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第四章 旅立ち(2)

 食後、着替えなどをし、ゼフィラの家に向かった。太陽はほとんど頂点に達し、暖かい日差しを降らせていた。ポプリの綿毛が、数を増して空を舞っていた。

 いつだったか、グロリアはこれを『春の雪』と呼んでいた。まさにそのとおりだと思う。

 大丈夫かな、ゼフィラ。落ち込んでいるのは間違いないだろう。ラーラだって、自分ひとりが聞かされていたらもう少し落ち込んでいたに違いない。

けれど、守るものがあるというのは、ラーラを強くいさせてくれた。お姉さんだから、しっかりしなくては。

 コンコン、とゼフィラの家のドアをたたく。少し、その手が震えていた。

 出てきたゼフィラの母は、目を赤くしていた。グロリアのように。

「申し訳ありません」

 開口一番、ラーラは頭を下げた。ゼフィラの母には何を言われても仕方のないことをしたのは自覚している。

 しかし、ゼフィラの母はそっとラーラの頬に手をあてた。驚いて顔を上げると、ゼフィラの母はその腫れた頬を見て呟いた。

「グロリアがやったのね。あの人、昔からすぐに手を出すから……痛かったでしょう」

 ゼフィラに受け継がれた穏やかな性格は、ラーラを余計悲しくさせた。

 ゼフィラの母に何も制裁を受けないままなんて。

「私のことはいいんです。ゼフィラは……」

「ベッドにもぐりこんで出てこないの。やっぱり、ショックよね……。でも、何もなくて本当によかった。マヤには感謝だわ」

 自分のことのように言った。昔、誰もがこの悲しみの上で子を産んだ。それを思い返しているのだろう。同じ悲しみを、ゼフィラは味わうことなく済んだ。

「話、出来ませんか」

 ラーラが懇願すると、ちょっとためらってからうなずいた。

「返事、してくれないかもしれないけど」

 部屋に招き入れられ、ラーラは緊張しながらゼフィラのいる部屋に通された。

ラーラの家とは違い、ベッドはみっつある。親子三人で住んでいるからだ。その中央のベッドが盛り上がっていた。

「ゼフィラ、大丈夫?」

 少しその盛り上がりが動いたが、特に返事はなかった。

 側に寄り、ラーラは隣のベッドに腰を下ろした。

「ごめんね、ゼフィラ。私が街に行こうなんて言ったから」

 しかし、返事はなかった。

「大丈夫、元気を出して。私がついてるから」

 けれど、ゼフィラは何も言わなかった。

 繊細なゼフィラ。あれだけ瞳を輝かせていたのはつい最近のことだったのに。

「恨み言はいくらでも聞くから。だから……」

 ゼフィラの元気がないと、ラーラまで元気がなくなってしまう。

でも、原因はラーラだ。今、好きなだけ罵ってくれたらいいのに。罵る元気もないなんて。どうすればゼフィラの笑顔を取り戻せるのだろう。

 そのためにも、解決策を見つけなければいけない。どれほど困難な道だとしても。

 これ以上話しても無駄だと思い、ラーラは立ち上がった。

「また来るからね」

 声をかけて部屋を出た。結局、一言も聞けなかった。そこまで落ち込んでいるのはきっと、ラーラと同じ理由であろう。

 二度と、好きな人に会えないとわかったから。


 翌日もゼフィラの家に向かった。その次も、その次の日も。しかし、一度たりとも顔を見せてはくれなかった。玄関先で、ゼフィラの母に「まだ会いたく無いと……」と申し訳なさそうに言われるのが常だった。

 でも、ラーラは諦めずに毎日通った。

 その甲斐あってか、ようやく、ゼフィラはラーラの顔を見てくれるようになった。けれど万全に元気というわけではなく、ベッドに横になり、おびえたように天井を見上げているばかりだった。

