(32) - 提案
夜半すぎ。エーテルランプから漏れるわずかな明かりが、私の手元、机の上を照らしている。
場所は、自身の私室だ。隊長クラスになってはじめて与えられる個人部屋は、中隊長という自身の肩書きもあって、幾分か広く感じられた。
もっとも、部屋に私物は多くない。物を持たない性質ゆえか、逆に持て余してすらいた。
友人いわく、「リンはもっと女の子らしい趣味とかするべき」らしいが、生憎剣に生きてきたこの半生、それらしいものは何ひとつとしてない。
(剣、か……)
かたりと、机に立てかけたままの双剣に触れる。
一本は、ごく普通の騎士剣。そしてもう一本は、もっと古めかしい、使い古された長剣だ。
(……私はこの剣と共に生き、いずれどこかで死ぬだろうと思っていた)
それは戦いに生きる者の定めだ。誰しも剣を取り、人の命を断ったとき、否応も無く悟る真理。今目の前に訪れた死という運命は、近く自分にも降りかかるだろうという、漠然とした予感だ。
(だが、私は彼に死んで欲しくない)
カナメ・アーストライト。私の知る誰よりも強く、しかし脆く、そして優しすぎる男。
それはあるいは、覚悟がないと、戦士にあるまじき姿ともすら誹謗されかねない男。
それもきっと当然だ。彼は本来騎士ではなく、戦士ですらもない。
――だから。
これでよかったのだ、と。
机の上に置かれた一枚の青い紙に触れながら、そうひとりごちた。
「……リン?」
「っ」
名前を呼ばれて、私はその紙を両手で押さえながら振り向いた。
「……クレア」
サンクレア・ノースホルン。小隊の一員であるプリーストで、同時に自分にとっては古い馴染みだ。そして今では隣室同士でもある。
「まだ眠れないの?」
「あ、ああ。少し考え事をしていて」
言いながらも、机の上にあった紙を、見られないように棚の中にしまいこんだ。
「夜更けにすまない。うるさかったか?」
「そういうわけじゃないけど……んー。あ、入ってもいい?」
「ああ。それは構わないが……」
頷く私に「それじゃ遠慮なく」と彼女は部屋に足を踏み入れた。
「相変わらず殺風景な部屋ねぇ~」
「……悪かったな」
手に持っていたカンテラを置きながら告げる彼女に、むくれながら反論すると、くすりと彼女は笑った。
「で? もしかして、愛しのカナメ君のことが気になって眠れなくなったり?」
「……そういうわけじゃない」
やや渋い顔をしつつ否定する。なんでもかんでも色恋に結び付けたがるのは、彼女の悪い癖だ。
「ふうん。――なら、明後日からの任務のこと?」
「…………」
何も答えられないままの私を尻目に、サンクレアは部屋にあるベッドに腰を下ろした。
そして、「おいで」と言わんばかりにその横を手で叩く。促されるがままに、私は、彼女の横へと腰を下ろした。
「不安?」
「……そんなことは」
首を振ろうとした私の肩を、ふわり、と彼女が抱いた。
「私の前でまで、そんな意地を張らなくていいわ。ここには二人しかいないんだもの」
「…………」
それは、いつものふざけた姿ではなくて。柔らかく、優しい、母親のような女性の姿だった。
それが彼女の本当の顔だと、知っている人間はごく僅かしかいない。
「リンは、本当に強くなった。でも、私は知ってる。泣き虫で、いつも不安で、いつも迷って、一人で抱えて。たまには、人に頼るのも大切なことよ?」
「……ん」
「姉さんは、いつだってリンの味方。どんな時も、どんな場所でも。ね?」
姉、というのは、悪ふざけの言葉ではなく。
真実、彼女は自分にとっての姉代わりだった。孤児院時代、孤独に震えるばかりだった私を支えてくれたのは、他ならぬ彼女だった。
私は、彼女の胸に顔を埋めながら、吐き出すように言葉を紡いだ。
「……また……誰かが死ぬのかもしれない」
「うん」
「私の部下が死ぬかもしれない。みんなが、私のせいで、また……」
「うん」
誰も死なない戦いなんてない。
誰かを殺すということ。誰かが死ぬということ。死は誰しもに平等に訪れる。出来ることはせいぜい、その確率を下げることぐらいのもので。
だから、死んで欲しくないなんて我侭だ。誰かの命に拘泥したその瞬間、違う誰かがまた死んでしまうかもしれない。
殺し合いとは、戦争とは、つまりそういうもので。
「でも……誰にも死んで欲しくなんてない……」
「うん」
だから、きっと私は誰よりも我侭だ。
割り切るたびに後悔して。それを繰り返して繰り返して、それでも諦めきれずにまた泣いてしまう。そんな弱い自分が、誰よりも嫌いだった。
「だから、カナメ君の除隊申請を?」
「!」
