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悠久のフォルトゥーナ  作者: 卜部祐一郎@卜部紀一
第三章 『希願』
38/43

(35) - 裏切りと嘘


「……シノブ、姉?」

 森の奥。夜の帳が降り始めた頃、俺は小屋の前に行きついた。

 警戒しながら中に入って――そこで、血だまりに沈むシノブ姉の姿を見つけた。


「シノブ姉!」

 駆け寄る。

 蒼い髪。蒼い瞳。それは間違いなく彼女――俺の知るシノブ姉だった。

 彼女は、まるで鋭い刃物で全身を切り裂かれたかのように、無数の傷を負っていた。


 即座にインベントリを開き、回復アイテムを具現化する。

 瓶に入ったポーションで傷を消毒し、包帯を巻いていく。そして残り半分ほどになったポーションの中身を、彼女の口元へ。

「シノブ姉、飲んで」

 促すと、苦しそうに呻きながら、それでも彼女は青い液体を嚥下していく。


(よし……)

 これは、以前サンクレアさんに教わった治療法だ。ただポーションを飲むだけよりも遥かに効率的に回復するらしい。

 空になったポーションの瓶を適当に放りつつ、俺は腰を下ろす。


(でも、随分酷い怪我だ……一体誰が?)

 不意に思い出したのは、先ほど出会った黒髪の女性。

 只者ではない、という直感があった。彼女が、シノブ姉を?

(何故……とか、考えても無駄なんだろうけど)


 俺は、安らかに寝息を立てるシノブ姉を見た。

「シノブ姉……」

 懐かしいその姿。

 ここに来る以前は、毎日のように見ていた。毎日のように話して、毎日のように遊んで。

 不意にこみ上げるものがあって、俺は天井を仰ぐ。


 俺にとって、オーリオウル・オンラインの記憶とは、彼女との記憶でもある。

 俺たちはいつも二人だった。まるでもともと一つだったものが、二つに分かたれたのように。

 お互いが知らないことなんて何ひとつなかったはずで。


(でも……俺には分からないことだらけだ)

 この世界のこと、シノブ姉のこと。

 シノブ姉が、どうしてアサシンをやっているのか。

 今、どういう想いを抱いているのか。

 何一つだって、俺には分からない。


「ん――」

「シノブ姉?」

 うめくような声に、俺は彼女を覗き込んだ。

 深海色の目が、うっすらと開く。朦朧とした様子のまま、ゆっくりと周囲を見渡して、そして俺へと目線を向けた。

「カナ、メ……?」

「大丈夫か、シノブ姉?」

 そのまま、二度、三度と彼女は瞬いて。

 そして、自嘲するように笑った。


「そう……ここは……天国? それとも地獄?」

「何言ってるんだ。生きてるよ。ちゃんと無事だ。ほら」

 シノブ姉の手を強く握る。

 その手を、彼女はじっと見つめて……そして、驚いたように俺の目を見返した。


「カナメ……? 本当に、カナメ?」

「ああ。そうだよシノブ姉。俺だ」

 ああ――と、深く彼女は息を吐いて、重ねた掌を、自分の頬に当てる。まるで、その温もりを確かめるかのように。

「……カナメ。カナメ、私……」

「シノブ姉……?」


 不意に、ぽつりと。俺の指先に、冷たい感触が触れた。

 それが、彼女の瞳からこぼれ落ちた涙であることに、気づく。

「嘘……」

 静かに笑うその表情は、どこまでも寂しげで、そして空虚だった。

「そんなわけない……カナメが、ここにいるわけない」

「いるわけない? 俺は、ここに――」

「嘘っ!!」


 叫びながら、彼女は俺の手を振り払った。

「カナメがいるわけない! ここに、私のところに、帰ってくるはずがない!」

 それは、慟哭のような叫びだった。

 手遅れなのだ、と。

 失ってしまった、もう二度と帰らないものへの、果ての無い悲しみが、そこにあった。

「どういう、ことだ? いるわけないなんて、どうして――」

「だって……だって、カナメは、もう死んだもの……」


 その言葉に、俺の思考が停止する。

(死んだ――俺が?)

 ただ呆然と、言われた言葉の意味さえ分からないままの俺に、それでも彼女の、シノブ姉の慟哭は続いていく。

「カナメは死んだの。五年も前に……あの時! 裏切られて、殺されて! アーストライトは、もう私一人だけ……私の弟は、カナメ・アーストライトは、もうこの世にはいない!」

 その言葉は、冗談でも、嘘でも、勘違いでも、きっとない。

 彼女の慟哭は、それが分かってしまうだけの、確かな悲しみに満ちていた。


「シノブ姉、俺は――」

「やめて!」

 瞬きほどの刹那。その刹那で、シノブ姉は俺を引き倒し、その喉元に短剣を突きつけていた。

「その名前で呼ばないで……カナメでもない貴方が、その名前で……!」

 突きつけられる短剣。叩きつけられる言葉。

 俺は今まで……一度も、そんな彼女を見たことがなかった。シノブ姉はいつも無口で、無愛想で。拗ねることはあっても、本気で怒ることは一度もなかった。

 ましてやこんな、憎悪にも近い形で。


(ああ……そうか)

