(25) - 殺意の行く先
かくして、俺は走り出す。
タイタンは、未だ暴れ続けている。盛大に砂塵を舞い散らせながら、右に左にと、人の波を吹き飛ばしていく。
――もっとも、その攻撃が一人一人を吹き飛ばしているのが、まだ幸いだった。
吹き飛ばしているせいで、次々にターゲットを換えており、一人に絞って攻撃されることはない。そのため、まだ死者はないようだった。
……少なくとも、騎士側は、だが。暗殺者側については、パーティを組んでいないため、そのヒットポイントがどれほどなのかはまるで見当もつかない。
見るに、一撃を受けたその大半が、恐ろしいほどにヒットポイントを削られている。まったくもって、出鱈目な攻撃力である。
――恐らく、もって二発。それ以上は、俺のヒットポイントがもたないだろう。
背筋が凍る。猶予は二発。たった二発だ。賭けにしても、あまりに分が悪すぎる。
モンスターの攻撃を避ける、などと簡単に言ったところで、それは至難の業だ。単なるアクションゲームとは違う。それはいわば、ボクサーのパンチを至近距離で避け続けろ、と言われているのとほぼ同義だ。
(……だが、やらなきゃならない)
リンも、シノブ姉も。何もかもを守るには、俺がやるしか方法はない。
また一人、と吹き飛ばし終えたタイタンは、ぎらり、と次のターゲットへ視線を巡らせた。
その視線の先にいるのは――未だ動けずにいる、シノブ姉。
「……!」
背筋が凍る。
アサシンの防御力は、総じて低い。そして今シノブ姉は、恐らくかなりヒットポイントを削られているはずだ。一撃だって、あるいはもたないかもしれない。
「させるか……!」
それだけは――絶対に!
全力で踏み込む。俺の中で限界まで高められた速力値が、あらゆる景色を置き去りに、体を前へと疾駆させた。
「らああああぁっ!!」
振り下ろされる、巨木よりもなお太い石の腕に、全力で一閃する。
硬い感触。恐らく、大したダメージではない。だがそれでも、軌道を変更させることに成功して、石の腕はシノブ姉のすぐ隣の地面を大きく穿った。
さらに横に跳んで、背後を取る。
ぎらり、とタイタンの蒼い双眸が、俺の方へと振り返った。恐らく今の一撃で、ターゲットは俺の方へと移ったはずだ。
(これでよし……)
俺の位置は、タイタンを挟んでシノブ姉の逆側だ。ターゲットが俺に限り、シノブ姉がターゲットにされることも、攻撃に巻き込まれることもない。
ふと、モンスターを挟んだ向こう側、唖然とした表情の少女と目線が合う。
蒼い瞳。アイスブルーの髪。そして、懐かしいその顔、表情、仕草。その全てに、思わず郷愁が沸き起こるが……その全てを振り払って、ただ叫んだ。
「早く! 今のうちに、早く逃げろ!」
「……っ!」
彼女の目に浮かんだのは、深い戸惑いだった。
本当は、全てを聞きたかった。
俺の名前を呼んだ理由。戸惑いの理由。そして、暗殺者だなんてやってる理由も。
だが、今眼前にある強敵は、きっと俺の集中が途切れたその瞬間、この命を狩りにくるに間違いなかった。
――俺に、今出来ることは。全員が逃げる時間を稼ぐという、ただそれだけだ。
「グ……ルァッ!」
ごう、と唸りを上げて、石の巨拳が肉薄する。
タイタンの持つ各種攻撃の中で、もっとも単純な『拳振りおろし』。その圧倒的な質量は、とてもではないが剣一本で受け切ることなど不可能だ。
俺は深く身をかがめ、その軌道の内側をくぐる。股下へ抜きながら、足元へと一閃。
がり、という鈍い音と共に、その石の体がわずかに欠けた。
(……ダメか……!)
