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郵便飛行士ルカ

作者: 草薙仁郎

 凍りつくような夜の大気を裂いて、ルカは飛んでいた。

 機内に警告音が鳴り響く。

 塗ってあるラジウムで光っている計器の文字を読む。エンジンの出力が下がっていた。

 ルカは手袋を外し、手の汗を拭った。一瞬なら手を離しても問題ない。

 再び手袋をはめ、操縦桿を握りなおす。

 あと少し、もってくれよ。

 ルカは機体を励ますように呟いた。

 


 「よし、これで最後、と」

手帳に書かれた最後の名前を二重線で消す。たったいま、家に出向いて集荷してきたところだ。

 寝床を兼ねている倉庫に戻り、飛行帽とゴーグル、ジャンパーを取り出して身に着ける。

 倉庫の裏手には、舗装された細長い道路が敷かれている。

 その端には、単葉の小型飛行機が駐機されていた。

 機体を簡単に点検する。

 それから集荷した配達物の入った大きな革袋をとって、二つ並んだ座席の後ろへ放りこむ。

 ルカは操縦席に乗り込み、ゴーグルをかけた。旧式の郵便機なので風防はない。

空は雲一つない快晴。風もはとんどない。

エンジンをかける。小さな爆発音。

回転を上げると、機体が動き始めた。

あまりちゃんとした道路ではないから多少揺れるが、問題のない範囲。

操縦桿を軽く引くと、ふわりと地面から離れる。

膝に置いた地図にちらりと目をやり、目的地に機首を向ける。

複座郵便機NV‐2。古いが、悪くない機体だとルカは思っていた。

 郵便機としては小さい。しかしルカにとってはそのほうが都合が良かった。

郵便飛行士は二種類存在する。

一つは、公営・私営の郵便会社に所属する定期便の操縦士。定期便はほとんどが都市間の遠距離なので、専用の大型機郵便機が使用される。

もう一つは、個人や小さなギルドで個別に依頼を受けるもの。ルカは後者に属し、短・中距離の配達をおもに請け負っていた。

定期便は小さな町などにはない。そういうところには、個人営業者の仕事も結構ある。

そのためには、離着陸に場所をとる大型機より、適当な場所に降りられる機体のほうが有利だった。

燃料費や保険も含めるために、郵便飛行依頼の相場はかなりの高額だった。ルカはそれよりやや低く価格を設定していたが、それでも十分な収入になった。



エンジンの調子も良く、予定より半刻ほど早く配達先であるノース・ベルの街が見えてきた。

街の少し手前に林道が伸びている。ほとんど使われていないし、幅と長さもそこそこある。飛行場がないので、ノース・ベルに来たときはいつもここに降りることにしていた

少しずつ高度を下げていく。

街の建物がはっきりと見える。

百五十、百、五十……

 二十。最後の微調整をする。

 十五、十、五……

 接地。ブレーキ。

 タイヤが道路の凸凹を伝えてくる。

停止。

ルカは息をつき、ゴーグルを外した。

機体を固定し、街に向かう。なるべく寄せておいたので、道路を塞いでしまうことはないだろう。


配達物は、街の配達人に引き渡すことになっていた。引渡証と交換に袋の中身を渡し、ルカは街の賑やかな通りに出た。すぐに出なければならない理由も無い。どこかで何か食べていこう、と石畳の道を歩いていると、一軒の店を見つけた。どうやら酒場らしい。

中はそれなりに客が入っていて騒々しかった。

ルカはカウンターに座り、給仕に「何か食べるものを」と告げた。

「おい兄ちゃん、一杯どうだい?」

見ると、隣に座っていた男が酒の入ったグラスを差し出していた。

「すいません、まだ仕事があるので」

「仕事?ちっ、しょうがねぇなあ」

男は酒を自分で飲み干した。もうすでにかなり酔っているようだ。

給仕がルカの前にパイの皿を置いていった。

一口齧ってみると、ミートパイだった。味は悪くない。

「ああ……その格好、飛行機乗りか?」

ルカは頷いた。

「なら、聞いたことあるかも知らねえが……戦争の話だ。南のほうがまた怪しくなってきたらしい」

「ああ……」

とルカは頷いた。

 この国、つまりエルハルト王国の南部は隣国・コローニスとの境が曖昧で、常に小競り合いが絶えなかった。ルカは何度かそこの近くへ飛んだことがあったが、小さな島が点在し、エルハルト側には重要な港があった。

