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悠久のフォルトゥーナ  作者: 卜部祐一郎@卜部紀一
第三章 『希願』
35/43

(32) - 提案

 夜半すぎ。エーテルランプから漏れるわずかな明かりが、私の手元、机の上を照らしている。

 場所は、自身の私室だ。隊長クラスになってはじめて与えられる個人部屋は、中隊長という自身の肩書きもあって、幾分か広く感じられた。

 もっとも、部屋に私物は多くない。物を持たない性質ゆえか、逆に持て余してすらいた。

 友人いわく、「リンはもっと女の子らしい趣味とかするべき」らしいが、生憎剣に生きてきたこの半生、それらしいものは何ひとつとしてない。


(剣、か……)

 かたりと、机に立てかけたままの双剣に触れる。

 一本は、ごく普通の騎士剣。そしてもう一本は、もっと古めかしい、使い古された長剣だ。

(……私はこの剣と共に生き、いずれどこかで死ぬだろうと思っていた)

 それは戦いに生きる者の定めだ。誰しも剣を取り、人の命を断ったとき、否応も無く悟る真理。今目の前に訪れた死という運命は、近く自分にも降りかかるだろうという、漠然とした予感だ。


(だが、私は彼に死んで欲しくない)

 カナメ・アーストライト。私の知る誰よりも強く、しかし脆く、そして優しすぎる男。

 それはあるいは、覚悟がないと、戦士にあるまじき姿ともすら誹謗されかねない男。

 それもきっと当然だ。彼は本来騎士ではなく、戦士ですらもない。


 ――だから。

 これでよかったのだ、と。

 机の上に置かれた一枚の青い紙に触れながら、そうひとりごちた。


「……リン?」

「っ」

 名前を呼ばれて、私はその紙を両手で押さえながら振り向いた。

「……クレア」

 サンクレア・ノースホルン。小隊の一員であるプリーストで、同時に自分にとっては古い馴染みだ。そして今では隣室同士でもある。


「まだ眠れないの?」

「あ、ああ。少し考え事をしていて」

 言いながらも、机の上にあった紙を、見られないように棚の中にしまいこんだ。

「夜更けにすまない。うるさかったか?」

「そういうわけじゃないけど……んー。あ、入ってもいい?」

「ああ。それは構わないが……」


 頷く私に「それじゃ遠慮なく」と彼女は部屋に足を踏み入れた。

「相変わらず殺風景な部屋ねぇ~」

「……悪かったな」

 手に持っていたカンテラを置きながら告げる彼女に、むくれながら反論すると、くすりと彼女は笑った。


「で? もしかして、愛しのカナメ君のことが気になって眠れなくなったり?」

「……そういうわけじゃない」

 やや渋い顔をしつつ否定する。なんでもかんでも色恋に結び付けたがるのは、彼女の悪い癖だ。

「ふうん。――なら、明後日からの任務のこと?」

「…………」

 何も答えられないままの私を尻目に、サンクレアは部屋にあるベッドに腰を下ろした。

 そして、「おいで」と言わんばかりにその横を手で叩く。促されるがままに、私は、彼女の横へと腰を下ろした。


「不安?」

「……そんなことは」

 首を振ろうとした私の肩を、ふわり、と彼女が抱いた。

「私の前でまで、そんな意地を張らなくていいわ。ここには二人しかいないんだもの」

「…………」

 それは、いつものふざけた姿ではなくて。柔らかく、優しい、母親のような女性の姿だった。

 それが彼女の本当の顔だと、知っている人間はごく僅かしかいない。


「リンは、本当に強くなった。でも、私は知ってる。泣き虫で、いつも不安で、いつも迷って、一人で抱えて。たまには、人に頼るのも大切なことよ?」

「……ん」

「姉さんは、いつだってリンの味方。どんな時も、どんな場所でも。ね?」

 姉、というのは、悪ふざけの言葉ではなく。

 真実、彼女は自分にとっての姉代わりだった。孤児院時代、孤独に震えるばかりだった私を支えてくれたのは、他ならぬ彼女だった。

 私は、彼女の胸に顔を埋めながら、吐き出すように言葉を紡いだ。


「……また……誰かが死ぬのかもしれない」

「うん」

「私の部下が死ぬかもしれない。みんなが、私のせいで、また……」

「うん」


 誰も死なない戦いなんてない。

 誰かを殺すということ。誰かが死ぬということ。死は誰しもに平等に訪れる。出来ることはせいぜい、その確率を下げることぐらいのもので。

 だから、死んで欲しくないなんて我侭だ。誰かの命に拘泥したその瞬間、違う誰かがまた死んでしまうかもしれない。

 殺し合いとは、戦争とは、つまりそういうもので。


「でも……誰にも死んで欲しくなんてない……」

「うん」

 だから、きっと私は誰よりも我侭だ。

 割り切るたびに後悔して。それを繰り返して繰り返して、それでも諦めきれずにまた泣いてしまう。そんな弱い自分が、誰よりも嫌いだった。


