『真贋』
「仇を討ちたい」
少女は、握った拳を膝に起きながら呟く。
「私は、その為に生きているだけだ。他に望みなんか無い」
「ほう、それは一途な事だ。乙女としては大変よろしい」
触れば噛みつきかねない少女と、それを起爆させるギリギリ、危うげな言葉で会話を楽しむ魔法使い。
嗜虐心からでは無く、純粋に面白く思ってやっているのだからタチの悪さが分かる。
「しかし、君の様な年頃の娘に仇などと言うのは、些か穏やかさを欠く願いでは無いかね?」
珍しく至極真っ当な事を聞く魔法使い。だがそれは、彼が盲者でなければ本心から言えない言葉だろう。ならば、彼の目は何を捉えていると言うのか。
自分の外見を見て何とも思われなかったのが不思議に思ったのか、少女は顔を上げる。
衣服の端々は裂け、裾を結んではいるものの胸元が裂かれ、未発達の身体が見え隠れしている。満遍なく泥で汚れているのは服だけでなく、長い髪も同様に土埃と煤にまみれている。一見しただけでは元の色が黒と判断する事は難しい。
四肢もやはり汚く、靴は無い。手先足先の擦り傷と切り傷はおそらく痕になるだろう。それ以前に、完治するのにもそれなりの時間が掛かりそうだ。菌が入り込めば回復すら見込めないだろう。
そして、その顔。両の目を覆う包帯は血や膿で滲み汚れ、単なるボロ隠しとなっている。とても衛生的とは言い難い。その下にある傷の方がまだ見るに耐え得るものではないだろうか。
さて、この少女の身に何が起こったのか。魔法使いは考える。
まず容姿。単にみずぼらしいと斷するには、やぶけた衣服の元々の質が悪くないのが目に付く。ゆったりとしたそれは、普段着と言うよりは寝間着に近く感じる。
寝間着にわざわざ着替える習慣があるという生活にも、裕福でなくともそれなりの家であったのが分かる。それが簡素な物でなければ尚更だ。
汚れについても、煤けているのは火の傍にいたという事だ。寝間着を来たまま火元に長くいる事もあるまい。
であれば、家が火事にでも見舞われたのか。だが仇と言う言葉はおそらく人に使われる言葉だろう。無論、動物にも使われる事もあるが、火を恐れるという本能はなかなか抗えるモノではない。
総合して考えるなら、何者かに家に火を点けられ、襲われ、命からがら逃げてきた、と想像するのが妥当だろうか。
「その目、その身体の仇、と言いたいのだろう?」
魔法使いの言葉に無言で頷く少女。その肯定には、魔法使いの言葉以上の意味を込められているが、それに――たとえ表面上でも――気付く魔法使いでは無い。
「ならば尚更、私は理解に苦しむ」
心底思う、と魔法使いは言う。
「例えば君が犯人を裁いて欲しいと言うのなら分かる。殺してと願うのも理解出来る。私はどちらであっても了承しただろう。
だが君はあくまで、そうなってしまった原因を、自分の手で殺したいと望んでいる様に見える。
私には分からない。何故だね?」
何故、それらを殺す事に自分と言う物を介在させなければいけないのか。復讐を自らの手で望むのか。
「……自分の願いに理由が必要なの?」
「否、単なる好奇心だ。だが私がこの様な感情を抱く事も珍しい。生来その様なものが欠落していたと私自身は思っていたのだがね」
好奇心。その言葉に嘘偽りは無い。人間としての心を動かす魔法使いの目は、やはり白いままであった。
どれほどの時間が経っただろうか。魔法使いは微動だにせず、少女もまた、動く事は無かった。
まるで彫像の様に、二人は止まっていた。お互い動く必要も無かったし、少女は動く事に体力を省ける様子でも無かった。
だが、静止するだけでもエネルギーはいる。動くのとどちらがマシなのかは分からないが、少女は静止する為の力を口に込めた。
「恨んで、いるから」
