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悠久のフォルトゥーナ  作者: 卜部祐一郎@卜部紀一
第二章 『氷刃』
14/43

(12) - 騎士

 銀楯の聖槍、と呼ばれるギルドがある。

 シルヴァリー・エスク・ロンギヌス。シシス王国において最大クラスの規模を誇る騎士団であり、国防の一柱ともされている。その騎士道精神を貫く姿勢から王の信頼も篤く、その騎士というだけで賞賛を浴びたりもする。

 しかしそこに属する騎士と、騎士団を率いる団長とでは、まさに天と地ほどにも離れた存在であった。少なくとも私――リーンディア・エレクトハイムにとっては、雲の上の存在そのものである。


 私が団長を見たことがあるのは二度だけだ。一度目は入団の時、そして二度目は、カリス支部の中隊長に任じられた時である。

 騎士団の一員となれた時は純粋に嬉しかったし、第二中隊長に任じられた時は、私の生涯をこの騎士団、そして王国に賭してみせると心から誓ったものだ。

 よって、そう。ドアをノックするだけの一動作にも、思わず緊張で力が籠ってしまうのは、まったく仕方のないことのはずだ。


 交易都市カリスの片隅にある、S.E.Lギルド支部――その支部長の部屋を、私は心臓が張り裂けんばかりの緊張感を滲ませて、二度ノックした。 

「誰です?」

「はっ! 騎士団傘下、第二中隊長リーンディア・エレクトハイムであります。先日の件をご報告に参りました!」


 ノックに対して扉の向こうから答えた声は、団長のものではない。そもそも性別が違う。女性のものだ。

 しかし私の緊張はまったくほぐれることはなかった。それが支部長のものであることは十分に分かっており、そして彼女の部屋に団長がいることも昨日の段階で知らされていたからだ。


「そう。入りなさい」

 言われ、「失礼します」と慎重にドアを開く。

 部屋の中身はいつもと変わっていない。質素な部屋。飾られているのは大陸地図や騎士団旗がせいぜいである。それは支部長……自分の眼前に座る、灰色髪の女性の性分を如実に表したものといえた。

 私は緊張したまま部屋の中へ立ち入り、直立不動で敬礼し――ふと気付いた。


 団長の姿がない。

 むしろ部屋の中には、支部長しかいなかった。その隣には椅子が置いてあるが、誰の姿もない。


(まだ来ていないのか……?)

 ほっとしたやら、驚いたやらだ。思わず一瞬肩の力を抜くと、ぴくり、と眼前の女性が眼鏡の奥で片眉を上げた。

 しまった、まずい。とにかく今は集中しなければ。


「こちらが報告書です」

 緩みを引き締め直し、左手に持っていた紙束を差し出すと、「そう」と小さく頷いて、支部長はそれを受け取った。片指で眼鏡の位置を直し、書類へと視線を走らせる。

 無論、それを立ったまま見下ろすことはしない。顔を上げて正面を見つめながら、私は報告を続けた。

「損害は、非戦闘員が十二名、戦闘要員が四名。そして中型馬車二台、馬四頭です。回収された物資は、小麦十二袋、木材十束、水十五瓶です」


 それは先日、ジェネラルリザードによって襲われた商隊の被害である。

 後者の馬や馬車にくらべ、前者の失われたものの、なんと重いことかと思う。馬などはいくらでも補充が利く。しかし失われた命は永遠に帰って来ることはない。

 しかしそれは、あくまで感情論によるものだ。私が騎士である以上、それを理由にして報告を怠るわけにはいかなかった。


「……馬車二台の割に、随分積載量が少ないわね」

「はい。恐らくですが、この商隊は奴隷を輸送中だったと思われます。死体の中に、奴隷らしき人間の姿もありました」

 というよりも、むしろ彼らが奴隷商人――それも無登録の――であることは疑いようのない事実だった。シルファという少女の存在がそれを完全に証明している。


 しかしもちろんのこと、それを報告するわけにはいかない。

 あの場にいた奴隷は全員が死んだ。今カナメという少年が飼っている奴隷は、まったくそれとは無関係の存在だ。そうしておかなければ、カナメは違法奴隷の関係者ということにされてしまう。

