(27) - 剣と少女たち
「――そこまでっ!」
号令と同時、木剣のぶつかりあう甲高い音が止んで、隊員たちがくずおれた。
誰も彼もが疲労困憊で、ろくろく立ち上がれそうにもない。私はそれを満足そうに見下ろして、ひとつ頷いた。
「ご苦労。今日の訓練はこれで終わりだ」
「――全員、起立ッ!」
私の声に反応して、横合いから鋭い声が飛んだ。ただその声すらも疲労が滲み出ており、いつもの三割ほども力がない。
その男……ウルキオ・ラヴィニヨールは、どうにか振り絞るように姿勢を正し、声を張り上げた。
「中隊長に、礼ッ!」
「ありがとうございました!」
無論のことながら、「起立」と言っても床から立ち上がれたのは半分ほどもいない。残りの半分は、床に這いつくばったまま、どうにか敬礼の体を示すだけだった。
文句はない。そうしたのは自分の方だからだ。
大の字に倒れる者、ただ蹲る者、立ったまま天井を仰ぐ者――それぞれが反応を示す中、私は「ふう」と息を吐いて、訓練場の端に置いたままのタオルへと手を伸ばした。
「お疲れ様っ、リン」
「ひぅっ!?」
背中に触れた冷たい感触に、思わず振り向く。
「っ、クレアか……」
「ふふーん。背後を取られるなんて、修練が足りないんじゃございませんこと? リーンディア中隊長殿」
サンクレア・ノースホルン。我が隊の医療班を担う女性で、そして自分の同期でもある少女。ハニーブロンドの髪を弾ませながら、彼女はまるで猫のように、悪戯っぽく笑った。
「……かもしれないな。もう少し訓練時間を増やすか」
私が肩を竦めて言い返すと、「勘弁して」と言わんばかりに彼女は首を振った。
「そんなことになったら、ウチの連中は全員過労死するわね」
「それは困る」
お互いに苦笑しつつ、彼女が差し出す冷たい麦茶を受け取って、口へと運ぶ。
一口に飲み干して、ふう、と息を吐いた。
「リン、今日はもう上がり?」
「そのつもりだ。無理にでも休めと言われたからな」
「そりゃそうよ。リン、ずっと働き詰めでしょう?」
呆れ交じりのサンクレアの言葉に、「ああ……まあ」と濁しながらも頷いた。
ガトートス山での襲撃から、およそ一週。
実際のところ、部隊は十全に機能しているとは言い難かった。死者こそなかったものの、未だ復帰できていない負傷者は数多い。
そして人手が足りないからこそ、動ける人間が動くのは当然の理と言えた。
「休むのも仕事の内。支部長にもそう言われたんでしょうに」
「分かってるよ。とはいえ、どうするかな」
肩を竦める。
休みとはいっても、別段することもない。一日家で閉じこもる、というのも妙に落ち付かない。
「そういえば、鍛冶屋の先生が呼んでたよ」
「鍛冶屋の先生? ミミが?」
そうそう、とクレアは頷く。
「新作の武器、頼んでたんでしょ? 完成したから取りに来て下さい、って」
「ああ……」
新作の武器、といえば、カナメの頼んだ剣のことだろう。
そういえば、前の任務が終わるぐらいには出来上がると言っていたか。色々とありすぎたせいか、すっかり忘れてしまっていた。
そして、カナメ自身は未だ療養中だ。
「分かった。一度寮に戻ってから向かうとするよ」
荷物を手にとってそう告げると、彼女はにんまりと笑って手を振った。
「そ♪ まあ気をつけてね~」
「……?」
どこか不審なものを感じながら、私は訓練場を後にした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
鍛冶屋『フェアリーテイル』。
その店は町の片隅に、ひっそりと建っていた。決して大きな店ではない。ただ武器を売る、買うというだけなら、他に大きな店はいくらでもある。
だというのに、俺の知る限り、どうやらその鍛冶屋はひどく繁盛しているらしかった。
鍛冶屋の扉が開いて、一人の剣士らしい男が上気した顔で歩み出てきた。
その両手には、大小いくらかの品物が抱えられている。中には、とてもではないが男には扱えそうにない装備もちらほらと見えた。
彼は、閉まる扉を名残惜しそうに見つめ、そして自分の抱えた装備類を見下ろして、憂鬱そうに顔を落ち込ませた。
(……まあ、気持ちは分からないでもないけど)
とぼとぼと歩いていく男とすれ違いながら、俺は肩を竦める。
店主の気を引くために、店に足繁く通う男などゴマンといる。ましてやそれがこの店ならば、とてもわからない話ではなかった。