「誰をだね?」
「……私の家を、襲った奴ら。私の家族を……目を、潰した奴ら」
「それらに死んで欲しいと願うのだろう?」
「…………」
「屍を以て屍への献花とする。それが君の望みだろう?」
それは、否定出来ない。あいつらには死んで欲しいし、この魔法使いにはそれが出来るのだろう。そう、少女は思う。
だが、意味が無い。私が彼らの命を手折らなければ、家族への花には相応しくない。
「労力が伴うからこそ対価の価値が上がると?」
そんなものじゃない。ただ自分の手を汚したいだけだ。
殺したいと想うのと、死んで欲しいと想うのは違う。
「『結果』では無く『過程』を至上とする。ふむ、その気持ちは理解出来る。私の『趣味』も、そこに通じるモノがある。
では君は、『過程』を望むと言う事か? 無論、『結果』は用意されている前提で、だ」
そう、なんだろう。経緯も分からず天罰で死ぬだなんて、そんな幸せは許さない。
私は彼らが殺される様を見たいのか――――
「――――ッ?」
違和。蛇が身を捩じらせ細い管に入るかの様に、心の一部分だけを掻き乱される。いや、探り当てられると言うのが正しいのか。
深層にあるべきモノを無理矢理表に出された。そんな感覚が、黒髪の少女の身体に駆け巡る。
「なるほど。その心、よく分かった」
動揺している少女を気にも掛けず、魔法使いはその傷だらけの手を取る。
火照る事さえなくなり、死人の様に青褪めた少女の指。それでも、触れてくる魔法使いの指から、温もりを得る事は出来なかった。
「――――が、あああアああぁァァぁあァアぁぁぁあァァア!?」
次の瞬間、少女の眼孔から血が噴き出す。腐臭を放つ膿と血の流れに押され、包帯は解け惨い傷が露わとなる。
激痛と表現も出来ない、ただただ脳が痛みらしきものを意識に伝えていく。度を越した所為だろうか。声が枯れんばかりに叫ぶ少女には、人間であるなら一瞬で卒倒、あるいは狂い死ぬ程の信号が脊髄を通って脳へ送られている筈であるのに、未だに叫び悶えると言う選択肢が残されている。
血の濁流は収まる事を知らず、その量は小さな身体にこれ程入っていたのかと感嘆を禁じ得ない。膿が無くなれば眼球の破片が、破片が無くなれば筋肉組織が。
臓物までも捻り出さんと溢れるその穴。魔法使いはその手が血に濡れ、その頬が血に汚れる事を気にせず少女の手を掴んでいる。白かったローブは赤黒く染まり、洞窟の闇に良く隠れる。
どれ程時間が経っただろうか、少女の声が空気に薄れ、下手な口笛の様に鳴らさなくなった頃。血の泉に異物が引っ掛かる。
否、生えてきたと言うべきだろう。体中の血液が抜け出し、手先足先、顔の怪我さえもその衰弱より目を引く事は無い。
だと言うのに、生えてきたソレ、『眼』は、自然に、違和感無く、人体としてかくあるべしと褒めたたえられても間違いでは無い位、健康体としてそこにあった。
「自らの手による復讐。それを成すならばその目の代替、『眼』を与えよう。何、少し消耗しただろうが、何れ身体が『眼』に馴染むだろう」
魔法使いの言葉は、もう少女の耳に届かない。その意識は、ただただ洞窟と血の闇の中へ落ちて行った。
◆
気が付いたのは、森の中だった。
当たり前に見れる木々。当たり前に見れる草花。当たり前に見える日の光。
その当たり前が、激痛を介して生まれたものだと思い出すには、それなりの時間が掛かった。
「わ、たし……なんで……」
声が掠れている。ああ、あんなに叫んだからだ。生来大声なんて出した事無かったから、喉が慣れてなかったんだ。
――――けど、なんで大声なんて?
痛くて、とっても痛くて泣いてたんだ。目を斬られた時以来の痛みだった。
――――目を斬られたのに、なんで見れているの?
