(39) - レアクラス
「馬車ごと突っ込めるか!?」
揺れる馬車の上で、御者はリンに告げられた言葉に目を剥いた。
「突っ込むって……正気ですか!?」
「ああ。どうやら敵の目的は、我々の二隊を分断させることらしい。まずは前方の敵を突っ切って、友軍に合流したい」
「それは……」
殲滅、という意味では前後から包囲したほうがはるかに効率がいい。
だがそれは、正面の部隊がまともに機能していてこそ、だ。
おそらくは不意をつかれ混乱しているであろう前方部隊に、それを求めるのは酷すぎる。そしてもたつけば、今度はこちらが後ろから包囲される羽目になるのだ。
「まずは救援。前方の味方を鼓舞し、十全に扱える戦力にするのが第一だ。そのためにも、まずは敵陣を突っ切ってほしい」
可能か? と問うリンに、御者は逡巡し、そして頷いた。
「よし――全員聞け! 目標は前方正面! 友軍を支援、その後合流し、反転して敵を撃滅する! 準備はいいか!?」
「「応!!」」
それぞれが得物を持つ。すぐにでも飛び出せるように。
「――突っ込みます!」
全速前進、砂塵を上げながら、馬車が突進する。
それにようやく気づいたのか。
黒尽くめの数人が、こちらを見上げ、目を剥いた。
猛進する馬は凶器と同じだ。それも馬車用の大型の馬ともなれば尚更。その進路上にいる全員が慌てたように道を開ける。
「――フラッシュバーン!」
不意に、サンクレアさんが杖を掲げて一声。馬車の外が眩く煌いた。
それは、馬車の後方、幌で仕切られた向こう側に白球を生じさせる。白球は、太陽をも凌ぐほどの爆発的な光量で周囲を白く埋め尽くした。
プリースト詠唱魔法『フラッシュバーン』。
逃走用の目潰し魔法だ。攻撃力は一切持たない代わり、発生速度が非常に速く、不意を突かれればデバフ『暗闇』を逃れ得ない。
遠方から弓で馬車を狙おうとした者たちが悉く膝をつく。まさに完璧なタイミング。
そのタイミングで……俺は、馬車の外を盗み見ていた。
暗殺者の数は十人前後だろうか。それほど大規模でもない。
意思の疎通が出来ていないのか、動きもバラバラだ。それほど腕のいい集団でもないのかもしれない。
――ただ一人を除いて。
(シノブ姉……どこだ)
その姿を探して、戦地に視線を走らせる。
どこだ……どこにいる?
ふと、視界の端で、ひとつの影をとらえた。
全員が閃光に目をやられてうめく中で、疾走する影。その顔。その姿。――シノブ姉。
(いた……!)
「カナメ?」
前方を睨みすえていたリンが、何かに気づいたように振り返った。
その肩を、ぽんと叩いて、
「リン、あとは任せる」
「は――っ?」
言葉が俺を追いかけるよりも前に。
俺は、全速で走りぬける馬車から飛び降りた。
地面を転がって落下の衝撃を殺し、剣を地面に突き立てる。
落下ダメージは微小――
「シノブ姉ぇぇぇえ――――ッ!」
彷徨。彼女に届くように。
俺がここに来た目的。俺のやるべきこと。
「俺は……アンタを止めに来たぞ……!」
ただそれだけのために、俺は戦場に立つ。
周囲では、暗殺者たちが閃光の衝撃から立ち直ろうとしていた。
カナメは、その向こう、足を止めた少女を……シノブ姉を睨みつけていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「――隊長!」
その声に、呆然と遠くなっていく背中を見ていたリンは、はっと振り向いた。
隊員のひとりに促され、馬車の前方を見れば、騎士服を着込む男たちの一団が見えた。背後を牽制しながら撤退している。
人数は……七人か。かなりその数を減らしている。
「……よし。彼らの近くで馬車を止めろ。友軍と合流する!」
「了解!」
リンは、先ほどの光景を頭の中から追いやって、御者へと指示を出した。
自分は今、一隊の将なのだ。判断の歪みや迷いは、少なからぬ人命を犠牲にする。
「サンクレアは治療班を連れて負傷兵の治療を。――残りの者は迎撃準備だ、私が指揮を執る。いいな?」
「了解」
「了解です……!」