 そして事実、あの場にはおよそ八人ほど、奴隷と思われる死体が存在していた。当然と言えば当然だろうが、シルファや彼女の姉だけではなかったのだ。


「……そう。護衛の人達には悪いけれど、自業自得ね。ところで」

 そっけなく告げると、パチンと羊皮紙で作られた報告書の一点を、彼女は指ではじいた。

 次いで、まるで氷のようなアイスブルーの瞳をこちらへと向けてくる。

「ここにある、民間人一名の協力というのは?」


 確実に問われるだろうと思っていたその一言に、私は一瞬、ぴくりと身を震わせた。

 民間人一名の協力により、モンスターを撃退――私が記したその一文だ。それだけ見れば、本来守るべきはずの対象により助けられた、ということになる。

 それは騎士として恥ずべきことであり、責められて当然の内容であった。しかし――


「はい。私は民間人一名の介入により、モンスターの撃退に成功し……自身の生存に成功しました」

 無論のこと、私は誤魔化すつもりなど毛頭ない。

 ジェネラルリザードに追い詰められ、守るべきはずの存在を守れなかった罪。それは騎士たる私が背負うべき咎である。


「ではその介入がなければ、貴方は死んでいたと?」

「はい」

 誰を守ることもできず、自分すらも守れず、私はきっと無様に死んでいた。

 私は無力だ。その無力によって生まれた罪を、私以外の誰も背負うことはできない。背負わせはしない。それはせめてもの矜持であった。

 支部長は、眼鏡の向こうからしばし私をじっと見つめ、小さくため息を吐いて、紙にもう一度視線を落とした。


「そう。非番中にご苦労さまでした。処分は追って通達――」

「おいおい、エレノーア。それはちょっとあんまりじゃないか?」

 背後からかかった声に、私は飛び上がるように振り向いた。


 いつそこに立っていたのか。扉が開いた様子も、閉まった様子もないというのに、部屋の扉に背を預けるように、一人の長身の男が立っていた。

 黒く長い髪。まるで隠者を思わせる仄暗色のローブ。私は……彼を知っている。


「団長!?」

 銀楯の(S.E)聖槍(.L)首領、マグディウス・ヴィクトール。大陸において数少ない天性の魔法使いにして、『黒の獣』と呼ばれた天才である。

 そして同時に五大選王侯が一、ストレイハイム公の実子でもある。魔力を失って一線を退いた今も、彼の残した数々の伝説は今なお語り草となって生き続け、あるいは伝説とすら口伝に謳われる稀代の英雄だ。


 その英雄の唐突な出現に、私は思わず膝を折り、片手を心臓に当てた。

 目上の者への最敬礼。しかし、小さく苦笑する声が頭上から聞こえてきた。

「ああ、そう気にしないでくれ。俺はただの空気だ。そう思ってくれていい」

「……そんな偉そうな空気がどこにありますか、団長。若者を困らせて楽しむ悪癖は、そろそろ直して頂きたいものですが」

 ピシリと凍るような口調を微塵も変えずに支部長が言うと、「ふっ」と小さく男は笑った。


「冷たいことを言うなよ、マードラー大隊長。冷や水は年寄りの数少ない楽しみなんだ」

「言うほど年も取っていないでしょう」

 再びの応酬に、戸惑いながらも顔を上げた。支部長が変わらずの無表情でこくりと頷くに合わせ、私はゆっくりと立ちあがった。


 もっとも新しき伝説とすら言われる男は、しかし存外に軽薄な表情を浮かべていた。

 大隊長こと支部長の言葉をあっさり無視して、その机に歩み寄る。と、机の上にあった白い紙を一枚その手に取る。


「ジェネラルリザード……強敵だな。こいつは最近、ギルド協連でもCからBランクに格上げすべしという話もある」

「Bランクですか?」

 思わず発したリンの言葉に、こくりとマグディウス団長は頷いた。

「そうだ。正確にはBマイナスだがな。最低でも十人で当たるべしというやつだ」


 Bマイナスランク。即ち、Bランクに属する下位モンスターということだ。

 とはいっても、騎士であっても個人で当たってはならない、と厳命される上位種の一角である。中隊単位以上のが集団で戦闘し、掃討する類の危険な存在。ちなみこれがもしAランクであれば、軍や大隊が出動するような騒ぎとなる。

