(01) - 幸せな日々
ズゥン、という音と共に、巨人の頭が地面に落下した。
天をも衝くような威容を誇る鋼鉄の巨人は、今や地面に片膝をつき……そして頭頂から順番に、頭から方へ、剥がれ落ちるように崩れていく。
そして、数秒後。その全てが瓦解するように大地へと崩れ落ち、天高く砂埃が舞い上がるのと、まったく同時。
俺達の頭上で、高らかにファンファーレが鳴り響いて――。
「やっ……」
巨人の足元に居た俺は、盛大に砂埃を被りながら……しかし高らかに武器を掲げて、気がつけば叫んでいた。
「やっ……た、ぞ――ッ!!!」
うおおおおおぉぉっ!! という歓声と同時に。
ぶわぁっ、という砂埃を押し流す涼やかな風の音と共に、巨人であったものから立ち上る、無数の青い光の粒。それが緩やかに、天へと昇っていった。
二年間の永きにも及んで誰も攻略しえなかった、難攻不落のSランクユニークモンスター『ギガース」は……ついに、この日、俺達の手によって討伐されたのである。
――空に浮かぶ、白く、そして薄く濁る円環が、俺達の勝利を見下ろしている。
オーリオウル……円環に見降ろされた世界、フォルトゥーナ。その片隅で、俺たちは今日、記念すべき一日を刻んだ。
――これは、俺にとって、何よりも輝かしい記憶。
決して失いたくないと願う、あの冬の日の記憶……。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「やったなぁ、カナメ!!」
がつんっ、と肩を組まれると同時にジョッキをぶつけられ、俺は思わずよろめいた。
見ればそれは、この店『風見鶏亭』の店主である。NPCに任せておけばいいものを、自分で創業したこの店を、わざわざ自分で切り盛りする偏屈者だ。
そこまで強くぶつかられたわけでもないのによろめいて、「こりゃ酔ってるな……」と少し自覚。とはいえぶつけた方の顔も真っ赤であり、概ね似たようなレベルである。
無論この世界……即ち、没入型MMORPGにおいて、酒を飲んだところで本当に酔っぱらうわけではなく、その酩酊感はあくまでシステムの作り上げた幻覚でしかない。のだが、まあそんあことは実に些細な問題である。
ぶつけあったお互いのジョッキには、なみなみとエールが注がれており、当然ながら衝撃で少しテーブルへと零れてしまっている。が、気にする人間もいない。
気がつけば周囲も割と惨状である。酒に弱いらしい面々は早々に酔い潰れて眠ってしまっているし、人によってはなぜか性格すら変わり、説教すら始めている者もいる。
(リンの奴……ストレス溜まってんのか? ライも可哀想に……)
説教する側を心配し、される側を憐れみはするが、まあ助けるつもりは毛頭ない。せっかくのこういう席だ、思い思いに呑めばそれでいい。
今日は、このVRMMO……≪オーリオウル・オンライン≫にて、初めてSランクのユニークモンスターが討伐された日である。
ユニークモンスターというのは、いわゆるボスのようなものであり、時にダンジョンの奥深く、時にフィールドに出現する強敵だ。
モンスターランクは雑魚であれ何であれE~Sに分けられ、Sというのは最高ランク、そのユニークともなれば、このゲーム最強の一角と言っても相違ない。
ネットゲームが往々にしてそうであるように、このゲームにはエンディングと呼べるものは存在しない。あるのはただ、茫漠とした広大な世界である。ストーリーは、一人一人、プレイヤー自身が創り上げていく。それは要するに人生と同じものだ。
しかしこの≪オーリオウル・オンライン≫の茫漠さたるや、まさに筆舌に尽くしがたい。
そも、最強と呼ばれるSランクのユニークモンスターが討伐されるのに、およそ二年という長い年月を有したのだ。
まあどれだけ強かろうが、何百人単位でプレイヤーが押しかければ倒せるのだろうが……そこは生憎、ユニークモンスターは、戦闘人数が十人を越えるとどこぞへ消えてしまうのだ。
まあともあれ、今日この店は、Sランクユニークモンスターを倒した、十人から成るパーティ、つまりギルド≪銀楯の聖槍≫による貸切だった。
とはいえ、俺はギルドの一員ではないのだが……まあ、それこそ些細な問題という奴だろう。
「しかしよぉ……ぐっ……。感慨深いぜ……」
「あ?」
肩を組んだままの店主が、ぐっと袖で目元をぬぐう。
「だってよぉ、俺はお前らがヒラのピラピラギルドの時から面倒見てやってるからよぉ……」
「どこの設定だそりゃ……」
半眼で告げ、溜め息を吐く。
この店主とは、非常に長い付き合いだ。正確には、俺がこの店に通い出して、気がつけばギルドの面々も行きつけになった、というところだろうか。
実際この店は、この街、交易都市カリスで指折りの店だと思う。大通りから離れているという立地条件の悪ささえ除けば、雰囲気はいいし、飯もうまい。とはいえそれを褒めると、この男は調子に乗るので黙っておくが。
