疲れかけてしまっていた。
梅子はそんなことを知ってか知らずか、ハルの手を握ってあちこちを見ている。
彼女とてそうそうこういう場所に出かけるタイプではないので、あれこれ見てはワクワクしているようだ。
そんな梅子を見ていると、ハルは自分も楽しまなくてはと思うのだった。
雑踏は好きではないが、ここはいろいろな新しい匂いに満ちている。
フードの奥で鼻をひくひくとさせながら、ハルはデートの匂いを堪能した。
あちこち見て回るのは、意外に疲れるものだ。
ハルと梅子は、カフェで休憩をしようということになった。
ちょうど最後の一席がなくなるところへ滑り込むことができ、ハルはほっとした。
注文したのは、ふわふわのクリームがのったパンケーキだった。
食いしん坊の梅子は、一口食べてしまってから慌ててスマホで写真を撮っている。
そんな彼女はいつも通りだけど愛おしくて、ハルは表情が緩んでしまう。
「うわっ…本当にふわふわだな…」
「どうやって作るんだ、コレ」
料理好きなハルは、ついついそういう観点からパンケーキを味わってしまう。
家に帰ったらレシピサイトで調べてみよう。
似たようなものなら、また作れるだろう。
そう思って、ハルは梅子とのおやつの時間を堪能した。
カフェから出ると、梅子はトイレに行ってしまった。
何となく手持無沙汰でショップのウインドウを眺めていると、ふと気になるものが目に入る。
かなり女性向けの雑貨店だったので、入るのにはためらわれた。
しかし、あれはどうしても気になってしまう。
ややあって、ハルはぐったりと疲れてそのショップから出てくる。
そこで買ったらしい何かを、バッグに押し込んだときだった。
「あっ、あたしのバッグ!!」
若い女性の声がしたかと思うと、その方向からキャップを被った男が走ってきた。
どうやら、ひったくりらしい。
こんな人混みで堂々としたものだと思うが、とっさのことで、満足に対応できている人がいない。
ハルは、目立つことは避けたかった。
とはいえ、放っておくのも気が咎めた。
男がハルの傍を通り過ぎようとしたとき、ハルはその首にちょいと指を引っかけてやった。
思った通り、男は首元を急に引かれてひっくり返って転んだ。
すぐさま起き上がりながら、何するんだという目つきでハルを見ている。
にらめっこなら、負けてはいない。
ハルはサングラスを外して、男の目をじっと見つめた。
男は蛇に睨まれたカエルのように、その目に釘付けになってしまう。
フードの中の、獣のような目。
そのまま射すくめられたようにしている男に、警備員が群がってくる。
「ご協力ありがとうござ…」
モールの警備員が顔を上げたとき、ハルは既にその場から離れていた。
「あー、いたいた」
ハルは、トイレに行っていた梅子に場所を変えて待つと連絡していた。
お礼を言われるほどのことはしていないし、必要以上に関わると面倒なので隠れていたのだった。
「ごめんねー、トイレがすっごく混んでたの」
「さっき、あっちの方でひったくりがあったんだって」
「犯人は捕まったみたいなんだけど、怖いねー」
「ま、ハルがいればわたしは安心だけどね」
そう言って、梅子は再びハルの手を取った。
帰りの電車の中。
ほどよい疲労に、電車の揺れが心地よい。
見れば、梅子はハルに頭を預けて眠ってしまっている。
彼女のおねだりから始まったこのデート、終えてみれば、ハルにとっても楽しいものだった。
思えば、自分は自覚している以上に殻に閉じこもってはいなかっただろうか。
周りの目を気にせず、行きたいところに行ってもいいんじゃないだろうか。
隣に梅子がいれば、外国にだって行けそうな気がする。
ショッピングモールで嗅いだ楽しい匂いを思い出して、ハルは満足そうに目をつぶった。
*****
その晩のことだった。
ハルは、既に自室に戻った梅子を訪ねた。
「あっ、ちょっと…ちょっと待って!」
ノックをしたら、少し慌てたように梅子が言った。
ほんのしばらく待つと、どうぞと声がかかる。
梅子は、ベッドに上半身を起こして座っていた。
薄いカーディガンを羽織り、その前をぴっちりと閉じている。
「ごめん、もう寝るところだった?」
「ううん…そんなことはないんだけど」
「ハルこそ、どうしたの?」
そう言われ、ハルはベッドに腰をかけた。
「何?」
そのまま黙り込むハルに、梅子が聞く。
「えーと、あの…」
「何?」
「あの、これ」
「今日の記念に」
やっとそう言うと、ズボンのポケットから小ぶりな箱を取り出して梅子に差し出した。
「何?わたしに?」
「うん」
「開けてもいい?」
「うん」
ハルは照れているのか、素っ気ないほどの返事しかしない。
梅子は黙って、箱の包み紙を開ける。
中から出てきたのは、ベルベット調の布張りがされたクリーム色の箱だった。
少し力を入れてふたを開けると、ブローチが入っていた。
三日月の形をして、月の中に凝った細工がしてあるものだった。
「すごくきれい…」
梅子は、箱に入ったままのブローチを見つめている。
「…気に入った?」
「もちろん!」
満面の笑顔が、ハルに向けられた。
「いやー、ほんとによかったよ」
ハルは心底安心したように言い、首の辺りに手をやっている。
