第十七話!
「ねえねえ、ちょっとは逞しくなってない?どうどう?」
「知らねえって、先行くぞ。」
脱衣所の鏡の前で素っ裸になってポージングしている黒木を放っておいて風呂の引き戸を開け、中に入る。ああ、憂鬱だ。
ここは男子寮の大浴場である。タイル張りの四方の壁にはシャワーと蛇口が20組くらい取り付けられていて、中央に正方形の浴槽があり、銭湯と比べると狭い感じがする。というか、ゆったりした感じが全くない。寮の風呂だとこんなもんなんだろう。
…さて、いつもの儀式を始めるか。
「っく、を〜!ぬ、ぐぅ…。痛っだ〜!」
声を押し殺して奇声を上げて悶える俺。シャワーの前にある風呂のイスに座った俺の両手は、お湯に満たされた洗面器の中に入っている。気にしないでそっとしておいてくれ…。いつものことだから…。
「うわ〜、毎日毎日、痛そう〜。今日も増えた?」
俺の心の声に全く気付かない黒木は面白そうに、俺の洗面器の中にある手を覗きこむ。
「くぅーう。ふぅー、ふぅー。…ああ増えたよ、左手の親指の第一関節の横っちょに!」
ビシッと、まだ痛む左手を開いて親指を黒木の目の前に突き出してやる。
「うわ!えぐいって、真っ赤になってる!痛いって、見てるだけで!」
お前が聞いたんだろうが!そう増えたのだ。豆が!手に豆ができると言うと、カチカチになった手を思い浮かべるかもしれない。しかし、俺のはその前段階で皮がむけてしまった出来立てほやほやなのだ。
鬼頭さんが手が小さいと苦労するって言っていた通りに、ものすごく苦労している。俺は手が小さく握力もないので、持っているオールが滑ってしまう。それを漕ぐたびに持ち直しているとすぐ皮がむけてしまうのだ。最初は右手の中指の付け根が盛大に向けた。鮮やかな赤色が印象的だった…。中指の柔らかい豆が痛いので気にしながら漕いでいると、次は隣の薬指の付け根が産声を上げる。そのあとはもう連鎖的にむけていって、今では左手まで来てしまった。
さらに悲しいことに、最初の中指の豆が硬くなって痛みをだいぶ感じなくなってきた頃、…豆ごとむけやがった!二週間以上の苦楽を共にした右手の古株との突然の別れに俺は多大なショックを受けた。硬くなった豆ごとむけるんかい!
痛くても我慢してオールを握り、風呂ではシャンプーやボディーソープの痺れるような刺激に耐え、筋トレの時には痛みと戦いながらバーベルを握って筋肉を酷使する。そして寝るときは乾ききってない豆の血が布団につかないように気を使いながら寝る。そんな苦労のもと育んできた努力の結晶を一瞬にして奪われる痛み、まるで自分の一部を剥がされるようだ。…てか、もろに一部じゃん!
「そういえば加納ってだいぶ筋肉ついてきたんじゃない?」
「そうか?自分じゃよくわからんけど。まあ今までが無さ過ぎたから、やっと追いついて来たってレベルじゃねえ?」
黒木はガシガシと頭を洗っている。こいつは体格は俺とそんなにかわらないのに、手と足はでかいのだ。背もそのうちでかくなるんだろうな。そんなわけで、俺ほど豆は酷くないので今日の練習の汗を存分に洗い流している。
「そりゃ、先輩と比べたらしょぼいけどさ。あ〜、あと柳原と瀬戸ともだけど。何と言っても真辺は次元が違うよね〜。」
「そうだな。日本人のサイズじゃねえな。」
180cmを軽く超える身長は、本人いわくまだ伸びているらしい。160cm程度の俺にはうらやましいことこの上ない。
「あ〜、今日って寮生集会があるじゃん。」
「は?マジで?俺聞いてないぞ。」
たまに寮生を呼び出してなんだかんだとお小言を言ったりする。GW前には一年の態度が悪いだとかで、一年だけ呼び出された。そのいう時の寮生会長モードの半田さんは、本当は怖くはないと分かっている俺でもビビる眼力をもって威圧する。
「昨日と今日と、朝に放送してたじゃん。」
「あ〜寝てたな、確実に。記憶にない。」
朝に点呼があるので全員が起こされるのだが、登校する時間まで余裕があるので二度寝をしている。そのせいで遅刻ぎりぎりになるけど。
「それで今日は風呂が空いてんのか。何時から?」
「え〜っと、八時半だったかな。」
ん?あと三十分しかない。しかも一年は、上級生が来る前に集合していなくてはならない。十分前には集まるようにと言われている。
「早く言えって、ゆっくりしてる場合じゃねえよ。」
「ゆっくりなのは加納だけだと思うけど?」
湯船に浸かりながら黒木が言う。
「豆が痛くて仕方がねえんだよ!」
手が痛すぎてスローペースの俺はまだ洗い終わらない。誰のせいでもなく自分のことなのがもどかしい。
「なんか今日は、海栄戦の時の段取りを決めるって。今年はこっちでやるから、寮の施設も使うからそのためだって。」
海栄戦はうちの海青院と相手の栄清との対校試合なので開催校を、一年ごとに交代して行っているらしい。
「あ〜、もう浸かってる時間ねえな。俺もう上がるわ。他のことも時間かかるだろうし。」
豆が気になるので着替えやら何やら、全てがスローになるのでショートカットをしないと間に合わない。
「俺はもうちょっと入っとく〜。」
のんびりくつろいでいる黒木をうらやましく思いながら脱衣所に向かう。早く豆が硬くなればいいけどな。また再びむけるかもな…。握力だな、握力があれば手が小さくても握りがずれることもないよな。
日に日に進歩していく自分がいると思うけど、そのたびに新しい壁が見えてくる。あといくつ壁を越えることができれば一人前になれるんだろうか?