しかし、交易都市カリスをホームとするギルド、≪銀楯の聖槍≫がここに通い出したのは、むしろ彼らがトップギルドに数えられるようになってからだ。
「まったく、無茶苦茶言って……」
「……でも、感慨深いのは同感」
俺の溜め息混じりの言葉に、かぶさるように聞こえた声は、ひどく聞きなじみのするものだった。
「シノブ姉?」
振り返れば、そこにはアイスブルーの髪をした少女が、じっとこちらを見ていた。
その表情は無表情である。しかし、長年を共に過ごした経験から、それだけではないこともよく知っていた。もっとも現実世界ならばともかく、それがアバターである以上、簡単に読みとることなど出来はしないが……。
「……私は、カナメのおかげだと思ってる」
はっきりと告げられた言葉に、しかし俺は小さく笑った。
「そんなことないよ、シノブ姉。だって、俺をここに……この≪オーリオウル≫に誘ってくれたのは、シノブ姉の方じゃないか」
シノブ。そのアバター名は、しかし彼女の本名でもある。
蓮宮忍。彼女は自分にとって、隣に住む古くからの幼馴染であり、そして自分……何の取り柄もない平凡な男、千条要を、この世界に連れてきた張本人もであるのだ。
それゆえに、シノブ姉。
その呼び名は、現実でもこちらでも変わらない。そして俺のアバター名『カナメ』も、本名と同じだから、この二人の間だけは呼び方がそのままだ。
まあ、俺のアバター名まで本名と一緒なのは、シノブ姉に半ば無理矢理そうされたんだけど……。なんでも「要の名前、好きだから」とかそんな理由で……。
少し微笑んで、俺は言葉を続けた。
「それにさ。俺なんて、所詮は前でガンガン当たって砕けるしかないだけのアタッカーで……それこそ、シノブ姉のヘイト管理がなかったら、すぐに死んじまうくらいひ弱でさ」
「……そんなことない。カナメのアタッカーとしての攻撃力は、私は凄いと思う」
「それは、私も同感だな」
ふと、唐突に割りこんできたのは、例の、説教を繰り返していた黒髪の女性だった。
ポニーテールを揺らし、二人の間に割り込んでくる。シノブ姉が少しむっとした表情をしたが、酔っているせいなのかろくろく気づいた様子もない。
装甲こそつけてはいないが、戦闘は終わったというのに、なぜか変わらず白と青を基調にした騎士服である。思うに、彼女がこれを脱いだところを自分は見たことがない気がする。まあ動きやすいらしいので、彼女としてはそれで構わないのだろう。
そんな彼女は、うんうん、となぜかしきりに頷きながら、言葉をつづけた。
「隣で戦っていても思うが、カナメのあの精神力は凄いよ。どんなに強烈な攻撃でも、ギリギリで避けて反撃するんだ。普通なら、もっと怖がって距離を取るはずなのにな」
「いや、正直、リンが背中を守ってくれるおかげだと思ってるんだけど、俺は」
そう言って苦笑する。リン、と呼ばれた、黒髪をポニーテールにまとめた少女は、「そうか」と言って顔をやや赤く染めた。
「それに、銀楯の聖槍の一員じゃないはずの俺が、このパーティに参加させてもらえたのも、懐の広いマスターさんのおかげだしな」
彼女――リン、ことリーンディアは、ギルド≪銀楯の聖槍≫のギルドマスターを務めている。というよりもむしろ、リンのカリスマ性にあやかって結成された、とも言っていい。
リンというプレイヤーは、容姿、実力、性格ともに、≪オーリオウル・オンライン≫数十万人のトップに位置している。
Sランクユニークモンスターの討伐パーティにとって、彼女ほどおあつらえ向きな人間もいないだろう。事実、作戦や準備から何まで、彼女はパーティリーダーとして、その手腕を遺憾なく発揮していた。
対する俺は、コミュニケーション自体は苦手ではないのだが、ギルドが苦手なこともあり、ずっとソロ――まあシノブ姉がいるからペアか――プレイを貫いていた。いわゆる一匹オオカミ気取りか。
そんな俺に、「一緒にパーティを組まないか」と初めて声をかけてくれたのが彼女だった。
シノブ姉の意向もあって、再三のギルドへの加入要請を断り続けている俺を、しかしそれでも気分を害することなく、ずっと誘い続けてきてくれた。
「その点、俺は感謝してるんだ」
彼女のような存在がいなければ、当然、今日のような感動的な場面に遭遇することなどありえなかっただろうから。
リンは、カナメの言葉に、「そうか」と少し嬉しそうに微笑んだ。その頬は、やや朱に染まったままだ。
「あれれ~、リーダー、もしかして照れちゃってるぅ~?」
横から、聞き覚えのある声で囃したててきたのは、朱色の髪をウェーブさせた、ロングヘアの少女だ。にやにやー、という効果音が聞こえてきそうな、そんな笑みを浮かべている。
ぎぎぎぎ、という効果音を立てて、リンがひきつったような笑顔で振り向いた。
「ユ~リ~? 何か言ったぁ~?」
「あ、ごめんなさいリン、ちょっ、待って、私何も言ってな――」
「問答無用――っ!!」
ずどがががっどんがらがっしゃーん――!
