(31) - 二人の決意
草木も眠り静まる夜。
交易都市と称されるこのカリスであっても、夜に訪れるものは静寂だ。
足音も、吐息すらも聞こえてくるほどの丑三つ時。
ふと――俺は、門へと歩く足取りを、ぴたりと止めた。
東門の前に、一人の少女が立っていた。
夜の闇の中にあってなお、月のように美しく輝く髪の少女――。
「シルファ……」
名を呼ぶと、彼女はうつむいていた顔を上げる。蒼色の双眸が、夜の闇に輝く宝石のようにも見えた。
「どうしてここに?」
恐る恐る、そう言葉を紡ぐと、彼女はかぶりを振った。
「……分かってましたから。カナメさん」
責めるような硬い声に、すべてを悟る。
俺は、深くため息を吐き出して、かぶりを振った。
「リンに、聞いたのか?」
「違いますっ」
はっきりと否定する。もっとも、否定されるまでもないことではあった。
リンは、誰にも話さないだろう。シルファが相手であったとして、詰め寄られても口は割るまい。
「……分からないわけが、ないじゃないですか」
シルファの声には、どこか悲しみが滲んでいた。
「私は――ずっとカナメさんを見ていたんですよ?」
「…………」
返す言葉もなく、ただ俺はシルファを見た。
思い返す。俺が目を覚ましたとき、彼女が流した大粒の涙を。
――カナメさんが死んだら……死んだりなんてしたら……私……! ずっと……ずっと怖くて――!
(俺は……)
どれほどの心配を、彼女にかけ続けてきたのだろうか。
「行かれる、つもりなんですよね?」
「ああ」
それでも、俺は頷いた。
「カナメさんを殺そうとした人のところに、たった一人で?」
「ああ」
「……死ぬ、かも、しれなくても?」
「それでも」
迷いはない。
シノブ姉と会わなければ、きっと俺はまた怖がって、前に進むこともできない。それが分かっていたから。
彼女は、顔を伏せて押し黙った。
悲しむだろうか? それとも怒るだろうか? 彼女が抱いているはずの感情は、夜の闇に溶けて、俺の元にまでは届いてくれない。
……そして、もう一度顔を上げた彼女の目には、確かな、強い意志があった。
「なら、私も行きます」
「……、ダメだ。自分で言っただろう? もしかすれば、命が危ないかもしれない――」
「関係ありません」
その言葉に、俺は、思わず口を噤んでいた。
「カナメさんが進むなら、私も進みます。カナメさんが逃げるなら、私も逃げます。……そして、カナメさんが死を覚悟するなら、私も覚悟します」
「……シルファ」
俺は、ただ数秒、彼女の目を見つめて――はあ、と深くため息を吐く。
その意思が、容易に変えられないだろうことは明白だった。
「分かった。ただし――」
「無理はしないこと。危険だと思ったらすぐに逃げること……ですよね」
「……ああ、そうだ」
以前に俺が言った言葉を反芻する彼女に、俺は頷いた。
危険がないわけでは、無論ない。
シノブ姉がアサシンである以上、人殺し集団に接触しなければならないことは明白だ。ましてや、自分がしようとしていることを考えれば――。
ただ、シルファを翻意させることは容易ではないだろう。置いていったところで、俺を追ってくるかもしれない。
(ならむしろ、近くに居てもらった方がいい)
俺が守ればいいのだ。彼女を。
そんなことを考えながら――無論そのときは、それがただの甘い考えだったことを、まだ知る由もなく。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ロープから手を離して地面に降り立つ。
「シルファ」
名を呼んで見上げると、当人はというと、器用に片手でロープにぶらさがって、もう片方の手でスカートを押さえていた。
「う、上を見ないでください」
「……無茶言わないでくれ」
俺がそういうと、シルファは緊張したように、大きく深呼吸。そして、ロープから手を離した。
「よ、っと」
ほとんどお姫様抱っこの形で、落下してくる少女を両手で受け止めた。
……で、俺たちが何をやっているのかというと。要するに、門越えだった。
夜の十時を越えると、街の門は閉じられる。モンスターが昼に比べて大幅に増加するためだ。
通常、この門は何かの理由がない限り翌朝まで開くことはない。
この何かの理由、というのが、いわゆる騎士や商人、貴族といった手合いからの申請だ。
もっとも、俺自身も騎士である以上、きちんと申請をすれば開けてくれる。
だが今回は任務などではないし、できる限り秘密裏に通りたかった。
そのため、わざわざ門の上からロープを伝って降りてきた、というわけだった。
よほど恥ずかしかったのか、シルファは俺の手から離れてなお、その顔を真っ赤に染めていた。
ごほん、とひとつ咳払いをして、彼女は俺に向き直る。
「それでカナメさん、これからどうするつもりなんですか?」
「とりあえず、隣町まで行こうと思う」
「隣町、ですか? そこにシノブさんが?」
ちなみに、東門にまで来る道すがら、彼女にはひととおりの事情を説明してあった。もっとも、俺がこの世界の住人でないことは伏せて、だが。
シルファの言葉に、俺は首を横に振った。
「いや、わからない」
「わからない、って……」
呆れたように言う彼女に、俺は頷いた。