魔法使いに頼んだから。探して、探して、何時の間にか倒れていた所を拾われて、復讐するって望んで――――
「――――魔法使い、様?」
様、だなんて、取って付けた変な言い方をしながら、辺りを見回す。仄暗い洞窟は無く、朝露に濡れる青々とした草しか見当たらない。
白いローブも白い目も、最後まで握っていた手の冷たさも、一切合財消えてしまった。
「……そうだ、手」
両手を見る。血を浴びた所為か、全体が赤黒く染まっている。鉄臭さを多少感じるのはその証拠だ。
だが、その手には、小さな切り傷一つも見当たらない。
「あれ……?」
足の裏を見る。こちらは足が地面に付いていなかったからだろうか、土と泥の汚れしか付いていない。
靴なんて履いていなかった。それなのに、こちらも汚れを残して傷が無くなっている。
「怪我、なんで……」
二度と見れないと思っていた景色より、そっちの方が薄気味悪く感じた。
顔を見せたばかりの日が照らす血の赤は、あの洞窟よりも暗かった。
そのまま座っていてもどうしようも無い、と思い、立ち上がり歩き出す。魔法使いを探す為にさんざん彷徨った森だ。父の書斎で盗み見ていたここの事を記していた本が無くても――あったとしても今までなら見れなかっただろうが――どこに何があったか位はなんとなく分かる。
ただ、視覚としての新しい情報が入った為、目が見えなかった頃と同じ様にすんなり歩けたとは言えない。なんとか小川のせせらぎを聞き取った頃には、太陽が頭上を通り過ぎていた。
「……ぷぁあ」
誰も見ていない事を確認して、そろそろと小川に入る。心地よい冷たさが足に纏う。
少しずつ水の温度を身体にならしながら、魔法使いにどうにかされた時に出た血や膿を洗い流す。
血塗れになった服を洗っていると、あの事が現実であったのが嫌でも思い出される。
「…………」
血が染み込み、赤染めの紐の様になった包帯。いくら水に付けても、その色が薄れる事は無さそうだ。
此処に来るのを手伝ってくれた、親切な老人に巻いて貰ったものだ。一人じゃあ危ないと何度も引き留めてくれたけど、結局折れて私を見送った。
目が見えないのは危なく無いのか、と質問したら、こんな風に返されたっけ。
「こちらが見つけなくても、見てくれるのなら会ってくれる」
だから、歩き回る必要も無かったんだろう。お爺さんも、森の中で待ってた方がいいと思っていたと思う。
でも、私にそんな余裕は無かった。傷が疼く両目は、自分の命の灯が消えかけてるのを伝える様だった。
「……行こう」
ボロを着直し、包帯を腰に巻く。
鼓動する眼球が、私の望みを強くする。
◆
酒場の明かりは消え、誰も彼も寝息を立てていた。騒ぎに騒いだ跡が残る店内に、彼ら――――黒髪の少女の仇が眠っていた。
「…………」
闇の中を動く、小さな影。月光も差さない店内で、迷う事無く歩いている。最早少女にとっては――正確には少女の目にとっては――光も闇も無いと同義であった。
あらゆるモノを見通し見破り見透かす魔眼。それが、少女が持つ法則の一端。
故に、少女の目を切り裂いた男はすぐに分かった。
「…………」
机に突っ伏して寝ている男。寝息は、少女の耳には届かない。早鐘の様に打ち鳴らされる少女の心臓が、それを邪魔していた。尤も、少女に最早耳は必要無いのだが。
ゆっくり、ゆっくりと、男へと近付く。そっと取り出すのは、どこからか盗んだナイフ。
「……殺、す」
そう、殺さなきゃいけない。汚された。犯された。傷付けられた。許せない。許さない。復讐しなければいけない。
そうしないと、私は私を許せなくなるから。あんな事をされて憎悪を感じない程、私は慈悲に溢れていないから。
だから私は願わなければいけない。仇を、復讐を。
「――――――!」
目が導く、ナイフを刺すべき位置。喉笛を断ち切る様に首が裂け、血が溢れ出す。
頭は熱く、手は冷たい。腕は勝手に動き出して、男の両目を抉りたがる。
少女にそれを止める事は出来ず、目は死にゆく男の体を見るばかり。
手が動く。男の髪を掴み、もう片方の手に握られた刃が動く。
目が破けた。鼻が削げた。頬は無くなった。歯は少し硬い。顎が取れそう。頭の中身が出てきた。首の皮は切れて、骨だけが体と繋がっている。
「…………」
服と一緒に肉が舞う。血が踊る。あばら骨の間はとても柔らかい。手に掛かる臓物は温かい。ナイフの刃が折れたけど、これならもう大丈夫。コツは掴んだ。
「…………」
肉の塊を投げる。代わりに足元にあった誰かの頭を踏み潰す。力加減が分からない。けど潰れたならみんな同じ。
「…………」
呻き叫ぶ男たちの声は、闇に吸い込まれて消える。
少女の目は、彼らが惨殺され続けるのを、見続けていた。
それは少女の本心からの行動だったのだろうか。言葉を失ったのか、それとも放心していたのか。
少女の頬を伝う涙の意味は、少女にしか分からないだろう。
◆
「――――魔法使い!」
洞窟の虚空へ少女は叫ぶ。
血に染まったその服は、元がどの様な色であったか判別出来ない。いや、血色であるのが自然である様に見える。
「おや、どうかしたのかな」
どこか笑みを帯びた声。だが少女に姿は見えない。決して広いとは言えないその空間に、魔法使いは消えていた。
「とぼけるな! お前の所為なんだろう!」
「少しは落ち着きたまえよ。用件は分かっているが、客人が取り乱している姿を見るのはあまり好きではない」
用が、分かっている?