「もう完全な戦争になっちまったらしい。あちこち飛び火してえらいことになっとるらしい」

 男は給仕を呼び止めて空のグラスを突き出した。給仕は頷いて歩き去った。

「そうだ、敵さんの飛行機がこっちを飛んでるとかいう話があったな。俺は見たことねえが。兄ちゃん、住んでんのはどこだ?」

 ルカが街の名を答えると、男は顔をしかめた。

「南西か、ここより危ねえな。はあ、まったく……」

給仕の持ってきたグラスを引ったくり、一気に呷った。

「徴兵があるとかないとか聞くし、物騒になったもんだ」

男はそう言ってテーブルに突っ伏してしまった。

 ルカはパイの最後のひとかけらを口に入れ、代金の小銭を置いて店を出た。


 ゴーグルをかけ、エンジンを始動させる。

 林道を滑走し、軽く機首を上げて離陸する。

 すぐにレントの街が遠ざかる。

道のりの半分くらいまで来たところで、天気が怪しくなってきた。雨雲が空を覆い、横風も出てきた。

 少し流されているようだ。軽くバンクして修正。

 降る前に戻れればいいけど、とルカは灰色の空を見上げながら思った。


 弱い雨が降り始めた。

 ルカは小さく舌打ちして、前方の空を見た。と、そこで小さな点を見つけた。あれはなんだ?

点は少しずつ大きくなっていく。

あれは……飛行機だ。

 それも、よくある風防のない郵便飛行機や民間機ではない。涙型のキャノピーを持った軍用機だ。

 なぜこんなところを飛んでいるのだろうか。

 ぶつかることなどありえないのだが、少しだけ左に舵をきる。

 見ない型だ。前に何度か見たことあるものとは違っている。

 さらに接近。不明機はやや高度を上げた。

はっきりと互いが見える距離まで近づいたとき、相手の機首がこちらを向いた。

 ――まさか。

ルカはとっさに操縦桿を思い切り横に倒した。

ほぼ同時に、不明機の機銃が火を吹いた。

横倒しになった機体を十数発の銃弾が掠めた。

ルカはバランスを崩した機体を必死に立て直す。

通り過ぎた不明機は、旋回してこちらに向かってこようとしている。そのとき、ちらりと垂直尾翼に描かれたマークが見えた。

三日月と剣。コローニス、敵国の紋章だ。

スロットルを全開にし、思い切り旋回。敵機はすぐに追ってくる。

性能の差は明らかだ。後ろに回りこまれる。

ラダーで機体を滑らせたが、間に合わない。

 衝撃と共に、右主翼に無数の穴が開いた。

 ルカは機体を旋回降下させるが、敵機はさらに撃ってきた。

 銃弾に機体が抉られる。

 ほぼ落ちるように降下していくルカ機を、敵機はさらに追ってきた。

 射撃音が響いた。

 だが、それは敵機の放ったものではなかった。どこからか飛来した別の戦闘機が、コローニス機を狙って弾をばら撒いた。

 コローニス機は慌てて回避し、新たな相手を追って旋回する。

 ルカの乗った機体は、煙を引いて降下していった。


 機体はきりもみし、コントロールがきかない。

 カウリングに穴が開いている。

 エンジンのどこかに被弾したらしく、出力が下がっている。

 必死に舵を操ってなんとか機体を水平にした。

 だが、出力は上がらない。

 ルカは下に目をやった。家のある町のそばだ。なんとか飛べるかもしれない。

 機首をそちらに向ける。

 機体は安定せず、ガタガタと小刻みに揺れる。

 幸い、十分も飛ばないうちに町が見えてきた。

 と、不意に大きな音がして、エンジンが止まった。点火スイッチも反応が無い。

 あの倉庫が見えてきた。

 高度はどんどん下がっている。ぎりぎりだ。

 倉庫裏の道路に機首を合わせ、滑り込む。

 接地。バウンドし、跳ね上げられる。

 反対の脚が地面につくと、機体はつんのめったように前傾したまま一瞬浮き、直後、地面に叩きつけられた。

 ひどい破砕音を最後に、ルカは意識を失った。

 