 俺は、静かに認める。

(やはり、シノブ姉は……)

 彼女は、俺の知るシノブ姉ではなくて。

 彼女のいうカナメは、きっと俺とは違う誰かなのだと。


「……どうして、今になって現れるの?」

 ぽつりと、彼女の言葉がこぼれる。

「何人も……何人も殺した。生きるためにはそれしかなかった! あの日の、カナメの言葉を守るためには、それしか……!」

「シノブ、姉……」

 突きつけられた切っ先が、震えていた。

 深い悲しみが、痛みが、刃の切っ先を震わせていた。


(俺は――)

 俺は? 何を言えるのだろう?

 その痛みも、苦しみも。想像することしかできない俺が、彼女に何を伝えられるというのだろう。

 俺は、彼女のために、何ができるというのだろうか。

 他人でしかない俺が、何を――。


「……――」

 深海色の目で、俺をじっと睨みつけて。

 そして、彼女は風のような速さで俺から手を離し、突きつけていた短剣を腰の鞘へと戻した。

「今日は……見逃す。この傷を治療してくれたお礼」

「シノブ姉……」

「もう一度言う。その名前で呼ばないで」

 背中越しに、背筋が震えるほどの殺気が叩きつけられ、俺は口を噤む。


「誰にその呼び方を聞いたのかは知らない。でも……次に会えば、私は貴方を殺す」

「待ってくれ。俺は――」

 静止しようとする俺に――はたと、なぜか彼女が何かに気づいたように虚空を見上げ、動きを止めた。


「待って……貴方にくっついていた、あの銀髪の子は?」

「? シルファか? シルファなら、今頃村に――」

 彼女が振り返って、俺に鋭い目線を投げる。

 そして、はあ、とため息を吐いて、静かにかぶりを振った。

「そう。……見逃すついでに、ひとつだけ教えてあげる」

「何を……」

「これを聞けば、あなたは後悔する。そして理解するはず。貴方の道と私の道は、絶対に相容れないことを」


 海のように深い色をした瞳が、夜闇の中で俺を射抜いていた。その瞳に浮かぶのは、少しの憐憫と、わずかな後悔と、そして悲しみ。

 彼女は、ただ静かに口を開く――。


  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 俺は走っていた。

 夜の森の中を、ただひたすらに。


(シルファ……!)

 敏捷性により強化された脚力は、一足で数メートル以上を跳躍する。

 まるで車のような速度で森の中を疾走する俺の頭をぐるぐると巡るのは、シノブ姉の言葉……。


 ――村に急いだほうがいい。あの子の命が惜しいのなら、ね。


(くそっ……くそっ!)

 警戒しているつもりでいた。守れるつもりでいた。

(いや……違う)

 シルファは、俺が守らなくてはならなかった。

 彼女の大切な人の命を、俺の弱さが奪って。

 彼女の心も、身も、何一つ救えない俺は、せめて、その傍で守ってやるべきだったのだ。


「っ!」

 不意に、頭上から降り注いだ殺気に、俺は横に跳んだ。

 瞬間、俺が立っていた樹の幹の上に、数本の短剣が突き立っていた。


(アサシン、か……!)