「だから、カナメ君の除隊申請を?」

「!」

 私は息を呑んだ。クレアは、ごめんね、と小さく笑って、机のほうを指差した。

「さっき、しまうのを見ちゃった。やっぱり、カナメ君のだったのね」


「…………私が上申したところで、聞いてもらえるとは限らないけど」

 本人からの申請ではない。それに彼は団長に気に入られているという。必ず通るとは限らない。

 だが直属の中隊長からの上申ともなれば、ある程度の効力はある。しばらくの間任務から遠ざけることぐらいは。


「私たちは騎士だ。死ねと言われれば死ぬし、生きろと言われたなら限界まで足掻く。死の覚悟なんて、誰でも持ってる。でも……彼はそうではないんだ。そうなるべきじゃない」

 見知らぬ世界に飛ばされ、命のやり取りを強要され、あまつさえ死んでしまうなんて、理不尽すぎる。

 彼は戦士ではない。騎士ではない。今更に後悔する。彼に戦いを押し付けるべきではなかったと。

 シノブ、という女性と再会できれば、彼は帰れるかもしれない。帰してやりたい、と思う。


 彼女が、私を抱く腕に優しく力を篭めた。

「私は、事情なんて何も分からないけど」

 それは優しく、強く。

 寒さに震えた夜、誰よりも近く傍にいてくれた、あの日の姉のように。

「大丈夫。きっと、何もかも上手くいくわ」


 彼女の言葉を、耳元で聞きながら。

(お前は、きっと帰れる。また、元の世界に)

 私は、ただ目を閉じた。

(だから……無事に帰ってこい)

 そう、願いながら。


 ――たとえ、それが永遠の別れであったとしても。


  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「ここか……」

 俺は呟きながら、その建物を見上げた。


 時は真昼。あれから、すでに一夜を過ぎていた。

 眼前には、巨大な建物がある。長閑な農村であるはずのこのマキスには、とても似合わない類の建物だ。

 鐘楼には大きな鐘が取り付けられ、一見すれば教会のようにも見える。しかしそれにはいささか神聖味が欠け、幾分か雑多な気配に汚れていた。


「おい、そこのアンタ!」

 建物の中に足を踏み入れようとした瞬間、背後からの呼び声に足を止めた。


「?」

「何をしてるんだ。ここは一般人立ち入り禁止だぞ」

 振り向くと、そこには赤い髪の若い男が立っていた。

 若い、と言っても、自分と同じか少し上かもしれない。愛嬌を感じさせる顔立ちで、肩をいからせたその状態であっても、いまいち威圧感を感じられない。


「……その、俺はここに呼ばれたんだけど」

「呼ばれたぁ?」

 男は、腕組みをしたまま上から下まで視線を這わせて、首をひねった。

「あんた、どっかの傭兵か? ウチの新入りって風じゃないしィデッ!」

 最後のは、後ろからにょきりと生えた腕に、鉄拳を落とされたゆえである。多分舌噛んだ。


「馬鹿野郎。ロイス、何してやがんだお前は」

 その鉄拳を引っさげて、後ろから姿を現したのは、昨日見た大柄な男だった。

 鎧姿ではなく、大剣も背負っていないが、その威圧感は見間違えようもない。


「た、大将。いやコイツが、こんなとこをウロチョロと……」

「コイツじゃねぇ。その人は客人だ。ったく、見てわかんねぇのか? あの隊服」

 ロイスと呼ばれた青年は、「あっ」と、驚いたようにその身を竦ませた。


「まさか、S.E.L!?」

「そういうこった」

 大仰に驚くロイスという青年に、大柄な男は大きく頷いた。そして、俺のほうへと目を向ける。


 昨日、兜に隠れて見えなかったその顔立ちは、端正とも表現できるものだ。しかし顔に斜めに走った大きな傷跡が、男から無骨さと荒々しさを感じさせていた。

「すいません、コイツが失礼を」

 濃い緑色の短髪を掻きながら、改めてという風に向き直り、男はそう切り出した。


「いや……失礼なんてことは」

「俺たちはただの雇われギルド。たとえ平の団員でも、騎士様と傭兵じゃ、扱いは天と地ほどにも差があろうもんさ」

 といいつつも、男の言葉に卑屈さは感じられない。むしろそのことに誇りを持っているようにすら聞こえた。


「ま、そりゃあいいとして。そんじゃ、奥にご案内しますよ。ロイス、てめぇも来い」

「ええっ!?」

 ロイス青年はひどく驚いたようにのけぞって、その眼をこちらと大男の間を往復させた。が、その襟首を、大男はむんずと掴み上げる。


「いいから来いってんだ。……ああすいません、こっちにどうぞ」

「おっ、おおおおう!? 大将、自分で歩きますってぇ――!」

 ずるずると引きずられながら上げる青年の叫びに、俺は若干苦笑しつつも、その後に続いたのだった。


   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 案内されたのは、施設の二階奥にある、団長室のような場所だった。