「で、目を覚ましたら病院だった」

その話に、エリクは驚いた顔をした。

「よく生きてたな……!」

確かに、あれで大きなケガがなかったのは奇跡に近いと思う。

「その後は……まあ色々あって軍に入ることが決まって……あまりの手際よさにびっくりした」

契約書にサインした瞬間に所属部隊やその他もろもろが決まったのには驚いた。というか絶対あらかじめ決めてあったのだと思う。

「ほうほう、君をスカウトした誰かは非常に優秀なんだぇ。どんなクール・ビューティーなんだろうなあ」

「って何自画自賛してるんですか、アイカさん」

僕の上司であるところの女性――アイカさんは、酒が入っているせいもあって僕のつっこみを笑い飛ばした。いや、酒が入っていなくてもこの人はこんな感じだ。

初めて会ったときは作っているのだと思ったが、この人はこっちが素だ。


 ルカが目を覚ました直後に、サングラスをかけ、軍の略装を纏った女性が部屋に入ってきた。

 色々とルカを調べていた医者と看護師を出て行かせると、その女性はベッド脇のイスに座った。

「あの……」言いかけたのを遮ってその女性は言った。

「体は?」

「え、あの……大丈夫、だと思います」

「医者もそう言っていた。運が良かった」

「ここは、というかあなたは――」

「まあ待ちなさい。まとめて説明するから」

そう言ってその女の人は鞄からファイルを取り出した。

「まずここは病院。正確には軍の病院。君は三日前にここに運ばれた。君の乗っていた飛行機――NV‐2だったか――は大破。落ち方がまずかったから、主翼が折れてた。エンジンも被弾していて使い物にならないね、よくあそこまで飛べたものだ。まあ幸い燃えたりはしなかったから、そのままにしてある。ああ、写真がある」

差し出された写真を見ると、あちこち壊れ、プロペラが折れ曲がった愛機が写っていた。

「私はエルハルト王国空軍南部航空隊第107部隊所属、アイカ・エーベルハルト。階級は大尉。で、突然で悪いが、君をスカウトしたい」

「え……?」

「つまりは、王国軍に入る気はないか?」

「…………」

突然のことすぎてわけがわからない。

「まあ、困惑するのも無理はない。なにせ珍事中の珍事、特殊な事例だからな」

エーベルハルト大尉はファイルを繰り、別の写真を取り出した。

「君が見たのはこいつだろう?」

そこに写っていたのは、急に襲ってきたあの機体だった。垂直尾翼には月と剣のマークがある。

「それはコローニスの偵察機だ。運が悪かったとしか言えないな。君は本当に偶然だが、偵察中の敵機と鉢合わせしたわけだ。軍も全く気づいていなかった。哨戒飛行中に見つけたから良かったものの……誰にも見つからず、君が死んでいればまずいことになっていた」

撃ってきたのはそういうわけだったのか。実際、死にかけた。

「あの、それがなんで軍に入ることになるんです?」

「別に強制ではないが、理由はいくつかある。一つ、軍の意向。偵察機とはいえ、敵機にあそこまで侵入されたのは軍の失態だ。できれば隠しておきたい。二つ、さらに、あれがいたのは私の部隊が担当しているエリア。これは非常にまずい。後始末は107部隊がすることになる。そして三つ―――」

大尉はサングラスを外した。思っていたより若い。というか、ほぼ同じくらいの年ではないか?

「私が、気に入ったからだ」

大尉は少し楽しそうに言った。

「動きの鈍い郵便機、それも旧型であそこまで動けるとはね。いくら運が強くても、真芯に喰らえば間違いなく死んでいた。然るべき機体に乗ればいいパイロットになる」

「もちろん、君にもメリットはある。当然給料は出るし、私の部隊に入れるつもりだから階級も多少は優遇できる。仕事を変えると思えばいい。治療費も軍の経費で落とせるし」

それに、と今度ははっきりと笑って言った。

「それに、飛べる。もっと自由な翼で」

「…………」

確かに、利のない話ではなかった。あそこまで壊れたら、もはやあの機体は使えない。道路を塞いでいる残骸を撤去するのにさえ金がかかる。それに、新しい飛行機がなければ仕事ができない。かといって、飛行機は中古でもかなりの高額、とても今の貯金では買える物ではない。NV‐2は知り合いに格安で譲ってもらった機体だった。

