(33) - 森の中の闇
「……ここが襲撃跡、か」
マキスの村から、街道をさらに東へ進んだ先。人通りも多くない夕方の街道で、俺たちはそれを見下ろしていた。
獣に食い荒らされ、腐敗した馬の死体。脚を斬られ、横倒しになった馬車。
人の死体がないのは幸いなことであったが、しかしその光景と周囲に漂う腐臭は、かつてあった惨劇を彷彿とさせていた。
俺たちに同行した青年――ロイスいわく、やられた人たちの死体は既に片付けられ、火葬されたのだという。しかし馬車や馬までは手が回らなかった、ということなのだろう。
(それに、近くに連中が潜んでいる可能性もある。暢気に作業もしていられない、か)
むしろそういったことを期待して、自分はここにいるわけなのだから。
振り向くと、鼻を押さえたシルファが、少し青い顔をして目を背けていた。
「……シルファ。辛いなら戻っても――」
「いえ。大丈夫です」
少女は気丈に首を振る。
この光景や臭いは、男の自分でも十分以上にキツいものがあるというのに。
元の世界――ゲームの『オーリオウル・オンライン』では、倫理制限と呼ばれるものが存在し、年齢認証を経てグロテスクな描写などの描写の有無を選択することが可能だった。
だが、そもそもオプションコンソールすら開けないこの世界では、制限も有無も存在しない。モンスターも人間も、血も流せば内臓も見える。そこにあるのはただ圧倒的な現実感。
(それでも耐えられるのは、慣れた、ってことなのか)
それは良いことなのか悪いことなのか、いまいち判然としないことではあるけれど。
「……それで。改めてだけど、当時のことを聞かせてくれるか?」
俺は振り向いて、彼女の横で同じく青い顔をしているロイスへと声をかけた。彼は「あ、ああ」と頷いた。
「事の起こりは、だいたい一週間前。護衛していた商隊が襲撃されたって連絡が入って……駆けつけてみれば」
「全員がやられていた、と?」
いや、とロイスは首を振った。
「一人だけ生存者がいたが……三日後には死んだ。毒だろうと、団長は言っていた」
(毒、か……)
自分たちを襲撃した時も、彼らは毒を使っていた。
「毒を手に入れるのも、作るのも、そう簡単に出来ることじゃない。だからウチの隊長は、連中はアサシンだと考えた」
「なるほど」
そして、ほぼ同時期に、自分たちを襲撃した暗殺者集団。二つは同一、少なくとも無関係ではないだろう。
(シノブ姉が、これを?)
言葉に出来ない感情が、内臓をこねくり回すような気持ちの悪さに、俺は眉間をしかめた。
「荷物のほとんどは奪われてる。それが目的だったんだろうが」
「何を載せてたんだ?」
「ええと……食料とか、水とか、あとはうちで使うはずだった包帯とか薬だっけか」
(包帯や薬……そういうことか)
『タイタン』の襲撃によって、彼らも少なからぬ傷を負っていた。なりふりも構っていられなかったのかもしれない。
(だけど、何か……)
ふと、引っかかる「何か」。
おかしなところはないというのに、どこかで何かが引っかかっている。
(何だ?)
「それで、これからどうするんですか?」
首を傾げる俺に、シルファが声をかけた。
俺はその声に振り向いて、「ああ」と頷いた。
「とりあえずここを中心に、奴らの痕跡を探してみる。シルファ、ここからは……」
「……はい」
シルファは、どこか納得できない表情のまま頷く。
だがここから先、奴ら、アサシンに遭遇する可能性が高い。彼女を守りながら――戦うだけならともかく、シノブ姉をどうにかできる確信はなかった。
もとより俺は、シルファに村で待っていてもらうつもりだった。だが、何度説得しても頷かない彼女に、途中までという条件つきで同行してもらった。
だがここから先は、さすがに無理だ。
――と。
「カナメさん?」
「……止まるな。背後を見るな」
唐突に、動きを止めた俺を伺うシルファに、俺は小さく囁いた。
ロイスへと目線を向けると、彼はどこか緊張した表情で、小さく頷く。
「彼女のことは任せてくれ。それが条件なんだろ」
「ああ、頼む」
頷く。
シルファを守ってくれ――それが、あの団長に俺が出した条件だ。
そして、俺たちに同行するロイスの役目がそれだった。
「俺が動いたら、真っ直ぐ村に戻ってくれ。……大丈夫だ、シルファ。そんな心配そうな顔をしないでくれ」
「でも……」
「また村で会おう」
出来ることなら、今度はシノブ姉と一緒に。
俺がそう言うと同時――シッ、というわずかな風切り音。
刃が大気を裂く音に、俺は刃を抜き放つ。
「ふッ――」
風にも等しい速度で飛来する短剣を、鞘から振り抜いた黒い刃で叩き斬った。
「行けッ!」
シルファたちが、逆方向に走り出すのを見ながら――俺は、短剣が飛来した方向へと地面を蹴った。
街道の外、森の中。茂みの向こうに、蠢く誰かの影。ひらりと体を翻し、背後へ姿を消そうとしていた。
「逃がすか!」
十数メートル以上の距離を一息に疾走し、その影に肉薄する。瞬間の判断で短剣を構えた男を、黒い刃が薙いだ。
甲高い音。それは、短剣が叩き折られる音だった。鈍い光を放つ短剣の刃は、あらぬ方向へと飛んでいく。
「!」
男の、覆面で覆われた表情が驚きに染まる。
オブリビウス――その銘を受けた漆黒の刃には、通常の剣を遥かに凌ぐ圧倒的な鋭さがあった。
(さすがミミさんだ……いい仕事をする!)