 ジェネラルリザード。あの時感じた奴らの戦闘力ならば、それもなるほどと頷けた。

 しかし逆に言えば、それほどまでに出現するのが稀なモンスターなのだ。どうしてあんな街道にいたのだろうかと首を捻っていると、エレノーア大隊長が団長へと口を開いた。


「……つまり、それほどの危険度を持ったモンスターと戦闘したのだから、大目に見るべしと?」

「いいや」

 支部長に問われると、あっさりとマグディウス団長はかぶりを振った。

「強い奴と当たったからと言って、力無き者を守らなくていいという理屈にはならないな。戦うか逃げるか、それとも増援を呼ぶか……即ち如何にして守るか。その判断も実力のうちだ」

 結果死んだとしても、それはただ力が足りなかったというだけの話。


 騎士たるもの、弱き者のため、この国の安寧のため、己が心臓を捧げる勇士であらんとすべし。

 幾度となく聞かされた騎士の理、騎士の信念。私ははっとした。青年の飄々とした見た目からは裏腹に、しかし彼は誰よりも騎士なのだ。

 誰よりも民に国に、心臓を捧げ、血を捧げた勇士。英雄。私はえもしれぬ感動を胸に覚えながらも、直立不動を解くことなく二人を見つめていた。


 私は未熟だ。私は弱い。だからたとえ罰せられるとしても、私はそれを受け入れる。

 自分の弱さを受け入れなければ、人はきっと前に進めないのだから。


「……つまり、彼女は処分すべしと? それとも――」

「まあ待て、エレノーア。そう急ぐな」

 怪訝な顔で問う支部長の声に、彼は首を振って肩をすくめた。そしてもう一度、手に持った報告書をひらひらと弄びつつも、口を開く。


「しかし、まさかこいつらが街道に出るとはな。人員の強化を急いだ方がいいかもしれん。たとえば……」

 にやり、と私を見て、マグディウス団長は人の悪い笑みを浮かべた。

「この報告書にある、民間人とやらなんてのはどうだ」

 その問いに、私は全身を硬直させた。


 もっともそれは、団長の言葉に否定的だったからではない。

 正直に言えば……それは、私の台詞だったのである。

 私は罪を甘んじて受け、そして今日中にでも、カナメを騎士団に推薦するつもりだった。

 あれほどの実力があれば、彼は騎士団でも十分な活躍が出来るだろう。いずれは準騎士、そして騎士勲へと上り詰めることもできるかもしれない。


 しかし、このタイミングはまずい。

 このタイミングで頷けば、それは明確な裏切りだ。

 私の保身のために、彼を売る。そういう風にしかならない。


(私は――)

 窺うような二人の目線。

 温度は違う。意味も違うだろう。

 私が……考えて出した結論は。

「……私は」


  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 中隊長が退出し、それを見届けてから、支部長であるエレノーア・マードラーは深くため息を吐いた。

