(14) - 歩く道
「やあ、遅かったな」
町の中央に位置する大噴水に到着したとき、そこには既にリンの姿があった。
いつもの黒髪ポニーテールだが、服は青と白の騎士服ではない。
いわゆる『フルーレ』シリーズと呼ばれる女性用の布防具で、短めのスカートと、白の上衣、そして黒のマントといった出で立ちだ。
その服装に若干驚きながらも、俺はリンへと歩み寄った。
「すまない。待ったか?」
「いいや、言うほどでもない。まあ軽く十分ほどのものさ」
言葉通り、まったく責めている響きではない。なのだが、十分の割に彼女はしっとりと汗をかいていた。まあ、ただのやせ我慢なのだろうが、ここで指摘しても何になるわけでもない。
そうか、と俺が頷くと、リンもまた頷き同時に苦笑した。
「とはいえ、協会にも寄るつもりだからな。少し時間がない。早速で悪いが、行こうか」
「あの……」
おずおずと尋ねたその言葉に、リンは歩きだそうとしていた足を止めた。
「それで、今からどこに行くんでしょうか……?」
シルファの疑問に、ふむ、とリンが少し首を傾げると俺の方へ目線をやった。間違いなくその目線は「説明してないのか?」というような意味だろう。
俺は「説明はしたが聞いてなかった」とばかりに肩をすくめ、両手でジェスチャーを送った。それが伝わったのかは定かではないが、はあ、とリンは溜め息を吐き、シルファの方へ向き直る。
「君の服。いつまでもそれでいるわけにはいかないだろう?」
「はい?」
言って、シルファが自分の服を見下ろす。
それはいわゆる『布の服』よりもさらに下位ランク、言ってしまえば『ボロ衣』レベルだった。どうにか服の体裁を保ってはいるが、煤汚れているし、ところどころ破れてもいる。
まさに奴隷、という言葉そのものを体現するかのような服装だった。
「よって服を買いに行く。もちろん、お金は君のご主人さま持ちでね」
「え、ええぇぇっ!?」
驚いた声を上げ、シルファは俺の方を振り向いた。リンも、にやりと試すような目でこちらを見つめている。
言われなくても分かっていた。俺がシルファの主となるというのなら、その持ち物は全て俺のもの、つまり彼女に何か買い与えようと思えば、俺の金でどうにかしなければならないわけだ。
俺は肩をすくめ、小さく苦笑した。
「ああ。女物は俺じゃ分からないからな。せっかくだし、リンに頼もうと思って」
「で、でもっ、そんな、悪いですよ! お洋服なんて……」
慌てて手を体の前で交叉させたシルファに、その隣で、リンがにっこり笑って肩を叩いた。
「気にするな。主人がいいと言ってるんだ。従うのが奴隷の役目だろう?」
「で、でも……」
「いいんだ」
未だ逡巡を続けるシルファの手を、リンはがっと掴んだ。
「さて、行こう!」
宣言と同時に、俺たちは人混みへと向かって歩き出した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それからの数時間は、なんというか、非常に疲れた。
試着をしては似合うかと問われ、俺は毎回「似合う」と答えるのだが(実際似合ってると思う)、その都度「それでは参考にならない」とリンに一蹴されてしまう。
(一体どうしろと……)
買い物に付き合わされる男の辛さ、というやつなのか、コレが。
そういう相手がいなかった俺にとって、その体験は新鮮であり、同時に酷い気疲れをもたらした。
最初は気後れしていたシルファも、いつしか慣れてきたのか、途中からは目を輝かせて様々な衣装に袖を通していた。
奴隷であるシルファが服を選ぶ、というその光景に、店員達がぶつけていた視線は不躾であり、俺をどこか苛立たせたが……二人が気にしないのを見て、俺も無視することに決めた。
金については、あまり心配する必要はない。前データ分の金額、七万ユセルがそのまま残っていたからだ。まあ服の一つや二つくらいはどうってことないだろう。
……なのだが。
二人のはしゃぎようを見るに、どうも残金の期待値については、少々下方修正する必要がありそうだった。
そして今二人は、髪型を変えてみたいというシルファの要望によって、理美容院へと立ちよっている。よって、こうしてベンチに腰掛けて空を眺めているのは俺一人だ。
しかしかといって、暇を持て余すというわけでもなかった。今になって思うが――俺は、どうも周囲を見る余裕すらもなくしていたらしい。
そのせいで、考えることが多すぎるのだ。