さらに、身を深くへ沈みこませ、足元への一閃。
だが男は、驚くほどの身の軽さで上へと跳躍。そのまま木の幹の上へと飛び移る。
(ちっ……!)
男を追い、俺もまた木の上へと跳躍、しようとして。
「!」
突然の頭上からの殺気に、咄嗟に飛び退る。
俺が一瞬前までいた場所には、三本の短剣が突き立っていた。血のように滴る赤い液体は、毒、だろうか。
歯噛みする。
男の背中は既に遠い。頭上の男も足止めが目的だったのか、同じように森の中へ姿を消していく。
「くそっ……!」
毒づく。
ここで逃がせば二度目はない。遠ざかる気配を追いながら、俺は再度地を蹴った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それから、しばらく。
俺は一人、森の中を当て所もなく歩いていた。ぱきり、と靴の裏で枝の折れる音が鳴る。
(――完全に見失った、か)
何も見当たらない。もはや気配どころか、痕跡すらも探せそうになかった。
むしろ先ほどまで感じていた気配すら、本当のものだったかどうかさえ怪しいレベルで。
「や」
「っ!」
不意に、背後から耳朶を叩いた声。驚き、慌てて飛び退る。
背後を振り向けば、そこには、一人の女性が立っていた。
漆黒のショートヘア。グレーのスーツ。くすくすと楽しそうに笑う仕草は、まるで猫か何かを彷彿とさせた。
「いやぁ、びっくりさせちゃった? ごめんねー」
敵意は感じられない。
むしろその口調はどこか、サンクレアさんを彷彿とさせる。だがその一方で、彼女とはまるで異なる、ある種正反対な雰囲気を纏っていた。
すなわち――刃のような鋭利さ。と、むせるような血の臭い。
「……あなたは?」
「聞く必要がある?」
彼女は口の端を吊り上げながら、両の腰に差した短剣を指でなぞった。
(…………)
無意識に、腰の柄に手が伸びる。
――と。
「なぁんて、冗談」
ふふ、と、彼女がおかしそうに笑った。
「冗談?」
「ええ。少なくとも、あなたが追ってる連中のお仲間じゃないわ」
無関係でもないけど、とでも付け足しそうな顔でそう言った。そもそも、話してすらいないこちらの事情を把握しているというだけでマトモではない。
「……なら、どうしてこんなところに?」
「そうねぇ」
彼女は、口元に手を当てて。
「……君に会いたかったから、かな?」
そして、背後から、声。
「っ」
信じられない思いで飛び退る。背後を見ると、やや離れた位置に少女が立っていた。
彼女は、一瞬前まで目の前にいたはず。なのに、一瞬で背後に回りこんだ?
(馬鹿な……)
唖然とする。同時に焦燥。彼女が殺そうと思えば、自分はいつでも殺せていた、という。
「あーぁ、その反応、お姉さん傷ついちゃうなぁ。まぁどうでもいいけど」
色濃い警戒を滲ませる俺をあざ笑うように、ひらひらと彼女は片手を宙に舞わせた。
「その顔……やっぱり君、いいね。あの子たちがこだわる理由もわかるよ」
「あの子たち?」
誰のことかと首を傾げる。と――す、と、少女が俺の背後、道の先を指差した。
「この先にいるわ。あなたの探し人」
「……なに?」
問い返す俺の声に答えることなく、彼女は背を向ける。
「生き残りなさい。もし生き残れたら……ふふ。お姉さんが、イイコトを教えてあげるわ、カナメ・アーストライトくん」
声だけを残して――その姿は、一瞬で、風のように掻き消えた。
どれほど目を凝らしても、もうどこにも見あたらない。
「……なんなんだ、一体」
俺の声に答えるものはなく。
それでもなぜか、彼女に聞こえているのではないかという、不思議な感覚だけが残っていた。
超絶お久しぶり配信申し訳ありません……。
というわけで次回は、3/10更新予定です。