朱雀伝 格好は良いかもしれないが
町へと行く最中、俺はいくつかの疑問を抱いた。
まず、なぜ俺達は言葉が分かるのか。
この時代、つまり後漢時代末期には漢語が使われていた。つまり必然的に三人娘が使う言語も漢語のはずだ。当時の漢語は今の中国語とは違うだろう。だが、俺達はそれが分かる。なぜだ?
現代の中国語しか分からない俺(俺は英語と中国語、それにロシア語も分かる。使った場面なんか無いがな)や、日本語しか分からないマコトが、なぜ千八百年近く前の漢語が理解できているのか。ついでに言っておくと、俺達がしゃべっているのは日本語だ。にも関わらず、漢語を使う(はずの)三人は俺達の言葉を理解している。
次に、なぜ一度目の転移では、たいした役割も目的も無かったのに、なぜ今回の転生では「天の御使い」という役割が与えられ、「乱世を鎮める」という明確な目標が用意されているのか?俺とマコトが天の御使いであることは、まず間違いない。
そして、以上の疑問から俺は一つの仮説を立てた。
『この二回の転移は何者かの意思によるものではないか』
まず、言葉という点について。
これは、まずなにかしらの『調整』が行われていると思っていいだろう。
俺達は理解できない言語を理解し、俺達にしか理解できない言語はこの世界の住人に理解されている。
問題は、この『調整』がある個人の意思かどうか。
そして、役割と目標。
これは、完璧な妄想に過ぎないが、一回目の世界は転移と非日常に慣れさせた上に異世界での生き方を学ぶために飛ばされた。したがってたいした目標など無かった。二回目のこの世界は本番。そのためいきなり救世主呼ばわりされ、乱世を鎮めろなどと、転移初心者(おかしな言い方だ)にはまず無理な難題を吹っかけられた。
非現実的だが、転移などというものを経験済みだ。様々な世界を管理する神とやらが存在しても、もう驚かないさ。
神様に見込まれ、世界を救う役目を担った英雄。格好は良いかもしれないが、俺は絶対に拒否したい役割だな。
そんな馬鹿げた事を思いながら、村へ辿り着いた俺達。
入り口を通って少し歩き、違和感を感じた。
店はすべて閉まっており、道を歩く村人もまばら。皆、やたらとイライラしているか、底知れぬ絶望の中にいるかのような表情をしている。
関羽も異常を察したのか、近くを通った老人に話しかけた。
町の以上に気づき、通りすがりの老人に尋ねる。『走れメロス』のようだ。
「もし、ご老人。何かあったのですか?」
老人は、伏せていた顔を上げ、答えた。この老人もまた、底知れぬ絶望を顔に刻んでいた。
「ん・・・?見ない顔じゃな・・・。旅の者か・・・?」
「はい。それより、どうしたんですか?」
と、劉備が言う。老人は深く刻まれた眉間の皺を余計に深くして、言った。
「黄巾賊が・・・・・・来るんじゃよ・・・・・・」
「どうして分かんだ?」
と、マコトがたずねたが、答えは俺の代弁で良いだろう。
「大方、山菜でも採るか、商談のためかで町を出た者が見たんだろう。或いは、誰かが殺され、見せしめかなにかで死体が送られてきたか?」
「両方じゃ。昨日の深夜、原料の仕入れに行った仕立て屋の主人が、このすぐ近くで賊どもが野営してるのを見たんじゃ。そして、この近くに私兵団を持っとる金持ちが住む町があっての。そこに出兵を頼みに若いもんを二人行かせたんじゃが、殺され、下っ端が二人の死体を持ってきた。ご丁寧に一人は・・・・・・ばらばらにしてな」
そこまで言って老人は顔を青くした。見てしまったんだろうな。一般人にバラバラ死体はキツイだろう。
「それで、町の皆は家の中で覚悟を決めとる。殺される覚悟をな・・・・・・」
「どうして逃げないのだ!?」
張飛が叫ぶ。なにも叫ばなくてもいいだろうに。
「どこへ逃げろというのじゃ?どこの町村も貧しい。わしらのようなよそものを受け入れてなどくれるものか。逃げて野垂れぬより、愛したこの町で、賊に殺されたほうがマシじゃ・・・・・・」
「だが、あなた達は黄巾賊たちの所業をしらないのか!男は生きたまま火を点けられ、女は死ぬまで慰み物にされる!そんな末路でも良いというのか!」
「じゃが・・・・・・」
老人がなにか反論しようとするが、知るか。俺が遮り、言った。
「この町に飯屋と宿屋は?」
「何じゃと・・・?」
「だから、飯屋と宿屋があるか聞いてる」
「あるが・・・・・・」
俺は薄く笑って、言った。
「俺達が賊を退治してやるから、飯屋の代金と宿屋の代金、全部チャラにしろ!」
『黄巾の乱』
いわば三国志のオープニングともいえる事件。
当時、中国大陸を治めていた後漢王朝は腐敗していた。
上が腐れば下も腐る。民たちの生活も荒れ果てていた。
そんな世の中に、これではダメだ。と、『黄巾党』という集団が蜂起した。
184年の2月頃の事であった。
だが、腐っても王朝。漢王朝の対応は早く、都であった洛陽の防備は固められ、何進を大将軍とした官軍が、討伐を開始した。
当時は只の役人だった曹操や、孫堅が討伐軍に参加しており、想像以上の抵抗を見せる黄巾党に危機感を感じた漢王朝の義勇軍の募集に応えて、劉備・関羽・張飛の三人もまた、乱に身を投じる。
そして、指導者の張角が病死したことで統率力が低下し、後を継いでいた張宝・張梁が討伐されたことでこの乱は一旦の収束を見せた。
だが、残党らによる小規模な乱はその後も収まらず、呼応した新たな乱も起こり始め、もはや漢王朝に大陸を治める力が無い事が露呈する形となり、中国大陸は血で血を洗う、闘争の時代へと動き出すのであった。
(以上、作者流に纏めてあるので、事実と多少の相違あり。一部、ニコニコ大百科より抜粋)