 話は終わり、室内にはどこか気だるい空気が漂っていた。それは別に、リーンディアが退出したからというわけではない。彼女の出した、ある”条件”ゆえだった。


 もちろん、呑む分にはまったく支障がない。

 なのだが、このぬるま湯のような空気ばかりは払拭できそうになかった。


「……ハハハハ。なるほど、そう来たか……」

 隣で笑う男の声。見上げると、黒く長い髪の向こうで男がその頬を歪めていた。

「いやまったく。公爵には釘を刺されていたが……なるほど確かに。侮れない……」

「団長?」

 問うと、ひらひらと彼は手を舞わせた。『訊くな』の合図だ。この状態の彼にはどれほど質問をぶつけようが無意味。長年の付き合いから、それぐらいは良く良く分かっている。

 とりあえずそれ以上問わないことにして、ちりん、と机の上のベルを鳴らした。


「お呼びでしょうか?」

 すぐに小間使いの少年が、扉の向こうから問いを投げてきた。

「第一中隊長を呼んで」

 私の答えに帰って来た、即座の「了解しました」と共に、足音が扉の前から離れていく。


 そして、十分後。

 部屋の外に気配が生じるのを感じると同時、口を開いた。


「入って」

「はっ!」

 入って来たのは、青の鎧に身を包んだ長身の男だった。甲冑の下からでも分かる屈強な肉体は、かなりの重量を誇るはずのプレートアーマーをまったく苦としていない。

 男は、机の隣に立つ存在にびくりと体を震わせたが、しかし視線を向けることなく、直立不動のまま敬礼を示した。


「第一中隊長、クラウス・ジーグルトであります。お呼びでしょうか?」

「ええ……少し用事があってね」

 敬礼を解いた男に、リーンディアのことを説明していく。

 この男は、屈強な肉体を持ちながらも頭の回転が早い。問い返すこともなく理解を示した彼に、若干の溜め息を隠しながら言葉を続ける。


「まあそういうことだから、貴方には少し迷惑をかけるけれど……」

「はっ! 問題ありません」

 その言葉に、不快な部分は存在しなかった。

 当然だろうとも思う。今回の件はリーンディアにこれといった非は無い。もともと彼女はあの日非番であり、偶然巻き込まれた形に過ぎないのだ。そして通すべき筋をきちんと彼女は通している。

 その点、同じく武人と言える性質を持つ、この男からの理解は早かった。


「そう、頼んだわ。あと……そうね」

 リーンディアの残していった書類のうち一枚を引き抜いて、男へと渡す。

「この回収した物資は商会に回して。あと、巡回チームの編成を増員させるように」

「増員ですか?」

 ええ、と頷く。もっとも近年における魔物の増加、そして凶暴化によって、人数不足なのは分かり切っている。


「チーム数は減らして、一チームの人数を増やすように。最低でも五人。巡回範囲は街道を中心にね」

 総数は増やせない。しかしジェネラルリザードのようなモンスターが出没したとなれば、安全は考慮しなければならない。人員をさらに減らされてしまえば、元も子もないのだから。


「強力なモンスター、もしくは特異なモンスターを発見した場合にはすぐに知らせること。こちらから仕掛けないように徹底させて」

「では、強力なモンスターが一般人を襲っていた場合は?」

「決まってるわ。戦って死になさい」

 即答すると、「はっ!」と男は敬礼を返した。


 無論、死ぬことは正義ではない。それは両者共に弁えていた。

 最善は死せず守ること。死んで守ることは下策である。死ねば、もう守れないからだ。

 しかし死してもなお守って見せるという騎士の矜持は、どんな状況であろうと戦い続けるための芯であることは、確かに事実だった。

 いざとなれば、守るべき者のために己の命を投げ打つ。それが騎士道である。

 ……もっとも、数多ある騎士団がすべからく騎士道を守るかと問われれば、それは否であろうが。


 男が一礼して退出すると、ふう、と再び溜め息を吐いた。

 悩ましい問題が山積している。中でも、モンスターによる被害は拡大の一途だ。元よりモンスターの勢力がそれほどでもない土地柄ゆえに、対する備えは完璧ではない。


 南の出身である自分にとって、それは実に悩ましい問題だった。町ではろくろく襲撃対策をしていないし、騎士たちの危機意識も低い。

 しかしそれでも、魔物たちは待ってくれない。こうしている瞬間にも、彼らは勢力を強めていく。

「これも……魔王領域の影響なのかしらね」

「さてな」


 答えたのは、無言のまま隣に佇んでいた団長マグディウスであった。いつの間にかデスクに腰かけ、変わらず興味深げに報告書に目を馳せている。

「魔王領域と言っても、あそこのことはまるで分かっていない。魔王なんてものが、本当に実在しているのかどうか」

「教会の法螺だと?」

「確かに南西の魔物は強力だが、それだけで魔王の実在は証明できない。誰も見たことがないんだからな」


 彼はそう言って、「そんなことより」とかぶりを振った。

「今はもっと頭の痛い課題を、山ほど抱えているだろう?」

「……帝国ね」


 確かに、その通りだ。最大の仮想敵国である帝国が、この王国ならずとも、ゼスやラルバニエといった中原国家を落としにかかれば当然黙ってはいられない。

 しかしその言葉に、いや、と彼は首を振った。


「それだけでもない」

「え?」

 問い返すと、彼の手の中の羊皮紙がふわりと風に舞って――

 瞬時、くしゃりという音と共に、掌サイズほどの大きさにまで折り畳まれた。


「さて……このカードはどう動くかな……?」

またもや……新キャラ、だと……!?

スミマセンゴメンナサイホントモウシワケナイ。つ、次は出ないよ!? 多分!

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