表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/22

第二章 恋愛(1)

 ヴィックの住むアパートの場所は、二人が衝突した場所からさほど離れていなかった。ヴィックに抱えあげられここまでつれてきてもらったラーラは、今までに感じたことのない羞恥を覚えていた。鼓動まで聞こえるほど側に、ヴィックがいる。

 かといって、一人で歩けます、というほど痛みが和らいだわけもなく、ただただ顔を赤くしながら部屋に入れてもらった。大きな家だ、と感じた。

 清潔な部屋。入ってすぐはリビングのようで、テーブルが置いてあった。よく見るとワンルームで、その端にベッドも置いてある。真新しいシーツが引いてあるベッドにおろしてもらった。

 ヴィックは暗かった部屋にランプを灯した。明るくなった部屋には温かみが広がる。

 その家は、ラーラにとって大きな屋敷だ。目を丸くしてその外観・内観を見つめていた。赤い壁はレンガで出来ている。窓は一階と二階に四つずつ、計八つ取り付けられていた。

 その両隣の家は、同じレンガ造りだけれど、一階しかなく、窓は一つ二つしか見当たらない。それでも、ラーラの家よりもしっかりした造りで、大きい。服もそうだし、きっと凄い人なんだ。

「ヴィックさん、大金持ちなんですか」

 ためらいながら聞くと、一瞬目を丸くして、それから大笑いする。

「違うけど、そう思ってくれていてもいいよ」

 からかうような笑顔に、戸惑いながらも笑顔を返した。どうやら違うらしいとわかったけど、真相を伺えるほどラーラは対人関係に熟していない。

 痛めた腰をかばって、ゆっくりベッドに横になる。

 余裕が出来辺りを見ると、殺風景な部屋の中、ベッドはひとつしかなかった。リビングと続き部屋になっていて、ここにはベッドとクローゼットしかない。

「あの、私がここに寝てしまったらヴィックさんは他の部屋に……?」

「他って、僕が住んでいていいのはこの部屋だけだよ。アパート、って言って、いろんな人が一緒の屋根の下に住んでいるんだよ」

「いろんな人って、知らない人?」

「まあ、顔見知りではあるけど、ここに来てから家族になったようなものだよ」

 苦笑いしながら、ヴィックは説明してくれた。

「知らない人と一緒に……」

 想像つかなかった。同じ村に、知っている人としか住んでいないラーラには、よくわからない感覚だ。しかも、聞いたことがない単語が出てきた。

「かぞく……って?」

 話しかけるが、ヴィックの姿はない。首だけ回して見ると、足元にうずくまっている。

 何をしているかと思えば、ヴィックはおもむろにラーラのブーツを脱がし始めた。これは、絵本で見た、とラーラは思った。お姫様が家臣にさせていたこと。

 それを思い出し、慌てて足を引いた。腰がきしんで、思わず顔をしかめる。

「大丈夫です、自分で出来ます。本当に」

 先ほどからのお姫様待遇に目を回していた。それとも、街の男の人はみんな女性に対してこうなのだろうか、という考えを抱いてしまう。

「別に、変なことはしないから」

 無造作に足を掴むと、ふたたびブーツの編み紐を解いてゆく。

「変なこと……?」

 無邪気に問い返すと、ヴィックはほんの少し顔を赤らめた。

「あのね、君……ラーラは世間知らずみたいだから。世の中僕のようないい人ばっかりじゃないってこと……って、自分で言うのもなんか違うんだけども。とにかく、僕はラーラを傷つけるような非紳士的な真似はしないよ、ってこと」

