続・旅立たぬ旅人をぶち殺しにいくのだ
「旅立たぬ旅人をぶち殺しにいくのだ」(http://ncode.syosetu.com/n1978dj/)の続きになります。
かの老賢者が返討ちにあったという噂は、風に乗って瞬く間に国中に広がった。王国に集う精鋭の術士のみならず、兵士団もからも一目置かれていた人物の敗退、その死亡の報せは、王国で鍛錬の日々を送っているものたちを動乱させた。あるものは、衝撃のあまり胃の内容物のみならず胃腸すべてを嘔吐し、また熱狂的な信仰者は、後を追って自害した。なによりも彼らを驚愕させたのは、老賢者を打ち倒したのは、どこぞの馬の骨とも知らない無名の人物であるということだった。
報せを受けて早々に、かつて老賢者に師事していた術士たちが徒党を組み、件の人物のもとへと報復に向かったところ、ものの数秒で斬り伏せられ、年に一度開催される剣術大会で優勝したこともある腕利きの剣士もついには帰ってこなかった。その他にも、術の種類を問わず幾十人にも及ぶ実力者たちが挑みにかかったが、誰一人として帰還するものはいなかった。
これ以上の無用な被害を防ぐため、国王は件の人物への軽率な訪問を禁止した。また、人物のもとに国王自ら選抜した剣士たちを派遣した。選び抜かれた六人の剣士たちは、それぞれの思惑を胸にし、件の人物のもとへと向かったのであった。
壱の剣士は生真面目だった。王からの命を言葉通りに受け止め、自らの役割を着実に果たそうと思った。弐の剣士は激情家だった。切り殺されたものたちのなかにいた同胞のことを想い、件の人物に対して激しい怒りを抱いていた。参の剣士はのんびり屋だったので、城下町に買い物に行った。肆の剣士は年老いてボケていたので、まともに話を理解できなかった。伍の剣士は影が薄いのでよく分からない。陸の剣士はもはや剣士ですらなかった。
彼らの標的となっている件の人物は、本来旅人であるのだが、まだ一度も旅に出たことがなかった。それどころか引きこもり体質だった。昼過ぎまで眠り、起きてもぼうと窓辺の椅子に腰かけた。そこから見える木立の葉のゆらめきや、傾陽に付随する物陰の成長を、日がな一日黙然と眺めていた。腹が減るとなにか食べようとは思うのだが、特になにも食べたくないので水を一杯と一つまみの塩を舐めた。塩は三日に一度砂糖に変わった。
日が暮れ始めると少し活動的になり読書をした。彼は小説と詩を好んだ。それさえ読めていれば満足だった。夜になり月が現れ、その月光が開いた本の半ばまで射し込むと彼は眠った。夢を見るのも彼は好きだった。そこにいる自分はツルギを手にし、毎夜襲いかかってくる強敵を物ともせずに打ち倒す強者であった。
この夜の敵は今までで一番手強いだろう。相対する敵の相貌に静かに漲っている森厳さから彼はそう直感した。それは態度にもよく表れていた。これまでの敵は突然襲いかかってくるものが多かった。それはまるで自らの弱熟を押し隠すかのような早急さだったが、今回の敵はそのような無作法をとらず、夢のなかにいる彼に静かに声をかける。鋭い切っ先のようなその声は、胸を貫かれる錯覚に襲われるほどであったが、彼は眠気でぼんやりとしていたので幸いにも錯誤には至らなかった。相手はあくびをかみ殺す彼に粛々と夜深の訪問を詫び、続いて「国王から派遣された剣士のイチです」と名乗ってから、キン、と熱を奪うかのような一音を鳴らし、ツルギを抜いた。
月明かりを反射させながら大きな半円を描いて抜き出されたツルギは、持ち主の性格を生き映したかのような直刀だった。ツルギは正眼に構えられ、身も凍るような夜風が横薙ぎに吹いても、その剣先は寸分も乱れることなく、彼を狙い定めていた。
対峙しただけでイチが積んできた鍛練の深さ、それに適った腕前を持ち合わせていることを感じさせたが、相対する彼は、むにゃむにゃと寝言めいた独り言を口にし、小さなあくびをひとつ、ふたつ、みっつして、ようやくツルギを抜く気の抜けようであった。
