第二十二話!
俺たちBクルーはカッターに乗り込んで艇長の出艇の号令を待つ。先にBクルーが試合を行う。
タンクトップ型の青いユニフォームに、下は白い短パンの試合着が俺たち海青院高校。STの俺と柳原の背中には白字のアルファベットでSTと書いてある。BWの山下さんと瀬戸にもBWの文字。4番から10番の背中にはなにも書かれていない。ちょっと得した気分なのは俺だけか?
かわって、栄清高校は上が黒で下が白のユニフォームだ。タンクトップ型なのは同じなので、決まっているのだろう。
もうすぐ試合が始まる。スタートして750mで折り返す1500mの一本勝負。笑う余裕が無くなっているのがわかる。隣の柳原にも笑顔はない。9番の真辺は普段からあまり笑わないけど、いつにも増して顔が強張っている。他の一年も同じようなものだ。二年生でさえ、厳しい表情を浮かべている。やはり多少となりとも緊張しているんだろう。
「いいか、お前らがずいぶん気負っているみたいだから言っておく。」
カッターに乗り込んだ半田さんが、ガチガチになっているBクルーを見かねて喋りだす。
「初めから強いチームなんて無い。負けて当たり前だ!だから気楽に漕げ。だれも期待してない。俺たちはこれからスタートだ。」
半田さんの語りかけるような言葉をみんなが静かに聞いている。心が不思議と落ち着いてくる。
「ひとつ、自分のことを過小評価するな。辛いときにもう駄目だと思っても、ふたつ、絶対に諦めるな。そして、みっつ、自分に負けるな。意外となんとかなる。」
胸の奥に熱いものがあるのに気付く。それは今まで緊張という冷水に沈んでいたようで、半田さんの言葉に引き上げられていく。
「よっつ、一人じゃない。隣を見てみろ。顔を上げろ、俺もいる。だから声を出せ。いつつ、……は、思いつかないな。」
「「「無いのかよ!」」」
とものクルーの声がそろう。みんなが各々(おのおの)ノリでずっこける。おもてでは誰かが、きりが悪いと笑う。
もう大丈夫だ。不安はある。でも、今まで本気でやってきたっていう自信も確かにある。
「少しはほぐれたか?さあ、練習通りにやるぞ。気を付け番号!」
『1!2!3!4!5!6!7!8!9!10!11!12!』
おもてから順番に力の限り大声で号令をする。
「おもて離して、とも離せ!」
「頑張れよ!」
「はい!」
ともを離した田口さんから、ロープを受け取りながら返事をする。
カッターが桟橋から離れると、各自オールをいつでも漕げるように準備する。
「左舷櫂あと、右舷まえ!」
半田さんの号令でスタート地点に向かう。スタート地点は陸と練習船桟橋を繋いでいる橋のすぐ下だ。そこから陸の防波堤にほぼ平行になるようにコースがとられている。物珍しそうなギャラリーもよく見える。
特に応援の当てがない学生は、この学校の特徴的な部活である漕艇部とヨット部の試合を見ることが多い。なので、必然的に人が多く集まってくる。一般の人も何事かと足を止めている。
「今のうちに尻濡らしとけ。」
荒井さんに海水で濡れた雑巾を渡される。試合の時は毛布を巻いていないので、木の板に直に座るのだが、摩擦が少なく尻が滑って満足に漕げない。それを防ぐために尻を濡らすのだ。
「うわ、気持ちわる!」
黒木の悲痛な叫び。同感だ。しかし下着まで濡れるくらいビシャビシャにしないと、試合中に乾いてしまう。なんかお漏らし状態……。
「大丈夫!すぐそれどころじゃなくなる!」
笑顔で尻をべっちゃべちゃに濡らしている鬼頭さん。その爽やかな笑顔がシュールです。
海青と栄清の二艇のカッターがスタート地点に並ぶ。
「両舷櫂止め!……右舷一枚だけ軽くまえ!―――櫂止め!」
半田さんが細かい指示を出して、スタートから750m先の回頭旗にカッターの船首を向ける。普段は竹の棒が浅瀬に刺さっているだけだが、試合の日にはその先端に赤い旗が取り付けられる。取り付けるのも試合会場となるうちの漕艇部の仕事だ。昨日、軽い練習の後にその作業をしたんだけど、なかなか大変な作業だった。まあ、これはまた別の話だ。
二本ある回頭旗の陸側を俺達は目指す。ギャラリーに近く丸見えだから目立つと、山下さんが嬉しそうにしていた。さすが肝っ玉が据わっている……。
「櫂止め!……ぼちぼち揃うぞ!」
半田さんの声にハッと我に返る。リラックスしすぎた。試合に集中だ。
「両舷用意!」
『おらきたー!』
来る!いつもの座っているスタートの体制ではなく。立ったまま身体でオールを抱くように身体を縮めたまま突き出す。この猫背で構えるスタート体制は、オールを海面につけた瞬間から体重をかけることができるので一枚目の推進力が大きくなる。しかし、うまくキャッチを入れないとオールがローロックからはずれて飛んでしまう危険性は高い。最近はこのスタート練習を重点的にやってきた。もちろん何回も飛んだ!