苦笑しつつ、鍛冶屋の戸を開く。
「こんちわー……っと」
扉を開いて中に入る。と、中のカウンターに立っていた少女が顔を上げて……そして、不意にその表情を綻ばせた。
「あ、カナメさん!」
「どうも、ミミさん」
天使のような微笑み。まるで小動物のように跳ねながら、金色の髪の少女が手を振った。
そんな姿を見ながら――
(……分からないでもないな)
ひそかに、胸中で頷く。この笑顔が見れるなら、散財してでも足繁く通ってしまうかもしれない。
などと思いつつ、ふと店内に目を向ける。
と、そこには、なぜか予想外の人物の姿があった。
「あれ、リン?」
「カナメ、どうしてここに?」
ほぼ同時に、疑問を口に挟む。
ここにいるはずのない少女……リーンディア・エレクトハイム。黒髪黒目の、変わらぬ凛とした雰囲気をまとったまま、彼女は目を見開いている。
「どうしてここに、って……」
困りつつ、こめかみを掻く。
「昨日の夕方、サンクレアさんが宿屋に来てさ。武器が完成した、っていうから……」
俺の言葉を聞くなり、リンは額に指を当てて、「あいつ……」と呟いていた。
しばし唸るように深く溜息を吐いて、彼女はかぶりを振った。
「もう傷は大丈夫なのか?」
「ああ、それなら全然」
肩をすくめて苦笑する。
先日の負傷は、すでにほぼ完治していた。残っているのはせいぜいがわずかな違和感程度だ。
「そうか……だが、どうも無駄足らしいぞ」
「え?」
リンの言葉に、ミミさんの方を見る。
すると彼女は、申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんなさい。剣自体は完成してるんですが……実は、協会の鑑定登録に出してしまって」
「鑑定登録?」
ミミさんの言葉に耳を傾げると、隣のリンが口を開いた。
「鍛冶師協会の行っている、ユニーク武器の鑑定とその目録だ。必須、というわけでもないが、登録しておけば様々な恩恵を受けられるんだ」
「へえ……」
リンの説明に俺が頷くと、ますますという風に、ミミさんはその表情を落ち込ませた。
「本当は出すつもりもなかったんですが、カナメさんが静養中だって聞いて、それで……」
そうか、と俺は曖昧に頷いた。
確かに休養中なら剣を取りに来ることはないし、彼女がそう判断しても無理からぬことだ。第一自分も、こうしてサンクレアさんに言われなければ、もう少し後に取りに来たはずだった。
隣を見ると、リンが小さく肩をすくめて、ミミさんの肩に手を置いた。
「ミミ、ひとつ確認なんだが……クレアに、剣を取りに来させるよう言ったわけじゃないんだろう?」
「あ、はい。剣をお預かりしていることはお話しましたが――」
ミミさんの言葉に、俺はようやく合点がいく。
リンの方を見ると、「そういうことだ」と言わんばかりに肩をすくめて見せた。
「……要するに、騙された?」
「そういうことだな。何の意味があるかは知らないが」
リンの呆れ顔に――だが、ふと、俺は昨日のある言葉を思い出していた。
『――余談だけどカナメ君。何だったら朝帰りでもいいからね(はーと)』
(あの女……)
テヘッ、とばかりに舌を出して笑う、サンクレアさんの姿が脳裏に浮かんだ。もちろん悪魔尻尾装備で。
俺の様子に、首を傾げるリンの方を見る。
言われた時は何のことかさっぱりわからなかったが、今にしてみれば分かる気がした。
はあ、と溜息を吐く俺を、リンとミミさんは二人して怪訝そうに見つめていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
わずかにオレンジの香りが漂うハニーティーの甘みが、口の中に広がっていく。
今日のお詫び、と言い出したミミさんに、俺たち二人は首を横に振ったのだが、ミミさんの側がどうしても折れてはくれなかった。
結局、紅茶ぐらいなら――ということで、現在に至っていた。
(甘……)
提供されたハニーティーは、とにかく甘かった。
紅茶の中にオレンジのエキスと蜂蜜を溶かし込んだもの、なのだろうが、とにかく甘い。紅茶ってほろ苦いものじゃなかったのか、とちょっと思ってしまうレベルで甘い。
「すみません、こんなものしか出せなくて」
「いや、おいしいよ。ありがとう」
即座に答える。飲めないレベルではないし、甘いは甘いが確かに美味しいのも事実だ。
そうですか、と彼女がほっとした表情を作る。
