(15) - 冒険者協会
俺たちはシルファを宿屋へと送り、その後返す足で町中へと戻った。
その理由は、本来の、予定していた本題をこなすためである。
即ち、仕事を見つけること。
といっても、俺に出来るのは戦闘だけ。しかしモンスターを倒すことだけで金を稼ぐのは、あまりにも非効率的過ぎる。
よって俺はリンに誘われるまま、ある建物の前へと辿りついていた。
「ほおぉ……」
交易都市カリスの一角。俺の本拠地たるこの街に存在したその建造物に、俺は感嘆の声を吐いた。
カリスの町並みは、俺の知るそれとほとんど変化していない。しかし細部となればさすがに違いも存在するわけであり、その中でも、眼前の建物は一際だった。
もっとも、これといった変哲もない建物だ。ただ大きい。この街最大の建物と言えば、一に商会本部、二に領主邸だ。しかしこの建物は、その領主邸に次ぐほどの大きさがあった。
「ここが、冒険者協会のカリス支部だ」
あっさりと言ったリンの言葉に、俺は思わず「えっ?」という声を上げてしまった。
冒険者協会。その名前は知っている。首都に本部を置く、いわゆる初心者チュートリアル用の組織である。しかし冷静に考えれば、この世界に初心者チュートリアルなど存在するはずもない。
よって『冒険者』クラスを取得するには、当然首都に行かなければならないと思っていた。つい数日前、平民のまま、着の身着のままでフィールドに飛び出したのはそういう理由である。
(まさか、この街にあるとは……)
驚きが隠せないまま呆然と建物を見上げる俺を、「さ、行くぞ」とリンが背を押す。躊躇いがちに頷きながらも、俺は建物の扉に手をかけた。
中は、かなり綺麗だった。
白亜というのだろうか。真っ白な壁と、床には同じく白いタイルが敷き詰められている。
中では、あちこちに戦士然とした人々の姿が見て取れた。物々しさと騒々しさを足して二で割ったような雰囲気だ。
促されるままに歩くと、受付らしきものが見えてきた。半円形を描く受付の中で、にこにこと笑顔を浮かべている女性と、どこか緊張したように話しかける革鎧の男。
一言二言言葉を交わし、にこりと女性が笑みを浮かべると、男がたじろいだように一歩下がった。そしてそのまま踵を返し、とぼとぼとこちらへ引き返してくる。
どこからどう見ても、『受付のおねーさんに声をかけ、あっさり撃退された』風である。
しかし男の気持ちは分からないでもない。それほどに受付の女性は美人で、そして眩いばかりの笑顔であった。
「……カナメ?」
なぜか若干ドスの効いたリンの声に、「なんでもない」と脊椎反射で即答した。
まったく、と言わんばかりにリンは両手を腰に当て、しかしそれ以上何も言わず、受付の女性へと歩を進めた。俺も慌ててそれを追う。
「やあ、スミレ」
「あら、リンさん。お疲れ様です」
どうやら二人は知り合いらしく、気安げに言葉を交わしていた。口調は丁寧なままだが、先ほどまで完璧であった受付嬢の笑顔も、どこか親しげなものに変わっている。
「どうされました? 騎士団の方のご用事ですか? それとも、ご換金か何か――」
「いや、そういうわけじゃない」
スミレ、と呼ばれた受付嬢に手を振ってそう答えると、背後に立つ俺がよく見えるように、その体の位置をずらした。
「今日は、彼を登録しに来たんだ」
「あら」
そこでようやく俺の存在を視界におさめたのか、スミレは再びにっこりと笑顔を浮かべ、行儀よく俺に頭を下げた。
「申し遅れました。当協会の事務を担当しております、スミレ・ミナトと申します」
「あ、はい……カナメです。よろしくお願いします」
思わず敬語で返した俺に、「よろしくお願いします」と完璧な笑顔で返されて、思わずどきりとしてしまった。いや、うん、緊張だ緊張、ただの緊張。
「さて、カナメさま。このお名前はご本名でよろしいですか?」
「あ、はい」
その丁寧な対応に、思わず、現実の銀行に行った時のような感覚に陥った。
よもやこの世界で、こんな体験をするとは。そんな想いを抱きつつも頷くと、「かしこまりました」と頷き、次いで質問を重ねてきた。
「それでは、申し訳ありませんが、ゴカメイをよろしいですか?」
「ごかめい……?」
不意に変換できず戸惑って、しかしすぐに「ご家名か」と思い至った。
気づいた瞬間、俺は「うっ」と声に出しはしなかったものの詰まってしまった。ご家名。つまり苗字。しかしどう考えても、ここで『千堂要』と名乗るのはおかしい。
今の俺の立ち位置は、恐らく『交易都市カリスの市民』なのだ。和風の名前は完全にミスマッチだし……でもスミレ・ミナトって和名っぽいよな……。
などうんうんと考えている間にも、スミレさんの目には疑問符が浮かんでいく。
