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悠久のフォルトゥーナ  作者: 卜部祐一郎@卜部紀一
第一章 『慟哭』
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(05) - 完成された世界

 どれほどの間、俺は放心していたのだろうか。

 気がつけば、誰の姿もなく。

 太陽は地平線から上り切り、朝から昼へと切り変わろうとしていた。


(何の……冗談だ、これは……?)

 わけがわからない。言ってしまえばまさにそれだ。

 あのリンが……俺の声を聞いて、名前を聞いても。それでも、分からないと言った。

「何の……冗談だよ……」

 俺たちは、いつの間にか喧嘩していたのか?

 俺は、いつの間にかあのリンにさえ見放されていたのか?

 それとも、昨日のあの会話で、何かとんでもないことが起こって……。


「――クソッ!!」

 だけれど考えれば考えるほど、わけが分からなくなってくる。

 リンは嘘をつけるような奴じゃない。嘘をついたとしても、すぐに分かってしまうような奴なんだ。

 さっきの言葉には、苛立ちも、怒りも、失望も、何もなかった。あったのは疑問だけ。そんな風に演技するなんて器用な真似、あいつが出来るわけがない。

「何なんだ! 何なんだよこれは……!」

 今すぐログアウトしたい。ログアウトして、実際に会って、事の真偽を確かめたい。

 だけれど――それも出来ない。


「ふざっ……けんな――ッ!!!」

 ガンッ、と地面を殴る。

「ふざけんなクソ運営がっ! 何やってんだ! 何で俺がこんな目に……!」

 思いつく限りの暴言を地面へと放り投げ、何度も何度も地面を殴る。

 しかし、それがさも当然であるかの如く。地面は、何のいらえも返さない。


 そしてそれから十数分の間、思いつく限りの悪態をつき、ようやく少しだけ落ちついて、はあ、と空を見上げた。

 空には、変わらず存在する、白く濁った円環が俺を見下ろしている。それは紛れもなく、ここが≪オーリオウル・オンライン≫の中である証左だ。

 ただひたすら、空に浮かぶ雲を眺め……ふと気づく。

 妙にリアルなのだ。空の色も、流れる雲も、風の匂いも、まるで現実の如くリアルだ。たとえ最先端のVRMMOでも、果たしてここまでのリアルを伝えられただろうか?

 もっとも、今までそんなことを気にしたこともなかったから、ただの気のせいなのかもしれない。……なのだが、妙に気になった。


 ――そして、そのままひたすらに空を眺め、どれほど経った頃だろうか。小さく頭を振って、立ちあがった。

「こんなところでグダグダしてたって、どうしようもないってか……」

 それは確かにその通りだと思う。とりあえず誰か知り合いに会って、それで、お前を知ってると言ってもらいたい気分だった。シノブ姉がいないなら、そう、行きつけの店のマスターでもいい。

 そしてそれから、フィールドに出てサポートオブジェクトを探そう。

(……そうだ。そうするか)

 とりあえず、さっきのリンの言葉も表情も、全てを頭から無理矢理に追い出して。

 俺は、立ちあがった。


  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 交易都市カリス。シシス王国の南西に位置するこの都市は、その名の通り、西の聖王域や南中原諸国との玄関口に位置する交通の要衝だ。

 それゆえ、王国に行こうとする人、また出ていく人がここに集い、同時に物流の集まる都市である。そしてそれらの人々によって、ここは西側交易の中心都市の一角として、発展を遂げてきた。

 ――という設定である。もちろんのこと、交易都市なんて名前のついた町が、その名の通りプレイヤーたちにとっての交易の中心になるわけではない。

 何せ、西側の聖王域だの南中原諸国だのなんてものは実装されていないし、転送アイテムさえあればひとっ飛びなのだ。


 交通の要衝がどうとか、なんていう設定は、それこそプレイヤーに関わり合いのないことである。

 そういった意味で、この交易都市カリスは……そうだな、上から数えて六番目ぐらいに人気のある町だった。

 周辺のフィールドのレベルは低い、しかし割と効率のいいダンジョンがあるとのことで、かつてはそれなりの人気を博した。しかしアップデートに伴って、さらに利便性のある町や都市が実装されるにつれ、徐々に寂れていった。