まるで手応えがない。
力や技というよりも、むしろ武器の問題だ。奴のヒットポイントを削り切るよりも前に、こちらの剣が確実に折れる。
もし、ダメージを与えられるとすれば――。
(クリティカルだけ、か……)
クリティカルヒット。特定の部位に、特定の攻撃を発生させることで、防御力を無視した特大ダメージを与えることが出来る。
だが、『タイタン』のクリティカル位置は背中。しかも一撃ではなく、何度も何度も攻撃を加えることで封印が解かれ、ようやくクリティカルが与えられる。
(難しいな……)
出来ないことはないかもしれないが――回避に集中することに比べれば、遥かに生存率は下がるだろう。そして、クリティカルをこじ開けるまで、武器がもつのかも分からなかった。
背後に跳躍し、再び正面に戻る。だがまるでその動きに合わせるように、石の巨拳が、恐ろしいまでの速度で下段から振り上げられた。
「――ッ!」
ステップ。横に数センチずらした体のすぐ隣を、土煙りを上げながら巨拳が通過していく。
冷や汗が背を伝う。『タイタン』は、その巨体に似合わない機敏さで、俺を殺傷せんとさらに肉薄した。振り上げられた拳を包むように、もう一つの手が振り上げられる。
(叩きつけ……!)
両腕で地面に叩きつける。タイタンを含む巨人系において、もっとも警戒すべき行動だ。
単純なその威力もさることなら、問題になるのは『震動』である。揺れる地面に足を捉えられれば、次の一撃を確実にもらうことになる。
俺はバックステップして、全力で宙へと跳躍。それとほぼ同じタイミングで、タイタンの両腕が、全力で地面に叩きつけられた。
そして、大質量を地面に叩きつける轟音と同時、地面が激しく脈動した。
しかし、宙に飛んでいる俺にまで、その影響は及ぼされない。
(よし……!)
地面に着地しつつ、心中でほっと一息をついた。
タイミングを見極めてさえいれば、避けることは難しくない。問題は、冷静でいられ続けるかどうか。
(そうだ。冷静に……冷静に……!)
改めて、剣を握りしめる。
(俺は生き残る。……絶対に生き残ってやる!)
そして、眼前へと視線を向けて――俺は、思わず驚愕した。
「シノブ姉!?」
シノブ姉が、タイタンの背後、ナイフを手に跳躍していた。
(攻撃する気か!?)
確かにタイタンは今、叩きつけによる硬直を受けていた。完全なる無防備――だが、無謀だ。
相手はモンスター、それもあの『タイタン』なのだ。ナイフの一発二発、たとえスキルアーツであったにせよ、致命傷を与えることは難しい。
「やめろ……っ!!」
思わず叫ぶ。だが、それももう遅い。
ナイフが紫の光を帯び――そして、鮮やかな軌跡を残しながら、『タイタン』の背中へと突き立った。
「グオオオオオオォォッ!!!」
獣のような叫び声。スキルアーツの威力は、先の俺の斬撃の比ではない。
与えられた確かなダメージは――その標的を変化させる。
ゴゥッ、という風を吹き散らす轟音。
石の巨拳が、まるで風のような速度で、シノブ姉へと直撃した。
「シノブ姉――――っ!!」
彼女の体が、宙空へと跳ね飛ばされる。それを追って、俺はただ跳躍した。
駆け巡る悪寒。
目の前で死んだ少女がいた。目の前で、リザードに喰い潰された、命たちがあった。俺達の手で埋葬した、物言わぬ骸たちがあった。
シノブ姉が、そうなるのだ、と。
(嫌だ……嫌だ、嫌だ!)
冷たい戦慄が背筋を駆け巡る。否定する。そんなことはありえない。あってはならない!
途中で、タイタンの雄叫びのようなものが聞こえた気がした。その一撃が、俺の背を掠めたような気もした。――だが、そんなことなど、至極どうでもよかった。
シノブ姉の体が、地面に二度、三度とバウンドして、砂煙を上げながら制止した。
「シノブ姉……シノブ姉!!」
叫びながら、手元のインターフェースを高速で起動させる。
出現させた赤い小瓶を手に、彼女の細い体を抱き起した。
(生きてる……まだ生きてる!)