と、まあ効果音にすればこんな感じだろう。鬼と悪魔が追いかけっこを始め、周囲からは「やれやれー」とはやし立てる声が聞こえてくる。
それに小さくため息を吐いて、再び視線を戻す……と、今度は姉が膨れていた。
「シノブ姉ぇ?」
「……私は、弟が人気者で心配」
はい? とわけが分からずに問い返す。しかし、それに答えたのは、横合いからの笑い声だった。
「ははは……確かに。カナメさんはモテモテですね。同性としては羨ましい限りです」
爽やかな声に振り向けば、そこには、金髪碧眼の細面の少年が、いつの間にやら腰かけていた。
「ライ。お前、さっきまであっちにいなかったっけ?」
というかむしろ、あっちで説教されていた気がする。
「ええ、何やら不穏な予感がしたので、こっちに避難してきたんです」
カナメの疑問にあっさりと断言され、「あ、そう」と肩を竦めつつ返す。
この細面の少年、ライ、ことライリッヒは≪銀楯の聖槍≫のサブリーダーである。そして、自分にとっては数少ない、親友と呼べる少年だ。
ちなみに、コイツが敬語なのはデフォルトだ。目上とか目下とか、そういう類のものではない。誰に対しても丁寧な物腰で接する、まあそういうスタンスなわけだ。
「しかしお前も大変だよな」
「何がです?」
エールを口に運びつつ、ライが首を傾げる。それに、くい、と親指で背後――魔力障壁を挟んで睨みあいを続ける鬼と悪魔――を指差した。
「あの連中のセーブ役とか。俺には無理すぎる」
「はは、そりゃ僕にも無理です」
要約すれば「早く止めてこいよあれ」という意味だったのだが、即答で返されて、再び「あ、そう」と返すほかになく――ぐびり、ともう一度エールを喉に注ぎこんだ。
「そういえば、さっきの話なんですけど」
「さっき?」
「カナメさんは凄い、っていう話です」
にこり、とライはその細面で微笑むと。
「――正直、僕も……あの≪ギガース≫を倒せたのは、僕はカナメさんのおかげだと思ってます」
至って真面目に、そして優しい声で。はっきりとそう断言されて……しかし、これに「あ、そう」などと返すわけにもいかない。
ぽりぽりと頬を掻いて、エールを煽りながら言葉を返す。
「何言ってんだ。お前のヒールがなきゃ、俺は早々に死んでたよ」
ライは≪銀楯の聖槍≫のサブリーダーであると同時、優秀なヒーラーでもある。
雑魚戦ならばともかく、正直、ああいう大規模なユニーク戦では、あまりこいつ以外にヒール役を任せたくはない。
それほどまでに優秀かつ冷静、そして常に大局を見れる大物なのだ。
少なくとも俺はそう思っているし、同じ意見の人間はそれこそゴマンといるはずであり……。
「カナメさんは、自分を過小評価しすぎなんですよ」
優しくも、しかし少しだけ嗜めるような色を混ぜて、ライは微笑んだ。
「あれだけ敵に張り付いて、あれだけの効率で攻撃を叩きこめるダメージディーラーを、僕は他に知りません。リーダーも僕も、ギルドのみんなだってそう思ってますよ」
……確かにそりゃ、アタッカーとしての自信はそれなりにあるけれども。
だが、それは過大評価って奴じゃないのか、などと思いながら……しかし、口から衝いて出たのは、まったく違う種類の言葉だった。
「……俺達の誰が欠けたって、勝てなかったさ」
ああ臭い……と、言ってから少しの後悔。
だけれども、悪い気はしなかった。きっと、それは掛け値なしの、酒が入っていたからの本音だったから。
ライは、少し驚いたような顔をして……そして、ふっと微笑んだ。
「……そうですね」
カンッ、とお互いのジョッキを合わせる。
今日の日を祝って。
そして、これからに幸あれと。
……かくして、≪オーリオウル・オンライン≫の、フォルトゥーナ大陸の片隅で。
賑やかで、しかし幸せな、宴会の夜は更けていった。
※この物語は基本的に、ハーレムものやウハウハものといった、あまり明るい類の物語ではありません(特に第一章)。どうかご注意をば…。※
11/9 容姿設定が間違っていたり、書いていなかったりしたので追加しました。