真剣勝負を前にそのような張り合いのない態度を取られれば、誰とも怒りを滲ませはするだろう。しかしイチは、相手が構えとも呼べない姿勢でぐにゃりとツルギを両手に持ち返るまで、凪の水面のように微動だにしなかった。
皓々とした月輪の端に、色朧な雲が浅くかかる。視界を包む光量が僅かに減じたその瞬間、二人はどちらともなく動きだし、鉄と鉄が打ち合わさる火花が、 ジン、ジン と夜陰に散った。
縦横無尽に咲く光に遅れて音は鳴り響いた
耳で追えば、すでに勝負は決しているが
眼光鋭くつぶさに見れば、白刃閃き翻る
草花の芽吹きをそこに見る
一片降下の花如く
刃は流雅の軌道を画き
天に伸び行く芽の如く
動線直上斬り上がる
花咲き万雷音ならし
瞬く閃光始終無住
香りただよう花の芳
地表広がる鉄の水
あとにたたずむ一輪の
夢想の者は帰宅して
寝具のなかに立ち返り
再び芽吹きを待つばかり
翌日に現れた相手は、昨夜とは打って変わり粗暴な剣士だった。夢野原を散歩していた彼に唐突に斬りかかり、なにやら恨み言を呟きながら激昂しはじめた。その剣勢は凄まじく、力まかせではあるが的確に彼の死角を突いた。このときばかりは、さすがに夢も覚めるような思いであった彼だったが、初撃で受けた左腕の手傷が彼を夢にとどめて放さなかった。仕方なく彼は片手でツルギを抜きはらい、襲撃者に対抗した。
全身に漲った多量の怒気を見せつけるかのように、頭上高くツルギを掲げた上段構えの襲撃者に対し、彼は右脚を引き、身体の向きを相手と垂直にして、だらりと持った右手のツルギを身で隠すような脇構えになる。
荒い呼吸と浅い呼吸が両者の間を来往する。随所の筋肉は、臨戦の姿勢を維持し、休むことは許されない。呼吸、呼吸、呼吸の音すら耳障りとなり、息を止める。全身が肺腑に向かって重く落ち窪んでいくような感覚は、長しえの時を圧し、勝敗を一瞬で決した。
襲撃者は雄叫びとともに間合いを詰め、斬り下ろした刃は強引に夜気を左右に裂く。耳を聾さんばかりの高音を発して振り下ろされたツルギを、身を捩りながら紙一重で避け、体勢を崩しながら相手の脇を通り抜けざまに斬り、抜けた。
少し、遅れ て、
転瞬する
白刃の、
一
閃
によって、
夜闇もろとも
相手の
胴が
わ
/
れ
く う は く から
赤黒い
血液が
咲き
狂う
ように
噴出する
月は
猛り
彼は
大きく
息を
吹き
出し
覚束ない
足取りで
家路に
つく
二晩続きの難敵に彼は珍しく憔悴していた。眠りは深海のように底なしで、大好きな夢も見ない。それでも正午には目を覚まし、痛みの引かない腕の傷をぼうっと見つめていた。
傷口に形成された瘡蓋を夕暮れになるまで観察していると、その日の敵が木立の物陰からのっそりと現れた。
相手は緩慢な動作でツルギを抜こうとして手を止め、便所を借りていいかと窓越しに訊ねてきたので、彼はいいよと言った。相手が用を足している間、うつらうつらと夢と現を徘徊していると、いつの間にか老人が部屋の中におり、彼の本棚を勝手に物色していた。
その堂々とした態度に夢を間違えてしまったと勘違いし、慌てて目を覚ます。布団は寝汗で濡れそぼっており、心地が悪いので彼は着替えるために箪笥の引き出しを開ける。そのなかになにかよく分からないものがおり、彼は驚いた。なにかよく分からないものは、なにかよく分からないものを引き抜き、なにかよく分からないことを口にしながら、なにかよく分からないことをして彼に向かってきたので、彼はベッドに立てかけておいたツルギを抜き払い、そのなにかよく分からないものを、なにかよく分からない感じにした。なにかよく分からないものは、ますますなにかよく分からなくなった。
