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第三章 衝撃(1)

 うっそうとした森の中、鳥の叫び声が聞こえた。

 漆黒の闇に包まれて、前も後ろもわからない。ただ、本能の赴くまま前に進んだ。いつも感じる恐怖はなかった。

 思えば不思議だった。

 街の人はこの森に迷い込んだところで、決して村にくることはなかった。必ず戻れるようになっている。

 この森を通り抜けられるのはあの村の住人だけ。この森には、死者の歌が流れ、入ってくるものを惑わすと伝えられている。

 どうして、森の中、しかもこんな夜に歩いているのだろう。

 ラーラは不思議に思いながら歩みを進めた。

 記憶を掘り返してみる。

 そう、ゼフィラと一緒に街に行ったのだ。家出をした。それから、ゼフィラは姿を消した。好きな人が出来たからといって。その後、腰を痛めて動けなくなって、いつもどおりすぐに治って……。

 ぴた、と足を止めた。

 なんで、腰を痛めたんだっけ。

 こん、と胸に何かがあたった。視線をずらすと、小ビンがぶら下がっていた。手にとってみる。

「なんだっけ、これ」

 呟いた声は、森に吸い込まれた。風のうなりが歌のように聞こえる。ラーラはぶるぶると肩を震わせ、また歩き始めた。

 村までの道なき道は続いていた。


 村に着くと、なんだか騒がしかった。いつもこの時間になればみんな寝静まってしまうことが多い。しかし、今日はどの家も明るい。ろうそくは貴重だからと、火をつけることはないのに。

 もしかして、家出したことでみんな心配しているんじゃ……。

 顔が青くなる。ラーラは身を木陰にひそめるようにしながらじりじりと村に近付く。けれど、誰にも会わない。

 足音を忍ばせながら、自宅にたどり着く。緊張しながらドアノブに手をかけたとき、隣の家から叫び声が聞こえてきた。ゼフィラの家。

 一瞬戸惑ったが、まずは自分の家のドアを開けた。けれど、誰もいない。じゃあ、グロリアも、と思い、ゼフィラの家に急いだ。

 ノックもせずにドアをあけた。そこには村の中の人間、全員がいた。全員とはいえ、十名しかいない。しかし、狭い小屋は窮屈に見えた。

 その大人たちの輪の中に、ゼフィラがいた。椅子に座り、泣きじゃくっている。

「母さん、どうしたの」

 遠慮がちに声をかける。ゼフィラが無事村に戻ってきたのは嬉しいけれど、なぜあんなにも泣いているのか。

 振り返ったグロリアは驚きや怒りを含めた瞳を向けてきた。思わず腰がひける。

「……来なさい」

 強引に腕をひっぱられ、自宅に戻る。振り返り、ゼフィラの様子を見るが、顔を上げることはなかった。ゼフィラの母が、今にも倒れそうな顔をしていたのを見たのが最後、ドアは閉じられた。

 自宅に戻ると、まずは、という感じで殴られた。覚悟していたこととはいえ、やっぱりグロリアのこぶしは痛い。

「あんたが、ゼフィラを街に連れて行ったんだって?」

 反論は許さない、という口ぶり。素直にうなずいた。

「どうしてひとりにしたの」

 言い訳しか思い浮かばず、ラーラは何も言えなかった。しかし、グロリアは答えを待っていた。ラーラは頬をさすりながら答えた。

「ゼフィラは、好きな人が出来たといって逃げてしまって。だから私も、ずっと探していたの。でも、どうしてゼフィラはあんなに泣いていたの? 何かあったの?」

 すると、グロリアは痛ましそうな顔をして、ラーラを椅子に座るよう指差した。

「今お説教しても仕方ないわね。これからゆっくり、最初から、いろんな話をしなくてはいけないことだから」

 そのままキッチンに立ち、お湯を沸かし始めた。悠長にお茶を飲んでいる場合ではないのに、とは思いつつ、いつも迷いなく動く手は震えている。それを見て、ラーラはグロリアの言うとおりにしようと思った。

