(24) - 呟かれた再会
「――ブレイクっ!!」
蒼を纏う四条の斬線が、五体を喰い破る顎のごとく、少女へと殺到した。
裂帛の踏み込み。斬撃。
砂塵が舞い上がって――少女二人を覆い尽くした。
「リン、無事か……っ!?」
俺は声を張り上げる。
投擲した剣を拾いあげた時には、視界は砂塵に閉ざされて、もう何も見えなくなっていた。
ディレイの瞬間、放たれたリンの一撃。タイミングとしては、恐らく完璧だった。決まったはずだ――彼女は勝ったはずだ。
「リン……!」
なら、きっと、この声にも答えてくれる。
そう信じて声を張り上げて――一陣、吹いた風が、砂塵を吹き散らした。
視界が開ける。
「リン!」
彼女は、無事だった。
剣を支えに膝をつき、肩で息をしていても、それでもなお無事だった。
ヒットポイントゲージが見て取れる。半分ほどに減ってはいるが、それでも、彼女が生きていることの証だ。
「無事か、リン!」
「……カナメ、か……」
かがみこむと、疲弊しきった顔で、彼女が俺に言葉を返した。
「やはり……さっきのはお前だったか」
「ああ。いいから、とにかくコイツを」
インターフェースを操作して、手元に赤い液体の満たされたビンを出現させる。
「……すまん」
一言礼を告げ、彼女はそのビンをあおる。
ふう、と溜め息をひとつ。これで数秒も経てば、彼女のヒットポイントは完全に回復しているはずだ。
ざっ、という土を踏む足音に、俺ははっと顔を上げた。
剣を取る。
目線の先……やや離れた位置には、ぽつりと、白い服の少女が立っていた。
(今の一撃を、躱したのか)
半ば信じられない気持ちで、俺は息を吸った。
完璧なタイミングだったはずだ。だがそれでもなお彼女は避け、そして恐らく、リンに対して何らかの反撃を行った。
結果を見るのなら、そういうことなのだろう。
だが少女もまた、無傷ではなかった。衣服は刃に切り裂かれ、ところどころ血が滲み出ている。致命傷ではないにせよ、スキルアーツの一撃なのだ、かすっただけでもかなりのダメージのはず。
「……まだ、戦うつもりなのか」
「…………」
少女は答えない。ただ、その眼が、俺を見下ろしている。
(……?)
不意に、違和感を覚えた。
その眼に……なぜか、戸惑うような、そんな光を見て。
(俺は――この目を知ってる?)
不意に、ふわりと風が舞った。
風は少女の服を、音を立ててはためかせ――きっと、リンの一撃によって切り裂かれていたのだろう――白いフードが、空に舞った。
「……あ……」
馬鹿な、と、そう思った。
ありえない、と――そう願った。
少女の、その顔は。
「シノブ……姉?」
あまりにも――在りし日の少女に、瓜二つだった。
(そんな……馬鹿な)
ありえない。ありえるはずがない。
彼女が、シノブ姉のはずがない。
……シノブ姉が、ここにいるはずがない。
諦めていた。もう会えないと思っていた。
まさかそれが――
(嘘だろ……)
こんな再会、だなんて。
ゆらり、と少女はナイフを構える。
それと同時――彼女は、まるで風のような速度で躍り出る。
「カナメッ!!」
地面に突き飛ばされる。
何の躊躇もなく突き出されたそのナイフは、虚空に鮮血を舞い散らせた。
――その血は、俺のものではない。
「ぐっ……」
リンが苦悶に顔を引き攣らせつつ、両手で剣を構え、足を踏みしばった。
その肩からは、一筋、赤い血が流れ落ちている。
「リン!!」
「何をぼうっとしてるんだ! 相手は……私たちを殺すつもりなんだぞ!?」
「……っ」
……殺す?
言葉を返すことも出来ないまま、俺は少女――シノブ姉の方を見た。
彼女は血に濡れたその刃を、俺たちに向けている。リンの血で濡れた、その刃を。
「ちくしょう……」
唇を咬む。
嫌だった。何もかもが嫌になりそうだった。
シノブ姉が、俺に刃を向けていることも。彼女が、殺し屋だなんてやってることも。
(でも……二人を、戦わせちゃいけない)
リンと、シノブ姉。かつて、俺にとって、誰よりも大切だった二人。誰よりも近く、誰よりも信頼できていた二人。だからこそ――この二人を戦わせるわけにはいかない。
立ち上がり、剣を取る。それは俺のものではなく、リンの剣だった。
この銀色の刃は、人を傷つけ、時に殺す。
……それは、時として大切な人でさえ。
(でも俺は……戦わなくちゃいけない)
リンを失うわけにはいかない。であるならば――答えは一つだ。
「……俺は、シノブ姉を止める」
静かに宣言する。
背中には、嫌になるほどに戦慄が駆け巡っていた。
彼女のヒットポイントは、あとどれくらいだ? どうすれば止められる? どうすれば殺さず、傷つけず、俺は彼女を止めることが出来る?
向こうに、きっと手加減はない。
当たり前だ。彼女は俺のことを覚えていない。手加減する道理などあるはずもない。
――だが。
すぐに来る、と思っていた攻撃が、いつになっても来ない。
(……なんだ?)
彼女は、短剣を構えることもなく、ただ俺を見つめていた。
その表情にあるのは――敵意では、ない。
(迷って、いる?)