息も絶え絶え、といった風だが、それでも彼女は生きていた。
ヒットポイントは分からない。今すぐパーティを組んで確認したい気分だったが、ともあれ、手元の液体を彼女の口元に押し当てた。
「飲んで! 早く!」
声が、届いたかどうかは分からない。
ただ、シノブ姉は小さな呻きを上げながら、赤い液体を口に含んでいく。
回復ポーションを最後の一滴まで流し込んで――「がはっ」と彼女は大きく咳込んだ。
「……良かった……」
生きてる。彼女は生きている。
深い安堵に、思わず力が抜ける。そして、ごんっ、という強い震動が、周囲の大地を震わせた。
それは足音だった。人など比べもつかない大質量――すなわち『タイタン』による。
(タイタン……)
瞬間、俺の中に巻き起こったのは――今まで一度たりと感じたこともないほどの、深い、ただ深い怒りだった。
奴らは全てを奪っていく。シノブ姉も、リンも、シルファも、何もかも、分別もなく殺し尽くしていく。怪物というその概念……ただそれが、今俺は、何よりも憎かった。
そっと、シノブ姉を地面へと寝かせた。
立ち上がり、そして剣を握る。
「……殺してやる」
ぽつりと呟いた言葉から、少しずつ、少しずつ、俺の胸を粘性の感情が浸食していく。
――思い出せるのは、「殺せ」といった男の言葉。
俺は男を殺さなかった。殺したくなかった。殺すべきではないと思った。だけれど……目の前のこいつは、ただ殺したくてたまらなかった。
剣を構える。渦巻く殺意は、ただ胸を熱く、そして頭を急速に冷却化していく。
ただ生き残る、などという選択肢は、もはや露ほどにも俺の頭に残っていなかった。あるのはただ、純化された殺意だけ。
俺は、言葉もなく、疾走を開始した。
かなり離れていたはずのタイタンとの俺の距離は、ほとんどないにも等しかった。
俺を追いかけていた間にも、何度かターゲットを移していたのだろう。そうでなければ、とっくの前に追いつかれていたに違いない。
奴の動きは、それほどに機敏だった。
再び俺にターゲットを移した石の巨人は、疾風のような速度で、その腕を振りおろしてくる。――だが。
(……遅い)
怒りが、殺意が、俺のステータスにすら変化を与えていたのだろうか。
その一撃すらも、俺はスローモーションに感じていた。
股から背後へ抜け、そして背中へと剣を突き刺した。
クリティカルポイント。寸分のずれもなく、狙った箇所へ命中した剣を、俺はまた素早く引き戻す。大したダメージではない。突き立ったわけではなく、ただ少し欠けた程度。
――だがそれも、俺の心にわずかな小波を立てることすらなかった。
振りかえりざまに放たれた巨人の裏拳も、ほんの数ミリほどの誤差で、俺はかがんで避けてみせる。わずかに鮮血が宙を舞った。
そして背後に回っては、クリティカルポイントへの突きを繰り返す。
ただ、その繰り返し。
避けて、当てて、避けて、当てる。
殺意によって冷却化された思考は、機械のように冷徹に、同じ作業を繰り返す。
かわしきれない巨拳が、ラリアットが、踏みつけが、俺の体を掠めては抉っていく。だがその痛みすらも無視して、俺は、ただひたすら剣を振りおろし続けた。
――そして、一体どれほどの時間が経ったのか。
ギンッ、という確かな感触。何十回という攻撃の果て、背中の一部が、崩れ落ちるように割れた。ぼろぼろと崩れ落ちて……そしてその向こう、青い刻印がその姿を晒す。
(もらった――!)
クリティカルポイント。あれを貫ければ――。
だが。
そう思った俺の目に飛び込んできたのは……手に持った騎士剣がひび割れて、無数の破片へと還るその様だった。
「なっ……!」
武器破壊。武器の耐久度がゼロになり、破壊されてしまうという現象。
恐らく、今の一撃が、この剣の耐久度を削り切ったのだろう。
どれほどの力があっても、速さがあっても、剣がなければどうしようもない。俺の剣は、こいつの心臓にとどかなかった。
「あ――」
剣が、砕け散る。無数の破片となった刀身は、虚空に溶けて――その掴もまた、青い粒子となって消え去った。
俺の手の中から、質量が消失する。
「……あ」
目を見開けば。……目の前の蒼い刻印が、いつしかバチバチという紫電を放っていた。
光を帯びていく。これは恐らく……クリティカルポイントが剥き出しになったことによる、自動防衛機能の発動だ。かつて一度、こいつを倒した時に、直撃した記憶がある。
その時は……三次クラスであり、かなりの体力があったはずの俺を、一撃で死亡へと追いやるほどの威力を持っていた。
なら――今は?
「……ッ!」
歯を食いしばる。呆然としていた意識を呼びもどす。
もう避けられないということは分かっていた。防衛機能は、周囲数メートルに対して、円形状に効果をもたらす。どう足掻いても、避けることは不可能だ。
そして俺の剣も、もう砕けてしまった。頼みの綱も、もはやない。
全て、希望は断たれている。
……だがまだ死ぬわけにはいかない。
まだこいつは生きている。トドメを刺さなければ、また、リンやシノブ姉たちに、こいつは牙をむくだろう。
(何か、何か無いのか……!)