 声をかけても、生返事しか返ってこない。そんなやりとりとも言えないようなやりとりを繰り返す毎日がまたはじまる。ラーラは根気強く話しかけ続けた。

 あれから二週間以上たった。今日もいつものようにベッドの脇に座り、顔を覗き込む。

「ゼフィラ、大丈夫?」

 ちらり、とラーラを見るが、答えはない。やはり、怒っているのだろうか。

「ごめんね。私が連れ出したばかりに」

 毎日口にしてきた謝罪を、今日もまたする。何のために謝っているのだろうか。許して欲しいとでも思っているのだろうか。たぶん、そうだ。ラーラは自らの愚かさにため息が漏れそうだった。けれど、ゼフィラの前では暗い顔は見せたくない。

 すると、ゼフィラは小さく首を振った。

「……後悔、してないよ。あんな気持ちになったのは、初めてだった」

 かすれた声。しかし、反応があったことにラーラは嬉しくなる。

 けれど、結末は変わらない。

「うん……ごめんね」

 ゼフィラの顔は曇ったまま。

「大好きな、人だったんだよ」

 涙が、目じりから枕に落ちる。

「残酷だわ。こんな気持ちになったのに、もう二度と会いに行くことが出来ないなんて。でも、最悪の事態にならなくて本当によかった……でも、会えない」

 同じようなことを、何度も繰り返す。

 ゼフィラは気分が悪そうに顔をしかめた。顔色は悪い。もともとの色白が、青みを増したようだ。頬もこけ、ふっくらした丸顔ではなくなっていた。

「ごめんね」

 謝るラーラに、ゼフィラは首を振る。目は合わせてくれない。

「ラーラだって、知らなかったんだもん。仕方ないよ」

 でも、心のどこかでは恨んでいるだろう。ラーラはゼフィラのよそよそしい態度を見てそう思った。でも、いくら恨んでもいい。恨むというのは、生きる力になる。感情があるのは、人のあるべき姿だ。

 あまり無理をさせてもいけない。そう思い、ラーラは立ち上がった。

「本当に、ごめんね」

 そういうと、ゼフィラは涙をぬぐった。

「そんなに謝らないでよ。本当に、恨んでなんか、ないよ。ラーラのせいじゃない」

 振り返ってその姿を見たが、相変わらずの様子だった。でも、今日は声が聞けただけで嬉しかった。こんな状態なのに、ラーラを気遣い恨んでないと言ってくれた。よかった。元気になった。

 少し気が晴れて、ラーラの自宅へ帰る足取りも軽くなった。


 夜、ラーラは浅い眠りについていた。

 最近の睡眠はあまり心地いいものではなく、夢の世界と現実の世界を行き来しているような、眠りとも呼べないようなものだった。

『ラーラ』

 声がした。ゼフィラの声。

「どうしたの」

 問い返すが、ゼフィラから返事はなかった。

 ……あれ、夢?