 しかし赤レンガによって美しく舗装されたメインストリートや、名物の大噴水、さらに近郊にある花畑の丘は、一部のプレイヤーたちを魅了し、彼らはここを冒険の拠点ホームタウンとして選んだ。まあそうして魅了されたのが、俺やシノブ姉、S.E.Lのメンツだったわけであるのだが。


 ――そう。そういう町、だったのだが。

「……なんだこれは」

 本日何度目かの似たような声を上げて、俺は呻いた。

 メインストリートにひしめく、人、人、人、人。そしていつもの数十倍以上はあるだろう、露店の山。

 そこはまさしく――そう。見たことはないが、しかし確実に『交易都市』だった。


(どうなってんだ? この街にこんなに人がいるのって、実装当初以来なんじゃ……)

 溢れんばかりの人の波を、露店の裏を通り抜けつつも見つめながら、そんなことをひとりごちた。

(う~ん……イベントか何かなのか?)

 たとえば今から大規模なイベントがあって、それでこんなにも人が集まって、露店もわんさか。そういう話ならまだ分からないでもない。

 ……いや。それにしては、ちょっとおかしいか。

 人の向かう方向が一定してないし、第一、武器も鎧もつけていない人間が多すぎる。

 イベントは往々にして、何か戦闘が起こったり、ひょんなことからデュエルが起こったりするゆえに、基本的には装備を装着しての参加が常識となっている。

 しかしストリートを歩く人間の大半、いやむしろ八割以上が、鎧はおろか武器すらも携帯していない。確かに装備関係はインベントリに入れておいた方が軽くて済むが、それが八割というのは実のところ、見たことがない光景だった。


 首を捻りつつも、慣れた足取りで路地裏へと到達する。

 例の店、『風見鶏亭』は、路地裏の奥まったところに存在していた。おおよそ一見では見つからないような場所だ。

 なんでも、買える物件がそれしかなかったらしいが、最初の頃は『いつか移転してやる』がマスターの口癖だった。

 しかし、いつしか俺の他にも、S.E.Lやらのメンツが通うようになり……どうやら店に愛着が出てきたしまったようで、気がつけばそんな話はどこへやらと消えてしまっていた。

(でも思うに、リンたちが通ってなかったら、早々に潰れてたんじゃないのかあの店は……)

 なんでも、リンたちが通うようになってしばらくして、『S.E.L』が通う店ということでいつの間にか口コミで広がり、客も段々と増えていった。もちろん、味は俺が一押しするほどにピカイチなので、興味本位で立ち入ってそのまま常連入り、ということも少なくなかった。

 もっとも、あの侘しい雰囲気が好きだった俺としては少し微妙な気持ちなのだが、いつも賑わう時間から外れてやってきているので、あまり関係はない。

 ……しかし今は、常連の一人でもいてくれないか、と思わないでもなかった。


 懐かしい記憶や、悶々とした想いを抱きながら路地裏を歩き……ふと、あることに気づく。

(NPCが……いない?)

 基本的にノン()プレイヤー()キャラクター()というのは、プログラムに定められたアルゴリズムによって動く存在である。だから定位置からはイベントがない限り動かないし、動いたとしても、プレイヤーと人間らしく会話することも不可能だ。

 決まった動きしかせず、決まった会話しかしない存在。それがNPCである。

 しかし今日は、いつも同じところにいるNPCたちが、どこにも見当たらない。

(イベント中なのか?)

 たとえばこの周辺にいるNPCたちがごっそりと、何かのイベントによって移動してしまった。

 それなら分からない話ではないのだが……。


(そんなクエスト、聞いたことないけどな)

 この街を拠点にしている俺たちは、この街で起こるクエストのほぼ全てを網羅している。大物から小物まで、一通りはクリアしたはずだ。

(……とはいえ、隠しクエストってことはあるか……)

 別の町で発生して、この街で展開する。そういうクエストも無論あるので、そういったものの一つなのかもしれない。

 などと考えながら歩いていると――気がつけば、『風見鶏亭』の扉の前まで到着していた。


 その佇まいは、まるで変わっていない。

 木造の古い扉、風見鶏を模した看板。ほっとわずかな安堵を吐きながら、俺はドアノブを握る。そして少し緊張しつつも、ギィ、と扉を押しあけた。


 ――おっ、よう。なんだ一人かよ? 今日はシノブちゃんはどうしたよ?