 部屋の中、紅茶の香りが漂った。けれど、グロリアはそれに口をつけることなく、無言でテーブルを眺めていた。

 カップに口をつけたラーラは、いったい何を言い出すつもりなのだろうと緊張した。

「あのね」

 グロリアが口を開く。その響く声で、思わずラーラの背筋が伸びた。

「ラーラのことだから、心配はしないけど、どうかこの話を聞いて取り乱さないで欲しいの」

 どんな話かもわからないのに、約束は出来ない。けれど、うなずかないことには先に進まないとふんで、はい、と返事をした。

 一度、息を細く吐き出してからグロリアは語り始めた。

「ラーラも街に行ったのなら、もうわかっているわね。この村の異常さに」

「うん」

 街で見た、男と女。この村には存在しない兄弟というもの。

「私たちは、普通の人間ではないの」

 ゆらり、と紅茶が波をたてる。

「普通の人間は、男性と女性がいて、恋をして、子を宿す。けれど、私たちは……」

 言いにくそうに、言葉を切った。

「私たちは、愛した人を喰して、子を宿す種族なの」

 言っていることが理解出来なくて、ラーラはただ瞬きを繰り返した。

 人を、喰して?

「どうやって……」

「魂を喰べてしまう。私たちに愛されてしまったら、体は脱け殻になってしまうのよ」

 脱け殻。何も話すことのない人間の肉体が、ベッドに横たわっているところを想像した。思わず震え上がる。

「だから、私たちはここから出ることなく過ごしてきた。愛する人を死に至らしめるなんて恐しいことを繰り返さないように」

 そこで、ひとつの疑問が頭をよぎる。

「じゃあ、なんでマヤさんは平気で街にいけるの?」

「彼女は……ラーラくらいの年齢の時に、この現実に絶望して毒を飲み、自殺をはかったの。命は取り留めたけれど、もう子をもうけることが出来なくなった。だから、今はすべて彼女に任せているだけ。昔は、ゼフィラのおばあさまがしていたんだけどね。最近、体が弱ってきているから」

 そうだったのか。マヤにそんな真実があったなんて。

「もし、そういう人がいなかったら?」

「街に協力者がいて、森の入り口まで来てもらっていたこともあるという話よ。詳しくは分からないけれど、今はその協力者すらいなくなってしまって……」

 そうして、村はどんどんと廃れていったのか。ラーラは肌が粟立つ思いだった。

「信じられないと思うけど、そういうこと。それで……ゼフィラは」

 泣いていたゼフィラ。いつも明るくて、でもしょっちゅう泣く。けれど、あれほど絶望しながら泣いているのは初めて見た。

 嫌な予感が胸をかすめる。ゼフィラは恋をしたと言ったのだ。

「まさか……」

 ラーラの心の底からのような声に、グロリアは首を振る。

「ゼフィラは、二人を探しに村に下りたマヤに見つかって、無理矢理帰されてきたの。あの人に会わせてと暴れるから、さっき、その話をして。そうしたらもっと取り乱してしまって……」

 グロリアは目をこすった。グロリアにとっても、娘同然に過ごしてきたゼフィラだから、辛いのだろう。

「そんな……やっぱり、止めておけば」

 あの時、後姿を見送ることなく追いかけて、村に連れ帰っていれば。一生会えなくなることもなくなったかもしれないのに。もう、村から出してなどもらえないだろうから。

 可哀想なゼフィラ。

 そこで、頭の中を川が流れるような感覚になった。いろんなことが押し寄せてくる。

 何か、忘れている。なんだろうと、もう一度記憶を掘り起こす。

 街に出て、ゼフィラと別れて……。

 その時また、こつんと手にビンが当たった。胸に下げられているビン。なんだろう、これは、とラーラはそれを手にとって見てみた。

 すると、記憶が次々と頭によみがえってきた。

 この小ビンは誰に貰った?

 最後に見た笑顔。誰の顔?

 抱きしめられたのは誰の腕?

 思わず口を押さえた。まさか。

 その異変に気がついたグロリアは心配そうに様子を伺った。

「大丈夫? ごめんね、いろいろ隠していて。でももう私たちのような思いをして欲しくなくて、隠すしかなかった。……顔色悪いけど、どうしたの」

 けれど、ラーラにその声は届かなかった。

 見たわけじゃない。

 けれど、まさか、ヴィックを。

 がたがたと口が震えた。足も、腕も。こみあげてくるいろいろなものを押さえ込み、ラーラは小さな声で呟いた。


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