『海青は少しまえへ!栄清は一枚あと!』
ピガガァーと、耳障りな音の出る拡声器で、これまた耳障りがいいとは言えない野太い声で位置の修正が伝えられる。スタート指示を出すのは海青丸の一等航海士である教員だ。でっぷりとした体型がよく似合う、二児のパパさんである。実は漕艇部の顧問だったりもする。
「……。わるい、左舷軽くまえ!」
海青と栄清の各艇がスタート位置について、各艇の船首が揃った時にスタートの合図がかかるようになっている。しかし潮の流れや風などで、カッターはピタッと止まらない。両艇とも、体制を整えるのに苦労しているようだ。俺達クルーはスタートするそのときまで、集中を切らさないようにしなくてはならない。
「おっけ!櫂止め!両舷用意!」
再び立ち上がり、オールを抱えるように前へ突き出す。カッターが今にも飛び立とうとする鳥のように、オールの翼を広げる。
『おらきたー!』
叫ぶ!緊張を吹き飛ばし、気合を注入する。
『各艇その位置!各艇その位置!』
拡声器で倍増されたでかい声が響き渡る。試合開始が確定した合図!
「落ち着いていけ!」
半田さんが叫ぶ声もほとんど聞こえない。赤い旗を持っているスターターをみる。時計で言うと十二時の位置に腕を伸ばし旗を高く構えている。
『よーおぉぉーーい!!!』
迫力ある声が静まり返ったポンツーンに響き渡る。それを合図にスターターの旗が動きだす。三時、六時、九時と一定のタイミングで指し示すように振られ、九時から十二時を回り一拍で三時の位置まで、すなわち俺達の進行方向へ大きく旗が振られる!
「まえっ!!!」
ドバン!
思いっきりオールを叩きつける!スタートの一枚目は本気で重い。手の豆がミチミチと潰れていくのがわかる。でも今はそんなことに気を取られている場合じゃない!腕と足に渾身の力を込めて引き切り、ハネをとる。その瞬間に柳原を横目で見る。
まずいっ!返しがずれる!柳原に遅れてしまっている!スタートの一枚目は、ずれてしまうことが多い。すぐさま修正するように、返しのスピードを速くする。
三枚目には合わせられたと思うが、カッターは横揺れ、ローリングを起こしてしまった。
「加納!そのまま合わせて行け!」
「おっしゃ!」
艇長の声に力いっぱい叫ぶ!
「あいよー、あい!あいよー、あい!」
艇指揮の声を聞きながら柳原の漕ぎに集中する。俺の仕事はスタートからゴールまで合わせることだ!
「おもてファイト!」
叫んでテンション上がったので、おもてに声出し!
『おっしゃー!』
「ともファイトー!」
『おらきた!』
声出しは連鎖する。俺は元気だ!お前はどうだ!?そんな会話が行われているようだ。試合はまだまだこれからだ!
一方の栄清はどうやら俺達よりいくらかリードしているようだ。右舷側を走っている栄清のカッターは左舷からは見ることができないが、柳原を見る一瞬は右舷を見ることができる。俺が見れるのは、真横と右舷のとも側だけ。俺に見えないということは、真横より先にいるってことになる。
でも、それは想定内!栄清はスタート直後にダッシュを使っているはず。ピッチを上げて速い回転で漕ぐ漕法。体力は使うが、スピードは段違いだ。俺達も練習はしているが、一本でダッシュを使うには不安が残る。体力が持つかどうかも心配だが、左舷と右舷がずれてしまう可能性も高かった。
いつものピッチより速くなると、俺も合わせられなくなることが多くなる。しかし、ST関係なしにずれてしまうクルーが多くなってしまう。さっきみたいに左右にローリングしてはダッシュの意味がないのでこの試合では使わないことにしている。
それでも、ダッシュ使ってないのにずれてちゃ世話ないけどな!
「おっしゃ!海青、ファイトォ!」
『おっしゃあ!』
そのダッシュでついた差を縮めるには、今の俺達の漕ぎを見せるしかない!
「黒木ファイトー!」
「おっしゃ!加納ファイト!」
「おーっしゃ!」
回頭旗はまだか?練習の時より、倍は疲れてる気がする!
「お前ら、揃ってるぞ!そのまま漕げ漕げぇー!」
『おらきたぁ!』
艇長の声に発奮する海青Bクルー。まだまだいける!そんな頼もしい返事に聞こえる。
「あいよー、あい!あいよー、あい!」
―――ドバッ!―――ドバッ!
艇指揮の声と、いまだ頼りないキャッチの音が響く。明らかに右手の豆が増えている痛みを感じつつ、気合を入れてオールを握りなおす。試合は始まったばかりで、まだ半分以上残ってる。言いかえれば、逆転するチャンスがそれだけ残されてるってわけだ!必ず逆転する!
「海青ファイトォォー!!」
『―――おらきたぁぁ!!!』




