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悠久のフォルトゥーナ  作者: 卜部祐一郎@卜部紀一
第二章 『氷刃』
25/43

(23) - 死闘

「もらう――っ!!」

 裂帛の声。疾駆。踏み込む。

 瞬きほどの一瞬で距離を詰め、私は標的を双剣の射程圏内に納めていた。

 出来ることなら、殺すことなく捕えたい、と思う。

 彼がなぜ自分たちを襲ったのか。その理由が気になっていた。

 しかし、難しい――というか、手練れの相手にそれを成すことは至難の業だ。


 だがこの一瞬。

 霧の晴れたこの一瞬、相手が動揺している今ならば、あるいは――!

「――ッ!」

 呼気を吐きだし、一閃。狙うは下段。右の剣が這うようにして足を狙う。

 だが、相手はさすがの冷静さで、はっきりとこちらの狙いを読み、わずかに後ずさって下段一閃の射程から逃れていた。――だが。


(今――!)

 左足を踏み出す。そして同時、渾身の切り上げが、相手の右手――ナイフを握っている方へと、鮮やかな弧を描いた。

 足への一閃はオトリだ。無論手加減していたわけではない。当たれば良し、当たらずとも二撃目で無力化するという二段構え。


 ――しかし。

 返って来たのは、はっきりとした抵抗で押し戻される、強い感覚だった。

 二段構えすらも読み抜いたのか。いつの間にかナイフを逆手に持ちかえていた少女は、こちらの剣撃を押し返していた。


「くっ……!」

 動揺の間隙をついたにも関わらず、冷静、かつ迅速な対応に、思わず舌を巻いた。

(こいつ……本当にやるっ!)


 ギリ、と握る刃に力を込めた。その瞬間――

(……っ!!)

 ひらり、と少女が身を翻した。

 こちらの力を巻きこむような円運動。剣が絡め取られ、重量に従って、思わず体が前方へと傾く。

 そして……彼女の右手が、まるで消えるように閃いた。


(疾い――!?)

 その速度に驚愕する。

 気がつけば、少女の左手の短剣が、迅雷のような速度で眼前へと肉薄していた。

「っ……!」

 どうにか顔を逸らして突きを避ける。

 同時、足で少女の胸を蹴り飛ばして突き放した。


 近接戦に持ち込めれば有利だと、そう思っていた。

 だが、どうやら思い上がりだったらしい。先の身のこなしは、リーチの差などまるで覆してしまえるほどだった。

 それでいてその瞳は氷の如く、冷静に、かつ細やかにこちらを観察している。

(これは――)

 私は、もはや、最初の考えを捨てざるを得なかった。

(生け捕りなんて言ってたら……やられる)

 確信として、それを認めた。


 私が死ねば、彼女はどうするだろう?

 決まっている。その刃で、自分の後ろにいる彼らも手にかけるだろう。サンクレア、ウルキオ、トレイア、他にも、愛すべき自分の部下たちを――そして、カナメさえも。


「させない……」

 させるものか。させて、たまるものか。

(騎士の剣は、ただ弱き者を護るために)

 小さく心に刻む、誓いの言葉。


 ――そのために、彼女を殺さざるを得ないことを、ただ静かに確信した。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 周囲を、風が吹き抜けていく。

 俺の刃は喉元に、俺の体は奴の上に。まったく身動きの取れないその状況で、男は、小さく笑って見せた。

「どうした? 殺せよ」

「…………」

 答えを返せないまま、汗に湿る手で、剣を握りしめる。

 男のその言葉に従うのは、極めて簡単だった。

 この刃を、あと数センチ下ろせばおしまいだ。首を貫かれて、生きていられる人間はいない。


 彼を殺すことを躊躇すべきではなかった。もしここで生かしていれば……彼はどうする? 殺しをやめるか? いいや、そうは見えない。きっとまた、誰かを殺す。

 その誰かは、一体誰だ?

 俺の見知らぬ誰かか? 見知った誰かか? リンか、シルファか? それとも、また俺か?

 躊躇うべきではない。殺しておくべきなのだ。

 生きるために。大切なものを守るために。


 ……だが。手は、まるで動かない。

 そんな俺に、男は、その笑みをにやりと歪めた。

「やっぱりそうだ……。アンタ怖いんだろう? 人を殺すのが」

 びくり、と肩を震わせた。

 違う、と、否定しようとして、手が震えてることに気がついた。剣先がぶれて安定しない。それはきっと、剣の重さ故だけではなく。


 ――怖い。人を殺すのが、たまらなく、俺は怖い。

 人を殺せば死ぬ。当たり前のことだ。分かっている。

 だけれど……俺が躊躇えば。また、誰かが死ぬかもしれない。シルファの姉がそうだったように。彼女が大切な人を失ったように、俺のせいで、また失われる魂があるのかもしれない。


 俺はこの世界で生きると決意した。

 俺は、この世界に、もう背を向けることはしないと決意した。

 ――この。あまりにも、残酷な世界に。


「殺せよ……」

 ああ……分かっている。分かっている。分かっている、分かっている……!