 ザッ、という草木を踏み分ける足音。

 自分の前方、わずかに離れた位置。そこに、一人の男が立っていた。

「よぉ、久しぶり。元気か? 相棒」

「お前は――」

 その顔には、見覚えがあった。

 かつてのガトートス山での襲撃のとき。俺と戦った、あのアサシンだった。


「覚えててくれてたようで何より。で? どうだい今の気分は?」

「何だと……」

「今の気分だよ。裏切られた気分はどうだ? ビックリしたか? え?」

「…………」

 俺は、ギリ、と奥歯を噛んだ。


「シルファはどこだ……」

「あ?」

「シルファはどこにいる! ギルドの連中は!」

 シノブ姉が語った真相は、つまりこうだった。

 赤爪傭兵団。俺に依頼してきた連中は、アサシン連中とグルで――そしてシルファは今、そんな連中の中にたった一人。


 ヒッ、と男は短く喉を震わせて笑った。

「さぁなぁ。俺が、わざわざそれをお前に教えに来てやった……とでも思ってんのか?」

「黙れ……!」

「黙らねェよ。いいか、一つ教えてやる。こうなったのはなァ……お前のせいなんだ」

 男は、ひどく愉快そうにそういうと、俺に指を突きつけた。

「お前が、俺を、殺さなかったから。俺を殺してりゃ、たった一人のために、こんなとびきりの罠を使うことなかった――」

「黙れっ!!」


 力任せに、俺は鞘から刃を振りぬいた。

 ギンッ、と、男の短剣と衝突して虚空に火花を散らす。

「なぜだ……なぜシルファを狙った! 俺を狙えばいい! 俺を殺せばいいだろう!」

「違うね」

 つばぜり合いの至近距離でそう告げて、彼は凶悪に顔を歪ませる。

「俺はテメェにこう言って欲しいんだ。殺しときゃよかった! ってなァ」

「なぜだ! なぜそこまで……!」

「決まってる! 俺はな、テメェみたいな甘ちゃんが、この世で一番嫌いだからだ!」

 男は、つばぜり合いの状態から一気に背後に跳躍。数メートルの距離を開けて、彼は笑う。


「殺らなきゃ殺られる! なぜなら! 殺って、奪って、貪って! それこそ人間の本質だからだ!」

 それは狂気だった。あまりに歪み、もはや修復できないほどに歪んだ、紛れもない狂気。

「その証拠にィ……今頃、愛しのシルファちゃんはどうなってるかな? 死んでるかな? それとも……」

 ニイ、と、深い、どこまでも底なしの、狂気の笑みで、彼はあざ笑う。

「もう、お子様にはお見せできない状態になっちゃってたりしてなァ!!」

「貴、様ああああああぁぁぁ――ッ!」


 意識を飲み込む濁流のような激情そのままに、俺は刃を迅雷の速度で振りぬいて――その片腕を斬り飛ばした。

 ずぶり、という感触で。

 骨ごと断ち切られた片腕は跳ね上がって地面に落ち、鮮血が切断面から噴き出す。


 男は笑んだままだった。

 その憎たらしい笑みを蹴り飛ばし、地面に押し倒して、その喉元にピタリと剣の切っ先を突きつける。

 その体勢は奇しくも、かつて――ガトートス山で戦った二人の再現だった。


「シルファは……どこだ……」

 うめく。

「シルファはどこにいる……答えろ!」

 吐き出す。怨嗟もろともに。


 ギリリと、剣の柄が軋むほどに、握る手に力を込める。剣先は細かく震えて、突きつけられた男の喉に、いくつもの赤い筋を残した。

 俺の頬には、なぜか涙が絶え間なく伝っていた。

 男は笑っている。

 出来ることならば……すぐにでも振り下ろしたかった。その笑みを、狂った笑みを、グチャグチャに掻き潰してやりたかった。

 憎い。恨めしい。そしてそれ以上に――俺は、また後悔していた。


「分かってんだろう?」

 男は、すべてをあざ笑うように。

「あのメスならさ……もう死んでるよ」

 俺の間違いを、弱さを、ただ突きつけるように。

 彼は、笑った。


「あ、ぁ……ッ」

 もう死んでいる。

 もう、シルファは死んでいる。

 俺のせいで。俺の弱さで、俺の臆病さで。

 彼女の姉と同じように。


 気づいているべきだった。

 気づいていたはずだった。

 俺の目の前で、命が無造作に刈り取られたあの日。

 ――俺の中途半端な弱さが、甘さが、臆病さが、誰かを傷つけ、誰かを殺すのだと。


「あ――あああああああああぁぁぁッ!!」


 振り下ろした刃が、男の喉を貫いて、鮮血を撒き散らす。

 男は笑っていた。

 喉元に風穴を開けられてなお、嘲笑うように、祝福するように笑っていた。


 肉を裂き、骨を断ち、命を奪う。

 人を殺める感触は、実にシンプルで……そしてこの上なく吐き気がした。

 温い血が雨のように、服に、肌に降り注ぐ。

「はぁッ……はッ――」

 肩で息を吐きながら、ずちゅり、と嫌な音を立てながら剣を引き抜く。

 全身は返り血で重く濡れていた。

 人を殺した。その感触と事実が、俺の中でただぐるぐるぐるぐると渦を巻いていた。

 悲しいわけでも、痛いわけでもない。なのに涙は止まらず、それを拭おうとも思えなかった。


「……シルファ……」

 口を衝く名前。

 俺がこの世界で出会った少女。

 俺の弱さが彼女の姉の命を奪い、またその弱さが、彼女自身の命をも奪おうとしていた。

(それは、駄目だ……)

 俺は立ち上がり、歩き出す。

 諦めてはならない。たとえどれほど絶望的でも。

 たとえどれほど皆無に近かったとしても――まだ間に合う可能性が、ほんの少しでもあるのなら。


(シルファ……頼む)

 祈るように走り出す。

 どうか無事でいてくれと。

 そのためになら――俺のこの手が血で染まっても構わない。どれほど憎まれ恨まれ蔑まれても構わない。

 だから、どうか――。


今回は長かったので二話に分割掲載となりました。

次話は4/14掲載予定となっております

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