 そんな言葉が俺を待っていてくれると、そう確信していた。

 ……だけれど。

「――いらっしゃい」

 マスターは俺を一瞥すると、それ以上は何も告げることはなく。


 ピタリ、と俺は足を止める。

 店の中には、常連の一人もいなかった。ほんの二日前にあったはずの、宴会の残滓のひとつも見当たらない。

 鼓動がただひたすらに、俺の胸を締め付けていく。

 何もない。――ここには何もない。いつもの、どこかほっとする空気が、まるで凍りついてしまったかのように、どこにも存在しなかった。

 俺達はここで泣き、笑い、遊び、朝まで語り合った。友がいて、仲間がいて、俺はこいつらとずっとやっていければいいとそう思った。

 けれど……その残滓は、もうここにはない。


 俺は膝を折り、床に額を擦りつけて、ひたすら泣き叫びたかった。

 しかしそれをしなかったのは……直感を否定して、一縷の望みにかけようとする俺の愚かさゆえなのだろう。


 ギィ、と椅子を引いて、腰かける。

 それはカウンターの一番端。マスターの正面には座らない。

 コツリ、と差し出されるコップに手もつけず、ひたすらに俯いて――そして、絞り出すように言った。

「……マスター。この店に……常連はいるかい?」

「あん? ……まあ、ぼちぼちな」

 そうか、と呟く。

 その声の調子は、違いなく……間違えようもなく、彼のそのままで。


 俺は、声が震えるのを自覚しながら……

「……その常連に……」

 ただ、絞り出すように、告げた。

「――カナメって男は、いるかい?」


 ……ああ、はっきり言って。

 俺はきっと悟っていた。その答えが何なのか。

 マスターが怪訝そうな顔をするのを直視できないまま、しかし俺は悟っていたんだ。


 それでも、ほんの少し、ほんの少しだけでも希望があるなら。

 縋らざるを得なかった。俺の中に燻る疑念を、ただ払拭したかったから。

 ――もしかしたら。


「……いや」

 ――こいつらが俺を忘れてるんじゃなくて。


「カナメね――知らないな。お客さんの知り合いかい?」

 ――全部、俺の勘違いだったらどうするのかと。


 一縷の望みに縋って、ただひたすら逃避する俺は、どこまでも滑稽で。

 だけれど……それを分かっていても。

 その滑稽さから逃れる術を、俺は何一つとして持っていなかった。


  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 何度も何度も同じことを尋ね、挙句の果てに叫んで暴れ、そしてマスターに店から叩き出されるまで、いかほどの時間もかからなかった。

 この段階に来て、俺は既に悟っていた。


(ここは以前に俺がいた、あの世界じゃない……)

 きっとエミュレーターとか、そういうもので……リンやマスターも、同じ顔はしてても、ただのプログラムが動かしてるだけで……だから俺のことも覚えていなくて……。

 もちろんのことそんな理屈など、自分で信じられるはずもない。VRMMOから脱出できなくなった、なんて眉唾よりもよっぽどあり得ない話だろう。

 だが、しかし、それ以外に縋るものなどもはや存在しなかった。

(さっさと、ここから出よう)

 ログアウトして、シノブ姉や、リンと会って……帰るんだ。

 俺の居るべき場所に。帰るべき場所に。


 だが、そう考えはしても……体までは動かない。

 表通りに出たところで、ずるずると壁に背を預け座りこんでしまった。やはりどうにも、マスターやリンに忘れ去られてしまっていることが、結構堪えたらしい。

 そんな自分を客観的に判断しつつ、天を仰ぐ。

 やはりそこには、変わらず存在する白く濁る円環――オーリオウル。

 俺はかつてこの世界を愛していた。もうひとつの現実として、友達がいて、仲間がいて。そんなこの世界を、きっと俺は誰よりも愛していたと思う。

 なのに、これは何だ。この仕打ちは何なんだ。

 一体誰が、どうして、どうやって? そんな想いが脳裏を過ぎる間、ひたすら俺は空を見上げていた。


「あの、大丈夫ですか?」

 ふと気遣わしげな声に反応して、俺は顔を正面へと戻した。

 そこには、いつか見た女性の顔があった。緑の長い髪に、切れ長の目。確か、そう。前に一度だけ、シノブ姉と一緒に入ったパーティの人だ。名前は、もう忘れてしまったが……。