大尉は数枚の書類を差し出した。

「これが契約書。自動除隊期限はなし」

結局、ルカはそれにサインした。



「まったく、あのときは驚きましたよ」

「でも、わりかしすぐにサインしてたじゃないか」

まあそうなのだが。

「で、よくわからないうちにここに連れてこられて、今に至る、というわけ」

「なるほどな。郵便飛行士か。そういう空もあるわけだ」

「エリクは何をやってたんだ?」

「こいつは私と同じ、軍学校の出だよ。私と同期なんだ」

「へえ」

初めて知った。

そのわりに、エリクは軍人、という感じがしない。

どちらかといえば、親しみやすいタイプだ。

「あれ、空だ」

アイカがビンをグラスの上で逆さにして振った。

「ルカ、新しいの」

「いやですよ。自分でとってきてください」

「むー。上官命令は絶対なんだよ」

「これ以上の飲酒は明日の任務に支障をきたす恐れがあると愚考する次第であります、大尉殿」

エリクが真面目に作った声で言うと、アイカはケラケラと笑った。

「それもそうだね、午後からだけど。じゃ、寝るから。おやすみ~」

ふらふらと出て行くアイカの背中を二人で見送る。エリクがボソッと言った。

「一瓶、ほぼ一人で空けてなかったか?」

「たぶんもっと飲んでるよ……」

「あれで、名家の令嬢なんだから恐れ入る」

「その上、軍学校を首席で卒業、あの年で大尉、二等勲功章受勲……」

二人同時にため息をついた。


 『十二時方向に敵機。艦載機だろうね、小規模。やるよ』

『了解』

アイカ機に続いて上昇。遠くに小さな点が一つ現れた。

二つ……三つになった。

増槽を捨てる。右旋回。

敵も上がってきた。

交錯。

敵味方が入り混じる。

ルカは下へ回った。敵が一機、ついてくる。

反転。一瞬背面にし、操縦桿を引く。スロットルを押し込む。

スプリットS。進行方向を百八十度変える単純な機動。敵も旋回して追ってくる。

下へ機首を一瞬振って、すぐに上向きにする。スロットルを絞る。引っかかった。敵機は速度を落とせずオーバーシュートする。

失速しかけた機体を素早く立て直し、目の前に飛び出した敵の真後ろにつく。

一秒ずつ、二度撃つ。

翼から煙を引いて墜ちていった。

下を見ると、すでに煙が一筋上がっていた。

エリクの機体が見えない。

少し上昇すると、アイカ機が横に並んできた。

『エリク、どこにいる?』

『雲の上だ。今終わった』

『こっちも終わったから、降りてきて』 

『了解』

降りてきたエリク機が隣に並ぶ。

『なんか弱かったね。機体かな』

『そうですね、旧型でしょう』

『そろそろ変えてくるとは思うよ。あれはもう限界でしょう』

最近は小規模な空戦が多い。こちらも二機や三機で飛ぶことが多いが。

『任務終了、これより帰投する……けど、ちょっと待って』

『はい?』

アイカ機が降下していく。突然連続ロール。背面飛行。急旋回からのループ。頂点付近ではほとんど失速している。

『まったくもう……どうする?』

『いいんじゃないか、いつものことだし』

『まあ、ね。付き合いますよ、大尉』

ルカはアイカ機を追って降下した。


 出力を絞り、フラップを出す。

 接地寸前に機首をわずかに上げ、そのまま着地。メインギア、続いてノーズギアを接地。

 滑走路は滑らかだったが、それでも微細な振動があった。

 誘導に従って駐機場までタキシング。エンジンを切り、キャノピーを開く。冷たい風が吹き込んできた。

 ラダーを降りる。

 機体の横で待っていると、アイカとエリクが降りてきた。

「お疲れ」

「ああ」

「つくづくいい機体だよな、こいつは」

エリクはたった今降りてきた機体を見上げて言った。

ルカは頷いた。

FY‐18スカイロード。単発、単座の中型戦闘機。機体の後ろ半分は滑らかに絞り込まれている。高い  旋回性能と火力を持った機体だ。しかしその代償として、やや安定性に難がある。操縦性と安定性は反比例するものであるから、その点はしかたない。