ほっと一息ついたところで、便所から戻ってきたその日の敵が、小腹が空いたと言い出した。渋々と彼は水と塩を差し出したのだが、どうも不満げなので仕方なくベッドの下に転がしておいた黴びパンを与えた。それでもどこか不服げな顔をしていたその日の敵だが、一応礼を述べて食べだした。
手持ちぶさただったので食事の様子を眺めていると、どこからか現れた老人が、本棚から持ち出してきた小説の薀蓄を語りはじめる。面倒なので適当に相槌をうっていると、老人は急に怒りだし、彼の対応が気に食わぬと腰に手をやったのだが、そこにはなにもなく手は空を切る。老人はあっとなにかを思い出したような顔をして、そのなにかを探すように辺りをきょろきょろと見回したが、思っているものが見つからないらしく、意を決した顔をして本で殴りかかってきたので、身の危険を感じた彼は、ツルギでばっさりと老人を斬った。
ちょうどパンを食べ終えたその日の敵は、「あっ、サンです」と出し抜けに名を告げて、のんびりとツルギを抜こうとしたので、彼は先手を取って斬り捨てた。
部屋に転がる二つの死体をどうしたものかと悩んだ彼だが、どうせ夢だからこのままでいいかと開きなおり、ベッドに向かって眠りに就いた。
次の日に目覚めると、やはり部屋にはなにも残っていなかった。安心して彼は普段の生活に戻る。平素の通り窓辺で外の風景を眺めていると、隣家のおばさんが道を通りかかり、彼に気付いてやって来た。
「また、部屋散らかしてたでしょ。片付けておいたからね。たまには感謝しなさいよ」
「はぁ、ありがとうございます」
彼は思い当たる節がなくて首を傾げる。外は昼を過ぎ、太陽の光が蜂蜜のように広がっていた。それを見ていると、少し空腹を覚えたので、彼は水を飲みに裏庭の井戸へ向かった。桶で引き上げた水に口をつけていると、よく現れる野良猫がふらりとやってきたので、水を柄杓ですくいそれを差し出した。猫はちろちろと水面を舐め、彼を見て小さく鳴き敷地の外へと去っていった。彼も家に取って返し、窓辺で読書をはじめた。
いつの間にか彼は寝入っていた。読書中に寝たものだから夢のなかでは多くの言葉がいた。しかしそれは、記述や口述として肉体外に出る前の言葉で、辞書に載っているような意味もまだ授けられていないため、正確にはまだ言葉といえないものだった。
まだ感覚でしかないそれらを眺めながら、いつの間にか自らに定着していた言葉のことをぼんやりと考える。物心ついた頃には、拙くではあるが口にしていた。耳で聞き、口にする。それを一つずつ丁寧に繰り返し、自らのなかに蓄積していった。そう、文字として習得するまで言葉は音でしかなかった。目に見えない音でしかなかった。
彼は手に持ったツルギを見る。自らが扱う剣術も気付けば身についていた。いや待て、そもそも夢のなかでしか使えない剣術なのだから、それは扱えると言っていいものだろうか?
彼はツルギを振りかぶり、真っ直ぐ振り下ろす。
刃が空を巻き込む重厚な音。
もう一度それを行い、音を聴く。
さらにもう一度行う。
延々と素振りを繰り返す。
少しずつ息が上がる。
汗が落ちる。
身体は疲労していくが
これもすべて夢のこと
幾千、幾億と反復しようとも
まったくもって身にならない
目が覚めてしまえば
その集積はすべて失われてしまう
しかし、
たとえ、
無に帰そうとも、
この汗や痛みを、
無価値だとは思えない
だから、
繰り返そう
淡々と
黙々と
見返りなくとも
幾日も、幾日も
無用な日々を
積み上げよう
何日も、何日も
何日経っても
戦果の報がないことに
痺れを切らした国王は
倒れんばかりに王座にもたれ
深いため息吐き出して
睡眠薬を一錠飲む
そうして自ら夢のなか
封じた者のもとへと向かう。
続々・につづく
「旅立たぬ旅人をぶち殺しにいくのだ」の続きになります。
また来月くらいに「続々・旅立たぬ旅人をぶち殺しにいくのだ」を投稿するかと。
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