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悠久のフォルトゥーナ  作者: 卜部祐一郎@卜部紀一
第一章 『慟哭』
12/43

(11) - 生きる

「どこへ行くんですか?」

 夜。街を歩きながら背後から問われた声に、俺は振り返った。

 振り返れば、そこには例の銀髪の少女――シルファが、疑問を浮かべたままの顔で俺を見つめていた。

「ちょっと、郊外にな。安心してくれ、モンスターは出ない」

「はあ……」

 シルファ、と名乗ったこの少女は、案外、俺を怖がることはなかった。

 奴隷というだけあって手ひどい扱いを受けてきたんだろう。それを予想していた俺は、もちろん最初、自分のことも警戒されるだろうと思っていた。

 しかし案外そうでもなく――今のところ、彼女は俺に対し、ごくごく普通に振る舞っていた。


 あるいは、彼女の姉のことを責め立てられるかもしれないと覚悟していた俺は、半ば拍子抜けしつつ、彼女を宿屋の外へと連れ出した。

 それは昨日、帰る直前に「夜になったら郊外の丘に来てほしい」とリンから言われていたからだった。

 郊外の丘というのは、つまり、例の花畑の丘のことである。

 安全圏内というわけではないが、モンスターはポップせず、特別何かトラップやイベントがあるわけでもない。それなら、彼女も連れていこうと決めたのだ。

 夜とはいえ、あそこの美しさは昼夜を問わない。きっと、いいリフレッシュになるだろうと。

 もっとも、リンの用事の方は何なのか、まるで聞いていないのだが……。


「でも、夜に外出って、ちょっとドキドキしますね」

 二人歩く道すがら、くすりと笑いながら、彼女はそんなことを言った。

「そうか?」

「はい。父も母も、夜は出歩かせてくれませんでしたし……奴隷時代は、そもそも外に出られませんでしたから」

 特に何か気負う様子もなく告げた言葉の重さに、俺はやや顔をしかめつつ「そうか」と答えた。

 父がいて、母がいて、それでも奴隷商人に売り飛ばされたのだ。親に売られた子供……帰る道すがらに聞いたリンの推測が真実なら、これほど壮絶な人生はそうはないだろう。

 俺のそんな態度に、彼女は気分を害した様子もなく、むしろくすりと笑って肩をすくめた。

 そしてそこから先は沈黙で……二人、夜空の下を歩いていく。

 相変わらずNPCの姿はないが、夜ではあっても未だ人の姿はまばらに存在していた。夜型プレイヤーなんてのもまだいるんだろうか、などと思いながら、道を歩く。


 俺は、この世界が完成された世界だと、そう結論づけた。

 すなわち果てしなく『現実』に近い、異世界のようなものではないのかと。

 その想いを以て今周囲を見回してみれば、確かになるほど、これほどにしっくり来る言葉はなかった。

 屋台を売る人間、道を歩く人間、酔い潰れる人間、消費者と生産者、与える人間と受ける人間。

 見る限り、彼らはまさしくそれを行っている。そしてそれを行う自分に、一切疑問など持っている様子もない。

 ――完成された世界。もうひとつの現実。異世界……。


「なあ、シルファ」

「はい?」

「君は奴隷って言ってたけど……そのクラスは、変えられないのか?」

 少女はわずかに驚いたように目を見張って……そして無言のまま、その細い指先がくるりと動いた。同時に、無音で出現する青いウィンドウ。

「……これを、見てください」

 俺はわずかにその光景に驚きつつも、促されるまま覗きこみ、飛び込んできた光景に戦慄した。

 彼女のクラスは、奴隷――そしてその項目欄が、まるで封印されるように、錆色の鎖で絡め取られていたのだ。


「これは……」

「奴隷は一生、このままなんだと……私は言われました。決してその鎖が解けることはないと……」

 言って彼女が、手を横に避ける仕草をすると同時、クラスのウィンドウは掻き消えた

 俺は、ろくろく慰める言葉も言えないまま、「……すまない」とだけ言うと、彼女は「いえ」と小さく首を振った。