「ああ、そういえば新型の話があったな」

「新型?どんな?」

「双発らしい。戦闘機なのか攻撃機なのかわからんが」

「ああ、それならここにも配備されるよ」

整備士と話していたアイカが振り返って言った。

「言ってなかったっけ。たぶん五機くらい。試験飛行をやってもらうかもしれないからよろしく」

まあ、乗れるなら乗ってみたくはある。

「双発って重くならない?」

「カタログデータを見たかぎりではスペックは悪くないけど、飛んでみないとわからない。まあ、私はこれが好きだけど」



 新型機が基地に配備されたのは数日後。

一週間ほど戦闘がなく、飛んだのは一度だけ。暇だったところを呼び出された。

「結構、大きいですね」

「うん。えーっと……」

アイカは手にしたスペック表を読み上げた。

「FN‐20バルムンク。全長12m、双発、複座。重量は3000㎏、航続距離は200キロくらい伸びてるね。あと最高速もいい数字だけど、どうだろうな」

「武装は?」

「固定武装は二十ミリが一、十三ミリが二。今日はそれだけで飛んで」

「了解……ですけど、なんでアイカさんもその格好なんですか?」

アイカは、ルカと同じ飛行装具を身につけていた。

「ああ、私も飛ぶから。複座だし」


 スタータが唸り、爆発音と共にエンジンが始動する。スカイロードより低い二重奏。

『試験飛行、開始。離陸します』

スロットルを開き、滑走。機速がついたところで機首を持ち上げる。離陸する。やはり少し重い感じがする。

『とりあえず上昇して、ポイント12まで飛んで』

『了解』

上昇。吹き上がりは悪くない。試しに上昇角を大きくしてみたが、ほとんど速度が落ちない。パワーはかなりある。水平にして、加速。カタログ・データにある最高速まで上げる。問題なし。安定している。もう少し出しても大丈夫そうだ。

『ポイント12に到達。まあ色々好きにやってみて』

急降下からのループ、逆ループ、急旋回。インメルマンターン。背面に入れてから、急角度のダイブ。連続のエルロンロール。低速旋回。果てはストールまで、思いつく限りの機動試す。

『どう?』

フォーポイント・ロールを終えて水平に戻したとき、後席のアイカが尋ねた。

『馬力はありますね。加速は速くないですけど、最高速はいいですね。左右の動きがちょっと重いかな』

『うん、そんな感じはした。戦闘機よりか、攻撃機向きかな。計器は?』

『全て正常です』

『OK。任務終了。帰投する。帰りはのんびりいこう』

『了解』

出力を絞り、ゆっくり飛ばす。安定性もいい。

『……ルカ。最近、出撃が無かっただろう?』

『ああ、そういえばそうですね。一週間くらい』

『うん。本部がでかい作戦を立ててるからだよ。大規模な地上攻撃。うちも、護衛機とこのバルムンクを出すことになる』

『そうなんですか』

『うん……ところでルカ、無線は?』

『え?機内モードになってますけど』

『外部無線を切って』

『なんでですか?』

『いいから』

『……はい。切りましたけど。なんでです?』

アイカはそれには答えなかった。

『ルカ、君は戦争が終わってほしい?』

『え、何ですか、突然』

『この戦争が、思ったより早く終わるかもしれない、ということ。一時的にだけど』

『……どういうことですか?』

『休戦の交渉がされている。秘密裏に。今、軍上層部は休戦の是非で分裂していてね。賛成派のほうが多いんだけど、頭の固い爺さん達が反対してる。そういうのにかぎって階級が高いから困る』

『それで、無線を切ってもらったのはここから先が理由だ。他にばれたらまずい。君も口外はしないでくれ』

反対派の意見を変えさせるのは難しい。どうしても横槍が入るから、コローニスとの正式な交渉は難しい。

『だから、こっそり交渉を進めて、休戦協定に調印してしまう。名目上、決定権があるのは多数派の人間だ。既成事実をつくって押し通す。そうすればコローニスの休戦賛成派からの後押しも期待できる』