 ゆっくりと覚醒する頭がスッキリするまで、しばらくまどろんでいた。気付けば朝だ。

 色々なことがありすぎて、混乱しているのだろうか。ゆっくりベッドの上に起き上がり、伸びをした。休めた気はしないけれど、起きよう。

 ベッドから出ると、日が高くなっていた。結構な時間、眠っていたらしい。質が悪いせいか、時間をかけないと疲れが取れなくなっていた。寝坊の言い訳はもっぱらコレだ。

 向こうの部屋では、機織の音が響いていた。はじめはうるさくて仕方のなかった音だけど、すっかり『家の音』になっていた。

 グロリアはもう起きたのか。いや、眠れないのかもしれない。そうなると、一応毎晩眠れたラーラの神経が図太いみたいになるな、とちょっと決まりが悪くなる。

 ベッドから出て、キッチンに貯めてあるカメからコップに水を汲んだ。一気に飲み干す。

 ヴィックの部屋でのことを思い出す。ヴィックも、そうやって水をくれた。

 いつか……ヴィックに会うことが出来るだろうか。そう、普通の人間となれれば、それも叶う。

「あら、あなたもう起きたの」

 グロリアが肩を押さえながら作業部屋から出てきた。一休みらしい。

「うん。あ、そうだ。ゼフィラが来なかった?」

「来てないけれど」

「そう……」

 なんだか、心配だな。まるで助けを求めているみたいに聞こえた。

「私、もう一回ゼフィラの家に行く」

「え、また? 毎日毎日、あんまり行っても迷惑じゃない」

 そういわれればそうなのだが、でもそれ以上に心配だった。

「すぐ帰るから」

 長い髪を手グシで整え、家を出た。

 ゼフィラの家に行くと、「散歩がしたい、って草原に行った」とゼフィラの母が教えてくれた。

 外に出る元気が出たんだ。そう思い嬉しくなった。朝の新鮮な空気と、太陽の光に触れれば、また元気がわくかもしれない。

 後を追い、ラーラも草原へと向かった。

 朝の風に乗り、ポプラの綿毛が風に舞い、空色の中を飛び交っていた。朝の空気は汚れがないように思える。ゼフィラも、こういう空気を吸えばきっと、気持ちが健康になる。ラーラは気楽に考えていた。

 草原の中央、ゼフィラが横になって空を見上げていた。同じように、ポプラの綿毛を眺めているのだろう。

「ゼフィラ、体は大丈夫?」

 声をかけながら近付き、でもすぐ側には寄れなくて、ちょっと離れたところに寝転んだ。ゼフィラの左側は、いつもの定位置だ。

水が流れるように、ポプリが流れ行く。綺麗な光景だった。

「私ね、ゼフィラやこの村の人たちが幸せに暮らしていけるように色々勉強いていくつもりよ。だから悲観しないで。私、頑張るから」

 ふと、横のゼフィラを見る。瞳を開けて、空を眺めている。瞬きもせず。

「ゼフィラ……?」

 側に寄る。手には、ナイフが握られていた。驚いてゼフィラの顔を見る。

 ぎょろり、と瞳がラーラを捉える。

「死んでしまおうと思った」

 聞いた事の無い低い声で、ゼフィラは言った。腰が抜けそうになる。

「何、やってるのよ」

 震えた声で言うと、ゼフィラは小さく笑った。

「あの人に会えないなら、もう生きている意味はないとさえ思ったの」

 そこまで思いつめていたなんて。

『ゼフィラは繊細な子だから』

 グロリアの言葉がよみがえる。恋とは――愛とはなんと恐ろしいことなのだろう。今更になって、ラーラは自らの考えの甘さに気がついた。彼女がどれほど追い詰められていたかなんて。ラーラとはまるで考え方が違うかなんて、わかったつもりでわかっていなかった。座っているのに、足が震えていた。

「でもね」

 体を起こす。そして、ラーラに向かって微笑んだ。

「ナイフを首にあてたとき、ラーラの声が聞こえた気がした。それで我に帰って思い出したの。何とかする! って言ったじゃない。信じてみようと思って」

「でも……」

 どうにかするなんて言ったものの、具体策は無い。ひとつの覚悟があるだけ。まだ少し、ためらっていた。

「自信は、ないのよ」

「どうにかして。ラーラがどうしようもないなら、わたしはいつでも覚悟が出来ているからね」

 脅しのようにナイフをちらつかせる。

 どうしたものかと、ラーラはナイフと顔を交互に見比べてしまう。変なことを言ってしまったら、ゼフィラは……。

「ウソだよ。ごめんね、ちょっと仕返し」

 くすくす笑って、ゼフィラはナイフをラーラに寄越した。行動がはっきりしないゼフィラ。とても不安だった。慌ててナイフをラーラが手にする。

「でももし、覚悟があるのならそれを使って」

 何に、とは聞けなかった。いざという時、自ら命を絶てるように……。

 ゼフィラはぎゅっと、ラーラの両手を握った。

「ごめんね……わたし、怖くてもう外の世界に出たくないの。何も出来ないの。ラーラにすがるしかないの」

 うつむき、涙を流す。

 こうして、諦めの涙を流し、この村、種族は衰退していった。何も出来ず、ただ震えて涙して……。

 ラーラは肩を抱き、撫でてあげた。

「大丈夫。私がやる。あなたのために。みんなのために」

 そうだ、やらなくては。その前に、ラーラには大きな覚悟が必要だった。

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