それとほぼ同時――なぜか俺の真横で、リンが紅茶に角砂糖を投入していた。
(…………)
唖然とするが、誰も反応しない。
案外、見間違いかもしれない。それかもしかして、飲んでいる紅茶が違うとか。
「? どうかしたか?」
そんなことを考えていると、紅茶に口をつけていたリンが、ふと首をかしげた。
「いや……なんでも」
うんそう、きっと俺の見間違いとかに違いない。
紅茶にもう一口つけて、その甘さに再度打ちのめされつつ、カップを置いて周囲を見渡した。
そこは、武器屋の裏にある、半ば倉庫のようなところだ。手狭な空間に、剣やら槍やら鎧やらといった武器防具類が、雑多に置いてある。
「あ……その、整理はなかなか苦手で」
恥ずかしそうに苦笑するミミさんに、確かに、と胸中で苦笑した。
苦手、どころではないと思う。ごった返している、という表現がぴったり似合うほどの乱雑ぶりだ。正直、こんな適当に扱ってもいいものかとすら思う。
(ミズチの鞘に、ユークリッドシールド、ヤドリギの杖まで……)
どれこれも、中級レベルのレア装備だ。
冒険者クラス程度では到底装備できるものでもないが、どうしても目線がいってしまう。
レア装備というのは、店で売られるコモン装備とも、スキルで作るユニーク装備とも違う。
いわゆるモンスタードロップや、クエストの報酬としてのみ手に入る。その性能は当然、店売り品であるコモン装備をはるかに凌駕し、時にユニーク装備すらも上回る。
中には特殊な効果やエフェクトを持つものもあって、マニア心をちくちくと刺激されるのは間違いなかった。
「気になるなら、手に取ってもらっても……」
興味津々な俺の眼差しに気付いたのか、ミミさんはそう苦笑した。
「あ、いや……すみません」
俺は即座に首を振る。
以前、といってもオーリオウルオンライン時代の話だが。ミミさんにコレクションを貸してもらったとき、うっかり武器の耐久度を全耗させてしまったことがある。
武器の耐久度が極端に低いことを失念していた俺の失態だったわけだが……話しかけるたびに涙目になってしまうため、とにかく精神的なダメージが半端なかった。
「別に触るぐらい大丈夫ですよ」
「いや、ホントに平気で――」
言いつつ後ろに下がると、かつん、と足が何か硬いものに触れた。
「? これは……」
足元を見下ろすと、そこにあったのは予想外のものだった。
小さな小さなダガーナイフ。どこからどう見てもレアではなく、店売り品としてのチープさが見て取れた。
一瞬、ミミさんの顔を見て、彼女が頷くのを確認してから拾い上げる。
皮袋の鞘から引き抜くと、剃りのない両刃の刀身が、差し込む光に美しい銀光を返した。
ところどころ、刀身にも柄にも穴が開いており、極限まで軽量化されているように見える。実際、持ってみても重量を感じないほどに軽かった。
「スローイングダガーか?」
その短剣を見て声を上げたリンに、「はい」とミミさんは頷いた。
スローイングダガー。要約すれば投擲用の短剣だ。
といってもメジャーな武器ではない。矢や投石器に比べれば、ナイフは比較的高価であり、おいそれと消耗できるものでもないからだ。
とはいえ、的確に当てる腕さえあれば、スローイングダガーは圧倒的な威力を発揮する。
……そして自分もまた、スローイングダガーは常用する武器の一つだった。
「……投げてみても?」
好奇心を抑えきれずミミさんに問うと、彼女は逡巡する様子もなく「はい」と頷いた。
スローイングダガーを扱うことには、何のスキルも必要ない。
ただ正しいモーションを返せば、正しく飛ぶというだけの投擲武器。アサシン系のクラスであれば専用のスキルも存在しはするが、投げるだけなら何も必要ない。
だが、その『正しいモーション』が何より難しい。そして投げるだけでなく当てるともなれば、その難易度は倍増する。
ダガーをもう一本拾い上げ、開け放たれたままの窓に歩み寄る。若干放置されたままらしい庭には、一本の木が見えた。大きい、とまでは言えないが、それなりに立派な広葉樹だ。
(あれにするか……)
狙いを定め、浅く呼吸をしながら、体を弛緩させていく。
瞬間――鋭く呼気を吐き出して、弛緩させていた全身を跳ね上げた。
思惑通りの動き、思惑通りの軌道でダガーを投げ放つ。空を裂いて直進した刃は、太い幹の中央に突き立って、木をわずかに揺らした。
(もう一つ――)
