『花鳥風月』
「美しくなりたいのです」
婦人は、ハンカチを握り締めながらそう呟く様に話した。
その声は穴蔵、魔法使いの住処には似合わない。最高の奏者が最高の楽器を使った所で、婦人の声と比肩出来る音色を奏でる事は出来ないだろう。
人の理想が彫刻となり、それが魂を宿したのか。そう錯覚しかねない容貌は、美しいと形容する他無い。修飾語を重ねた所で真に意味する事に差異は無く、故に魔法使いはこう答える。
「私が男として言うなれば、あなたを綺麗と称する以外は言い表せないだろう。恐らくあなた以上に美しい人間と言うのはこの世におりますまい」
それは本心からの言葉だが、同時に上辺を取り繕う為の物でもあった。彼が自分から美しい、醜いと選別する事はまず有り得ないし、分けたとしてもそれは他人と同調する為だろう。
魔法使いの世辞に礼を言うが、その声は悲しみが籠もっている。
「ですが、それは私が求めている美しさではありません」
「ほう。ではあなたが求める真の美しさとは?」
端的な彼の問いに、婦人はある方向を指して応える。その先には穴蔵の出口と、外に広がる古い木々が見える。
出口の所には従僕であろうか、壮年の男が立っているが、それは関係無いのだろう。
「……彼らです」
「彼ら、とは?」
「老いても生命を紡ぎ続け、新たな者達を育む樹木。小さいけれどその灯火を絶やす事無くさえずる小鳥。踏み潰され疎まれ、けれど歩みを止めない虫。永劫に空で輝く太陽と月と星。
……私の容姿は、彼らの持つ美しさと比べれば塵芥と同じでしょう。いえ、塵や芥の方が美しいかもしれない」
歌う様に、そして自らを卑下する様に。正真正銘、心から婦人は奏であげた。
唯一の聴衆であった魔法使いが、軽く手を叩き賞賛の意を示す。それ以上に感じ入ると言う事は無いと表している様でもある。
「成る程、つまりあなたはこうお考えと言う訳か。あるがままである事が最も尊く美しく、人の手が加わったものはそう論する価値も無いと。
嗚呼、あなたはその心まで純粋無垢でいるのかもしれない。自然こそが至高だと自らを心から平伏させられる者は極僅かだ」
故に。
魔法使いは婦人の手を取り、跪きながら頭を垂れた。
「あなたに魔法を授けよう。あなたのその思想で、我が魔法を御してみせてくれ」
その魔法は、彼女が慈しみ愛した自然から生まれた法則。だが本来はあり得ない。ただ空想と共にあるのみ。だからこその魔法となる。
。
「名は『花鳥風月』。まさしくあなたが愛する自然を示している。
この世の物とは思えぬ美しさ……あなたなら、手に入れられる筈だ」
◇
「確かにあのご婦人の考えは素晴らしい。美しい。賞賛されるべきだろう」
去って行く婦人の背を見ながら、彼は独り言を洩らす。
「だが、その望みが命取りだ。美しさを願うと言う事は、彼女なりにエゴがあると言う事。博愛精神しか無い聖者や痴愚とは言い難い」
つまりは凡人。偏る事の無い、どうであっても中庸中立である一般人。
「だからこそ、私はあなたに魔法を授けた。申し訳無いが、私にも人として恥ずかしくない程には欲があるのでね」
それはつまり、彼女の行く末をある程度理解していると言う事。
「麗しい自然を超えるか、幽明の境を異するか……なに、どちらにせよあなたの願いは叶うだろう」
そして、私の望みも。
「この世のものとは思えぬ美しさ。ああ、そうだろう。幽明を彷徨える者はこの世の者では無いだろうし、生ける者には眩しすぎる」
比喩では無い事実。それが真に美しいのかは分からないが、絶世の美女であるなら人々は噂する筈だ。
この世のものとは思えない程、美しい幽霊がいると。
「何より自然とは、あなたが礼賛する美しさのみを示す物では無い。弱きを食らう強者。朽ち逝く生命。不変でありながら流動する。それらを超越してこそ、あなたが真に望むものへと至れる」
それすらも美徳とする、真性の狂人であるのなら別だが。
「いや、元より超越なぞ必要無いか。あなたが欲する自然の美しさとは、人間とは対極にあるもの。正確には、人間と対極にあるからこそ自然であると言える」
あくまで相対的であり、絶対的な存在では無い。婦人に授けたモノはそれに縛られていないが、例外とはどこにでもある。
「極は極に通じる……言わずとも分かるだろう、簡単な事だ。方向性が同一であるなら、正負の違いなぞ関係は無い。反転してしまえば、それであなたの願いは叶う。そしてあなたは■■を成す。それが起こるのは、さて何時になるのか……もしくは、本当に超越してしまうのか。
ああ、やはり結果を待つこの時は至高と言えよう。簡潔な完結よりも蛇行する過程を私は重んじたい」
魔法使いは笑っていた。感情ではなくやはり形だけではあるが、不思議と気分が良くなる。
待つ。魔法使いの人生の大部分を占めるこの行為。それは既に自身が信ずる最良の一手の後に訪れる休息。行動しないと言う行動。
「ご婦人。あなたの魔法が芽吹く頃、もう一度お会い出来ましょう。では、また」
待たせていた従者と共に帰って行く婦人に向けて一礼した魔法使いは、白い衣を翻して仄暗い洞窟の闇へと消えていった。