私は息を呑んだ。クレアは、ごめんね、と小さく笑って、机のほうを指差した。
「さっき、しまうのを見ちゃった。やっぱり、カナメ君のだったのね」
「…………私が上申したところで、聞いてもらえるとは限らないけど」
本人からの申請ではない。それに彼は団長に気に入られているという。必ず通るとは限らない。
だが直属の中隊長からの上申ともなれば、ある程度の効力はある。しばらくの間任務から遠ざけることぐらいは。
「私たちは騎士だ。死ねと言われれば死ぬし、生きろと言われたなら限界まで足掻く。死の覚悟なんて、誰でも持ってる。でも……彼はそうではないんだ。そうなるべきじゃない」
見知らぬ世界に飛ばされ、命のやり取りを強要され、あまつさえ死んでしまうなんて、理不尽すぎる。
彼は戦士ではない。騎士ではない。今更に後悔する。彼に戦いを押し付けるべきではなかったと。
シノブ、という女性と再会できれば、彼は帰れるかもしれない。帰してやりたい、と思う。
彼女が、私を抱く腕に優しく力を篭めた。
「私は、事情なんて何も分からないけど」
それは優しく、強く。
寒さに震えた夜、誰よりも近く傍にいてくれた、あの日の姉のように。
「大丈夫。きっと、何もかも上手くいくわ」
彼女の言葉を、耳元で聞きながら。
(お前は、きっと帰れる。また、元の世界に)
私は、ただ目を閉じた。
(だから……無事に帰ってこい)
そう、願いながら。
――たとえ、それが永遠の別れであったとしても。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「ここか……」
俺は呟きながら、その建物を見上げた。
時は真昼。あれから、すでに一夜を過ぎていた。
眼前には、巨大な建物がある。長閑な農村であるはずのこのマキスには、とても似合わない類の建物だ。
鐘楼には大きな鐘が取り付けられ、一見すれば教会のようにも見える。しかしそれにはいささか神聖味が欠け、幾分か雑多な気配に汚れていた。
「おい、そこのアンタ!」
建物の中に足を踏み入れようとした瞬間、背後からの呼び声に足を止めた。
「?」
「何をしてるんだ。ここは一般人立ち入り禁止だぞ」
振り向くと、そこには赤い髪の若い男が立っていた。
若い、と言っても、自分と同じか少し上かもしれない。愛嬌を感じさせる顔立ちで、肩をいからせたその状態であっても、いまいち威圧感を感じられない。
「……その、俺はここに呼ばれたんだけど」
「呼ばれたぁ?」
男は、腕組みをしたまま上から下まで視線を這わせて、首をひねった。
「あんた、どっかの傭兵か? ウチの新入りって風じゃないしィデッ!」
最後のは、後ろからにょきりと生えた腕に、鉄拳を落とされたゆえである。多分舌噛んだ。
「馬鹿野郎。ロイス、何してやがんだお前は」
その鉄拳を引っさげて、後ろから姿を現したのは、昨日見た大柄な男だった。
鎧姿ではなく、大剣も背負っていないが、その威圧感は見間違えようもない。
「た、大将。いやコイツが、こんなとこをウロチョロと……」
「コイツじゃねぇ。その人は客人だ。ったく、見てわかんねぇのか? あの隊服」
ロイスと呼ばれた青年は、「あっ」と、驚いたようにその身を竦ませた。
「まさか、S.E.L!?」
「そういうこった」
大仰に驚くロイスという青年に、大柄な男は大きく頷いた。そして、俺のほうへと目を向ける。
昨日、兜に隠れて見えなかったその顔立ちは、端正とも表現できるものだ。しかし顔に斜めに走った大きな傷跡が、男から無骨さと荒々しさを感じさせていた。
「すいません、コイツが失礼を」
濃い緑色の短髪を掻きながら、改めてという風に向き直り、男はそう切り出した。
「いや……失礼なんてことは」
「俺たちはただの雇われギルド。たとえ平の団員でも、騎士様と傭兵じゃ、扱いは天と地ほどにも差があろうもんさ」
といいつつも、男の言葉に卑屈さは感じられない。むしろそのことに誇りを持っているようにすら聞こえた。
「ま、そりゃあいいとして。そんじゃ、奥にご案内しますよ。ロイス、てめぇも来い」
「ええっ!?」
ロイス青年はひどく驚いたようにのけぞって、その眼をこちらと大男の間を往復させた。が、その襟首を、大男はむんずと掴み上げる。
「いいから来いってんだ。……ああすいません、こっちにどうぞ」
「おっ、おおおおう!? 大将、自分で歩きますってぇ――!」
ずるずると引きずられながら上げる青年の叫びに、俺は若干苦笑しつつも、その後に続いたのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