ここで即答できないと言うのはおかしい。偽名を疑われても仕方のない状況になりつつある。はっとそれに気づき、思わず俺は反射的に名乗っていた。
「ア……アーストライト……です」
「はい。カナメ・アーストライト様、でよろしいですね?」
スミレさんが、その名前をさらさらと紙に描くのを見つめながら、「はい」と俺は頷いてしまった。
アーストライト。その名前は、さる人物の持っていたユニーク武器の名前である。
俺の持っていたものではないのだが、自身の愛用剣であった二振りは、ともに人の苗字には不向きだった。しかしどうして、よりによってそれを選んでしまったのか。
若干後悔しながらも、俺は溜め息を吐いた。
今更「ちがう」と否定できそうにもない。
(ゴメン……シノブ姉)
所有者であった女性に、胸中で密かに頭を下げつつも、俺は努めてポーカーフェイスを保った。
「さて、カナメ様。今回は当協会への登録ということでよろしいですか?」
「あ、はい」
頷く俺に、スミレさんもまた頷いて、「それでは」と言葉を続けてくる。
「まず何点かご確認させて頂きます。もし虚偽が発覚した場合、協会免許の永久停止、及び厳罰もありえますので、どうか正直にお答えください」
にこやかな笑顔で言われた一言に、思わず背筋をこわばらせつつも――。
俺の、この世界に来て初めての、冒険者の登録とやらが始まった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
確認とやらは至極簡単なものだった。
『犯罪歴はないか』、『他の協会に登録したことはないか』、『借金をしていないか』、『戦うことは出来るか』……まあそんなところだ。俺は基本的にどれも問題ない。
まあもっとも、この世界に来て数日しか経っていないゆえに当然ではあるが。
「……はい、ありがとうございます。以上で質問は終了となります」
にこやかなスミレさんの笑顔と共に終了を告げられると、俺はほっと一息を吐いた。住民票とかを要求されていたら、俺にはどうしようもなかった。
「さて、それでは登録の前に、冒険者についてご説明をさせて頂きますね」
「はい、お願いします」
スミレさんの言葉に、俺は迷いなく頷いた。
この世界について、俺は知らないことが多すぎる。説明してくれるというなら願ったりかなったりだ。
「冒険者の主な役目は、モンスターの掃討、未踏破地区の地図の作成、そして依頼の遂行です」
その説明に、俺は若干驚いた。特に二つ目……『未踏破地区の地図の作成』だ。しかし冷静に考えれば、確かにそれは『冒険者』らしい仕事と言えるかもしれない。
冒険者なんだから、当然、冒険をするのが仕事だ。
それは既に行ったことのある場所ではなく、まだ行ったことのない場所でなければ意味がない。
よって『地図の作成』という仕事の鉢が回って来る。まあそんなところだろう。
「ええと……地図の作成には、何か技術が必要なんですか?」
「いいえ、それは必要ありません。……少々お待ち下さい」
言って、スミレさんはデスクの下から何やら取りだした。
それは、コンパスらしき何かだ。一見すればただのコンパスにしか見えないのだが、しかし、方位を示すための針がない。その代わりコンパスの中心に、淡い光を放つ鉱物のようなものが浮いている。
「こちらは自動地図書記と呼ばれる道具になります。こちらをお持ちいただければ、周囲十メルク範囲内の地図情報を自動的に記憶します」
「なるほど……」
『メルクってなんだ?』という疑問がよぎったが、口は噤んでおいた。恐らくメートルのようなものだろう。
むしろそんなことより、差し出された道具の便利さの方が、驚きで上回っていた。
そんな便利な道具は、≪オーリオウル・オンライン≫にも存在しなかった。地図を購入すればUIから表示させることもできたが、周囲を記録し続けるようなものではなかった。
俺がそのコンパスを呆然と見つめていると、「では」というスミレさんの声に、はっと我に返った。
顔を上げれば、変わらずのキラースマイルで俺を見つめている。思わず、ちょっと赤面しそうになった。
「次に、依頼についてご説明しますね」
コンパスを机の上において、次に彼女が取り出したのは数枚の紙だった。
「こちらは、現在このカリス支部にある依頼の一部です」
「……なるほど」
彼女が差し出した紙には、多種多様な依頼がびっしりと並んでいた。
モンスターの討伐、荷の配達、馬車の護衛、アイテムの収集など。依頼も様々なら報酬も様々で、金貨や銀貨といったものもあれば、薬や資材、武器といったこともあるらしい。
ちなみにだが、全て日本語なので俺にも問題なく読める。このあたりはやはり≪オーリオウル・オンライン≫の名残ということだろうか?
