第二十話!
カッターの準備を終えて、桟橋の縁にある車止めに立ち沖の方を眺める。とてもいい天気だ。風もほとんど吹いてなく、海面はまるで青空を映す鏡のように静かな情景を写し出す。
「緊張か?」
背後から忍び寄ってきた田口さんに若干驚きつつ振り向く。
「そりゃ緊張するよな。初めての試合なんだしな。」
最初から隣にいた鬼頭さんが笑い掛ける。
そう、今日は待ちに待った海栄戦当日。この静かな海とは裏腹に俺の心は、全く穏やかじゃない。
「全然緊張なんかしてないですよ。よ、余裕です……。」
「お〜い。笑顔が引きつってるぞ。」
田口さんにバレた!てか、当たり前だ。いままでこんなに緊張したことないってぐらい緊張している。実は昨日、なかなか寝付けなかった。遠足前の小学生みたいだが、楽しみでしかたなかったわけじゃない。不安とプレッシャーに押しつぶされそうなのだ。
「今日の試合は頼んだぞ。一昨日の調子で頼むぞ。期待しているぞ。」
鬼頭さんがバシッと背中を叩いて気合注入。
そう、なぜか俺は期待されているのだ。一昨日に試合前の最後の締めってことで一本のタイムを計ったのだが、その時は自分でも納得いく漕ぎができたと思った。柳原に合わせることに集中してとにかく漕いで漕いで漕ぎまくった。
右舷と左舷がずれることなく漕ぐことができたBクルーは、その二日前に出したタイムを30秒近くも短縮することに成功した。両舷が合わせて漕げれば速いという、当たり前の常識がやっと実感できた。だからこそ、俺のポジション、STの重要性を理解した。
今までSTが重要なポジションだと言われていても、いまいちわかっていなかった。一年生の俺が頑張ってもたかが知れているのだと思っていた。それでもとにかく周りに置いて行かれたくないからがむしゃらに漕いだ。そしたら幸運なことに結果が付いてきた。自分の力だけじゃないのはわかっているが、少しでもBクルーの力になれたことは素直に嬉しかった。
だからこそプレッシャーを感じる。みんなはいつも全力で漕いでいる。俺も精一杯漕いでいる。でも、俺はただ全力で漕ぐだけじゃだめだ。俺の全力は柳原に合わせてなんぼだ。ずれていたら、どんなに力いっぱい漕いでも意味のない自己満足だ。
「死ぬ気で合わせますよ!デビュー戦で負けたくないですから。」
「威勢はいいみたいだな。空元気でも出せるなら大丈夫だ。じゃ、後でな。」
田口さんはAクルーのミーティングがあるので寮に戻っていく。
「さて、俺らはもう少しここで待機だな。身体冷やさないようにしとけよ。」
「はい。」
鬼頭さんに言われたように、ジャージの上着を取りに桟橋にある艇庫に入る。ここは主に漕艇部のオールとヨット部のヨットを置いておく倉庫のことだ。ちなみにカッターはシーズン中は桟橋に係留しっぱなしだ。冬には学校の近くのカッター用の艇庫にしまうらしい。荷物はここに置いて練習に出る。
「……栄清はまだ?」
艇庫に入ったところに立っていた真辺が、俺の頭上のはるか上から話しかけてくる。今現在188cmある身長はまだ伸びているらしい。本当に同じ一年か?……羨ましい。
「まだ。もう少し待機。でも栄清てどんなのが来るのかね?強いかな?」
「……最近はあまり強くないって荒井さんが言ってた。」
「でも相手がどうであれ、必死こいて漕ぐしかないな〜。」
なるべく自分の緊張を悟られないように喋る。真辺も首だけで肯定する。……真辺と至近距離で話しすると首が疲れるな。
「なんだよー、そんな風に悟られたら俺のせっかくの情報に有難味がなくないか?」
艇庫の奥から瀬戸が出てきた。
「出たな、情報の鬼。」
「去年までは強くなかったとは聞いたけど、今年は大物ルーキーがいるらしい。しかも同じ一年。」
得意げに話し始める瀬戸。瀬戸は人に説明しているときが一番いきいきしてる気がするな。
「ん?一年だったら大して変わらないよな?中学ではカッター漕げるわけないし、真辺みたいに体格がいいとか?」
中学で漕艇部がある学校は聞いたことがない。中三の夏に海青の漕艇部に入ると決めてから、漕艇部のある中学を探してみたが無かったのだ。
「いやそれが、中学じゃなくて大学。父親が大学の漕艇部のコーチだとかなんとかで、混じって漕いでたらしい。体格は小さいらしいけど。」
「経験者なら即戦力になるってか。だからって負けたわけじゃないからな。本当にすごいかどうかは、試合するまでわかんないな。」
「ああ。でも、直接はやれないから。向こうはAクルーで、俺らはBクルー。」
瀬戸が俺を指差しながら言う。
「わかってるよ。期待の新人がBクルーのわけないよな。」
「そういうこと。あと―――。」
「おい!栄清さんがおいでなすったぞ!並べえ!」
荒井さんが艇庫に入ってきて大声で急かす。
「はい!」
さあ、栄清さんのご到着だ。大物ルーキー、どんな奴なんだろうな。