『それが、もうすぐ?』

『うん。攻撃作戦の前には、何とかしたい。手はずはほとんど整っている。時間の問題だよ』

『……それを、なぜ僕に?』

『ん、いや……君は私が戦争に引っ張り込んだからね。それに、協力者は多いほどいい。まあ、忘れてもらってもかまわないよ』

『…………』

自分は、どうなのだろうか。

 戦争が終わることを、望んでいるのだろうか。

 

 

 翌日、攻撃作戦が行われることが伝えられた。実行は三日後、早朝。

 新型機バルムンクは、三十ミリ機関砲を搭載し攻撃機として使われるらしい。

ブリーフィングルームから出ようとするルカをアイカが呼び止めた。

「ちょっと話があるから、ドアをしめて」

例の話だろう。ルカは外に誰もいないことを確認してドアを閉めた。

「休戦の話だけど……」

「ええ、どうなりました?」

「まずいね。非常にまずい。攻撃作戦の予定が早まった。爺さん連中が変えたんだ。偶然だろうが、休戦派にとっては痛手だ。攻撃作戦は十日以上行われないはずで、その前に調印まで漕ぎ着けるつもりだったんだけど……これでは間に合わない」

「攻撃作戦の中止は?」

「できない。不自然すぎる」

 それで、とアイカは内ポケットから封書を取り出した。

「なんだと思う?」

 表には、エルハルトの紋章が描かれている。

「まさか、それ……」

「そのまさか。休戦条約」

「なんで、アイカさんが持ってるんですか」

「休戦賛成派のトップは、わたしの兄だからね」

 アイカは封書を机に置いた。

「……ルカ。これは正式な命令ではない。あくまで個人的な依頼だから、断ってもいい。私はそれ以上、その件に関して何も言わない」

「えっと……アイカさん?」

「君は元・郵便飛行士だったな」

「ええ、まあ」

「一度だけ、郵便飛行士に戻ってほしい」

「え……?それって、どういう……」

「これを、届けてほしい。宛先は、コローニスだ」

アイカは封書を差し出した。

「僕が……?」

「ああ、そうだ。頼む!」

いつもの能天気さは消え去り、――アイカは頭を下げた。

「君はあくまで一軍人でしかない、それはわかっている。君に頼むべきではないことも。だが――私は、この戦争を終わらせたい」

「攻撃の目標はコローニス都市部。攻撃の後では、休戦の成立は難しい。今しかないんだ」

「…………」

ルカは無言だった。

だめか――アイカが机の上の封書に手を伸ばすと、それをルカがさっと取った。

「ルカ………?」

「確かに、承りました」

 そう言ってルカは笑った。

「何を驚いてるんです、あなたが依頼したんでしょう?」

「それはそう、だけど……」

「だったらいいでしょう。あ、さっき言ったことは訂正してください」

「え……?」

「僕に頼むべきことではない、とか言ったでしょう。逆ですよ。届け物は、郵便飛行士ルカにお任せを」

ルカは封書を内ポケットにしまった。


 

 十一時五分前。ルカは格納庫にいた。飛行装具を身につけている。格納庫の中には、新型機のバルムンク。

 アイカと立てた作戦は、こうだった。

 ほかに知られてはいけないし、また上層部以外には伝わっていない話だから、支援は期待できない。その上、敵地に入れば攻撃を受ける。

「着陸は無理だ。緊急連絡用に使っている、コローニスの休戦賛成派の拠点がある。誰かはそこに待機してるから、そこに袋ごと落として帰ってくればいい。時計塔が目印になる」

離陸は、私が陽動して何とかする、とアイカは言った。

 シャッターをそろそろと上げる。幸い、滑走路の延長線上にある。

 ルカは双発機の操縦席に乗り込み、時計を睨んだ。

十一時一分前。

三十秒前。

二十。

十。

(四、三、二、一……)

ルカは点火スイッチを捻った。スターターが唸りを上げる。

それと同時に、少し離れた場所で爆発音が響いた。二度、三度と続く。

急にあたりが騒がしくなり、音のした方へ人が集まっていくのがわかった。何をしたかはわからないが、アイカの陽動だ。

十時間も飛んでいない、新品のエンジンはすぐに調子よく回り始める。

滑走路までタキシングし、スロットルを押し込む。いつもより速く。

離陸。気づかれたかもしれないが、空に上がってしまえばどうにかなる。

ルカは識別灯や翼端灯を全て消し、コローニスに機首を向けた。


「おい、さっさとしろ!総員戦闘配置、対空戦用意!」

コローニス前線基地司令は声を張り上げた。が、内心訝しく思っていた。

なんだ、こいつは?

