(38) - 血に濡れて
「すみません、助かりました」
魔術で受け止められた先、どうにか馬車の上に着地した俺は、馬車の中に入りながらサンクレアさんに礼を告げた。
いいわよ、と笑いながら首を振るサンクレアさんの横で、まったく、とリンが呆れ混じりにため息をついた。
「相変わらず無茶をするな君は。まさか、あのハーピーを剣で仕留めるとは……」
「うまくいってよかったよ」
「よかったよ、で済ませるカナメ君が凄いわねホント。同じ人間なのかしら。もしかしたら前世は鳥とか」
クスクスと笑うサンクレアさんに、俺も苦笑して周囲を見渡す。
その馬車に乗っているのは十人前後の男女だった。
だが――その中には、なぜかいるべきはずの男の姿がない。
「……あの男は?」
「あの男?」
「団長のマグディウスだよ」
マグディウス・ヴィクトール。かつて顔を合わせた漆黒の男。
だがその姿はどこにもない。
この馬車に乗るのではなかったのか……?
不意に、馬車の中の空気が緊張するのを感じて、はっとリンの顔を見た。
彼女の顔もまた――緊張している。
「団長は、この馬車には乗っていない。……私たちも、今朝知ったんだがな」
「どういうことだ?」
「そもそも、アサシン連中に狙われているこの時期に、団長が中央に戻るなんて変な話だったんだよ」
そう言ったのは、鎧を着込んだディフェンダーの青年だ。
名を……ウルキオと言ったか。
「要するに、俺らは囮にされたんだ」
「ウル」
「クレア姉だって分かってんだろ。今回の任務がどれぐらいヤバいかってことぐらい――!」
彼の声に、馬車の中へと再び目を走らせた。
そのほとんどが見知った顔――リンの部隊の隊員数名だ。奥には、あの時のメイジの男、トレイアさんの姿も見えた。
その顔色は一様に暗い。だがそれは……恐らく危険だからというだけではない。
早朝に発車する二台の馬車。そして、開始の直前まで伏せられた団長の不在。
本気で、アサシン連中がこの馬車を狙っているというのなら。
(……この中に、裏切り者がいる)
アサシンに情報を流している誰かが。
少なくとも、団長はそう考えている。
「――確かに」
不意に、つぶやくようにしてリンが言った。
「確かにこの任務は危険だ。アサシンの連中がどれほど危険で、どれほど手段を選ばないか……私も身をもって体感している」
だが、とリンは全員を見回すようにして、言った。
「奴らは勘違いをしている。私たちを……ただ狩るだけの獲物と思っている」
彼女の声に、全員の顔が上がる。リンを見る。まるで吸い寄せられるように。
「私たちは騎士だ。弱き者を守る気高き獅子だ」
ならば。
「私たちは膝をついてはならない。いかなる時どんな瞬間も、私たちの背には愛する者たちの平和があることを忘れるな」
彼女の目には――炎があった。それは燃えて滾る闘志の炎だ。
そして最後に、にやりと、彼女は獰猛に笑って。
「私たちは決して、座して狩られる野兎ではない。――奴らに思い知らせてやれ。この爪牙がどれほどに鋭いかをな」
――応、と。
その馬車に乗り込む全員が強く頷いた。リンの部隊員ではないはずの別の隊員さえも。
そしてその表情に……もはや暗い影はない。
(すごいな……)
これがリン。リーンディア・エレクトハイム。
俺の知っている彼女ではない。それは、戦士であり、騎士であり、そして第二中隊という大人数をも収め、指揮する長。その器。
「カナメ」
リンが、俺の肩を叩く。
彼女のほうを向けば――彼女もまた、俺を見ていた。その炎のように強い意思を持つ瞳で。
「頼むぞ」
ただ一言。
その一言にこめられた信頼に、心が震える。
「――ああ、任せろ」
そして全員が頷く、その瞬間――
ドォン、という猛烈な爆音が、大気を震わせた。
馬車が跳ねる。またこれか、と思いながら、馬車から転げ落ちないように荷台のロープを掴む。
だがさっきのそれとは違う。ハーピーではない。あれは……間違いなく、爆音。
犬の吼える声。馬車の二台目は護衛犬を連れている。その声だろう。
「――報告!」
空を裂いたリンの鋭い声が、御者台へと飛んだ。
すぐに御者が前方から顔を出し、あせった顔でリンへと声を返す。
「前方で爆発です! 恐らく、前の馬車を狙ったものと……!」
「来たか……!」
ガシャガシャという鉄の擦れる音。全員が武器を執る。
「連中はすぐこちらにも仕掛けてくるだろう。だが部隊が分断されるのはまずい……馬は走れるか?」