「……しかし、不思議なもんだよなぁ」
不思議、というのは、つまりこの世界そのもののことだ。
指がアルファベットのZを描くと同時、出現するウィンドウ。この通りシステムは確かに生きている。しかし周囲を見渡せば……返って来るのは、まさしく異世界の生活感そのものなのだ。
システムがどの程度生きていて、どの程度が死んでいるのか、俺は未だに把握しきれていない。
たとえば取引。さっきの服を買うのもそうだが、トレードウィンドウはもはや使用できない。
トレードはユーザーインターフェースにあるトレードボタンを押し、指先でターゲッティングすることで行うのだが……肝心のインターフェースが存在しない以上、当然、取引は手渡しとなる。
手渡しである以上、対価はユセル硬貨と呼ばれる金貨や銀貨、銅貨といったクレジットアイテムだ。クレジットアイテムは、インベントリー下部の『ユセル変換』ボタンから変換可能だ。
レートは、一ユセルで銅貨一枚、百ユセルで銀貨一枚、一万ユセルで金貨一枚だ。……のだが、このレートがそのまま正しいのかは分からない。
俺は既に、全所持金を硬貨アイテムに変換し終えている。なぜなら恐らく、インベントリーに存在するデータとしての所持金は、もう使い途がないからだ。
実際、トレードやNPCショップが存在しない以上、この項目にある所持金を誰かに譲渡する方法は存在しない。
そして全てのユセルを硬貨アイテムに変換して取り出し終えたとき、最下部にあった所持金の項目は虚空に溶けるように消えてしまった。
……恐らく、もう二度と見ることはない。
他にもたとえば、モンスターの死体についてだ。
人間の死体は残る。これは間違いなく俺がこの目で見た現象だ。
しかしモンスターの死体は残らない。これも確かに、俺は何度かこの目で見ている。
モンスターの死亡エフェクトは、青い光の粒となって消えていく、かつてそのままだった。
昨日、リンに同じ質問をぶつけてみたが、曰く――青い光の粒となって消えるのは、即ちモンスターであることの証明らしい。逆に、たとえどんなにモンスターじみて見える存在でも、死しても消えないのならばモンスターではない、ということらしい。
これが何を意味しているのかは、生憎分からない。
そしてこの世界においても、モンスターは謎の存在そのものであるようだ。
(ややこしい……)
システムが残っていたり、残っていなかったり。
だが理解していなければ、いつか手痛いしっぺ返しに遭いそうではあった。
(他にも……クラスとかは、どうなってるんだろうな)
クラスが健在であることは、既に確認している。しかしそれが、以前のままなのか……クラス名や性能、転職条件がどう変わっているのかは、まるで分かっていない。
(ブレーダーはありそうなんだが……)
昨日、リンの構えから見てとったスキル。あれは『ファイター』クラスの上位、『ブレーダー』系にのみ許される二刀流スキルだ。
しかし、彼女のクラスが実際にブレーダーなのか、そしてブレーダーが持っていたスキル、剣技を扱えるのかは確認していない。
各クラスの取得は試験を通じて行われる。この試験はクエストによって行われるのだが、そもそもNPCがいない現状、クエストがあるとはとても思えなかった。
(なんにせよ、冒険者か……)
冒険者クラスは基本中の基本。いわゆる初期チュートリアルで、半ば無理矢理転職させられる職業のことだ。
といっても、スキルも何の補正もない初期クラス『平民』に比べれば、冒険者の方が遥かにマシである。ゆえに、好き好んで平民クラスに留まる人間もいない。
(ともかく、仕事が必要だな……)
それも、定期的な収入が期待できるようなものがいい。
俺が残していた金は七万ユセル、即ち金貨七枚だ。これといって多い額ではない。もともと気に入ったアイテムがあればすぐに手を出してしまう悪癖ゆえ、俺は金を溜めるような質ではないのだ。
宿屋代、飯代、武器防具に回復アイテム……。
この世界で生きる以上、金はどれほどあっても困るまい。
今にして思えば、あの時、リンが俺の倒したモンスターたちから素材を回収していたのも頷ける。
言ってしまえば、金は死活問題である。
以前俺が居た≪オーリオウル・オンライン≫のように、『面倒臭いから素材は拾わない』というような行為は、真実自分の首を絞める。