全員がうなずくのを確認し、急な減速に激しく揺れる馬車の中で、私は再び後ろを見る。
もうどこにも……彼の姿を見つけることはできなかった。
「――リン」
ふと、暖かい感触。クレアが、そっと私の手に触れていた。
「大丈夫よ、きっと」
「――ああ」
囁くような声に、私も小さく頷いた。
「……隊長!」
「どうした?」
「誰かが……後方から、誰かが追ってきます!」
なんだと、と飛びつくように、馬車の後ろに目を向けた。
それは――とんでもないスピードだった。
まさに馬車に拮抗するような速度で、岩から岩へ、影から影へと身を潜めながら追いすがる。
「――っ、伏せろ!」
声を発すると同時。その影から、銀光が閃いた。
何かが飛来する音。投げナイフ。それも三本同時。
音もなく幌を突き破る。違いなく、あの影が放った凶器。
周囲を見渡す。犠牲になった隊員はいない――いや。
「隊長、御者が……!」
「っ、しまった!」
幌を開ければ、短剣を突き立てられ、頭から血を流す御者の姿があった。さらにはまずいことに、飛び散った血に驚いた馬が嘶きをあげる。
「まずい、全員飛び降りろ――!」
馬車が逸脱する。
馬が暴れ、横に逸れ、そして横転していく。
舞う土ぼこりの中で、馬車から飛び降りたリンは腰の双剣を抜き放っていた。
(来る……!)
確信として。奴の狙いは、この私だ。
「っ――!」
土ぼこりの中から。
疾風そのもののような速度で、一人の少女が躍り出た。
「来たか……!」
「ええ、来たわ」
短剣と、双剣とが激突する。
その少女は――カナメがシノブと呼び、姉と慕った少女だった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
(何だ……?)
飛来する弓矢を剣で叩き落しながら、カナメは訝っていた。
包囲網が狭まっていく。シノブ姉に近づこうと思えば、しかし巧みにそれを妨害される。
そしてシノブ姉は、俺を見つめたまま一歩も動こうとしない。一言も発そうとしなかった。感情の起伏でさえ、その表情からは読み取れない。
不意に、気配がいっせいに動き出すのを感じた。
こちらを窺っていた数人の男たちが、一気にその包囲網を狭めたのだ。後ろに一人、前に二人の同時攻撃。
(悪くない……けど)
俺は彼らが駆け出すその寸前で、反転して後方へと駆け出した。
後ろにいた男が目を剥きながら、それでも短剣を突き出す。だが。
剣を腰溜めに。左足を踏み込むと同時、青い剣閃が跳ね上がった。
軌道が渦を巻く。渦を巻いて、そして短剣を宙高く跳ね上げた。
カウンタースキル『スピネル』。
冒険者クラスの基本スキルでしかないが、タイミングさえ完璧に合えば、装備を無効化できるという隠し要素がある。
ベータテスト時代に生み出された技だが、あまりの難易度の高さのために徐々に忘れ去られていった。まさかここで役に立つとは思わなかったが。
唖然と空になった手の中を見下ろす男に、柄でこめかみを一撃して昏倒させる。
残り二人。これならいける、と背後に向き直る。
だが……
「下がりなさい」
シノブ姉が、驚愕に目を見開いている二人の肩を叩いてそう言った。
「あなたたちが行っても、無駄死にするだけね」
「…………」
いや――
「……アンタ、誰だ?」
「あら?」
その女は……シノブ姉の顔をしたその女は、おかしそうに口元に手を当てて、くすりと小さく笑った。
「私。シノブよ。この顔を忘れたの?」
「いや――」
声も、顔も、どこからどう見てもシノブ姉そのもの。だが、違う、と本能が告げていた。この女は違う。
彼女は俺の顔を眺め、そしてにっこりとその相好を崩してから、小さくつぶやいた。
「憎いわね……」
「何?」
不意に――音が、空を切った。
「――っ!?」
左腕から鮮血が噴き出たのを見て、俺は唖然とした。
何が起こった? まるで分からない。
腕が切れ、血が流れ出ている。だがどうして? 何も見えなかった。目の前の彼女が動いたようにも、まるで。
「憎いわねぇ……あの子を、理解しているとでも言いたいのかしら?」