 早口に言うと、後はひたすらにブーツを脱がせることに集中した。擦り切れた茶のブーツに触れられるのは恥ずかしかったが、仕方ない、と目をつぶることにした。

 そうか、世の中の人がみんなヴィックみたいじゃないのか、とラーラはぼんやりとその行為を見ていた。

 知らない世界がたくさんある。その好奇心で街に来てしまったけど、そのせいでゼフィラが……思い出して、なんだか涙が出そうになる。

「どうしたの」

 その様子を見たヴィックは、おろおろと慌てながら尋ねた。

「実は、人を探していて……でも見つからなくて」

「人? だからさっき、走ってたんだ」

 こくん、とうなずき、開放された足をベッドに乗せた。腰が痛まない体勢を模索しつつ横になり、話を進める。

「一緒に、家出をしたんです。か弱い女の子で、ひとりにしておくのは心配で」

「妹?」

 すっと立ち上がり、リビングの椅子をベッドにひいてきたヴィック。そのまま座り、ラーラを見つめる。

「いもうと、とは何ですか」

 また、初めて聞く単語だった。純粋に知らない言葉だった。

 その返答に一番驚いているのはヴィックだった。

「妹、だよ。年下の兄弟」

「きょうだい、ってなんですか」

 さらにヴィックは目を見開いた。そして頭をぽりぽりかいた。

「冗談はよしてくれよ」

 呆れたように言われても、わからないものはわからない。しかし、もう取り繕うことも出来ない。ただうつむくだけだった。

「ごめんなさい……でも、教えてください」

「本気?」

 非難にも似た声で、ラーラはうつむいたまま何も答えられなかった。

 少しの間、沈黙が漂う。そして、ヴィックのため息が静かな部屋に響く。

「そう、なんだ。本当に知らないか」

「……ごめんなさい……」

 恥ずかしかった。きっと、世間では当たり前の言葉なのだ。教育を受けていないのだと思っているのだろう。実際そうだから何も言えない。

「同じ親から生まれた子供のこと。そうじゃない家庭もあるけど」

 優しく、ゆっくりとした口調に少し安心する。

 ようやくわかった。つまり、グロリアが生んでくれた仲間ということになる。

「じゃあ、ゼフィラは妹じゃありません。母は別の人だから」

「そう。じゃあ友達か」

 うなずいたけど、ちょっと違う気がした。どちらかというと、今聞いた「妹」に近いような気もする。二人の関係に、ようやくぴんとした言葉が当てはまった。

「その、ゼフィラって子を探しているのかい? だから走り回っていたというわけか」

「はい。この街で好きな人を見つけたって言って、私の元を去ってしまったんです」

「友達より、男ってことか」

 ラーラは黙りこんだ。それはとても恥ずかしいことのように思えた。

 小さな部屋の中、沈黙が続く。

 何か話したほうがよいのか、それとも黙っておくべきか。ラーラは天井に目を向けながら落ち着かなかった。あまり話は得意じゃないし、余計なことを言ってヴィックの気分を損ねたくはなかった。

 結果、口をつぐむというのが最善策となった。

 その沈黙、ヴィックも居心地悪く感じていたのか、ふいに立ち上がった。どこかへいってしまうのか、ラーラは不安になる。

 しかし、ヴィックは笑顔で問いかける。

「ラーラは、この国の生まれだよね」

「はい」

「てことは、海、見たこと無い?」

 少し得意そうに言う。それは知らなくていい事実らしいので、ラーラは素直にうなずいた。確か、グロリアに地図を見せてもらったとき、この世界の広い面積が陸ではないと教えてもらった気がする。幼き頃、たった一度だけ。広い世界を見せてくれたことは、それ以降ない。

 ヴィックはとなりのリビングの姿を消し、すぐに出てきた。手には、マゼンタ色の小さなビンが握られていた。

「中身、海水なんだ。海の水」

 よく見ると、そのビンの中には透明な液体が入っていた。

「海の、水?」

 横になっているラーラの顔の近くまで持ってきてくれた。ポン、とコルク栓をはずして鼻に近づける。

「これが、海の匂い」

 今までかいだことのないような、不思議なニオイだった。でもどこかでかいだことのあるような、懐かしさもある。

 マヤが買ってくる、魚の燻製がこんなニオイを発していたな、と思った。

 ラーラの住むこの国は山や陸に囲まれていて、海を見に行くのは一苦労だ。余裕がない人は海を見ずに一生を終えてしまうくらい、珍しいもの。

 ヴィックはピンから少し海水を手のひらに出し、指にとった。

「舐めてみて」

 指先に付いた水滴が、ヴィックの人指し指を伝う。

 ラーラが躊躇していると、ヴィックはほらほら、と指を突き出してくる。おそるおそるその手を握り、自分の口に近づけた。舌を少し出して、その水滴を口に含む。

 塩辛い、と思った。しかも、ちょっとくさい。見た目は普通の水なのに。燻製とはだいぶ味が違う。

「海って、味があるんですね」

 普通の感想を言ったけれど、ヴィックは満足そうにビンの蓋をしめた。

「あんまりおいしくないけどね」

 嬉しそうに、誇らしそうに言った。

 けれど、正直、海の味なんてどうでもよかった。ヴィックの体を舐めたことが、どうしようもなくいたたまれなかった。舌に感じた、皮膚の厚い男性の指。ざらり、と舌を撫でた少し冷たい指。