ひたすら手を伸ばす。ただ、こいつの心臓を、刺し貫くための刃を求めて。
「あっ――」
目に留まったのは……一本の短剣だった。
それは、そう。シノブ姉が投擲し、タイタンの背に刺さったままの――。
「っ……ああああああああああっ!!!」
死の淵。紫電が迸る。
俺はその蒼印に――引き抜いたナイフを、全力で叩きつけた。
殺意すべてを叩きつけるように。絶叫し、叩きつけ、叩きつけ、叩きつける。
必ず仕留める。こいつを、必ず仕留めて見せる。たとえ、俺の命と引き換えにしたとしても。
――必ず生き残れ。これは命令だ。
「……あ」
不意に、思い浮かんだ言葉。
それは別れ際、リンの言った言葉。
(ダメだ……っ!)
振り絞る。死んではダメだ。死んではダメだ……!
シルファが待っている。リンが死ぬなと言った。そしてシノブ姉に、俺はまだ聞きたいことが残っている!
なら――死ぬわけには、いかない。
(死にたく……ない!)
呻く。叫ぶ。足掻く。
俺は――生きたい。
たとえ、もう帰ることが出来なかったとしても。
たとえ、愛した全ての人間が、俺のことを忘れ去っていたとしても。
リンがいた。シルファがいた。ミミさんがいた。
そして……シノブ姉も、また。
なら――俺は、生きて……彼女たちの元へ帰りたい。
「うああああああああああああっ!!!」
バヂヂヂヂヂヂッ!! という激しい音が迸る。
生か、死か。
その狭間で――俺は。
誰かの声を、遠くに聞いたような気がして。
「……!?」
不意に、短剣が、眩いばかりの銀光を放った。
紫電の光を反射したのか。
あるいは、シノブ姉のスキルアーツが、まだ残っていたのか。
眩い、全てを埋め尽くすような閃光が、周囲を満たし――。
銀色の光が収まったとき……その蒼い印から、光は消え去っていた。
ずうん、という音を立てて、石の巨体が地面に落下する。
腕が、足が、体を成していたパーツがひとつひとつ、重い音を立てて地面に落下していく。体も、そして頭すらも地面に落下して……。
ひとつ……またひとつと、青い粒子が空へ昇って行く。
「勝っ……た?」
それは――死だった。
タイタンという、命を喰らい尽くすために生まれたモンスターの、ひとつの終わりだ。
呆然と、手にもっていたナイフを地面に落とす。そしてそのナイフも、甲高い音を立てて破片となり、空へ昇る蒼い粒子の一部として、虚空へ溶けてゆく。
俺はただ呆然と、その様を、タイタンの終わりを見つめていた。
そして、不意に、地面に落下したままの巨石の首と、目が合った。
「イ……レ、ギュラー……」
「……え?」
――それは、声だった。
巨人の蒼い双眸は、いつしか深紅に染まり、俺を見つめている。
「メ……ガミ……ウラ、ギリ……」
イレギュラー。女神。裏切り。
(裏切り……?)
それは、ただ単語にしか聞こえない。文としての形をもたず、何の意味も読みとれそうになかった。
一体、何を言わんとしているのか。しかし問う間も、思案する間もなく――その首もまた、青い粒子となって虚空に消えていった。
「一体……どういう……」
――と、思考を巡らせようとして。
それすらも待たず、俺の体は地面に崩れ落ちた。
「あ……」
力が入らない。体は鉛のようだった。まるで、自分の体とすら思えないほどに
視界の端にあるヒットポイントのバーを見れば、ほんのわずか、一ミリ程度しか残っていなかった。
(なんだ……結構、ギリギリだったんだな……)
呆然と、そんなことを思う。
「カナメ……!」
遠くから、リンの声が聞こえた。
俺は、目を瞑る。
思いを馳せるのは、リンのこと、シノブ姉のこと、そしてシルファのこと。
(生きてる……俺は……生きてる)
そう――生きてる。
だから……今は、帰ろう。
閉じる瞼の、その裏で。
たゆたう銀色の夢に、深く、深く落ちていった。
2/10 内容を大きく変更しました。それに伴い、22~25話まで大きく変更されています。