案内されたのは、施設の二階奥にある、団長室のような場所だった。
ような、というのは――要するに、踏み場もないレベルで物がちらかっているため、よくわからないのだ。ちなみに散らかっている物体はというと、大抵が酒瓶だった。
「どうも、汚いとこですが、好きな風に座ってください」
と、地面にある空き瓶を蹴っ飛ばしながら、男は一番奥のソファーに腰を下ろした。
どうするべきか戸惑う俺に、ロイス青年がため息を吐きながら、壁際にあった椅子を持ってきてくれた。意外に気配りをするほうなのかもしれない。
俺は礼を言いつつ腰掛けると、「さて」と大男が切り出した。
「俺の名前はカシウス。カシウス・ティンバートだ。このギルド『赤爪傭兵団』の団長をやってる」
「俺はカナメ。カナメ・アーストライトだ。それで、俺をここに呼んだ理由は? なぜ、俺がここに来た理由を?」
「焦らないでくださいよ」
男は酒瓶を棚から引っ張り出して、ぽん、とそのコルクを抜いた。
「飲みますかい?」
「いや」
未成年だから、と続けようとしてやめた。そんな常識が、この世界で通用するなどとは限らない。
喉に流し込むように酒瓶を煽り、カシウスはその口元を拭った。
「そいつを答える前に、ひとつ提案しておきたいんですが。いわゆるビジネスだ」
「ビジネス?」
そう、と男は頷いた。
「俺はそちらに情報を教える。だがその代わり、ちょっとした仕事をしてもらいたいんですよ」
「……ひとつ言っておきたいんだが」
目線を向けると、カシウスと名乗った男は頷きつつ、続きを促した。
「確かに、俺は『銀楯の聖槍(S.E.L)』に所属してる。だが新人も新人だし、できることなんて大してない。何を期待してるのかは知らないが……」
「なるほど」
男は頷くと、「だが」とそのかぶりを振った。
「俺が求めてるのは、別にS.E.Lの権力やら威光やらじゃない。アンタの腕ですよ」
「腕?」
「見れば分かる。相当腕が立つんでしょう?」
にやりと笑う男に、俺は何も答えられず、ただ沈黙して視線を返した。
何も答えない俺に、ひとくち、男は酒瓶をあおり、ふう、と熱い息を吐いて酒瓶の中の揺れる液体を覗き込んだ。
「ま、サービスだ。乗るか乗らないか、決められるぐらいまでは教えましょうかね。今から一週間前のことなんですが――」
カシウスの話はこうだった。
今から一週間前、商隊が襲われる事件があったのだという。
商隊というのは街道から街道を移動する商人の集団だ。品物を輸送し、隣町で売る……そういったことを生業としている。
だが街道には、モンスターも盗賊も出る。それだけに警備も厳重で、何人もの傭兵を雇って護衛を固めているのだという。
だがその商隊が、傭兵ごと皆殺しにされた。
荷は全て奪われ、生き残りはゼロ。殺された傭兵の中には、この『赤爪傭兵団』の一員も含まれていたという。
「ほとんど全員が、後ろから首をばっさり。手口からして、どう考えても手練のアサシン、それも一人や二人じゃない」
「アサシン……」
「で、だ。なんでもガトートスで、S.E.Lの連中とアサシンがやりあった、って話じゃないですか」
「それで俺を見つけたとき、あんたは連中を探しに来たと、そう考えた……」
要するに、カマをかけられた、ということなのだろう。もっとも、俺がアサシンたちを追う理由と、彼の考えている理由とはまるで違うものではあるが。
「で、ここからが本題ってやつだ」
どん、と酒瓶をテーブルに置いて、男がこちらに向き直る。
「こちらは、商隊が襲われた位置や状況を提供しましょう。そのかわり、連中の居場所を突き止めて欲しい」
「……それは、言われなくてもそのつもりだけど」
「そうじゃない」
ぶんぶんと酒瓶を振って、男は否定した。
「連中の居場所を突き止めて、俺たちに報告して欲しい、っていう意味ですよ」
銀楯の聖槍に、ではなく。
改めて男を見る。その双眸には、暗く鋭い光が宿っているような気がした。はたと、俺は思い出す。
「……確かそっちの仲間が、アサシンにやられたと……」
「そうだ。落とし前はつけにゃならん」
復讐。
彼らの目的はそれなのだろう。合点がいって、ふと、壁際に立ったままの青年へと目を向けた。
ロイス、と呼ばれたその少年は、強く、唇を噛み締めてうつむいていた。
死。仲間との決別。その痛みに耐えかねるように。
「それで? どうします?」
その言葉に、男へと目線を戻す。
飄々としてはいるが、男の目は笑っていない。
そして俺は、しっかりと目を見返しながら、ひとつ頷いた。
「わかった、乗ろう。ただし条件がある――」