「はい! 問題ありません!」
「よし……なら前方に突っ込め! 前方の部隊に合流する! ――総員、準備はいいな!?」
リンの声に全員が頷く。
全員が闘志に満ちている。中には笑っている奴もいた。
戦気渦巻くその中で……リンは最後に、全員の前で立ち上がって。
「これは隊長命令だ――総員、死力を尽くせ。だが生き残れ! 誰一人欠けることなく……私たちはカリスに帰る!」
「応ッ!!」
全員が声を張る。
そして俺は……馬車の幕のむこう、馬が走る先を見ていた。
土煙が上がる前方では、剣戟の音が徐々に漏れ聞こえだしている。
戦いが、もう始まっているのだ。
(そこにいるのか……シノブ姉)
――戦いが始まろうとしている。
それぞれの思いを賭けた……命のぶつかりあいが。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
最悪だ、と男は自分の唇を噛んだ。
あの男が、空のハーピーを仕留めたまではよかったのだ。
まさか剣と投げナイフでやっちまうなんて、と、呆れて放心してしまったが。噂には聞いていたが――まさしくバケモンだ。
ともあれ自分たちの手柄にこそならなかったが、脅威は去った。男が空から真っ逆さまに落ちかけたときはあせったが、むこうの馬車に着地したらしい。悪くない。
だが……その後。
何が起こったのかはよく分からなかった。
突然の爆音と、馬の鳴き声と、馬車がひっくり返ってぐちゃぐちゃになって、気がつけば外に放り出されていた。
死んではない。ならばまだマシだ。だが……俺を助けおこしてくれたやつの脳天にナイフがぶっ刺さって。コレはヤバイ、と悟った。
(口ン中が砂だらけだ……体はいてぇし、クソッ!)
岩の陰に隠れて、悪態をつきながら、男は腰の剣を引き抜いた。
襲撃。可能性としてはそれしかない。
相手は? 例のアサシン集団。間違いない。
(チクショウが……こんなところで死んでたまるか)
剣戟の音が聞こえる。誰かが応戦しているんだろう。
敵の数は? 五か? 十か? それとももっとか?
気配なんて便利なものが読めりゃあ、もっと楽なんだが――
「……ッ!?」
猛烈に嫌な予感がして、その場から飛びのく。
飛びのいた位置には……小柄な短剣が突き立っていた。
「敵かよ……っ!」
逃げるか? 否。
こう見えたって第一中隊の出だ。第二中隊ごときと互角の連中相手に、逃げる? 馬鹿な。
「かかってこい……!」
剣の感触は? 悪くない。体は? 動く。
ならばあとは……相手を斬るだけ!
ふっと、岩の裏で影がうごめいた。
「そこか……!」
ダンッ、と一足で岩の裏に回りこむ。剣に帯びるほのかな光。自分がもっとも得意とする技。一撃必殺。
「ファングスラスト――!」
ごうっ、と剣が唸り大気を裂く。
上段と下段に放たれる必殺の突き。胸と喉元を一瞬で貫く。初見で避けられる相手はそうはいない……!
だが。その一撃は、誰もいない空間に軌道を描くだけだった。
(あ……?)
影も、形も無い。見間違い? いや――
「――遅い」
無慈悲に。
耳元で聞こえた声。
振り向くこともなく。
――男の意識は、飛び散る鮮血の中で、闇に消えた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
――遅い。
スキルアーツすら必要無い。隙だらけに呆けた男の首を、短刀が一閃した。
噴水のように飛び散った鮮血が、顔を、服を、赤く塗らした。
(これで二人……)
あと何人いる? わからない。
団長のマグディウスは? やはり後ろの馬車だろう。今頃別働隊が襲っているはず。
(やはり、向こうに参加するべきだった)
そのほうが早く終わらせられたはず。なぜそちらを選ばなかったのか。
(……後ろの馬車に、『彼』が乗っている気がした、なんて……)
馬鹿馬鹿しい。確信などなにひとつなかった。なのに。
(何を恐れてるの? 私は)
彼を見ると……胸を掻きたてられる。
あの子を、弟を思いだすから? いや、それだけではない。
(関係ない……)
顔についた血を、ぬぐおうとして、止めた。
――私は人を殺す。
――私は、血に濡れている。
――私は……もう、あの頃の私とは、違う。
歩き出す。人の気配がする。馬の近づいてくる音も。
彼は私の前に現れるだろうか? ――関係ない。
私は人殺し。私はアサシン。私は、彼の敵だ。
迷う必要も、立ち止まる必要も……どこにもないのだから。