「殺せ……っ!!」

 分かっているから――!


「黙れェっ!!」

 手に伝わる衝撃。血しぶきは――なかった。

 男を打ち抜いたのは、剣ではなく……俺の拳だった。


「くそ……」

 吐き捨てる。息はただ重苦しい。

(そうだろ……何も殺す必要なんてない)

 牢屋にでも放り込んでやればいい。後は、そう、誰かがどうにかしてくれる。


 まったくもって他人任せの他力本願だが、俺に出来ることは、もうそれぐらいしかなかった。

(早く終わらせて、帰ろう)

 きっと、シルファが待っている。

 リンと、みんなと、一緒に街に帰って……それで元通りになればいい。


「おい、大丈夫か!?」

 声をかけられる。振り向けば、そこには、例の救護班の男が立っていた。

「ああ……大丈夫だ」

「ヒールをかける。じっとしていてくれ」

 言われて、頷く。途端、緑色の光が男の掌から生じて、いつの間にか三割近くも削られていた俺のヒットポイントゲージを、端から回復させていく。


「しかし……さすがだな、まったく」

「え?」

「俺は、あんな速さで動く人間を初めて見たよ」

 ヒットポイントを示す赤いゲージが端にまで至り、わずかに煌めきを返した。ふっ、と、彼が微笑む。


「隊長が、アンタを選んだ理由が分かる。大したもんだ」

「あ、ああ……」

 その言葉に、思わず照れくさくなって、少し顔を横に背けた。

 彼は、人好きのする笑顔を浮かべて、ぽん、と俺の肩を叩いた。――と、不意に思い出す。


「ああ、そうだ。アイツは気絶させたままなんだ。眼が醒めるより前に、縄ででも縛っておいた方が――」

「ん?」

 俺の指差した方角を見て、「そうか……」と唸った。

 彼の目には、迷いが見て取れた。恐らく、とどめを刺しておくべきかどうか。だが、それを振り払うように、「分かった」と彼は頷いた。


「今の状況で捕虜は危険だが……雇用主を吐かせる必要があるな」

 ――捕虜、か。

 それはつまり、拷問にかける、ということなのだろう。殺すことを躊躇わないなら、きっとそれも彼らは躊躇わない。

 かといって、俺にそれを止める力など、あるはずもなかった。


 頷く俺に、彼は杖を手にとって、しかと頷いた。

「なら、俺はあいつを確保しておく。お前は隊長を頼む」

「リ――隊長を?」

 そうだ、と彼は頷いた。


「もしこの状況で狙われる人間があるとすれば、それは隊長だ」

「……!」

 狙われる。リンが。その言葉に冷たい戦慄を覚えながら、俺は「分かった」と頷いた。


「隊長を、任せたぞ。アンタならきっと――」

「……ああ」

 頷いて、剣を握る。


 リン。リーンディア・エレクトハイム。

 俺を支え、導いた女性。かつての友。そして今は――友か、仲間なのか。俺と彼女を結びつける形容詞は、俺には思いつかないけれど。

 それでも……彼女だけは、守らなくてはならない。

 俺は、きっとそのために――この世界で、生きることを選んだのだから。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 リーンディア・エレクトハイムの戦いは、既に一進一退の状況となっていた。

 リーチに優れる二刀に対し、しかし実質、身体能力に関しては少女の方が一枚上手だ。

 嵐のごとく放たれる連撃を神業の如く捌き続け、それでいて時折、蛇のような正確さで一撃を繰り出す。

 彼女は間違いなく、暗殺者としても、戦士としても一流以上だった。


(だが……これ以上時間をかけるわけには)