「今回、カナメ様に見て頂きたいのはこちらとなります」
す、と彼女の指先が示したのは、紙の右端に小さく印字されている英字だった。
「ランク……C?」
呟いた俺の言葉に、はい、とスミレさんが頷いた。
「依頼を受けて頂くには、ワンダラーランクと呼ばれるものが一定ランク以上に達している必要があります」
またもや聞きなれない言葉が出てきた。
ワンダラーランク……冒険者のランク、という意味か。
「どのような依頼であれ、冒険者の方々にやって頂く仕事に危険はつきものです。よって危険な仕事は、特定のランクに到達されている、力量のある方にお願いさせて頂くことになります」
「なるほど……最初のランクはどうなるんですか?」
「Eランクですね。皆さま、ここから始めて頂くことになります」
ふむふむ、と頷きつつももう一度紙面を眺めた。
どうやらクエストは存在していないが、この依頼というやつがその代わりを果たしているらしい。
見るに、討伐するモンスターなどは、総じて冒険者ランクの一段下に位置していた。Dランクであれば、Eランクモンスター数匹程度だ。Eランクにはほとんど討伐依頼はなく、配達や収集といったものばかりだ。
特に護衛などに関しては、Cランク以上にしか見当たらない。やはり護衛される側としては、腕のいい冒険者を雇いたいということなのだろう。
「そういえば、リンはどのランクなんだ?」
俺の言葉に、いつの間にかじっと向こうの壁を眺めていたリンが「ん?」と声を上げた。
振り向いたと同時、俺の質問の意味を悟ったのか、ああ、と頷いて。
「私はCランクさ。まだまだ駆け出しだよ」
「へぇ……」
意外と低いんだなあ、という俺の率直な感想を、横合いからスミレさんの小さな苦笑が遮った。
「またご謙遜を。カナメさん、リンさんはカリスでの希望の星なんですよ」
「希望の星?」
「はい。リンさんは騎士団のお仕事ばかりに集中されるので、ランクは高くありませんが……本来なら、もうBランクでもおかしくありませんよ」
(騎士団……?)
そういえば、そんな単語も前に聞いたな。そう思いつつも、はっと思いつく。
リンが所属している騎士団、と聞いて思いつくものはひとつしかない。≪銀楯の聖槍≫。ギルドと俺達が呼んでいたものが、この世界では騎士団と呼ばれているのだろうか。
「いや、私にはBランクはまだ重いよ。最近も、ジェネラルリザードにやられそうになったばかりでな。……修行不足を実感したよ」
「ジェネラルリザード……?」
スミレさんの呟きと同時に、ざわり、と周囲がどよめくのが空気で分かった。
リンは張り詰めた沈黙のその中心で「ふむ」と顎に手を当て、参ったように首を傾げた。
「なんだ。まだこちらに連絡は来てないのか?」
「え、ええ……」
スミレさんの顔も、あの完璧なポーカースマイルが崩れ、どこか驚きと怯えが浮かんでいた。
「リン、ジェネラルリザードとやり合ったの? 大丈夫……?」
「ああ、問題ないよ。後で騎士団からの連絡があるだろう。詳しいことはそっちで聞いてくれ」
「そ、そうね……」
二人の会話を見つめる俺にとって、その会話はよく意味が分からなかった。
ジェネラルリザードはCランク。俺の知る限り、そこまで強力なモンスターというわけではない。しかしスミレさんの反応から見るに、どうやらそう単純な話でもないらしい。
コホン、という咳払いに視線を戻すと、スミレさんが再びのスマイルに戻っていた。
霧散するように、沈黙が喧騒にとって代わられるが、その主成分は動揺とざわめきが占めていた。しかしまるで気にしていない様子で、「では」とスミレさんは仕切り直すように言った。
「次に、ランクアップのご説明をさせて頂きますね」
「ランクアップ?」
問い返す俺の声に、スミレさんが再び指先で示したのは、報酬のところに記載される『ポイント』の部分だった。
「依頼を達成されたとき、モンスターを討伐されたとき、新しい地図を提出されたとき。この三点のいずれかを満たされたとき、ランクポイントが加算されます。このポイントの合計によって、冒険者ランクを上昇させることが出来ます」
「はあ……モンスターの討伐、っていうのは?」