 そう思う反面、どこか嬉しかった。その気持ちが、ラーラ自身気味が悪かった。どうして、嬉しいなんて思うのだろう。

「よかったら、これあげるよ」

「でも、大切なものなんじゃないんですか」

 慌てて首を振るが、ヴィックは気にしていない様子で辺りをきょろきょろ見回す。手近にあった皮紐を、ビンのくびれた部分にまきつけた。

「いいんだよ。血縁が海の側に住んでいるから、よく海には行く。海についても、興味があるから調べているんだ。学校では海のことは学べないから、自分で調べているんだ」

 やっぱり、お金持ちなんだな、とラーラは思った。

 はい、と寝ているラーラの首にそのビンをかけた。

「これなら、落とさない」

 さっき、絵本を落としたことを言っているのだろうか。あれは落としたんじゃなくて、落ちてしまったの、という反論はしないでおいた。それくらい、ヴィックだってわかっているのだろう。

 学校。ラーラには遠い存在だった。学校というものがあるのは知っているし、普通の人はそこに行って、同世代の人と一緒に勉強をするのだということも。でも、そこに通えるのは一部の人だけだ。やっぱり、ヴィックは凄い人なんだ、と思った。

 でも、今更羨ましがっても仕方ない。ラーラは頭を切り替えた。

「海って、どんなところですか?」

 行ったこともない海の世界を知るばかりか、勉強までしているなんて。

「そうだなー、すごく広い。向こう全体が青いんだ。海の生き物も興味深いよ」

「生き物?」

 うなずいたヴィックは、またリビングに姿を消し、すぐに現れた。

「たとえば、こういうの」

 見たこともない生物の絵だった。紙に書かれたもので、どうやらヴィックが書いたものらしい。陸しか知らないラーラには、相当異形の生き物に思えた。

「これが、海の生き物……」

 気持ち悪い、と思った。細長くて、青くて、目がひとつしかない。こんなものが海には存在するのか。

「魚っていうんだ。他にも貝とか、エビとか色々いるよ」

 魚の燻製も、元はこういう形だったのか。ラーラはなんだかいたたまれなくなった。知らなかったとはいえ、こんなものを口にしていたなんて……。

 その時、初めて森で人を見たときのことを思い出した。

 自分と同じ姿をしていることで安心した。もしかしたら、ラーラもこうやって気持ちの悪い生き物だとののしられていたかもしれない。

 そう思うと、この生き物たちに申し訳なくなった。ちゃんと、生きているのに。

 ラーラが無言になったことで、ヴィックはまたその表情を伺った。

「ごめん、気が利かなくて。なんか飲む?」

 そういえば、今日一日何も口にしていなかった。おなかもすいているし、喉の渇きは相当なものだった。

「あの、お水ください」

 食事はともかく、喉の渇きだけは思い出したら我慢できそうにない。遠慮がちに言うと、ヴィックはにっこり微笑んだ。

 ヴィックが笑うと、安心する。自然にラーラも笑顔になった。

 コップに水を注いでもらう。起き上がるのも、ヴィックの手助けがないといけないほどだった。ゆっくり、口をつけて口に含む。待ってましたと水を欲した体にまかせ、残りは一気に飲み干した。

 そのあまりのスピードに、ヴィックは目を丸くする。

「よっぽど喉渇いてたんだね」

 再びリビングへ行き、もう一杯注いできてくれた。

「すみません……」

 顔を赤くしながらも、ラーラはもう一杯の水もコップ半分まで飲んだ。さすがに二杯飲み干すのは気が引けたし、それなりに満足したので、サイドテーブルにそっと置いた。そこには、ラーラが貰ったあの絵本も置いてあった。

 その姿を、ヴィックは目を細めて見ていた。その視線に気付き、ラーラは首をかしげる。

「どうか、しました?」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