レーダーに映し出されたのはたった一機。それも異様に速い。

だが、なんでもいい。

「各所、射程に入りしだい攻撃開始、叩き落せ!」


 あれは……コローニスの基地か。

回避はできない。もう気づかれているだろう。なら、全速力で突っ切ったほうがいい。

 地上から、数条の火線が上がりはじめた。対空機銃だ。

狙いはあまり正確ではないが、数が多い。

 爆発音。余波で機体が揺さぶられる。

 対空機銃と対空砲の重奏が機体を襲い、容易には抜けさせてくれない。

 どれかに捉えられれば、墜とされる。

 舵を総動員して避け続ける。

 永遠に続くかに思われた対空砲火が、不意にやんだ。

 なんだ?

 下に目を凝らすと、影が上ってくるのが見えた。迎撃機だ。同士討ちを恐れて対空攻撃を止めたのだろう。

 スロットルを全開にする。振り切れはしないだろうが、基地から引き離したい。

 追ってくるのは一機……二機か。よく見えないが、高翼配置の小型。新型機だ。

ルカは機体を急上昇させる。敵機には十分な機速がないはずだ。

しばらく急角度で上昇すし、背面に入れて反転。上昇で速度を失った敵機の正面に入る。

トリガーを引く。相手も撃ってきたが、姿勢が崩れている。

 弾頭重量が三百グラム以上ある三十ミリ機関砲弾が、敵機のキャノピー部分を撃ち抜いた。

まず、一機。下にもう一機を見つける。

急降下。敵機の背後につこうとする。

が、敵機が急旋回したため危うく追い越し(オーバーシュート)そうになり、ルカは慌てて操縦桿を引き、減速した。

二機はもつれ合うように横転旋回しながら相手の後方をとるべく、交差と離脱(シザース)を繰り返す。

五度目の交差の直後、ルカは背面にいれて切り返す。ほんの一瞬、敵機が射線に入る。それで十分だった。バルムンクが吐き出した機関砲弾が敵機を撃ち砕いた。

墜ちていく敵機をちらりと見て、ルカは目的地に機首を向けた。


気づかなかったが、何発か喰らっていたらしい。主翼に穴が開いている。燃料タンクギリギリの位置だ。尾翼もボロボロになっていて舵が利きにくい。

離陸してから、二時間が経っていた。もうそれほど距離はないはずだ。

不意に甲高い警告音が響いた。出力が低下している。エンジンの調子が悪いか、それとも被弾したか。

だが、まだ飛べる。

飛べるところまで、飛んでいこう。

戦争を終わらせることを、自分は望んでいるのだろうか。

戦争が終われば、職を失う。自分だけでない。軍需工場だって、多くが潰れることになる。

だが、戦争が続けば人が死ぬ。

飛行機乗りは、いい。

僕たちは――空の人間は、離陸した瞬間に自分の命を翼に乗せている。

だが、他の人は?

軍人でない、大勢の人は?

どうなのだろうか。

どうなのだろうか。

戦争は、大勢の意思と、欲望と、命と、その他にも色んな物を巻き込んで回り続ける歯車だ。

その狭間で、無数のものが押しつぶされていく。

それで、利益を得る人間もいる。

 自分は、戦争を止めたいのだろうか?

 答えは、わからなかった。

 だが、自信を持って言えることが一つある。

 自分は、ルカは、郵便飛行士だ。

 その仕事は、届けること。

 僕にとって、休戦条約の封書も、なんでもない家族への手紙も、価値は同じだ。

 依頼されたもの、配達物でしかない。

 だから、届ける。

 郵便飛行士ルカは、そのために飛ぶのだ。

 正面から射すわずかな星明りに、建物の輪郭が黒く映し出されている。

 その中に一際高く、時計塔がそびえていた。


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