 ――奴隷は、一度奴隷となれば、別の人生などありえない。

 昨日の話を思い出し、わずかな衝撃と気持ちの悪さが、俺の喉元を駆け抜ける。


 そして同時に、発覚した真実。つまりシステムが生きているということ。

 もっとも俺は、リンが何度もインベントリを開いていたところを見ていた。しかし、出来る限りのゲーム的要素は排されていたと思う。

 恐らく彼女たちは、クラスやインベントリ、ステータスといったシステム用語、さらに言えば『町中であればクラスを変更できる』というシステムも理解しており……そしてこれも恐らくだが、彼女たちはそれを当然のものとして享受している。

 ジェネラルリザードのアルゴリズムがそのままだったように、俺の知識や経験も、この世界で幾らかは役に立ちそうではあった。


 この『世界』が何なのかは、正直、まるで分からない。

 本当に現実なのか。本当に異世界なのか。あるいは、やはりゲームの中なのか?

 しかし……脱出できないということ。人々はここで暮らし、ここで生きて、ここで死ぬということ。そして……俺もまた、同じように……。


  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「ようやく来たな」

 リンの声を聞くと同時、俺たちは、その花畑へ足を踏み入れた。

 そこは俺が最初に目覚めた場所。そして……あの日俺達にとっての、最後の思い出の場所。

 俺はその光景を直視することができず、リンへと目線を向けた。彼女は両腰に手をあてて、少し苦笑してみせる。

「遅いぞ。もう始まるところだ」

「始まる? 何が……」

 いいから、と言う彼女に連れられ、俺たちは崖の方向へと向かう。


 雄大な景色。花畑の向こうに見える山々。しかし、そこにあるのは寂寞だけで――。

「……だから、何があるんだよ?」

 胸を衝く想いに、思わず語勢を荒げながら問うと、彼女は口元に指を当てて……そして、空に指を向けた。


 ――パンッ。


「……え?」

 最初は、何が起きたのか、俺には分からなかった。

 けれど――。


 バラララッ……という音と共に、空に光の花が広がって……。

「うわぁ……!」

 隣のシルファが、どこか感動したような声を出すと同時――それが何であるのか、ようやく俺は理解した。


「花火……?」

 パンッ、ともうひとつ打ちあがり、空に鮮やかな光の花を咲かせる。

 俺の言葉に、リンが「ああ」と頷いて、その横に並んだ。

「どうだ? 凄いだろう。ここは半年に一度、花火を上げるんだよ」

 それがたまたま今日だったから……という彼女の言葉に、しかし俺は、何も答えることが出来なかった。


 空に打ちあがる花火。

 いつしか集まっていた人々が、それに向けて拍手と歓声を捧げる。


「た~~~まや~~~~!!」


 あの日と同じ声。同じ雰囲気。同じ……空気。

 同じように、空に花火が打ちあがって……俺は、それを見つめていて……。


 ――気がつけば。

 俺の口は、俺の声は、知らず言葉を紡いでいた。


「シノブ姉……ユーリさん……」


 ――……私は、カナメのおかげだと思ってる。

 ――あらぁ。それはつまり、私じゃ不満ってことぉ?


 思い出せる声。思い出せる言葉。思い出せる日々。あの日の記憶。

 けれど……お前たちは、ここにいなくて……。


「ライ……ミミさん……」


 ――正直、僕も……あの≪ギガース≫を倒せたのは、僕はカナメさんのおかげだと思ってます。

 ――ああー、憧れのS級ユニーク……一体どんな武器が出来るんでしょう?


 俺を慰めてくれた声。はしゃいでいた声。ふざけあった日々。友として、仲間として。

 けれどもう……けれど、もう……。


「リ、ン……」


 ――その……なんだ。お前はああいうが、今回は本当に感謝してる。


 リン。お前は俺のことを忘れてしまったんだろうか。

 俺を覚えていたお前は、どこかへ消えてしまったんだろうか?