しかしモンスターを倒して金を稼ぐというのは、最終手段として置いておきたい。根本的に、収集した素材をどうやって売り払うのか、どれほどの値で売れるのかも分からないのだ。
まったくもって、分からないことだらけだ。
(とにかく、この後にでもリンに聞いてみるか……)
――などと考えていたところで、背後でかちゃりと扉を開く音が聞こえて、俺は振り向いた。
そして……思わず、俺の体と思考とがフリーズしてしまった。
「終わったぞ、カナメ」
そこには、理美容院から出てきた二人の少女の姿。
といっても一方はまるで変わっていない。黒髪のポニーテールと、現実を思い出させるラフな格好。問題はもう一人の方である。
リンの背に隠れるように、おずおずと出てくる銀髪の少女。その背を、ぽんとリンが押す。
「あ、あの……」
緊張した面持ちのまま、俺を見上げるように。
「……その……似合ってますか?」
問いかけた少女は――シルファだった。
ああ当然だ、そりゃそうだろう。当たり前の話だ。なのだが正直、最初見た時には彼女と気づかなかった。それほどまでに、彼女は見違えていた。
銀色の長い髪は三つ編みに纏められ、その下端を青いリボンで留めている。首元まである黒のブラウスに、オリーブ色のカーディガンを重ねている。
いっそ深窓の令嬢と言われてもそう不思議ではない。それほどの美しさがあった。
「どうだ? なかなかのものだと思うが」
「あ、ああ……いや、似合ってる。正直驚いた。見違えたよ」
どうにか思考回路のラグから回復した俺が言ったのは、あからさまに直球すぎる言葉だった。恥ずかしかったのか、ぼっとシルファが頬を染めてうつむく。
リンが、ああ、と頷いて続けた。
「これなら、奴隷の紋章も見えないからな。少しは一人でも出歩けるようになる」
「……なるほど」
確かに青く刻まれた首元の紋章は、黒いブラウスに隠れてしまっていた。ボタンを外さない限りあらわになることもないのだろう。
俺が頷くと、驚いたようにシルファが顔を上げた。
「い、いいんですか? 紋章を隠して……」
「? 何か問題があるのか?」
たとえば奴隷は、紋章は隠してはならないとか、隠したら処罰だとか、そういう決まりがあるんだろうか?
そう思ってリンの方を向くと、「いや」と首を振った。
「奴隷の印を隠す、それ自体に問題はない。シルファが言いたいのは、恐らく……脱走の問題じゃないかな」
「脱走?」
「印が見つからなければ、奴隷とは判断されない。わざわざ怪しい奴の服を剥いて、確認するわけにもいかないだろう?」
「ああ……そういうことか……」
リンの言葉に、俺は頷いた。
印の見えなくなる服装を与える、ということは、いつ脱走されてもおかしくないということだ。
奴隷は自分で服を買えず、また印を隠すことなどできない服装を強制的に強いられる。しかし、買い与えられた場合は別だ。そのまま行方をくらまして、印を隠しながら生活することもできなくはない。
といっても、それには多大な労力や危険を強いられるだろうが……自由には替えられない。恐らく、奴隷を信用し過ぎて脱走された、というような前例もあるのだろう。
それに思い至った俺は、思わず苦笑しそうになった。
「いや、構わないよ」
俺は当然の如く、そう告げた。
目の前に立つリンとシルファが、驚きで目を見開いたのが分かった。
(って、リンもか?)
お前が買い与えたんだろう、と思わないでもなかった。正直リンは俺を試しているんじゃないかとも思ったが、どうやらそこまで気が回っていなかっただけらしい。
(相変わらず、変なところで天然な奴だな……)
まあ何にせよ、俺の結論は変わらない。
「シルファが奴隷から逃げ出したいなら、それでいい。自由に生きたいと思うのなら、そうすればいい。俺の傍にいた方がいいと思うのならそれもいいさ。好きにすればいい」
どれにせよ、選ぶのは自分だ。
運命は易々とは変えられない。俺たちは、この残酷な世界で生きていくしかないんだと思う。しかし……どう歩くのかを選ぶことは出来る。
せめて、そう思いたかった。
リンとシルファの二人は顔を見合わせると――同時に、くすりと笑った。
誰だ……俺にファッションセンスなんて求めたのは……!(自分です)
平穏な日々その1でした。シルファさんのシーンをもうちょい入れたかったんですが、「さすがにこれ以上長引くのはチョット」ということでざっくりカット。
次話も世界観解説成分多めです。多分次話までなのでもうしばらく辛抱をば……。