「あの……」

「……アンタ、俺のことを知ってるか?」

 なおも気遣わしげにこちらを見る女性に、俺はそんなことを言った。

 すると、女性は少し驚いたように目を見開いて、暫くすると「……いえ」と首を横に振った。

「……そうか。悪かったな。俺は大丈夫だ。すまない」

 そう言って手を振ると、そうですか、と彼女は俺から離れていった。


 ……そういえば、と、その背中を見ながら思い出す。

 新キャラ云々とかいう話があったが、今の俺はどんな顔をしてるんだろうか?

 不意に気になり、インベントリーを起動する。そこから、初期アイテムの中に入っている手鏡をクリックし、手元に具現化させた。

 無数の青い粒と共に出現した手鏡で、自分の顔を覗きこむ。

 ……そして、少しだけ見て、かぶりと共に手鏡を消失させた。青い光の粒が霧散し、手鏡がインベントリーへと移動する。


 半ば、予想していたことではある。

 空を見上げて、俺は深く溜め息を吐いた。

 手鏡に映っていたのは、以前のアバター……即ち『カナメ』と、まったく同じ顔だった。


  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 それから、どれほどそうしていただろうか。

 気がつけば太陽は地平線へと向かい、空を紅に染め上げていた。もっとも、UIが開かないゆえに詳しい時間までは分からないが。

 ようやく思考を落ち着かせ、ふう、と溜め息をひとつ。

(……宿屋に行くか……)

 宿屋に行って寝てしまおう、と、そう思った。


 このままフィールドに行き、サポートオブジェクトに触れるのもひとつの手だ。しかし、その場合は少なくないモンスターと遭遇することになる。

 アイテムも装備もない今の状況では、少々ばかり面倒だ。

 であるならば、宿屋で休み、二十四時間が過ぎるのを持つ。

 そうなれば、AR機器の構造上、強制的にログアウトしてしまうはずだ。それに、今サポートと話せば、この理不尽な怒りをぶつけてしまいそうだったから。


 服の埃を払って立ち上がって、歩きながら、ふと気づく。

 そういえば、なぜ服に埃などがつくのだろうか。

 そんなことは基本的にありえない。服や土は所詮データでしなかう、座るたびや触れるたびに土や埃がついていたのでは、とても処理が間に合わないのだから。

 だから、服や鎧といった装備は汚れないし、土も埃もつくことはない。一方で、人の体にはつくのだが……まあこの辺まではギリギリ処理が可能ということか。

 なのだが今、確かに服には土がついていたし、今も服の一部が少し汚れている。


(どういうことだ……?)

 少し前から気になっていたことが、一つ存在する。

 それは、この街があまりにリアルだと言うことだ。

 NPCは見当たらず、人々はごく当たり前に会話を交わしている。そして、ログインやログアウトしている人はどこにもいない。そこにあるのは、そう、リアルという名前の日常だ。

 MMORPGにとって、本当にリアルな、完成された世界はどういうものなのか、という話をかつて一度聞いたことがある。

 曰く。人々が、自分をプレイヤーだと感じないことだ、と。

 この世界で生まれ、この世界で生きる。それが当然だと感じていること。

 しかし、そんなものはありえない。なぜなら、プレイヤーが自分という自我を保ったまま参加するのがMMORPGというものであり、そうである以上、『完成された世界』などありえるはずがない。


 しかし――この光景は、どこかそれを彷彿とさせる。

 完成された世界、完成されたMMORPG。

 だけれど……。

「気持ち悪いだけだ。そんなものは……」

 密かに呟いて、チッ、と小さく舌打ちした。


 そしてその想いは、宿屋の店主に金を渡し、部屋に転がりこみ、そして眠りにつくまで、延々と消えることはなかった。

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