 今はもう……手の届かないどこかへ。


 ――その……ずっと決めてたんだ。S級のユニークを倒したら……って。


 俺を信じ、俺の手を引いて、俺の目の前で笑ってくれたお前は――。

 俺を、知ってくれていたお前は、もう、どこにもいないんだろうか?

 それとも……今も隣にいるリンは、本当にお前なのだろうか?


 ――私は、ずっと……君のことが――


 ……その言葉の続きを。

 俺が聞くことは――永遠に、ない。


 つう、と頬に一筋の涙が溢れて。

 空に浮かぶ花火が、ぼやけた光の筋となって、虚空に消えていく。

 俺は足掻いた。俺は逃げようと思った。俺は、この世界の人間じゃないと、そう思った。

 けれど、眼前の光景は確かに存在して……でもそこに、あいつらはいなくて……ただそれが……今はひたすらに悲しくて。


「……カナメさん」

 そっと、俺の頬に触れたのは、シルファの指だった。

 俺の涙をぬぐって……そしてまるで聖母のように、優しげに口を開く。

「悲しい時は……泣いていいんですよ……」

 それはいつか――リンに言われた、慰めの言葉。

 そしてその優しさが……ストン、と俺の胸の底に落ちた。


「あ、あああぁ……」

 それはかつての慟哭ではない。

 ただ認められず、逃げようとして、駄々をこねていたあの時とは、違う。


「あ、あああ……うぁぁ――っ……」

 母に抱きしめられるように……その胸の中で。


「う……あああああぁぁああああああ――っ……!」

 俺はこの日、この世界に来て初めて。

 本当の涙を――流した。



(……ごめん……リン……シノブ姉……ユーリさん……ライ……ミミさん……)

 少女の胸の中で、嗚咽を漏らしながら――静かに。

(俺は……もう、帰れない)

 俺は、静かに、認めた。


 帰る方法が見つからない。代替方法など当然思いつかない。そしてこの世界が一つの現実であるなら、現実から逃げだす手段は……きっとないだろう。

 分かっていた。理解していた。

 けれど頭で理解しているのと、心の深くから理解するのは、まるで違っていて。

 だから分かってはいても、ずっと認められなかった。


 だけれど今、果てのない悲しみが、俺の胸の中を満たしていく。

 俺はただひたすらに、みっともないほど嗚咽を漏らし、涙を流しながら。


 ――ただ想うのだ。

 俺を助けようとしてくれた人がいた。

 俺を慰めようとしてくれた人がいた。

 俺を救おうとしてくれた人がいた。

 俺の手で守れず、失った命があった。

 俺が守れなかったから、大切なものを失った人がいた。

 そしてこうして――俺を包んでくれている人が、いる。


 だから俺は、きっと、もう。

 この世界に……この人たちに、背を向けることは、出来ない。

 ありもしないものとして、切り捨てることなど……出来ない。



(俺は――)

 ああ……もう会えない、忘れられぬ友たちよ。

 決して切ることのできない、かけがえのない……絆たちよ。



(俺は、この世界で――……生きる……)



 もうお前たちには会えないかもしれないけれど。

 でもお前たちですら、俺の中から消えるのは、もっと嫌だから。

 だから――。



(俺は、生きる……)


 この世界で。

 この……悠久のフォルトゥーナで。


 白く濁る円環と、空に打ちあがる花火は、ただ、涙を流す俺を見下ろして。

 ――どこか、俺を、祝福しているような気がした。

第一章、完結しました。いや第一章というよりも、長い長いプロローグが、と言うべきでしょうか。

心理描写に重きを置いたつもりでしたが、どうだったでしょうか?

何か感じるものがありましたら、ぜひポイント評価や感想、レビュー等を頂ければ幸いです。

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