 ような、というのは――要するに、踏み場もないレベルで物がちらかっているため、よくわからないのだ。ちなみに散らかっている物体はというと、大抵が酒瓶だった。

「どうも、汚いとこですが、好きな風に座ってください」

 と、地面にある空き瓶を蹴っ飛ばしながら、男は一番奥のソファーに腰を下ろした。


 どうするべきか戸惑う俺に、ロイス青年がため息を吐きながら、壁際にあった椅子を持ってきてくれた。意外に気配りをするほうなのかもしれない。

 俺は礼を言いつつ腰掛けると、「さて」と大男が切り出した。


「俺の名前はカシウス。カシウス・ティンバートだ。このギルド『赤爪傭兵団』の団長をやってる」

「俺はカナメ。カナメ・アーストライトだ。それで、俺をここに呼んだ理由は? なぜ、俺がここに来た理由を?」

「焦らないでくださいよ」

 男は酒瓶を棚から引っ張り出して、ぽん、とそのコルクを抜いた。


「飲みますかい?」

「いや」

 未成年だから、と続けようとしてやめた。そんな常識が、この世界で通用するなどとは限らない。

 喉に流し込むように酒瓶を煽り、カシウスはその口元を拭った。


「そいつを答える前に、ひとつ提案しておきたいんですが。いわゆるビジネスだ」

「ビジネス?」

 そう、と男は頷いた。

「俺はそちらに情報を教える。だがその代わり、ちょっとした仕事をしてもらいたいんですよ」

「……ひとつ言っておきたいんだが」

 目線を向けると、カシウスと名乗った男は頷きつつ、続きを促した。


「確かに、俺は『銀楯の聖槍(S.E.L)』に所属してる。だが新人も新人だし、できることなんて大してない。何を期待してるのかは知らないが……」

「なるほど」

 男は頷くと、「だが」とそのかぶりを振った。


「俺が求めてるのは、別にS.E.Lの権力やら威光やらじゃない。アンタの腕ですよ」

「腕?」

「見れば分かる。相当腕が立つんでしょう?」

 にやりと笑う男に、俺は何も答えられず、ただ沈黙して視線を返した。


 何も答えない俺に、ひとくち、男は酒瓶をあおり、ふう、と熱い息を吐いて酒瓶の中の揺れる液体を覗き込んだ。

「ま、サービスだ。乗るか乗らないか、決められるぐらいまでは教えましょうかね。今から一週間前のことなんですが――」


 カシウスの話はこうだった。

 今から一週間前、商隊が襲われる事件があったのだという。

 商隊というのは街道から街道を移動する商人の集団だ。品物を輸送し、隣町で売る……そういったことを生業としている。

 だが街道には、モンスターも盗賊も出る。それだけに警備も厳重で、何人もの傭兵を雇って護衛を固めているのだという。

 だがその商隊が、傭兵ごと皆殺しにされた。

 荷は全て奪われ、生き残りはゼロ。殺された傭兵の中には、この『赤爪傭兵団』の一員も含まれていたという。


「ほとんど全員が、後ろから首をばっさり。手口からして、どう考えても手練のアサシン、それも一人や二人じゃない」

「アサシン……」

「で、だ。なんでもガトートスで、S.E.Lの連中とアサシンがやりあった、って話じゃないですか」

「それで俺を見つけたとき、あんたは連中を探しに来たと、そう考えた……」


 要するに、カマをかけられた、ということなのだろう。もっとも、俺がアサシンたちを追う理由と、彼の考えている理由とはまるで違うものではあるが。

「で、ここからが本題ってやつだ」

 どん、と酒瓶をテーブルに置いて、男がこちらに向き直る。


「こちらは、商隊が襲われた位置や状況を提供しましょう。そのかわり、連中の居場所を突き止めて欲しい」

「……それは、言われなくてもそのつもりだけど」

「そうじゃない」

 ぶんぶんと酒瓶を振って、男は否定した。

「連中の居場所を突き止めて、俺たちに報告して欲しい、っていう意味ですよ」


 銀楯の聖槍に、ではなく。

 改めて男を見る。その双眸には、暗く鋭い光が宿っているような気がした。はたと、俺は思い出す。

「……確かそっちの仲間が、アサシンにやられたと……」

「そうだ。落とし前はつけにゃならん」


 復讐。

 彼らの目的はそれなのだろう。合点がいって、ふと、壁際に立ったままの青年へと目を向けた。

 ロイス、と呼ばれたその少年は、強く、唇を噛み締めてうつむいていた。

 死。仲間との決別。その痛みに耐えかねるように。


「それで? どうします?」

 その言葉に、男へと目線を戻す。

 飄々としてはいるが、男の目は笑っていない。

 そして俺は、しっかりと目を見返しながら、ひとつ頷いた。

「わかった、乗ろう。ただし条件がある――」

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