「ずっと一緒にいたのに、いざプレゼントでもと思ったら何をあげたらいいか分からなくなって」
「オオカミが月っていうのも、面白いかなと思って…」
ハルは、大きな体でモジモジしながらそう説明した。
「本当にきれい」
「ハル、ありがとう」
「うん」
ブローチを渡せたことでほっとしたハルは、ベッドから立ち上がって部屋を出て行こうとしていた。
「あのっ、ハル…」
「ん?」
「あの…その…」
今度は梅子が何やらモジモジしている。
「どうしたの?」
ハルは再びベッドに腰かけ、梅子の顔を覗きこんだ。
「実は…わたしもハルにプレゼントがあって…」
「え?ほんとに?」
「何?」
ハルが聞いても、梅子はなかなか動き出そうとしない。
「プレゼントは…その…」
「うん?」
とうとう、梅子はベッドから出て床に立った。
ハルには、梅子のしようとしていることがまるで分からない。
「プレゼントは…これなの!」
そう言うやいなや、梅子はカーディガンの前を開いた。
ハルの目が点になる。
ミッドナイトブルーとでも言うのだろうか。
梅子は、濃い青と黒との間のような色をしたナイトウェアを着ていた。
とはいえいつも梅子が着ているような類のものではなく、胸元の深く開いた、丈の短いものだった。
彼女がベッドに半身を潜らせていたのは、こういうわけだったのだ。
「変、かな…やっぱり変?」
「いや…変、じゃない…」
「実は、わたしも初デートの記念に何かプレゼントしたいなって思ってたの」
「でも…わたしも何をあげたら喜んでくれるか分からなくて」
梅子が説明している間にも、セクシーなナイトウェアがハルの目の前で揺れている。
「それで…ちょっと人に相談したら、こういうのがいいんじゃないかって…」
梅子がアドバイスを求めた相手は、以前ヒューイと行ったゲイバーのもっこママだった。
連絡先を交換していたので、デートに出かける朝に思い切って相談してみたのであった。
『あらー、うさぴーなのぉ』
もっこママは、酒焼けした寝起き声で電話に出た。
梅子は睡眠の邪魔をしたことを詫び、これから例の幼なじみとデートに行くことを説明した。
プレゼントを贈りたいが、何をあげたらいいのか迷っているとも。
『そうねえ…』
ママは煙草を吸っているのだろうか。
スーッと息を吸う音が聞こえる。
『いつもと違うアナタをプレゼントするっていうのはどうかしら?』
男は単純だから、いつもと違う自分を見せてあげると喜ぶわよともっこママは言った。
それから、やれガーターベルトだのベビードールだの、いろいろなランジェリーの名前を教えてくれたのであった。
「…それで、メモしたのを参考にお店に行ったんだけど、これくらいのじゃないと…」
「とてもじゃないけど、恥ずかしくて…」
そう言って、梅子はナイトウェアの裾を引っ張っている。
「…」
ハルは口を押えて、ただただ梅子を見ている。
何だ、一体何が起こってる?
目の前の梅子は20年以上を共にした幼なじみではなく、一人の大人の女性に見えた。
ナイトウェアは決して際どすぎるものではなかったが、いつもとのギャップでかなり艶めかしく映る。
「えーと…どう?」
ハルの顔色を窺うように、もう一度梅子が聞く。
「よかった?」
「うん…すごくよかった…」
ぼんやりとして、ハルは梅子の言葉をオウム返しにする。
「そっかー!安心した!」
梅子は急にいつもの調子になって、大きく息をついた。
「下品だって言われたら、どうしようかと思ってたの」
「喜んでくれたみたいでよかった」
そう言って、ニコニコしている。
よかったとか、喜ぶとか、ハルにとってはもうそんな次元ではなかったのだが。
「あー、何か緊張して疲れちゃった」
梅子はナイトウェアのまま、腕をぐるぐると回した。
そのたびに、ただでさえ短い裾がさらに持ち上がる。
「お互い、相手に喜んでもらえるプレゼントができてよかったね」
「うん…」
「じゃあ、おやすみ!」
「うん…」
「うん!?」
「え…おやすみなの?」
ハルは、いつになく狼狽した。
「え?そうだけど」
「ハルも疲れたでしょ?あんな人混みだったし」
「いやいや、それはそうなんだけど…これでおしまいなの?」
「何?そうだけど?」
「いやいや梅ちゃん!こういうの、蛇の生殺しって言うんだよ」
「何でいきなり蛇なの?」
「蛇がどうとかって話でなくて、そのチラチラしたやつを見せるだけで終わりなのってこと!」
「普通、その先があるでしょうが!」
「えー、何それ」
「ハル、やらしい」
梅子は、わざと嫌な顔をしてカーディガンの前を閉じ合わせた。
ハルも、負けてはいない。
「やらしくて結構!梅ちゃんだってやらしい格好なんだから!」
そう言うと、ハルは梅子を担ぎ上げる。
「ちょっと、パンツ見えちゃう」
「今晩は、俺の部屋で寝てもらいます!」
「やーだーー」
*****
隣の部屋でのバタバタを、ヒューイはベッドの中で聞いていた。
彼らの色恋沙汰に注目してはいるが、睡眠不足の今は少し癇に障った。
「…覚えておいてよ、ハルくん」
明日になったら、また思い切りえげつなくいびってやろう。
ヒューイはそう心に決め、布団を被り直した。