顔が、変わっていく。
まるで剥がれ落ちるように。あるいは、幻がほどけていくように。
そしてその下から現れたのは――黒髪の女性の顔。
漆黒のショートヘア。グレーのスーツ。
「あんたは……」
知っている顔だ。あの森の中で合った――
「これはね、なんでも南の方で調合したっていう魔法薬。少しの間だけ、その人が求めている他人の幻を見せるんですって。どう? 似合ってたかしら?」
唖然とする俺に、得意満面で語る女性。
くすくすと楽しそうに笑う。まるで猫のように奔放に。
「でも、噂通りね」
「噂……?」
「それだけの力を持ちながら、人を殺そうとしない、甘いお坊ちゃんだってね」
「…………」
女性の言葉に、俺は口を噤んだ。
確かにそうだ。手加減していた。死なないように、殺さないようにと。
「くだらないわ」
それを、彼女はつまらなそうに吐き捨てた。
「ねぇ気づいてる? それって自分を庇っているだけよ。自分が傷つきたくないだけ。誰かを殺すのは怖い。そんなのは誰だって当たり前」
彼女は妖しく笑って、地面で気絶している男を指差した。先ほど俺が昏倒させた男だ。
「ねぇ? ここであなたに殺されなかった彼はどうなると思う?」
まるでおかしくてたまらない、そんな生物を見るような目で。
「任務に失敗して、ソイツはもう殺し屋としてはおしまい。そしてこの業界に入った以上、今度は組織から命を狙われる羽目になる。地獄と同じね。あなたは今ここで、その地獄を量産してるのよ」
「……ふざけるな。この場に出てきた以上、そのぐらいの覚悟は――」
「ないわよ。戦場で死ぬ覚悟はあっても、生き恥を晒して飢える覚悟なんてない。貴方がしていることは、ただの偽善よ。それ以外の何物でもない」
だから、と、彼女が指を振り上げた。
俺の真横で、粉塵を巻き上げながら地面がめくりあがった。
魔法ではない。詠唱もない。あまりに唐突に。
そして――その直線状、昏倒していた男を、地面ごと八つ裂きにした。
「なっ……!?」
吹き上がる血飛沫。あっけなく。あまりにもあっけなく、それは違いなく絶命した。
「――こっちのほうが優しいと思わない?」
あっけらかんと笑って、手を横に振った。その動作に、陽光に煌く何かが追随する。目視もできないほどに細い――何か。
「鋼糸……か」
「あら、ご存知?」
正直言って、はじめて見る。
このゲーム――オーリオウル・オンラインには、少なくとも存在しなかった武器。俺が知っている中では。少なくとも。
(もしもそれを自在に操っているとしたら――)
まさか……と思いながら確信する。彼女は。
(レアクラス……か)
レアクラス。オーリオウル・オンラインに存在するクラスのうち、その存在を秘匿されるクラスのことだ。
習得条件が一切不明で、明確なガイドがない。プレイヤーたちの情報交換によって、数クラスが知られてはいたが……実際には、他にも隠されたクラスがあるのではないか、と噂されてはいた。
(鋼糸使い、か……)
手元の剣を握り締める。
未知のレアクラスは、あまりにも厄介だ。
今まで戦ってきた相手とはまったく違う。攻略方法やその特徴が一切分からない。つまり……この世界で俺を有利たらしめていた、『情報』が一切役に立たない相手。
実際に、未知のレアクラスが対人戦に出現すると、あっという間に勝敗が傾くことは常識だった。『分からない』ということはそれほどまでに圧倒的なアドバンテージをもたらす。
「……シノブ姉はどこだ」
「さて……リンちゃんと一緒にでも遊んでるんじゃないかしら?」
「……っ」
息を吐く。自分の間抜けさに腹が立つが、それはもういい。
とにかく今は――
剣を握る。
対するはレアクラス。たとえどれほど自分が不利だとしても。
「――通らせてもらうぞ」
負けられないのならば、戦うしかないのだ。
「……ふふ」
彼女は妖しげに笑った。その周囲が歪に煌く。無数の鋼糸が、見えない凶器が舞う。
「求め合う男女。麗しいわね。――壊したくなるわ」
その笑みは……隠しようもない狂気に彩られていた。