 今この状況の中でも、背後で一体何が起きているか分からない。

 誰かやられているかもしれない。最悪、全滅している可能性すらある。

 ――しかし、焦れば、自滅もまた必至であった。


 ……もしもチャンスがあるとするのならば。

 それは恐らく、一瞬だけ。


「はっ――!」

 気合一閃。左手を斬り上げ終わるとほぼ同時、右手の刃を、迅雷の速度で突き出した。

 線による攻撃が続いていた中での、唐突な点への変化。これを対応することは並大抵ではない。

 だが――

「っ……!」


 少女の体が、まるでブレるように、横にずれた。

 それはほんのわずかな動き。だが既に放たれた突きは、点であるがゆえに、そのわずかな誤差を修正することはもはや不可能だ。

 少女のローブをわずかに掠め、刃は後方へと流れていく。


「あ――」

 声が漏れた。それは自分の声か、それとも少女の声か。

 左はまだ引き戻せていない。右手はもう戻れない。すなわち今――自分は、完全に死に体だ。


 ぎらり、と、ローブの奥で――少女の瞳が光ったように思えた。

 少女がナイフを振りかぶる。それと同時……音もなく、そのナイフが紅色の光を帯びるのを、確かに見た。

「スキルアーツ……!」

 戦慄が、背筋を駆け抜けていく。


 スキルアーツ。それは、クラスと呼ばれる天啓に授けられた、ひとつの神技。古代の英雄たちの技を、その権能を借り受けると称される、一撃必倒の剣技だ。

 刃に宿る光は、その力を借り受けることの証明。

 今より繰り出される一撃は――物理法則すらも、人の理さえも越えてゆく。

 受ければ、死も免れ得ない。その確信すら感じられるほどに、刃に宿った光は強く、そして禍々しかった。


 ――アサシン、上位スキル『スカーブラッド』。

 この場において、リーンディア・エレクトハイムが知る由もなかったが、その技はそのを持っていた。

 神速で踏み込み、神速で切り抜ける。交錯の瞬間、逆手に持ったナイフで相手の喉を両断するという技で、単純に言ってしまえばただそれだけのことだ。

 だが、ただそれだけの単純なスキルアーツであるがゆえに……その速度、そして威力はまさに神域にあった。

 少女は踏み込む。その速度は、先ほどの比ではない。スキルアーツによる速度補正は、決して人の届けない領域たかみまで、少女を押し上げていた。


(避けられない……!)

 静かに確信する。

 速度、タイミング、そしてこの状況。確殺――そう思えるほどに致命的。

 紅の刃が目前に迫る。氷のような瞳が、私の死を告げている。

 何もかもが、もう間に合わず、そして――


「リン――ッッ!!」


 死の、間際。不意に、叫びが聞こえた。

 はっと、何かに気付いたかのように少女が顔を上げる。チッ、という焦るような舌打ちの音。そして、確実に殺せたはずのその一撃を、少女はすんでのところで霧散させて、後方へと飛びのいた。

 何故――と思う暇もない。少女が飛び退くとほぼ同時、ザンッ、という鋭い音を立てて、剣が地面へと突き立っていた。


「……!?」

 それは一本の騎士剣。一瞬前まで少女が立っていたその場所に、深々と刃を突き立てている。

 誰かの手によって投擲されたのだ。そこに理解が追いつくや否や、それが誰なのかを確かめることもせず、私は全力で地面を蹴った。

 冷や汗で締め切りった両手で、剣を握りしめる。

 千載一遇の、もはや二度とない、絶対の好機がそこにあった。


 魔法スペルに対し、スキルアーツは魔力を消費することもなければ、何かの代償があるわけでもない。確かに少しばかりの体力を消耗するだろうが、それだって、普通に剣を振り回すのも同じことだ。

 しかし、無制限に使い続けられる、というわけではない。

 スキルには、二つの欠点が存在する。それが、発動後硬直スキルディレイ、そして行動準備チャージモーションと呼ばれる、いわゆる『隙』である。

 後者は、スキルアーツを放つ際、発動までにかかる時間……つまり『溜め』である。溜めを必要とするスキルは、近接距離での戦闘中に放てば無論のこと致命的な隙となる。

 対して前者、発動後硬直スキルディレイとは、技を放った直後、身体的負荷によって強要される硬直時間のことだ。この間、一切の行動が封じられ、これまた致命的な隙を生む。


 『チャージ』と『ディレイ』……そう呼ばれるこれら二つは相関関係にある。

 チャージの少ないスキルはディレイが多く、ディレイの少ないスキルはチャージが大きい。この二つがまったくないスキルは皆無だ。

 そして今――限りなく発動の早い、即ちチャージのない『スカーブラッド』を放った少女は……間違いなく、ディレイによる硬直を受けていた。

 たとえ発動を中止させ、後方に飛びのいたとしても、その硬直を消すことは不可能だ。


 このチャンスを、逃す手などありはしない。

「っ……」

 無理な避け方をしたせいだろうか、筋肉が悲鳴を上げている。

 気が遠くなる。今すぐにでも倒れ込みたい、という衝動が心を掻き毟る。それを気力と気合でどうにか抑え込んで、両足を踏みしめる。

 この好機を逃せば、二度目は無い――。


「ガルム――」

 双剣に光が宿る。その色は、どこまでも清廉な蒼。

 両腕を交錯する。それは、必要とされる行動準備チャージモーション

 しかし、対する少女は動けない。ディレイと呼ばれる、神の呪縛に囚われて。


「――ブレイクッ!!」


 その、宣言とほぼ同時。

 駆け出した少女が放ったのは、まったく・・・・同時の・・・四連撃であった。

 それはまさしく、大狼のあぎとが咬み切ることが如く。上下から放たれた四条の蒼閃は、瞬くほどの間に少女に殺到した。

2/10 内容を大きく変更しました。それに伴い、22~25話まで大きく変更されています。

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