前の世界のままの、無表情なその顔の向こうに、驚きと、そして迷いとが見て取れた。
その仕草は、かつて見た、あの日の少女そのままであり。
……そして。
「……カナ、メ……?」
その口から言葉がこぼれ出た、その瞬間。
世界を震わせるような振動が、全てを包みこんだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「なっ……!?」
大地震。そう見紛うほどの大震動は、立つことすらも許さない。思わず、俺は足から崩れ落ちた。
もっとも、これは攻撃ではない。その証拠として、俺のヒットポイントゲージは、一ミリたりと削られていなかった。
甚大な砂埃が舞い上がり、俺の眼前から、視界を全て奪い去って行く。
「シノブ姉っ!」
叫んだ。焦るように、手を伸ばす。
(そんな……まさか)
最後に、彼女が言った言葉。俺の名を呼んだ、彼女の声。懐かしい仕草、その表情。
(俺のことを……覚えてるっていうのか!?)
この世界では、誰も彼もが俺のことを忘れていた。
リンも、ミミさんも、マスターも、誰も、俺のことを覚えちゃいなかった。
だからきっと、彼女も同じだろうと……俺はそう思っていた。
――だけれど、もしかしたら。
わずかな希望に縋るように手を伸ばす。しかし砂埃に遮られ、それすらもままならない。眼に砂が入り、際限もなく涙がこぼれおちる。
いつしか震動は収まり、砂埃ばかりが周囲を包んでいた。そして――
「グ……オオオオオオオオオオオオッ!!!」
おぞましいほどに大気を震わせる叫びが、その砂埃すらも吹き飛ばした。
「なっ……!」
唖然とする。砂埃が晴れた先――その先にいたのはシノブ姉ではなく、巨大な、石の巨人だった。
(モンスター……!?)
それも、ただのモンスターではない。
石で出来た野太い腕、二対の蒼い双眸、人型を成してはいても、その全長は人間の二倍以上もあった。巨漢どころではなく、もはや見上げんばかりだ。
Bランクユニークモンスター、『タイタン』。
かつて、俺達が倒したSランクユニーク『ギガース』の下位種族と言える存在だ。
「馬鹿な……! こんなところにいるはずが……!」
タイタンの出現するフィールドは、こことは全く違う場所だ。ガトートス山などという、低ランクフィールドに登場するモンスターでは断じてない。
「カナメ!」
背後からの声。振り向けば、どうにか傷を治したらしいリンが、剣を構えて俺の横に立っていた。
「リン! 大丈夫か?」
「ああ。私は平気だ。それより、あれは一体……」
リンもまた、混乱しているらしい。
当然だろう。暗殺者に襲われたかと思えば、今度は出現するはずのない、それもとびきりに強力で凶悪なモンスターの出現だ。混乱しない方がどうかしている。
――と。
「ぐあああぁ――っ!?」
どぅん、という激しい音と同時に聞こえてきた悲鳴に、俺たちははっと顔を上げた。
見れば、暴れ始めた『タイタン』によって、兵士たちが吹き飛ばされていた。そこに、小隊員か暗殺者かの分別もなく、ただ殺戮するために、巨木にも匹敵する石の塊を振るっていく。
「ちっ……!」
リンが舌打ちする。二対のうち、残る一本の剣を抜いて立ち上がり、駆け出そうとする――と。
「待て、リン! あれは『タイタン』だ! 全員でかかっても勝てるかどうか……!」
ユニークモンスター。強敵の代名詞を冠する彼らのステータスは、Bランクから急激に跳ねあがる。Bランクに属するユニークモンスターは、Aランクモンスターのそれを遥かに上回るほどだ。
彼らの討伐には、少なくとも、三次クラス以上の実力が必要となる。それが、かつて俺の居た世界での常識だった。
「だが……!」
「分かってるさ。見捨てろなんて言わない」
彼女は決して、その選択肢は選ばない。その確信があった。
だが、かといって、真正面からぶつかれば生き残れる自信はない。全滅すらもありうる。
――かつての惨劇を思い出す。ジェネラルリザードによって、殺され、蹂躙された、あの血の海を。
あの繰り返しだけは、絶対に避けなければならない。
「……だから、俺が囮になる」
「カナメ!?」
「その間に、リンは部隊を纏めて撤退させるんだ! それしかない!」
戸惑う彼女に、俺はそう断言した。
囮。言うは易し、成すは難しだ。
確かに、俺のレベルは引き継がれ、ステータスもまた通常とは比べ物にならないかもしれない。だがかといって、俺のクラスは、所詮『冒険者』。
奴の一撃を受ければ、生きていられるとは限らない。
(だとしても――)
それを受け持つ人間は、俺以外には考えられなかった。
俺には知識がある。日夜モンスターと戦い続け、ダンジョンに潜り続けた俺には、彼らにはない知識が。当然、俺はタイタンの攻撃パターンも全て知り尽くしている。
……そしてそれ以上に。
俺は、ちらりとシノブ姉に視線を向けた。
彼女のことが気がかりだった。出来れば今すぐにでも、本当のことを確かめに行きたい。しかしタイタンにとって、俺やリンだけでなく彼女もまた、殺すべき標的の一つに過ぎないのだ。
――なら。彼女を護れるのは、きっと俺しかいない。
「カナメ……!」
「行くんだ。……大丈夫、俺は死なない……絶対に」
――そして、誰も殺させはしない。
死ぬかもしれない。その悪寒はある。だが――。
(シノブ姉と殺し合うより、百倍はマシだ)
それならばむしろ、奴に感謝しなければならないのかもしれない。
「……分かった」
俺の決意を読みとったのか、ぽつりと彼女は呟いた。剣を腰の鞘に戻す。
そして、俺に背を向けて――ただ一言。
「――必ず生き残れ。これは命令だ」
「ああ!」
かくして、俺たちは走りだす。
2/10 内容を大きく変更しました。それに伴い、22~25話まで大きく変更されています。