「はい。依頼中、様々なモンスターと戦う機会があると思いますが、そのモンスターが依頼内容のモンスターとは限りません」
なるほど、確かにそれはその通りだ。
街道を歩くだけなら遭遇確率は低いが、平原や森を歩けば、そこら中にモンスターがポップする。場合によっては、避けられない戦闘も数多くあるだろう。
「このように、依頼外でモンスターを討伐された際、入手した素材を当協会で換金させて頂きます。換金と同時に、素材に応じたポイントが加算されるといった方式ですね」
なるほど、と俺は頷いた。つまり、依頼されていないモンスターを倒しても得にはなるわけか。
しかし恐らく、依頼で得られる報酬よりは少ない。よって出来るなら、素材は売るよりも、収集系の依頼に納品した方がいいということか。
さて……今までの話を要約すれば、こういうことになる。
・冒険者にはランクがある
・ランクを上げるには、モンスターを倒すか依頼をこなす、もしくは新しい地図を得る
・ランクを上げれば、危険で報酬のいい依頼を受けられる
極めてオーソドックスなシステムだ。
本来の≪オーリオウル・オンライン≫でこそ初耳だが、MMORPGならずとも、普通のロールプレイングでもよくある。理解するに難しくはない。
「……こんなところでしょうか? 何かご質問はありますか?」
「ああ、ええ……」
曖昧に答えた一方で、実は知りたいことがまだまだあった。
金貨や銀貨の価値、そしてクラスについて……他にも、まだまだ分からないことだらけだ。
といっても、何もかもを質問するというわけにはいかない。この世界の人々にとってごく当たり前の常識を質問すれば、変に疑われることもありうる。
悩んだ末……俺は首を横に振った。
「いえ、大丈夫です」
また後で、リンにでも説明してもらえばいい。ここで変な質問をして、冒険者協会への登録を取り下げられては困ってしまう。
俺の言葉に「かしこまりました」とスミレさんは頷き、かくして登録は終了した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「登録証の受け渡しは明日の昼、か……」
去り際、スミレさんに言われた言葉を反芻しつつも、俺たちは協会から宿への帰り道を歩いていた。
既に時間は夕刻。地平線に沈む太陽が、美しい夕焼け模様を空に映し出している。
夕焼けの中、歩く俺の隣で、リンが「ああ」と頷いた。
「カードは、わざわざ細工師に頼んで作ってもらうらしい。まあ、早速今すぐにはな」
「なるほど」
紛失された場合は罰金です、と素晴らしい笑顔で断言された記憶が脳を過ぎる。
「ところで……この後、少し時間をもらえないか?」
「ん?」
問われた言葉に振り向けば、そこには、なぜかリンが気まずげな顔があった。
「あ、ああ……構わないけど」
頷いた俺に、リンは「じゃあ宿屋に戻ろうか」と歩を進めた。
俺にとっては、都合のいい申し出である。
金については、実際に買い物をしてみれば分かることもあるだろう。だがせめて、クラスについてぐらいは聞いておきたい。恐らくは、戦う上での生命線になるだろうから。
(…………慣れてきてるな、俺)
そんな想いを馳せたのは、夕焼けがあまりに美しかったからだろうか。
決意から一日。俺の中であれほどに狂おしく猛っていた炎は、今ではひんやりとした冷たさを纏って、俺の胸の奥に渦巻いていた。
見上げた空には、変わらず濁る白い円環。
この世界はゲームではない。しかし、かつて俺が生きていた現実でもない。
しかしそれでも、世界は俺に『生きる』という選択肢を与えている気がする。もしこの世界が、かつて考えていたような、俺への悪意に満ちていたとしたら……俺はきっと、とっくに死んでいた。
「結局……俺は生きるしかない……」
この世界が何故存在し、そしてどうして俺がいるのか、何もわからないままに。
どこか言い訳のように、俺は呟いて……。
「うん?」
その呟きに反応して振り向いたリンに、俺は小さくかぶりを振った。
「なんでもない。帰ろう」
――今は、ただ生きよう。
俺を導いて、救ってくれる人がいる限り。
俺は、きっと生きなければならないのだ。