「少なくとも、連中はこの町にはいない。そして当然、ガトートス山にもいないだろう。あんな目に遭ったわけだしな。となると、残りはもう南か東なわけだけど……」
「……そうか。南はすぐ国境なんですね」
そういうこと、と俺は頷いた。
交易都市カリスの南にあるのはイズリ平原、そしてカールフェルト広野。さらに進めばガーベラル王国との国境に突き当たる。
平原部や広野部はほとんど隠れるところはない。そして国境沿いは未だ不安定。連中が貴族に雇われているのなら、刺激しないように避けるはず――
というのが、リンの助言だった。
当然ながら、この世界の政治事情などまるで分からない俺は、素直にその助言に従うことにしたのだった。
改めて目的を確認しあって、俺はそのコートに袖を通し、東の街道へと歩を進めた。
『夜目』アビリティでもあれば別だが、今頼りになるのはカンテラの小さな光だけしかない。
心細くはある。だがガーベラル第二街道と呼ばれるこの街道は、モンスターの出現も少なく、出たとしても最低ランクの雑魚ばかり。奇襲されたとて、一瞬で切り払えるだろう。
とはいえ注意を欠かすつもりはない。ある程度の警戒心を残しつつ、街道を進んでいった。
そして、歩き続けて数時間。十数キロほど進んだ先に、ようやく明かりが見えてきた。篝火の光だ。
「カナメさん、あれ」
「ああ」
頷く。カリスにほど近い位置に存在する農村、マキスだ。
取り立てて何もない平凡な村だ。その広さはカリスに比べるべくもない。
とはいえ、宿屋や武器屋、道具屋といったものは一通りそろっていた。
「とりあえず今日はあそこで宿を……」
言いかけて、気づく。
「何か、騒がしくありません?」
シルファの言うとおりだ。篝火の近くで、なにやら数人の男たちが揉めているように見えた。
近づくにつれて、その声も明瞭に聞こえてくる。
「――とは言われましても。今すぐにとは……」
「言ってる場合か! 俺たちは――」
数人の騎士と、声を荒げる一人の男。
男はひどく興奮した様子で、対する騎士は辟易とした顔をしているようだった。
と、男の方と目線が合う。
なにやら、俺を騎士の仲間と勘違いしてか、ごほん、と咳払いをしてから、その指を騎士のほうへと突きつけた。
「……とにかく! よろしくお願いしますよ!」
言うだけ言って、憤懣やるかたない、という感じで男は村のほうへと歩いていった。
「何かあったんですか?」
気になって、騎士の一人にそう声をかけると、はあ、と頭を掻きつつ騎士がこちらを振り向いた。
「はあ。それがどうも、近くの森で――」
と、騎士がようやく、俺の姿をその目に留めた。
姿、というよりも……服装に、だろうか?
「おい、コイツ……」
振り向いた騎士の隣で、もう一人がその肩をたたく。「ああ」と叩かれた側の騎士も頷いて、眉根を寄せた。
「アンタには関係ないだろう。よその騎士が首を突っ込むことじゃない」
「なっ……」
あまりにもつっけんどんな言い方に、思わず絶句する。むしろこちらを敵視しているようにすら感じられるほどだ。
後ろのシルファも、一瞬何かを言いたげな顔をして、すぐに退いた。自分が口を出すべきではないと思ったのだろう。
「そもそも、S.E.Lがこんなところで何をしてる。このあたりは俺たちの――」
「おい、どうした」
不意の声に、騎士たちがぴくりとその身をこわばらせた。
その背後。彼らと同じ鎧を着込んだ、大柄な男が立っていた。その背に無骨な大剣を背負っている姿を見るに、おそらくはグラディエーターだ。
「お前ら、こんなところで油を売って、見回りの仕事はどうした」
「いえ……その」
「まあいい」と、男はその手を横に振った。おそらく、見逃してやるからさっさと行け、ということなのだろう。
「すいませんね、うちの連中が絡んだようで」
「いえ……」
「しかし、何でもかんでも首を突っ込むのはよくない。この町は、うちの管轄ってことになってるんでね」
その言葉に、俺ははっとした。
「……最初から聞いていたのか?」
でなければ、そんな台詞は出ない。
彼は誤魔化すように肩を竦めると、こちらへと目線をやった。正確には、俺のコートに刻まれた紋章に、だ。
「ところで、S.E.Lなんて大物の騎士様が、こんなところで何を?」
「それは……」
さすがに『暗殺者を探してる』ともいえず、答えに窮して、視線をさまよわせる。と、彼は不意に顔を寄せて――
「もしかして、探し人かな? たとえば――少しばかり危険な連中とか」
「!」
囁くようなその言葉に絶句する。まさか、こちらの目的を知っている?
俺の表情を見た男は、にやりと笑って、その身を翻した。
「貴方は――」
「もしも、俺に聞きたいことがあるのなら、明日。ギルドの拠点を訪ねてくれ。村の連中に聞けば、場所はすぐ分かるだろう」
言うだけ言って、彼は、背を向けたまま歩き出す。
話はこれで終わり、というかのように。それを止めることもできないまま、俺は、一度も振り向くことのない大柄な背中を、ただ見つめて、
(何なんだ、あの男……?)
そう、小さくひとりごちた。
第三章、はじまりです。
出来る限りテンポよく、スピード早めでお送りしたいなーなんて。