そこに多少の引っ掛かりを感じながら、やはり思うままに言を放つ。
「私は、ただ一人だけを殺せれば良かった。そもそも殺さなくったって、報いを受ければ良かった!
なのに私の身体は好き勝手に動くんだ! あんな……酷い事を!」
「そうだろうな。何故ならそれが君に授けた魔法なのだから」
「な――――」
あけすけに言われ、狼狽する。
「君の『眼』、いや『真贋』と言うべきか。それは真実と信じたモノを現実に出来る魔法。残念な事にその力を十全に発揮出来ているとは言い難いが……」
そこで一端言葉を切る魔法使いの声。すかさず、少女は声を荒げる。
「なにが魔法だ! これじゃあ単なるまやかしの類じゃないか! 私がただ、躊躇無く殺せる様に出来る為の!」
「それが君の望む事であれば、そうしただろう。だが君の意志は尚、君のモノのままだ。それがどういう事か、分かるかね」
「私のモノだって? 身体を動かせない意志だなんて、無いのと同じだ!」
「ふむ、それもそうだろう。だが君に授けた魔法に、君の自由意志を制限するモノは無いと言っておこう。
端的に言おう。君の『真贋』は君が望むモノを真実にしているのだよ」
「私が望む……!?」
それは、私があんな光景を見たいと願ったとでも言うのか。
ふざけた事を、と言おうとした所で、暗い声は少女の耳へ届く。
「『真贋』は未だ弱い。その上、形態が『魔物』であるのが災いしたのだろう。君が心の底から望む光景を見せる為に、君の身体を動かしてそれを成してしまう。
だが、眼に依るモノであるから付随出来た魔法があるのもまた事実。魔眼となり、君を導いたのも『真贋』のお陰だろう。なるべくしてなった、と言うのが妥当か」
冷水の様な声が、少女の激情を誘う。震えた喉は怒りと恐怖で入り混じり、かすかな嘔吐感を誘発する。
「ふざ――――けるな! 姿を見せろ!」
赤黒い爪が、少女の暴力性を現す。その眼は白く輝き、それこそ魔であると言わざるおえない。
「見つけてみたまえ。君の魔眼は今や万象見通す千里の魔眼にも成りうる。故に、私を見る事など容易い事の筈だ」
声が響く。響く。響く。響く。
惑わせる様に、溶ける様に、闇の中にいる筈なのに、どこを見ても見つからない。
「君は、何を恐れている?」
「怖くなんて――――」
その闇を見るのが怖い。感じるのが怖い。怖い。
無意識を意識する恐怖。自分自身で、意図的に見ようとしない一点。それは勘と言う頼りないものの上にある、だが何物より信頼が置ける。
そこを見てはいけない。しかし人間、そう意識してしまえば、終わりの様なもの。
「私は此処だよ」
闇が、話し掛けてきた。
瞬間、少女の手は動いた。自らの顔を覆う様に。悲しみの涙を隠す様に。恐怖で歪む顔を、壊してしまう様に。
爪が走る。両手の指が、少女の顔を引き裂いていく。
肉が焼ける様に痛い。だがその痛みが何故か心地よく感じる。正確には、痛みと傷がもたらす本当の闇――――光も闇も無い、虚無の視界が、何よりも望んだモノであった。
◆
「ふむ……少しばかり、急いでしまったか」
洞窟の闇から漏れた白い影――――魔法使いは、珍しく残念そうな声を出す。
「もう少し経てば面白そうな魔法が作られると思ったが……まぁ良いだろう」
少女の身体から、肉片を摘み出す。別に、何か手にする意味は無い。形があると言うのは、どこか安心出来る。
「『見破り』、『導き』……それと『傀儡』の片鱗。存外に良い少女だったな」
ぼそりと呟き、手のひらで肉片を弄ぶ。
再び溶けて行く白い輪郭。笑い声。
残されたのは、血に染まった少女の身体だけだった。