木の葉が舞い落ちる中、再度呼気を吐き出すと同時、鋭く力を込めてもう一本を投げ放つ。
指先から滑るように放たれたダガーナイフは――ストン、という音とともに、舞い落ちる木の葉の一枚を貫きながら幹に突き立っていた。
「…………すごい」
振り向くと、ぽかんとした顔でミミさんが呟いた。
目が合うと、ぱっと顔を輝かせ、俺の両手を握りしめる。
「すごいっ、すごいですっ! 私、あんなの初めて見ました!」
「そ、そう、ですか?」
勢いに押されて半歩下がる。と、いつの間に立っていたのか、横合いから窓の外をのぞきこんでいたリンが、同意するように頷いた。
「いや、謙遜するな。ここまでの腕を持つ人間は、そうそうお目にはかかれない」
「ですよねっ!」
リンの言葉に、ミミさんも爛々と目を輝かせた。
(……でも)
ちょっと嬉しい。褒められたこともそうだが、どうやら、自分の腕が鈍っていなかったことに。
この世界で生きる以上、こういう技術は必要不可欠だ。あって困るものなどひとつもない。
「ミミさん、ダガーの在庫はまだあるんですか?」
できることなら、サブウェポンとして常備しておきたい。
若干わくわくしながら発した俺の言葉に、しかしミミさんは申し訳なさそうに首を横に振った。
「あ、いえ……あるのはその二本だけで」
「そう、ですか」
思わず、少し残念そうな声が出てしまう。
しかし、ないものは仕方ない――そう切り替えようとしたところで、「じゃあ!」とミミさんが立ち上がって、ぐっと両拳を握りしめた。
「私が作ります! 今日のお詫びも兼ねて!」
「ええっ?」
思わず、素っ頓狂な声を上げる。 いくらコモン装備、それも剣より遥かに安価で作りやすいとはいえ、作るとなれば材料が要る。手間もかかる。となれば当然、値段――出費だってそれなりになる。
「ええと、それは、ミミさんに悪いというか――」
「大丈夫全然平気です! むしろ作ってみたかったので気にしないでください!」
気が付けば、いつの間にかノリノリだった。むしろ目が爛々と輝いている。
(そうだった……)
思わず頭を抱える。
彼女――ミミさんは、いわゆる鍛冶ジャンキーというやつだ。興味が向きさえすれば、嬉々として金槌を振りおろし武器を製造する。
時折、「誰が使うんだこれ」と思えるような、激しく無意味な武器を作ったりすることも多かった。犠牲(?)となった法珠も数知れない。
……どうやらこの世界でも、その悪癖はあまり変わっていないらしい。
「材料は……あれと、これと……あとは……」
ぶつぶつと呟くミミさん。縋るようにリンの方を見ると、「諦めろ」とばかりに肩をすくめた。
……今回ばかりは、多少の出費は覚悟しなければならないらしい。まあ、確かにあれば助かるし嬉しいけれど。
俺がやや心配になりつつミミさんを見つめていると、「うーん」と彼女は首をひねった。
「やっぱり鉱石系のストックが足りないかなあ……」
「それなら、私たちで集めればいいじゃないか」
横から、リンの一声。そして彼女は、ちらりと俺に目配せした。
――なるほど、そういうことか。
ミミさんはリンの言葉に、目をぱちくりと瞬かせた。
「いいんですか?」
「俺に手伝えることなら、なんでも」
即座に頷く。するとミミさんは嬉しそうに、「わあ」とその両手を胸の前で合わせた。
「助かります! 丁度、鉱石系の材料が少なくなってて……でも最近、一人じゃ危険ですし」
危険――そういえば以前、モンスターが活発化している、という話をリンから聞いたっけ。ゲームとあまりに似通る世界だからこそ、そういう感覚はよくわからないのだが。
「いつも世話になってるんですし、これぐらい頼ってください」
俺が頷いてそう言うと、ミミさんは、その頬を少し赤く染めて、はにかむように微笑んだ。
「……ありがとうございます、カナメさん」
――その仕草が、あまりにも可愛くて。
そしてなぜか、隣に立つリンが、じろりと俺を睨んでいた。
「……顔が赤いぞ、カナメ」
「いっ、いや――」
なんでもない、と答えるのが精いっぱいの俺は、全員揃って店から出るまでのその間、リンの視線攻撃に耐える羽目となるのだった。
超久しぶり更新ですゴメンナサイ。
三章に行く予定だったのですが、ここまでがあまりに暗い流れだったので、挟む予定だった話も絡めつつ、外伝として構成することになりました。
この外伝はかなり短めで、二話~三話ほどで終了し、その後再び本編へ移行する予定です。